第39章 フェイク

 コロニー阻止限界点であるGライン付近を、5機のモビルスーツが疾駆する。やがてそれらはアンカラおよびバンクーバーという2隻のサラミス級巡洋艦に、まるで死肉を漁る猛禽類のごとく群がって攻撃を仕掛けていった。
 彼らの中にあって一際目立つ動きをしていた機体こそ、エネスの乗る『死装束』だった。彼の機体がその動きでその場の戦局すべてを支配するかのように、相手は錯覚した。
「左ストロング、オープンプレーだ。ブリッジを優先的に狙え!」
 『死装束』の僚機であるファクターのリックディアスからクレイモア隊各機に指令が渡り、横一列に並んだモビルスーツの編隊は、それを合図に散開した。
「了ぅ解。」
 レイがいつも通りの口調で復唱すると、クレイモア隊から向かって左に配置されているアンカラへと向かい、その後ろにマチスとアルツールのネモが付き従った。
 左ストロングとは、クレイモア隊独自のコードで”左右に分かれて散開する場合はレイ機を左に配置する”という意味である。これが右ストロングだと、右方にいるファクターとエネスと同行することになり、左ストロングである今回の場合、レイ機はマチスとアルツールをフォローすべきポジションにあることを示している。
 彼らはあらゆる複雑なフォーメーション配置や戦術展開を、短いコードで表している。もちろん、それらは傍受されても、相手にコードの語源となっているアメフトの知識でもない限りは、即座に理解することはできない。今回の最重要事項である撤退戦術コード”フリッカー”も、そんなクレイモア隊独自のものである。
「こいつら、我らをなぶり殺しにするつもりか!?」
 獲物である2隻のサラミス級には、既に自らを守るすべはなかった。アンカラの艦長は一言だけ呻いたが、ここまで来た以上は退くこともできない。保有モビルスーツを失った時点で、この2隻のサラミスは少なくとも撤退する”ふり”くらいは見せておかねばならなかったのだ。自らの迂闊さを呪うには、時間は切迫しすぎていた。
 次の瞬間、アンカラのブリッジはレイの愛機ゼータプラスCA2型”マイン・ゴーシュ”の主砲であるビームスマートガンによって蒸発させられた。あとは効率よく船体すべてを破壊するだけだ。今回の目的が目撃者の消去にある以上、不本意ながらも脱出などさせるわけにはいかない。そして3分後・・・。
「敵サラミス2隻の完全なる轟沈を確認、脱出者なし!」
 ミカからその報告を聞いたログナーは、シートから立ち上がって叫んだ。
「コード・フリッカー発動!」

 ショールは目前にいる女性の顔は、確かに知っている顔だった。彼の中には、ネオジオン軍中尉ヴェキ・クリオネスとしてシンドラにいた頃の、捕虜としてのエリナという記憶があるはずだった。しかし、今はどこかが違っていた。
(やはり、オレはこの女を知っていた?)
 今のショールは、あくまでヴェキだった。そのヴェキとしての記憶の中に、なぜかもうひとりの自分の記憶があるような気がしてならないのである。それに対するショールの心境は、言葉では言い表せない。
「戻らないと・・・」
 その状態が数十秒と続いて、イーリスがショールの身体を起こし、ベッドへと導いていた。後ろから来たカンダが、そのときになって声を発した。
「とにかく、今は患部を凍結させて出血を抑える。イーリス、彼をうつ伏せにしてくれ。」
「はい。」
 うつ伏せにされたショールに向かって、カンダが局部麻酔の注射を打ち込み、傷口を開いて冷凍スプレーを吹きかけていく。やがて出血が完全に止まると、手慣れた手つきで傷口を縫合していく。
「これで数時間は、出血を抑制できるだろう。本格的な手術をしたいところだが、今は戦闘中だからね。今は安静にさせておくように。」
 あくまで出血を抑えただけだから、とイーリスに付け加えて念を押した。今また無理をすれば、生命にも危険が及ぶかも知れないのだ。
「分かりました。」
 カンダがそのままメディカルルームの奥へと戻り、それを見送ったイーリスは再びショールへと視線を投じた。事前に受けた輸血のおかげで血色は戻り、目はしっかりと開かれているが、その先にあるモノは白い天井であった。今は局部麻酔が効いているので、苦痛に顔をゆがめることもない。
(きっと、自分がショールさんだって分かってないんだわ・・・だから変わり果てたエリナさんをみても声をかけない・・・)
 それは彼女にとって、ショックの小さな事ではなかった。身体がここに戻ってきても、肝心の心がない。しかし、エリナの隣に身を置くことで何か変化が起きるかも知れない。イーリスはそれに賭けることにした。実はこの賭けは、イーリスだけのモノではなかった。レイにショールを託したクローネこそ、この賭けに最初にベットした人物だったのである。

