第7話 マーティン・ヴィクセン

『サイド2宙域の作戦行動に先だち、陽動のためロフト・クローネのいるコロニーを攻撃せよ』

 ネオジオン軍作戦参謀兼ニュータイプ研究所所長ナナイ・ミゲルの名前でマーティン・ヴィクセンに命令が下ったのは、宇宙世紀0092年の10月に入ってからだった。そして、命令を受けた翌日、ヴィクセンは自分が急遽編入されたエンドラ級アンドラの部隊とともに、サイド3”アーウェンクルス”を進発した。
 ヴィクセンはつい先日に18歳の誕生日を迎えたほどの若い兵士だが、まだ正規の兵士としての扱いすら受けたことのなかった彼が名指しの任務を受けたのは、この時期のネオジオン軍がきたるべき決起に備えて忙殺されていたからだ。今回の出撃はあくまで陽動任務だが、それがなんのための陽動なのかまでは知りようもなかったし、詮索しようとも思わなかった。
 というのも、この若者は先述の通りニュータイプ研究所の命令で動く人間であり、いわば”強化人間”である。まだ調整がすべて完了しているわけではないが、自分の力量を試す初めての実戦ということにひどく興奮していたからだ。
 だが、彼の興奮の原因はそれだけではない。クローネに敗北し捕虜となったというイーシャを助けたいという気持ちも強かった。あの少女は自分にとって妹のような身近な存在だったし、彼女も自分を兄のように慕ってくれていた。
(ロフト・クローネか・・・ハマーンを裏切りシャアとも敵対した男・・・倒してイーシャを助けてみせる。倒して、シャアにもっと近づいてみせる・・・。)
 自らの愛機である灰色のギラ・ドーガのコックピットの中で、ヴィクセンは思った。この機体は、以前にイーシャが出撃したときの機体と同型機で、新しい分だけ細かな部分の調整は行き届いていた。
 いまやっているのは、パイロットに対する機体の調整ではなく、機体に対するヴィクセンの調整である。
「よし、終わったぞ、ヴィクセン。あとはお前の運次第だ。」
 コックピットハッチの前でヴィクセンの頭とコードで繋がった計器類と格闘していた女性研究員ドリス・アスクルが、そういう言葉遣いで言った。この10歳も年上の女とヴィクセンは、いわゆる男女の仲である。
「実力は関係ないのかよ、ドリー?」
「よく”運も実力のうち”って言うだろ?普通の人間には不確定要素でも、お前にはそれを呼び込む力を与えたつもりだ。お前の運は実力なんだよ。」
「そういうんじゃない。オレの・・・あぁ、もういい、終わったんなら下がれよ。」
「分かった分かった、お前の調整には手間も暇も金もかかっている。命は大切にしろ、いいな?」
 口の悪さは逸品だが、このアンドラの艦内で本当に彼個人を心配してくれているのはドリスだけだ・・・シャアをあまり快く思っていない強化人間は、そう思っていた。

 その一方、ネオジオンからの襲撃を退けてから2ヶ月を何事もなく過ごしたクローネは、焦っていた。ヘスティアの同居人であるエネスに言わせれば、何も起こらない方が良いということになるのだが、それは目的の違うクローネには当てはまらない。ジオンの名を冠する存在すべてを敵とするクローネにとっては、シャアの居所が掴めていない以上、向こうから行動するのを待つしかない。
 無論、情報関係のすべてを任せているユリアーノをあてにはしているが、現時点ではシャアの行動が近いという曖昧な情報しかなく、かえって焦燥感に火がついてしまうのだ。

