第6話 ピースの足りないパズル


 シャアがそう遠くない未来にそこで行動を起こすと目されるスウィートウォーターは、サイド3の中でもさらに地球からもっとも遠い外縁部にある。そこからさほど離れていない場所には、かつてコア3と呼ばれたハマーンのアクシズ軍の拠点となったコロニーの残骸が浮かんでおり、スウィートウォーターの建設された宙域はその廃墟の趣すら残っていた。

 また、サイド3も他のコロニーサイドと同様、クローネやエネス達が潜伏しているヘスティアと同じ様式の小型の避難用コロニーが幾つか存在している。そのひとつ”アーウェルンクス”は、このサイドの中で唯一、完全に機能する小型コロニーである。
 ちなみに、”アーウェンクルス”の名は、”災いが転じて福となる”ことを司る、古代ローマ神話の神の名前から取られているが、そこを暫定の潜伏先としているシャアにとってはどうでもいいことだった。

 そのアーウェンクルスの港湾ブロックのドックに、シャアの姿があった。今の彼は、かつてジオン公国やエウーゴにパイロットとして所属していたときとは違い、ネオ・ジオンといういち勢力を束ねている。彼自身はひとりのパイロットとして戦う方が気楽ではあったが、それは許されない立場である。シャア・アズナブルというパイロットの替わりはいても、ジオン・ズム・ダイクンの実子、キャスバル・レム・ダイクンはひとりしかいないのだ。
「ニュータイプ研究所で仕上がった二番目の強化人間をサイド2に派遣したというのは、本当か?」
 作戦参謀兼ニュータイプ研究所所長のナナイ・ミゲルに、そう尋ねた。書類を抱えて彼の私室にやってきた彼女は、シャアの座る椅子の横に直立して次なる指示を待っていたのだ。
「はい、強化人間の対ニュータイプ戦闘のデータと経験を得る絶好の機会でしたので。」
 確かに、サイド2のクローネを排除するためにニュータイプ研究所で養成されている兵士を差し向けるように言ったのはシャアだが、その人選までは関知していなかった。
「私はてっきり、ヴィクセンを投入するものと思っていたが・・・」
「何か、不都合でも?」
「危険ではないか?あの少女は、まだ実戦に投入できるかどうかも微妙なところだと、少し前に報告を聞いた。」
「イシリス・シャハナ・マクドガルについては、ヴィクセン、ギュネイや旧来の強化人間とは異なる方法で強化してあります。データ収集の優先順位を考えて判断しました。」
「しかし、クローネとて並大抵の相手ではない。倒せる保障はない。」
「倒す必要はありません。」
「私は倒せと言ったはずだが?」
 言いながらも、シャアの表情は不機嫌なものではない。既にナナイの意図を読みとっているのだ。
「彼女が敗北すれば、即座に撤退するというのか?」
「そういうことになります。」
 現在の段階で、既に実戦に投入できるまで処置の進んだ強化人間は、多めに見積もっても3人しかいない。その中でも、もっとも強化の進んだ兵士ギュネイ・ガスは、いわば彼らの虎の子といってもいい存在だったので、今回の作戦には投入していない。ニュータイプ研究所の人間にとっては、あくまでデータ収集が目的の作戦だったのだ。シャアとしては、まさか最年少のイーシャを今度の作戦に出すとは思っていなかったので、意外に思った。
 もっとも、いくら調整、経験が十分ではないとはいえ、腐っても強化人間である。彼女が敗れるようであれば、その他の戦力でクローネを倒すことはできないだろう。
 それに、ナナイは事後承諾の形で報告をした以上、シャアとしてはこれを承認するしかない。
「彼女が生きて帰ってくることを祈っているさ。」
 そう独白したのをナナイは聞き逃さなかったが、敢えて何も言わないでおこうと思った。
「それはそうと、艦隊の整備はどうなっている?」
「各地に待機させてある艦隊の方は、今しばらくの時間をいただけますと幸いです。」
「何かあったのか?」
「ムサカ級巡洋艦の数が、まだ揃いそうもありません。」
 シャアにとって、それは聞き捨てならない話である。艦隊の整備は急務として、それなりの時間をこれまでにかけてきたはずだ。ネオ・ジオンの決起を目前にした今になってこれでは困る。
「決起まであと何ヶ月もない。急がせてくれ。」
「はい、分かりました。」
「で、サイド2への根回しは?」
「既に工作員を送り込む準備は完了、あとは潜入させるだけです。しかし、その手段についてはまだ・・・」
「それについては、私に考えがある。」
 途端に、シャアの表情が鋭さを帯びた笑みに変わったのを、ナナイはそれを怪訝そうに見つめた。
「クローネ達がいるのは、サイド2だったな?」