 サラミス級ニューデリーをはじめとする艦隊の到着まで残り15分を切ったときになって、ティルヴィングでは全ての準備が完了していた。残り15分と言えばゆっくりしていられるようにも思えるが、実はギリギリである。なぜなら、この作戦を看破されてはならないため、敵の目視可能距離に到達するまでに作戦を実行せねばならなかったからだ。
 コード・フリッカーの第一段階である”敵の視界内からの離脱”は、エネス達モビルスーツ隊が敵の先発艦隊を全滅させたことで完了した。続いての第二段階は、ハヤサカに託された”びっくり箱”を使うことであった。モビルスーツ隊帰還と同時に、ティルヴィングのモビルスーツ発射カタパルトから何かが射出されていた。
「なんだ、こりゃ?」
 最初、エネスと彼によって全貌を聞かされた人物以外のクルー達は、ティルヴィングから何が射出されたのかを瞬時に理解できなかった。仕事を終えたばかりでドリンク入りのチューブを口にしていたレイも、そのひとりである。デッキ内にあるモニターで、ティルヴィングの正面の様子がわかるのだ。
「モビルスーツのダミーと、500個に及ぶ宇宙空間用の機雷だ。」
 その疑問に答えたのは、同じくドリンクを手にしているエネスだった。レイと違ってこの一連の撤退戦を指揮せねばならないのだが、今は休憩をしているところだ。
「でも、そんだけじゃ・・・」
「そうだ、これだけではモビルスーツ戦における撤退戦にしか使えない。ティルヴィングの撤退の助けにはならない。」
「じゃぁ、どーすんだよ?」
「発想を転換させればいい。」
「発想の転換?」
「我々でなく連中がこの場を退くとしたら、その条件はなんだと思う?」
「そりゃ、オレ達が・・・そうか、そう言うことか!」
「そう、連中にティルヴィングを撃沈させてやるのさ。」


 先に射出された500個もの機雷には、極めて小さいながらも推進器がついており、それを噴射させてティルヴィングの遙か前方に展開した。そのやや後方には6つのダミーがあり、機雷群との相対距離を保っていた。
 ミノフスキー粒子の影響で電波による遠隔操作が不可能であるもかかわらず、こういう複雑なことが出来たのは、ひとえにハヤサカがあらかじめ組んだプログラムに従ってそれらが動いているからである。エネスはそれを依頼した段階で、既にそこまで計算していたのだ。報告を受けたログナーは、満足そうに頷いた。
「よし、本命を出せ!」
 ログナーの号令の直後、カタパルトデッキから射出されたのは、ハヤサカの”びっくり箱”の中でももっとも大きかったモノだ。それが宇宙空間に放り出された瞬間、その特大のダミーは膨張をはじめた。
「これは・・・!」
 モニタで前方を確認していたレイ達がその姿に驚愕したのも、無理からぬことだ。なぜなら、そのダミーの大きさも外見も、ティルヴィングそのものだったのである。
「これが主任の”びっくり箱”の正体・・・」
「そうだ、これの中には数トンに及ぶプラスチック爆弾が内蔵されている。これを攻撃させれば、連中を誤魔化せるわけだ。」
「こいつァすげェ・・・」
 この時代では、艦艇をそのまま模したダミーなど存在しない。史上初めて、艦隊戦に艦船クラスのダミーが使用されることになるわけだが、ハヤサカのような男にわざわざ製造を依頼しなければ、このような精巧かつ巨大なダミーなど入手できないだろう。それを考案したエネスの戦略眼は、レイが思っているよりも遙か上をいっているのだと実感できた。
 しかし、実のところ、驚くのは早かった。そのティルヴィングのダミーには、味方識別信号を断続的に発信しながら、前進を始めたのである。
「ダミーの展開完了!」
「よし、本艦の敵味方識別信号の発信を停止して、全速で後退する。モビルスーツ隊は再出撃、敵艦隊に一撃を加えて即座に後退せよ。」