 そのクローネは、ヘスティアと1バンチコロニーの中間にある暗礁宙域を哨戒中のシンドラ艦内でひとり移動していたところ、ばったりとネリナ・クリオネスに出くわした。
「ハマーンの下にいた頃は、表面的には仕事をしながらヴェキとふたりで陰口を叩いていればよかった。こんなイラつくこともなかったんだが。」
 クローネがそんなことを言ったので、ネリナが呆れたような顔をした。
「仕事がほしいなら、表面的だけでもシャアについてれば良かったじゃないの。」
「冗談じゃない。奴は、下手をすればハマーンの方がまだまともだと思えるようなことをするかも知れないんだ。そんな生半可な姿勢でいれば、以前の私やエネスのように邪魔になったとたんにスケープゴートにされる。ゴメンだな。」
「それはそうだけど・・・」
「嫌なら、君まで私に付き合うことはない。勝算などないからな。」
「あ、そういうことを言っちゃうわけ? それこそ冗談じゃない。あなたのお目付けにここに来たのが運の尽き、こうなったら行くところまで行ってやるわよ。」
 彼女は、最初はクローネの補佐という名前の監視役としてシンドラに配属された人間であったが、ショール・ハーバインことヴェキ・クリオネスと接していくうちに彼を愛してしまった時点−もっと厳密にいえば、捕虜にしたショールの最愛の女性に嫉妬して人格を破壊しようと凶行に及んだという秘密を握られた時点−で、クローネの味方になった。それからは腐れ縁である。
「そういう巡り合わせの悪さに対する恨み言は、死んでから向こうでハマーンにでも言うんだな。」
「お互いにね。それで、これからも待つという姿勢を続けるつもりなの?」
「仕方ないさ、情報がない。」
「あのイーシャって娘からも、結局は何も聞けなかったし・・・。」
 現在、イーシャは艦内の監視設備のある個室に監禁されている状態である。広さはそれなりなので、長期間監禁されていても不自由はないはずだ。当然ながら、彼女がクローネに対して自発的に話そうともしない。
「記憶の追跡もは得られる情報に限界があるけど、だからといって危害を加えるつもりもない。」
「分かってる、丁重にやってるわ。でも、なぜあの娘にこだわるの?幼女趣味はないんでしょ?」
 彼自身がそれと同じようなことをネリナに言ったのを思い出して、顔をしかめ、すぐに苦笑した。
「彼女は私と似ている。」
「何が?」
「いろいろとさ。」
 いつもは明快な論旨で人に説明するクローネだが、らしくもなく言葉を濁したので、それを察するしかなかった。
「まぁいいわ、それならそれで。いままでと同じでいいってことでしょ?」
「そういうことだ、頼む。」
 艦の底部に降りるエレベータに乗って、クローネの表情はいつもの柔らかいそれに戻っていた。
「シャアが何かをするのが近いのは、確かなことだ。我々に対して次の手を打ってくるのも近い。」
「そうね、こうやってシンドラは暗礁宙域に留まってるのも、それだから。」
「ヘスティアにいるのも落ち着かないしな。」
 冗談めかしてはいるが、待つということの苦痛と戦うことの辛さを実感しているだけに、笑い事ではない。その意味ではネリナも同じである。
「ところで、どこかに用事でも?」
「あぁ、ドクターのところだ。」
「なんでまた・・・」
「ん・・・イーシャの身体検査の報告書を間違えて破棄してしまったから、コピーをもらおうと思ってな。」
「そんなの端末に送ってもらえばいいじゃない。」
「ヒマだからな。」
「なるほど。」
 自分も特にすることがなかったので、ネリナも付き合うことにした。

 ふたりがメディカルルームを訪れたとき、部屋にいるべき人物は見当たらなかった。しかし、ここは宇宙空間を航行中の巡洋艦の中、主が艦内にいるのは確実だ。そういう結論になって、中で待つことにした。
「艦内でも待つことになるとはな。」
 部屋をあちこち見渡しながら、クローネは苦笑した。
「シャアよりは来るのは早いと思うけど・・・」
 ヒックスのデスクの上を見ているクローネに言葉を返すが、彼はそこそこに聞き流しているようだった。
「これは・・・」
 ネリナが近寄っているのを知っていたが、彼は何やら書類らしきものを見ながら絶句していた。明らかに様子がおかしい。
「どうしたの?」
「これを見ろ。」
「えっと、イシリス・シャハナ・マクドガル・・・これね、あなたが欲しがってたの。」
「あぁ、確かにこれだが、中身が私に提出されたものと違う・・・私とイーシャの交戦時の記録も入っている。本来ならあの男に必用なものではない。」
「なんですって? それっていったい・・・」
 言いかけたとき、小さな摩擦音をたてて後ろのドアが開いた。


