第8話 サイド2に潜む影

 ヘスティアの宇宙港に停留しているシンドラの艦内に、けたたましいほどの警報が鳴り響く。そんな中、モビルスーツデッキの喧噪は最高潮に達していたが、愛機のコックピットに既に入っていたクローネは、周りの時間が止まっているかのような、そんな錯覚をするほどに神経を研ぎ澄ましていた。

 彼の乗るシュツルムディアスの横には2機のガザCが立っている。これはシシリエンヌ所属のモビルスーツだったが、これがクローネに残された最後の戦力である。シンドラに所属していたモビルスーツ隊は、先のイーシャとの戦闘の際に失われていた。
 シシリエンヌは戦力にはならない・・・それは最初から分かっていたことだ。
なぜなら、この4年間でシシリエンヌのクルーの半数近くがクローネを見限るなどして離脱しており、両方をいっぺんに運用することは実際問題として不可能なのである。
 だから、シシリエンヌの方は、戦力−−−特にモビルスーツを運用できうる艦艇−−−を欲しがっていたエネス達にいずれくれてやるつもりだった。
(私がヴェキの友人だったから手を貸す、か・・・見え透いた嘘だが、素直に喜んでおくぞ、エネス・・・。)
 親友と誓い合った未来に進むことがすべてだと言い切っていた元連邦軍大尉の言葉を思い出して、クローネはそんな気になっていた。
「ネリナ、私の話を艦内放送に繋いでくれ。」
 艦内の喧噪が落ち着きを見せ始めてから、ブリッジにいるネリナ・クリオネスに言った。
「オーケーよ。」
「すまない・・・。」
 一回だけ深呼吸をしてから、やや大きめのボリュームで話し出す。
「シンドラのクルー全員に告げる、私はロフト・クローネ。いま、このヘスティアに接近しつつある艦艇は、本艦と同じ型式のものだと判明した。よって、相手はジオンの名を冠する存在である。私の目的を知りながらもここに残留してくれている君たちなら言うまでもないだろうが、この戦いはあくまで前哨戦だ。シャアを倒すまで我々の戦いが終わらないことを、ここに銘記してもらいたい。」
 この頃になって、艦内には警報を除いて人の声がしなくなっていた。かつてジオンという名前に裏切られて忠誠の対象をクローネに転向させた者、ヘスティア以外で生きる道を持たない者、そして、もとからクローネに対して忠誠を持っている者・・・艦内の様々な事情を抱えた兵士達それぞれが、ただシャア打倒という共通の目的の下にこれからの戦いを覚悟している・・・少なくとも、クローネにはそう思えていた。
もっとも、いまの自分達の戦力でシャアを打倒するなどというのは実際問題として不可能なので、”シャアの目論見を阻止する”という位置にまで妥協されているのが暗黙の了解のようなものであった。
「シャアを倒せば世の中が良くなるかどうか・・・その保障はないが、ジオンの名を冠する存在がある限り地球圏の平穏がやってこないことは確かだ。なんとしても乗り切ってくれ、以上だ。」
 艦内放送を切って、ネリナとの会話に戻る。
「エネスが聞けば、”貴様もシャアのようなピエロになるのか”って言いそうだな。」
 自嘲を含む苦笑とともに、クローネが言った。
「同感ね、まったく大した道化。シャアを倒せるなんて自己欺瞞も良いところだわ。」
「表面的であれ、そうでも言わないと誰もついてこないからな。」
「大丈夫よ、みんな分かってくれてる。」
「甘えるつもりはないんだがな。ところで、敵艦の距離はどうなっている?」
 話題を転換されたことに焦りもせず、ネリナがブリッジのクルーから情報を聞き出す。
「観測班の連絡では、暗礁宙域からおよそ80000といったところね。10分もすれば暗礁宙域に入るわ。」
「了解だ、シンドラに発進準備を。ミノフスキー粒子は散布しなくて良い、暗礁宙域では邪魔なだけだ。」
 この日、宇宙世紀0092年10月8日の午前11時42分、シンドラはヘスティアから出航した。