 記憶の追跡調査を続けていくうちに、クローネの感情は静から動、すなわち冷静から怒りへと傾いていた。作業が終わった頃には、すでに彼の人相が今までに見たことがないくらいに変わっていたほどだというから、よほどのことだ。

 イシリス・シャハナ・マクドガル・・・宇宙世紀0080年10月30日にダブリンで生まれる。家族は母親だけで、彼女が私生児なのか、それとも両親が離婚してしまったのかはわからない。それを当時6歳のイーシャが知る由もなく、唯一の証人であろう母親もいないので不明だが、とりあえずはどうでも良いことだった。
 ともあれ、イーシャはコロニー落としで唯一の肉親である母親を失い、その後は何者かに助け出されたことまでは分かった。そこからどのようにしてシャアに利用されるまでになったのかは、今後の調査を進めていかなければならない。どのみち、イーシャは本来なら普通の人生を送っていても良かったはずだ。
「イーシャを保護したのは、カラバだな・・・」
 声を出して言ったのは、傍らにいるエネスであった。いまは検査を終えており、被験者であるイーシャは隣のメディカルルームで深い眠りに就いているので彼女の言葉に耳を傾ける必要はないが、先ほどまでの話を聞いていて、コロニー落着後の地獄絵図のような生々しい光景を想像するたびに冷たい汗が背筋を伝っていた。いまもその余韻は確かに残っている。
「なぜそう言い切れる。ダブリンにはネオジオンやその他の部隊だっていたんだぞ?」
「ネオジオンは、避難民を乗せていると知っていながら、敢えて民間の船を容赦なく撃沈している。そんな連中が生き残りの子供ひとりをわざわざ助け出すと思うか?それに、連邦政府の連中は人口を減らす格好の口実としてダブリンにコロニー落下の通達を意図的に遅らせたほどだ、正規軍が助ける可能性も高くない。ともすれば、消去法でカラバ、もしくはエウーゴになるというわけだ。」
「確かにな・・・」
 理路整然とした言い方に、クローネは空返事をした。
「とにかく、私はこの少女が戦場にいた理由を知らなければならない・・・そんな気がしている。」
「それが助けた本当の理由か?」
「分からない・・・私自身が一番、それを知りたいと思っているんだと思う。」
「・・・・・・。」
 エネスは、クローネが自分にウソをついたことについては言及しなかった。自分自身でも形にならない何かを感じて、その表面を理詰めにしただけのことだ。クローネを責める気はない。

 一度カラバに保護されたイーシャは、戦争終結後、連邦政府の難民政策によって本人の意思とは関係なしに宇宙へと移民させられた。
 難民が収容されたコロニーには戦災孤児を養育する施設がいくつかあって、イーシャもその中で育った子供のひとりであった。その経済基盤である連邦政府の財政は相変わらず困窮していたので、ひとつひとつの施設に十分な予算が配分できず、子供たちの生活は楽であったとは決して言えなかったが、それでもこの段階ではまだイーシャが人並みの将来を迎えることは許されていたはずだ。
 そして、施設に入って1年も経たないうちに、彼女の人生は転機を迎えることになる。どういうわけか、連邦政府とは別の何者かによって引き取られたのである。もちろん、その何者かという存在の正体がシャアの手の者であることは、クローネとエネスにもすぐに分かった。
「なぜイーシャでなくてはならなかったのか・・・君にはわかるか、エネス?」
 そう聞かれて、エネスはしばし無言だった。右手の人差し指を立てて額に当てるのは、彼が考え込むときのクセだったのを思い出したので、回答を急くようなことはしなかった。
「彼女がダブリンの事件の生き残りでもっとも若く、しかも身寄りもない戦災孤児で、なおかつ宇宙に移り住んだ人間だからじゃないかと思う。オレがシャアで、ニュータイプや強化人間を作るためのモルモットにするなら、同じ条件の人間を捜す。もっとも、そんな人間はそうそういないだろうがな。」
 幼少の頃に戦災に遭った人間は、戦争そのものやそこに生きる人間を激しく憎悪する傾向が強い。それもシャアにとっては付け入る隙になったのだろう・・・と付け加えた。
「それでは、私がフラナガン機関に引き取られたのと似たような理由じゃないか。」
 そこにきて、クローネは自分とこの少女の間に共通点を見出したような気がしていた。
(私とイーシャは、似ているのか・・・?)
 それは決して納得できない話ではない。彼自身も、戦争で肉親をなくして孤児となった経歴を持っている。
 ひょっとしたら、それを漠然と感じたからこそ彼女を助ける気になったのかも知れない・・・そういう予感はあった。
「ニュータイプ研究だけじゃない。薬などの人体実験やデータ収集の被験者を選ぶ条件というのは、だいたい決まっているものだ。」
「しかし、シャアはジオン公国時代から、ニュータイプの戦争利用に対して肯定的ではなかったと聞いている。そのシャアが、今ごろになってこうも変わるものなんだろうか?」
「それはクローネ、貴様が直接本人に聞くしかない。だが、シャア本人は詳しく知らないかもしれないな。」
「どういうことだ?」
「オレ達のような部隊単位の指揮官ならともかく、ひとつの勢力を束ねる立場ともなれば、シャア個人が組織の活動すべてにこと細かく指示を出しているとは考えにくい。シャアと末端の間にワンクッションあるとすれば、貴様はシャアのほかに倒すべき敵を見つけることになる。」
「ニュータイプ研究所か・・・」
「それは重要な問題かも知れない。その答え次第では、この少女を置き去りにしたのは用済みになったからだという可能性も出てくる。」
「だとしたら、なおさらシャアやニタ研の存在を認めるわけにはいかなくなるな。」
「何を今更?」
「彼女が生まれたのは一年戦争の帰趨が決してからだ。戦争の結果がどうあれ、イーシャには人並みの人生を送る権利があったはず。あの戦争から始まった悔恨の渦に巻き込まれる筋合いはない。」
「それについては同感だな。我々を含む大人の尻拭いを、子供達にさせるわけにはいかない。」
 そして、妹がいずれ授かるであろう子供にもさせたくないものだ・・・と付け加えた。
「君の子供にもか?」
「オレには親となる資格はない。オレが子供を作ってしまったら、自分で背負い込んだ業を子供に背負わせることになる。ジオン・ダイクンのようにな。」
「・・・そうか。」
 クローネは、そのことについては二度と触れまい、と心に決めた。戸籍上死んでいるエネスは、確かに子供にまともな将来を約束することはできないだろう。とすれば、子供もエネスと同じ隠匿者の道を歩むしか選択肢がないのである。それに対して、彼の妹には偽物ではあっても正規の戸籍があり、その子供には正当な未来を進むことが許される。エネスは、まだ見ぬ妹の子供にそれを望んでいるのだ。
 そこへ、やってきたドクターが口を挟んだ。
「被験者が目覚めたようです。」
 2人は、正式にイーシャと正面から話をしようという共通の想いから、無言で頷きあった。