「ドクター・ヒックス、これはどういうことだ?」
「見てしまったんですね、それを。」
 メディカルルームの主が落ち着き払っているので、ふたりの来訪者は意外に思った。
「あぁ、いま見たところだ。どこに行っていた?」
「飲み物をもらいに行ってたんですよ。」
 確かに、右手にはコーヒーチューブが握られている。
「そうか・・・ならば改めて聞く。これは何だ?」
「イーシャとあなたの戦闘記録と、戦闘後の身体検査の報告書です。」
「それは分かっている。私は提出された報告書のすべてを記憶しているわけじゃないが、明らかにこれとは違う。」
「それはそうです、別のものを出したんですから。」
 さらりと言ったので、一瞬、ネリナはそれほど深刻な問題ではないのではないかという錯覚に陥ったが、クローネの明らかな不快さを表明する表情はそれを否定していた。
「説明をしてもらえるか?」
「・・・・・・見られた以上、仕方ありませんね。何からお話すれば?」
「まず、この報告書の提出先だ。」
「お分かりでしょう?」
「シャアか・・・」
「そのとおりです。」
 一番当たってほしくない推測が当たってしまったという思いが、ふつふつと沸き上がってくる。嫌な予感というのは、すべからく当たるようになっているらしい。
「なるほど、シャアがヘスティアの存在を知っていたことを不思議に思っていたが、これで得心した。しかし、なぜ?」
「”バベルの塔”というのをご存知ですか?」
「旧約聖書だな・・・」
「あなたが聖書をお読みになるとは思いませんでしたが、ご存知でしたか。増えすぎた人々は、天まで届く塔を建てて住み着こうとした・・・スペースコロニーに似ていると思いませんか?」
 確かに似ているとは思ったが、この話はこれで終わりではない。クローネが付け加えた。
「しかし、神の怒りに触れて崩壊した、と記憶しているが。」
「同じ轍を踏まなければよいのです。歴史は人類に、そのための”力”を与えてくれました。」
 ヒックスの裏切りは驚くべき事実であったが、むしろこれはチャンスかもしれない・・・クローネは思って、カマをかけてみることにした。
「・・・力か・・・地球の人類を抹殺して、神にでもなるつもりか?」
「神は神、我々は我々ですよ。地球には休養が必要なのです。地球に住んでいる人々はそれを知っていてなお、地球から巣立とうとしない。ならば、立ち退くような気になってもらうだけです。そう思ったから、あなたや大佐に協力していました。」
「まさか、人類ではなく、地球そのものに何かをするつもりか。」
 ヒックスは無表情のまま、何も答えない。クローネの恐らくはもっとも危惧していたことを、シャアは考えているらしい。少なくとも彼にはそう思えた。
「では、なぜ私に今まで協力してきた? 私よりもハマーン・カーンやシャアの方が理想に近かったはずだ。」
「ハマーンは、理解を超えた存在でした。一見、ザビ家の血統を重んじていたかのようで、必ずしもそうとは確信できない何かがあった。だから、ハマーンに対して懐疑的だった私は、同じく思っていたであろうあなたに力添えをしてきました。」
「では、ジオン・ダイクンの子であるシャアには、明確な何かがあるということなのか?」
「そんなところです。」
「つまり、今後、私には協力できないと?」
「いえ、力添えは引き続きしていくつもりです。しかし、シャア大佐にも同様に協力します。血統など私にはどうでもいい、ただ、未来の可能性に挑みたいだけです。」
「そんな虫の良い話が許されると思っているのか。実際、あなたは我々の情報をシャアに渡している。それは私にとっては由々しき問題だ。」
「そう思われるのも仕方ないかも知れませんが、まだあなたに未来がないと判断したわけではありません。必要と判断したことは、すべて事実を伝えています。もしそれでも私を許せないのであれば、殺す成り追放なりしてくれても構いませんよ。」
 つまり、方々に接触してもっとも確実かつ大きな成果を挙げることのできる方策を模索しているのだ。そのためには血統の有無を問わないということだ。
「・・・わかった、あなたには引き続き、この艦のドクターをやってもらう。」
 はっとして、ネリナがクローネの方向に振り向いた。それも当然かもしれない。何せ、敵性分子となりうる遺物を腹の中にいれたまま歩くというのだから。
「ネリナ、君の言いたいことは分かっているつもりだ。しかし、ドクターとしての彼は必要な存在だ、分かってくれ。」
 そのまま、ネリナは黙って肯いた。
「ドクター・ヒックス、聞いての通りだ。このことはいまここにいる私たちだけの秘密にしておく。ただし、今後は私に対してウソをつかないでもらいたいな。」
「・・・わかりました。では、私に答えられることであれば話しましょう。」
 ヒックスの表情は、どこかしら安堵が含まれているように、ふたりには思えた。ひょっとすると、自分たちだけではなく、シャアも自分だけの味方をひとり減らしてしまったのではないだろうか。
「私への報告では、彼女の身体から強度の強化処置の痕跡があるとなっていたが・・・これはその反対だ。強化処置における神経系薬物の投与などは最低限になっている・・・そして、この麻薬・・・まるで、まるで・・・」
「そう、彼女はヴェキ・クリオネス、いや、ショール・ハーバインと同じ処置を受けた人間です。」
「・・・・・・!!」
 その名前を聞いて、この場にいたドクター以外の人間の表情が凍り付いていた。

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