 なんの偶然か、暗礁宙域を少し出たところで敵艦のモビルスーツ隊を確認したのは、時計が正午を表示したその時であった。

「敵モビルスーツ隊を確認、数は4、すべてギラ・ドーガタイプと思われます!」
 それを聞いたネリナは、その報告をそのままシュツルムディアスのクローネに伝えた。
「了解、4対3か・・・ガザは分散せず、かならず距離を保て。分断、各個撃破されたら勝ち目はないぞ!」
 ガザのパイロット達の復唱を聞き流して、クローネのシュツルムディアスはすぐにシンドラから発進した。すかさず艦の上方前に位置を取ると、残りの2機の発進を待つ。そのすぐ下を援護・牽制の艦砲射撃が通過していた。
 そして、僚機と合流してVの字に隊列を組むと、”目的はあくまで敵モビルスーツ隊の撃滅にあり、敵艦は無視せよ”と光信号で指示を出した。
 続けて、敵のエンドラ級巡洋艦とモビルスーツ隊のいる前方を見て、逆Vの字への隊列変更も指示した。当然、先頭を行くのはクローネ機である。
 シンドラ隊、敵部隊ともに前進して、距離を詰めていく。やがて双方ともにビームの射程距離内に相手を捕捉した途端に、戦闘が始まった。
(先頭の機体だけ色が違う?)
 クローネが隊長機とおぼしき敵機を見つけると、真っ先に背部メガビームキャノンでの射撃を開始した。相手の色はグレー、イーシャが使っていたのと同型のものだろう。だとすれば、油断できない敵だ。
 そのクローネの予感が的中したことは、その直後に分かった。というのも、灰色の角つきギラ・ドーガは、射撃の開始と同時に回避運動に入っていたからだ。
(こいつも強化人間か!)
 そう、相手はマーティン・ヴィクセンの機体だったのである。
”こいつがクローネ”
 ふと、そんな声が聞こえたような気がした。物静かな調子とは裏腹に、その中に潜む殺意に似たどす黒い思考が、クローネの五感を泡立てさせていた。
 その持ち主の機体は、すぐ目の前に迫っていた。ビームソードアックスを抜いて突進してくる。
(格闘戦に持ち込む気か!)
 まだ、モビルスーツ同士の格闘戦を集団で行うには、彼ら2人の機体以外の距離は遠すぎた。格闘戦用の武器を持って近付いてくると言うことは、相手の目標が自分のみということである。それでもクローネが驚かなかったのは、2ヶ月前に戦ったイーシャも同じだったからだ。シュツルムディアスもそれに応じて、ビームサーベルを抜いた。
 そして、前時代的とも言える鍔迫り合い。
「イーシャを返せ!」
 それが第一声だ。これはイーシャのときのようなクローネの意識そのものへの感応ではなく、近接距離での無線を通じた実際の肉声だった。
「お前がヴィクセン!」
 なぜ自分の名前を知っているのかなどという質問は愚問だ、とヴィクセンは思った。きっとクローネという男は、イーシャの身体を調べ、弄くったに違いない。
 確かに半分は事実だ。イーシャが自分の意志で教えた名前でなく、記憶の抽出の作業のときにイーシャの口から催眠療法を通じて出た名前だったのだ。
 だが、次にクローネの口から出た言葉は、ヴィクセンの予測とはまるっきり違っていた。
「シャアとの関わりを絶つのならすぐにでも返す、だから退け!」
「ふざけるな!」
 こういうやりとりをしながらも格闘戦をするあたりが、クローネとヴィクセンの並はずれた技量の証明でもあった。双方の部隊も、すでに接敵状態となっているので、周辺は混戦の様相を呈してきていた。
(こいつ、イーシャのような未完成品ではない!)
 当初の自分が先陣を切って敵部隊の隊列を崩すという目論見が消えたことに、クローネは苛立っていた。自分ならともかく、他のパイロットが3対2の変則タッグマッチを仕掛けられてはあまりにも分が悪い。一刻も早く味方と合流し、この場を切り抜けなければならない・・・自然と焦りも生まれてくる。
 だが、ヴィクセンの腕は確かによいが、まだ周辺に気を配る余裕があるだけ、クローネの対個人戦闘能力の方が抜きんでているようだった。最初は凄まじい勢いをみせていたヴィクセンだったが、隙を巧みについたクローネの反撃によって、次第に攻守の立場は逆転していた。
(イーシャと関わりのある人間を問答無用で殺すわけには・・・くそ!)
 目の前の相手を一刻も早く倒さなければならないことと、シャアによって作られた強化人間をできるだけ助けたいという考えの二律背反は、もう2ヶ月も前からクローネを悩ませていたことである。
 その優先順位を決めかねていたが、今は戦闘中ということもあって、決断を下した。
「退かぬなら!」
 ショール・ハーバインを彷彿とさせるほどの突きの連続に、ヴィクセンのギラ・ドーガは四肢にかすり傷を増やしていく。今のクローネは本気で戦っているのだが、直撃を回避するだけでもヴィクセンの技量を評価しないわけにはいかなかった。
 続いて、バーニアを噴射させていったん距離をとると、すぐに左手にビームピストルを構えさせ、射撃した。
「力ずくで返して貰う!」
 シールドの裏に装備されているグレネードランチャーを、シュツルムディアスに向けて発射したが、これがただの間合いを稼ぐだけのものであることは分かりきっていた。回避したディアスに向けて、さらなる突進をしてくる。ヴィクセンはあくまで格闘戦による撃破にこだわっていた。
「チィッ!」
 せっかく稼いだ距離は局地的に無駄にこそなったが、クローネが距離をとった方向は味方部隊の方向だったので、無意味ではない。隙を見て”我のもとに集結せよ”の意味を持つ発光信号を打ち上げようと、射撃を繰り返しながら後方へのバーニア推進を続けた。
 だが、ここでクローネにとって好都合なことが起こった。射出した信号弾が偶然にもヴィクセン機から発射された2発目のグレネードとぶつかってその場で爆発し、それによってクローネとヴィクセンの間で大きな閃光が生まれ、両者の視覚を一時的に麻痺させていた。
「く、今だ!」
 クローネはこれによって生まれた隙を利用して、目を瞑ったままヴィクセンの灰色の機体のある方向に向けてビームピストルを乱射した。そのうちの一発が格闘用武器を所持しているヴィクセン機の右腕を破壊できたことは、かなりの幸運だった。これでもっとも厄介な敵を半分無力化できたも同然だった。