 フリッカーが全貌を現したそのとき、クレイモア討伐艦隊はその姿を確認していたが、距離が遠すぎてその識別は困難を極めた。レーダー装置が役に立たない現状で、その確認は光学的なモノに頼らざるを得ない。しかも目視可能範囲に近付いても、ティルヴィングらしき敵味方識別信号が付近にひとつしかないのだから、討伐艦隊は誤魔化されて当然だった。さらに、その方向から向かってくるモビルスーツ隊の姿が確認されたのだから、尚更である。
「前方に敵旗艦の姿を確認、識別信号から見てティルヴィングに間違いありません!」
 ニューデリーのオペレータの報告に、さしものモートンも呻くしかなかった。できれば早々に撤退してくれれば言い訳もたったのだが、向こうから攻撃を仕掛けて来るというのであれば、戦わないわけにはいかないのだ。
「やむを得ないか。ストラスブールとシルケボリに連絡、モビルスーツ隊を展開させろ。本艦のモビルスーツは第二陣として待機させる。」
「・・・正気を疑うな。」
 モートンが暫定的な艦隊指揮官に収まった以上、ニューデリーそのものの指揮官を兼任するわけにはいかない。そこで前艦長代理という立場にあったフェリスが、これまた暫定的に艦の指揮を執っていた。モートンの指示の後ろ半分は、そのキャプテンシート右側に陣取っている銀髪の女性に向けられたモノだ。
「まさか、数で圧倒的な差があるにもかかわらず、攻撃を仕掛けてくるとは・・・無謀だと言いたいが、何せ相手はログナー中佐とエネス大尉だ。あの2人が裏付けもなく、こんな事をするのだろうか?」
「同感ですね。」
 シート左側にいたクラックが、短めに言って頷いた。心境はモートンとほとんど同じと言っていいだろう。やるからには全力を尽くすのがクラックの流儀だから、エネスと戦いたくないからといって手を抜くようなことはしない。自分の信じる道を行く事を教えてくれたのは、他ならぬエネスだったからだ。それゆえクラックの興味は、このクレイモア隊の行動にどんな裏があるのかという一点にのみ向けられていた。
 僚艦であるストラスブールとシルケボリには、それぞれ2小隊6機のジムIIIが配備されている。数は先発隊と同じ12機だが、保有モビルスーツの性能が違う。クレイモア隊のモビルスーツはせいぜい6機が良いところなので、状況を打開するには奇策を用いるか最初から撤退するかのどちらかしか有り得ない。考え込んだモートンは、自分なりの結論を出した。
「攻撃を仕掛けてくるのは、こちらの反撃の意思をくじくためではないのか?」
「撤退するかどうかではなく、いかに撤退するかでしょうね・・・しかし疑問です。クレイモア隊は一体どこへ撤退するというのでしょうか?連中は既にエウーゴからも追われる身・・・」
 と、これはフェリス。
「それは分からない。とにかく、クレイモア隊の出方をみるしかないな。」
「了解、では、モビルスーツ隊の発進準備をしておきます。第二陣ですから・・・」
「待て、クラック。私もバーザムで出る。」
 フェリスの艦長代理への復職にともなって、クラックもまたモビルスーツ隊の指揮官に返り咲いていた。
「当たり前だ。ニューデリーのモビルスーツはお前のバーザムを入れて3機しかないんだからな。」

