第9話 決起間近

 士官学校時代、エネス・リィプスがショール・ハーバインと出会ったときに抱いた第一印象は”危険な男”であった。エネスもこの頃は今のような宇宙革命指向者ではなく、同じく軍人であった父親を超えたいという小さな目標だけで入学したものであったから、彼の言う”危険な男”というのは思想的な面ではなかった。
 では、どの様に危険だったのだろうか・・・ショール・ハーバインは、今の地球圏を変えたいという革命家的側面と、どこか自らの破滅を待ち望んでいるかのうような破滅指向者的側面を併せ持つ、実に不思議な男だった。そんなショールの中にある毒花の放つ甘い匂いに似た漠然たる危険さこそ、未来の親友の隠れた魅力でもあったのに違いない。
 そして、エネスの人生観は、この男と出会ってから一変したわけだが、その辺のいきさつについてはまた別の場所で語られることになる。

 エネスの改革指向はショールとの出会いがあったからこそなのだが、互いに誓い合った理想の実現のためには、その親友となった男を殺すこともいとわなかった。それはごく世俗的な友情とは一線を画す最大の相違点であり、また、このふたりを繋げる唯一の絆だった。ショールは最後まで親友と闘うことを良しとしなかったが、エネスにとってはこの誓いを守ることこそ絶対的なものだったのである。

 その親友が自らの死期を悟り、エネス達を逃がすために爆薬の詰まったダミーと密着した状態で自らトリガーを引いたとき、破滅を望むショールと理想を親友に託したショール、いったいどちらの顔で死んだのだろうか・・・当事者であるエネスですら未だにそれを理解できていないほど、ふたりの関係は複雑だった。
「君は私を、そして連邦政府を恨んでいるのではないのか?」
 そして、ヘスティアの一室で彼と向かい合っている男とは、さらに複雑な関係だった。エネスの親友を一度殺し、助け、そして現在では同じ辺境のコロニーで共存関係を結んでいるのだ。これを奇縁と言わずして、なにを指して言うのだろう。
「少なくとも貴様に対しては違うな。昔から、ショールは意味のある死を望んでいた。オレは、アイツに相応しい死に場所を用意してやると約束もした。貴様が今更になって気にすることはない。」
「ヴェキを、ショールを死に追いやった元凶である連邦に対する姿勢は、あくまで復讐という過去の清算ではなく、理想の推進という前進・・・ということか。」
「そのついでに復讐の成就が付帯するのであれば、それに越した事はないがな。」
 政府、軍官僚個人個人に対する怨恨など、大した物ではない。エネスやクローネが憎んでいるのは、連中が笠に着る建前やシステムそのものといってよかった。
「それはそうと、イーシャを1バンチコロニーに移送したそうだが、本当にそれで良かったのか?」
 部屋の主たるロフト・クローネは、エネスのいわんとすることが理解できなかった。既に彼女は殺さない、利用しないという点で意見が合致しているはずだ。
「私はこれが一番だと思っている。イーシャは戦場で生きるべきではない。それに、どうやら彼女を見守るべき人物が他にいるようだしな・・・ヴィクセンと言ったか。あの男となら、イーシャと一緒に戦争と無関係の行き方をすることができるかも知れない。」
 ネリナ・クリオネスがイーシャをサイド2の1バンチコロニーに連れて行ってから、およそ一ヶ月が過ぎていた。いまさら後の祭りであるのを承知で言ったのは、単に確認にすぎなかった。
「なるほど、ここは既に幾度か戦場になっている。やはり戦いのない生活に戻してやるべきかも知れないな。だが・・・」
 その付帯するところに興味をそそられて、クローネが眉を動かした。
「だが?」
「野生の動物が人に飼われる、飼われていた動物が野生にかえるのは、言うほど簡単ではないかも知れない。」
 少々極端な言い方であるとはエネス自身も承知するところであったが、そういう懸念を捨て去ることは出来ない。
「だから、早めにやっておかなくては・・・シャアとの戦いのあと、私が生きている保証はない。」
「だろうな。生き残れる可能性の方が少ない。」
 元大尉がさらりと他人事のように言ったが、それが事実だったので、クローネは気にしなかった。自分のわがままが今の状況を作り出している以上、その後始末を他人にさせるわけにはいかない・・・そういう気持ちはよく分かった。
「だが、なぜそれをオレに言う気になった?」
 エネスの言うとおり、黙っていればそれで済む問題ではあった。なにしろ、共存関係と言ってもクローネは大家、エネス達は店子という立場である以上、寄宿人であるクレイモア隊にはクローネのやり方に干渉する権利はない。少なくともエネス側の認識ではそうなる。
「イーシャの件については君たちにも迷惑をかけているしな。」
 クローネの方も、あえてイーシャとショールの関係について述べるつもりはなかったので、あくまで迷惑の一言でひとくくりにした。
「・・・・・・その他の後始末はできるだけしてやる、安心して死んでこい。」
「感謝を・・・その代償としてシシリエンヌも譲渡する。」
「貴様が死んでから、ありがたく受け取ることにする。」
 互いの距離を考えると、確かにエネスとはショール以上に複雑な関係にあるロフト・クローネであった。
 こうして、この両者は最初で最後の握手をかわし、別れた。
 