 合流したシンドラ隊のガザはなんとか無事だった。数的不利があった以上は無理な攻勢には出ず、包囲されないことにだけ専念していた結果である。ヴィクセン機との距離がとれたとは言え、所詮は一時しのぎでしかない。合流したのだから、いまはすぐ近くにいる3機のギラ・ドーガを撃破する方が先だと判断できた。
「中央!」
 この命令だけで充分だった。後続の2機のガザは散開せず、そのままシュツルムディアスの左右後方から援護射撃をしながら追尾する。それを背景にクローネが切り込み、瞬時に1機のギラ・ドーガを撃破した。これによって、シンドラ隊の抱えていた数的不利は一気に逆転し、戦いの趨勢は決した。
 相手もそれを悟ったらしく、2機のギラ・ドーガはヴィクセン機と合流して即座に撤退していったが、クローネは敢えてそれを追撃させようとはしなかった。
「引き際が良いな・・・」
 あのヴィクセンとか言う強化人間は、明らかに自分を敵視していた。イーシャとの戦闘でもそうだったが、右腕の一本が破壊されたくらいですんなり撤退するというのは負けっぷりが良すぎるようにすら思えたのだ。
 こういう不自然な事柄には必ず裏がある・・・それは、この十数年に及ぶ軍歴において学んだことであった。ここは敵を撃退できたのだから良しとしよう、そういう気持ちになったのである。
 それから数分してから、遅れてシンドラが追いついてきていた。
「ご苦労様、クローネ大尉。」
 双方の距離が間近になって、ネリナが通信を入れてきた。さほど疲れた様子もみせず、クローネが答える。
「あぁ、お互いにな。報告は帰艦してからする。あとで私の部屋に来てくれ。」
「了解。」
 手短なやり取りのあと、3機のモビルスーツはシンドラのカタパルトデッキから帰還していた。

「なぜ追撃しなかったの?相対的な戦力比は逆転してたじゃない。」
 報告を一通り聞いたネリナが、溜め息混じりに追求した。とはいえ、彼女の方も本気で追撃した方が良いと思ったのではなく、単に理由を知りたかっただけだろう。
「話はそう簡単ではないさ。相手がエンドラ級の積載可能数を考えれば増援が出てくる可能性もあった。」
「それは半分でしょう?」
「あのヴィクセンという男、イーシャを返せと言った。あの娘が兄と呼ぶ人物を問答無用で殺すわけにもいかないだろう?」
「でも、それで味方がやられたらどうするの?」
「だから倒そうとしたさ。だけど、ヤツは確かに手強かった。」
「なるほど、あなたでも倒せなかったと。」
 無理やり納得しようとする心情を、ネリナの顔が表現していた。
「向こうは攻め、こちらは守る。守る側の私達には、最初から選択権はない。状況が私の都合通りに行かないのは仕方のないことだ。」
「それで、これからどうするの?尾行させてないんでしょ?」
「あぁ、その必要ない。シャアのことだから、きっと自らの決起を喜々として宣伝するに違いない。私達が動くのはそれからでいい・・・というよりも、もはや事前に行動できるだけの力はない。せいぜい嫌がらせをするのが精々といったところだ。」
「つまり、まだ待つという姿勢を崩さないってことね?」
「そういうことだな。だが、今回の戦闘で、少し考えるべき部分を見つけた。」
「イーシャのこと?」
 ネリナの表情には、クローネのイーシャへの過剰な思い入れへのささやかな非難が混じっていた。
「いや、関係ない。ヴィクセンの言動が真実だとすれば、たかだか強化人間の奪回のためにヘスティアに戦力を回したことになる。おかしいと思わないか?」
「言われてみれば・・・確かに変よね、あの引き際の良さも不自然だわ。あたし達が目の上のたんこぶくらいには思ってるでしょうけど、それならもっと数を揃えてくるでしょうし。」
「で、私が考えたところ・・・」
「なにかわかったの?」
 短時間で結論を出せたことはさすがだと、この若い指揮官を見直す気になったようだ。
「シャアが大規模な軍事行動の他に何かを企んでいるのではないか、ということだ。それも、このサイド2で・・・。」
「でも、それはある程度は分かってたんでしょ?」
「まあ、そうなんだが・・・どうやら私が思っている上に、ヘスティアにいる我々が邪魔らしいな。」
「シャアがあたし達を懐柔しようとしたのも、その辺の事情があったのかしら?」
「恐らくな・・・そこで、君にはサイド2の1バンチコロニーに向かって欲しい。」
 ようやく何かが動き出す・・・それは願ってもないことだったので、ネリナはその願いを素直に快諾しようと思った。しかし、その続きを聞いては、驚きを隠せなかった。
「イーシャもつれていって欲しい。」


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