 再出撃したクレイモア隊麾下のモビルスーツ隊は、アンカラとバンクーバーに攻撃を仕掛けたときと全く同じ配置で、ダミーの展開する前方5kmの宙域を左右に散って迂回していた。無論、ダミーの存在を悟られぬよう、彼らは自機の味方識別信号の発信を停止している。これによって敵レーダーによって捕捉されることはない反面、クレイモア隊も味方機の位置を知ることはできなくなるが、あらかじめ綿密な計画によってモビルスーツ隊の配置及び展開が決められているので、作戦実行に特に大きな問題にはならない。
 やがて左右に分かれたクレイモア隊がダミー及び機雷群を追い越すと、目前にせまる敵艦隊の前に躍り出た。ティルヴィングを出撃したその瞬間から無線封鎖を行っているため、彼らの間では何も会話をすることはない。
 ダミー・機雷群の前に出てそれらの盾になるように展開したのは、本物のモビルスーツ隊が交戦する前にそれらの存在を知られるわけには行かないからだ。そしてクレイモアモビルスーツ隊は、敵艦隊の捕捉可能範囲にまで達した。
「出てきた出てきた、いっちょ行きますか。」
 艦隊から出撃してきた12機ものジムIIIを確認して先陣を切ったのは、左方に位置するレイのマイン・ゴーシュであった。ビームスマートガンによる狙撃を開始する。レイ機のセンサーはリックディアスやジムIIIなどよりも高性能であるため、先制攻撃にはもってこいの機体である。3機単位でまとまっている4つのグループのうちの先頭集団に、ビームの槍が襲いかかったが、即座に散開してそれを避けた。
 それが、Gライン撤退戦第二幕の始まりだった。

 強化人間としてのヴェキの部分が自分の意識を早鐘のように叩いているような感覚を、ショールは覚えていた。
「・・・・・・」
(嫌な予感がする・・・)
 のである。
 その正体をつかむことはできないが、確かな存在であることだけは分かった。ファクターではないが、自分の知らないところで物事が進むのは、やはり気持ちが悪いモノだ。ショールは行動の人なのだ。再び起きあがって、周りをみた。イーリスは何か用事があったらしく、今はいない。この空間にいるのは、自分ともう1人の女性だけだ。
(そうだ、オレはこの女とは離れられない、何かがある・・・)
 シンドラにいた頃からそんな予感はあったが、今はそれがより強く感じられるのだ。この女、エリナ・ヴェラエフにとっての自分、自分にとってのエリナ・ヴェラエフ・・・やがてショールは、エリナこそ自分にとってかけがえのない人物だったのはないか、という心境に達していた。なにか、自分自身が吸い込まれていきそうな錯覚さえ覚えるほどだ。
 ふと、ショールの中に衝動的な何かが沸き上がってきた。じっとしていられず、立ち上がってエリナのベッドの方へと歩み寄った。そして、自分がそうしなければならないかのように、ごく当たり前のようにキスをしていた。それは2人の結婚式のときよりも長かった。次第に、はじめは無反応だったエリナにも異変が起き始めた。ショールの首を両手で抱き寄せたのだ。
 そのとき、所用から戻ってきたイーリスは、目の前の光景に対する驚愕のあまり、手に持っていた薬品の瓶を手放してしまった。艦内に重力は働いていないのでそれが落ちることはないが、それほどまでに衝撃的だったのである。
 ハッとなって衝動的に病室を出たイーリスは、深い溜め息をひとつついて、一筋の涙を流した。言うまでもなく、それは2人の魂が再会したことへの心からの祝福だった。

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