 宇宙世紀0092年11月12日、エネスはこの日のことを死ぬまで忘れなかった。

 同じ頃、全く別の場所で、同じ12歳の少女を話題にしている人物がいた。ここは小型コロニー”アーウェンクルス”港湾ブロックに停留している巡洋艦アンドラのモビルスーツデッキ。
「また、イーシャを助ける算段?」
 冷やかすように、ドリス・アスクルが言った。相手はもちろん、マーティン・ヴィクセンである。彼は今、自機のコックピットで物思いに耽っていた。先のクローネの言葉を、ここ一ヶ月もの間ずっと反芻してきたのだが、未だに結論は出ない。
 実際のところ、彼は迷っていた。イーシャは自分のただひとりの家族のようなものだ。好んで戦争などさせたいとは思わないが、戦場でしか存在を許されていない以上、その環境の中で順応して生きて行くしかない。しかし、自分はともかく、イーシャが戦争をするのにいささか懐疑的だったことも確かだ。
 そこへクローネのあの言葉である。まだ人格形成が完全ではない少年が迷うのは当然だった。
「この間は陽動任務のついでだったからな。その陽動も成功したらしいが・・・。」
 もっとも、彼とて未だにその内容は知らされていない。
「けど、今度はイーシャを連れ戻してみせる。オレに課せられた任務は、陽動とイーシャの救出。まだ半分しかできていない。」
「あれ以来、お前は戦力として使えることが分かった。今後は正規の作戦任務にも入れられる。そんな暇があるのか?決起が近いという話もあるぞ?」
「イーシャだって戦力になる!だから、救出作戦だって・・・」
 いささか見え透いて矛盾した詭弁を放ったヴィクセンは、先の戦闘の際にクローネに言われたことを、担当研究員であり年上の恋人でもあるドリスには伝えていない。これは自分だけの問題なのだ。
「それはどうかな・・・」
「どう言うことだ、何か知ってるな?」
「言いにくいことなんだが・・・」
「構わない、言ってくれ。」
「つい最近知ったことなんだが、イシリス・シャハナ・マクドガルは、戦力となるのを前提とした強化人間じゃないんだ。」
「なんだと?」
 それは、ヴィクセンにとってあまりに唐突で、衝撃的だった。自分を兄のように慕ってくれていた少女が、戦力ではない・・・つまり、実験体でしかないということは、いずれ用済みになれば廃棄されるだけなのだ。ニュータイプ研究所は、まるで実験用モルモットを表情を変えずに殺すのと同様に、彼女を使い捨てにする気なのだ。
 ヴィクセンはドリスの言葉の裏にある本質を、即座に理解していた。そして、彼の脳裏には、ふたつの選択肢が生まれていた。任務としてイーシャ救出が命じられればそれでよい。しかし、そうでなければ・・・。


 ネリナ・クリオネスもまた、12歳の少女のことで困惑していた。最初、1バンチコロニーに連れていくと言ったときはとくに反抗する様子もなく、エネスの懸念は杞憂に終わるように見えた。確かにその面で彼女の思惑は正しかったのだが、また別の意味で労苦を背負い込むことになった。というのも、少女には一般的な生活感覚が決定的に欠如していたのだ。
 強化人間にされる前にそういう感覚はあったかも知れないが、ショール・ハーバインと同じく記憶を封印されて軍組織の中で育ったイーシャにそれを求めるのも、少々酷な話かも知れない。
 そうこうしているうちに若さも手伝って教えていけばすぐに吸収していったが、決してこの少女が心から従順になったというわけではない。サイド2では逃走用に奪うモビルスーツもないし、仮にモビルスーツやランチを奪って脱出したとしても遊軍が近くにいるはずもないことを悟っているだけだ。だから、イーシャの方から保護者に話しかけるようなことはほとんど無かった。