「気分はどうだ、イシリス・シャハナ・マクドガル?」
 イーシャのいるメディカルルームの個室にやってきたクローネは、わざわざフルネームで被験者たる彼女の名を呼んだ。まだ目は少し虚ろで、意識が完全に目覚めたわけではないようだったが、かまわず続けた。
「悪いとは思ったが、色々と調べさせてもらった。やはり君は、シャアのもとでニュータイプ研究所で養成されたパイロットだったようだな。」
 敢えて強化人間と表現しなかったのは、クローネなりのささやかな配慮である。
「私は何も知らない、聞き出すだけ無駄よ。」
 少しずつ意識がハッキリし始めているのか、イーシャは歯切れ良く答えた。
「君から情報を聞き出すつもりは無い。現に、私は今になってもシャアの居所を知らない。君も知らずに連れてこられただけなのだろう?」
「・・・・・・」
 少女は、任務に関する質問には答えないように教育されているようだ。兵士としてはそれで良いだろうが、人間としてはあまりよろしくない。兵士としてのモラルと人間としてのモラルは、こうも相反しているのかとエネスも痛感していた。この両者は決して相容れないだろうという感覚さえ覚える。
「それならそれで構わない。別のルートでシャアを見つけてみせるさ。」
「大佐の邪魔は、お前にはできない!」
 これまでになく強い口調だったのは、彼女がシャアに心酔している人間のひとりである証拠だ。しかし、クローネはイーシャの言葉を真剣には受け止めなかった。相手が強化人間である以上、なんらかの暗示や薬物による強制、もしくは何らかの精神操作を受けている可能性が高いのだ。
「どうかな。」
「私は何も言わない。それが分かったんなら、ダブリンにコロニーを落としてお母さんを殺したように、私を殺しなさいよ。」
「私がコロニーを落とした?」
「とぼけるな!大佐はそう言っていた。地球の人達を殺すために、お前がコロニーを落とした!」
 このとき、エネスにはイーシャの正体が分かった。彼女は暗示や薬物による強制を施されているわけではない。単に欺かれているのだ。
 あの4年前の事件の衝撃もさることながら、それが自分のせいだと指摘されたクローネは、動揺を隠しきれずにいた。実際では、コロニー落としは、ハマーン直々の命令によってマシュマー・セロが行ったことではあったが、それを阻止できなかった悔恨は今も残っていた。つまり、自分がダブリンを見殺しにしたという慚愧の念は消えていなかったのである。
 それを以前に聞き知っていたエネスは、クローネの気持ちがよく分かっていた。なぜなら、エネスやログナー達とて、その想いは同じだったからだ。彼らの悔恨はそのまま欠けたピースとなって、時代というパズルを組み立てねばならないのである。


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