 そんな共同生活−−−というよりも、ネリナが一方的に世話をしていたのだが−−−が始まって、およそ一ヶ月が経過していた。
 この日はエネスとクローネが最初で最後の握手を交わした日であり、また、ネリナがこのサイド2に来たもうひとつの目的である仕事に大きく影響することになる日でもあるのだが、これは全くの偶然である。
 ネリナはひとりで、1バンチコロニーの繁華街の中を歩いていた。彼女がひとりで出歩けるようになったということ自体、一ヶ月前からでは想像もつかなかっただろうが今はそれができていた。イーシャが今更になって逃げることに執着していなかったこともあるが、要因は他にもあった。
 あの12歳の少女は、最近になってコロニー内で放送されているテレビ番組のいくつかに興味を示しており、暇なときのみならず食事中までもどこかのニュースや子供用番組、ドラマや映画などのチャンネルをつけていた。
 ネリナは最初驚いてみせたが、よくよく考えればテレビモニターの前に座っている今の方が以前よりも年齢相応のことではあったので、内側から鍵を開けられないように細工したドアだけでもイーシャを閉じこめておくには充分だと判断していたのである。
 また、彼女はただイーシャの保護者としてだけのためにここに来たわけではない。ネリナに課せられたサイド2での仕事は、イーシャの他にもうひとつあった。
 それは、サイド2の監視である。といっても、サイド2政庁はすでにクローネの支配下にあり、その動向を監視する必要はない。ネリナが監視しているのは、サイド2がシャアが抱いている大きな策謀に組み込まれているのではないか、というクローネの思惑の裏付けをとることであった。
 かつての戦争が終わってから今日までの4年間、世界各地で小規模な騒動こそあれど、大規模なものはほとんど起こっていない。このコロニーは、クローネが陰から支配しているとは思えないほど、ちょっとした平和な空気で満たされているような印象すらあったが、このサイドの支配者の懸念はすぐに現実となった。

 ネリナはここ最近は外出するたびにコロニー外縁部に近い作業ブロックや港湾ブロックなどを日替わりで大まかに見て回るようにしており、この日は港湾ブロックの方を見ていこうとエレカを向けていた。
 彼女の仕事はクローネからグァラニ経由でサイド2政庁から下りた正式なものなので、見て回る分には何も気兼ねすることはない。ただ、入出港する宇宙戦の管制を行う部署の視察という名目である以上、現場の人間が案内役として同行していたのは少々邪魔には感じていたが、あまり強硬に断るのも変な話になりかねないので我慢するしかなかった。
「ここに出入りしている船のほとんどは、コロニー公社の下請けとか運送業者ですが、今のところ不審なものはありませんね。いつもの出入り業者ですから、ちゃんとしたところですよ。」
 入港した船のリストを眺めているネリナに、案内係の同年代の男が言った。もっとも、既にサイド2に工作員が潜入しているとすれば、今ネリナがやっていることは全くの無駄である。
 それに、そのひとつひとつを入念にチェックするだけの時間も人数も決定的に不足しているので、この書類に不備があるかどうかの確認など取れるはずもなく、無駄になる可能性を十分に承知した上でさらっと目を通しているのだ。
「でも、薬物中毒者は減ってないわ。」
 クローネがサイド2を支配してから、この手の犯罪に対して特別に配慮をするようにしてきたのだが、結果は出ていない。
「薬物・・・麻薬ですか?」
「コロニーの中で麻薬を精製するような設備なんて作れないでしょ。ということは、外部から流入する裏のルートがあるはずよ。」
「それを調べるのは警察の仕事ですよ。私達がやっているのは、いつ何処にどんな船が出入りしているのかを把握することだけです。畑違いですよ。」
「そうね・・・」
 ネリナが急に麻薬の話をしたのは、自分達から隠れて物や人を内部に入れる下地がコロニーにあるのではないか、という心配からである。別に麻薬云々は今のネリナには直接の関係はない。
 だが、この男の言うとおりでもあるので、空返事だけをした。
「ということは、出入りしている船のクルーひとりひとりのチェックは・・・」
「もちろん、できてませんね。」
 その後、一時間に渡って出入りしている船から出て来る人間のチェックを大まかにしていたが、もともと期待していなかっただけに結果は知れていた。そして、イーシャのこともあるので、家に戻ることにした。
「それじゃ、引き続き頑張ってね。私は戻ります。」
「あ、お帰りになられます? お気をつけて。」
 口うるさい行政の人間がようやく帰ってくれると知って、緊張がほぐれた顔つきで、案内の男の愛想が急に良くなったように感じた。どうでも良いことだが、人間とは現金なものだと感じたのも事実だった。
 案内係に別れを告げて入管オフィスに挨拶をすると、その足で港湾ブロックを出ようとエレカを走らせようとした、その時だった。
「え?」
 港湾ブロックとコロニー内部を繋ぐゲートを前に、ネリナは急にエレカを停めた。
(いまの作業員服の男・・・どこかで・・・)
 横を通り過ぎてすぐにドアの向こうに行ってしまったため、一瞬でしかなかったが、その人物の顔に見覚えがあったような気がしたのだ。しかし、誰であったのかを思い出すには至らず、急いで戻りたかったこともあって、わざわざ確認の為にエレカを下りる気にもなれなかったので、その場はすぐに立ち去っていた。
 そして、その男が入っていったドアの向こうは、記憶によれば、コロニー外部に装備されているレーザー兵器の設備があるはずだ。とすれば、あの男はメンテナンスにでも来ていたのかも知れない。そう思い込んだことが彼女の今後に大きく影響することになるなど、想像もつかなかった。

 ネリナがこの時のことを激しく後悔するのは、さらに一ヶ月後、シャアの決起が始まってからの話になる。


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