第29章 発  芽

 今の地球圏の各地に点在する暗礁宙域の少なくとも半数は、戦争の副産物だといっても良い。戦闘で破壊された艦艇やモビルスーツ、コロニーの残骸などが宇宙を漂ってラグランジュポイントに流れ着き、それらが暗礁宙域を形成していくのである。いわばゴミが漂着する終着点なのである。
 一年戦争後に連邦の追求を逃れた反連邦勢力の拠点がこういった暗礁宙域に設営されていることが、しばしばある。機関部の事故で暗礁宙域に漂流した巡洋艦が、偶然にもジオン残党部隊の拠点を見つけてしまったこともあるほどだ。
 拠点が暗礁宙域に存在しているケースが多いことの理由は簡単で、暗礁宙域の探索は困難を極めるため、攻めにくく守りやすいからだ。それに、ミノフスキー粒子の助力を得ずともレーダーの機能は殺され、モビルスーツでの有視界の索敵に頼るしかなくなる。そのモビルスーツとて、障害物がひしめく暗礁宙域ではその機動力は大きく制限される。デメリットよりもメリットの方が大きいと考えるのは、至極当たり前と言えるかも知れなかった。
 連邦が反連邦勢力を追求する場合、まず最初に暗礁宙域を探索するケースが多かったのは、そう言う観点から見た正論と言えた。逆に言えば、それが連邦軍の先入観を産み出す土壌となり、のちの反連邦活動家への教訓という栄養素になっているのもまた、事実である。

 ティルヴィングがサイド4探索のためにグラナダを出発したのは、5月2日の夕方だった。この任務が通達されてから1ヶ月もの間、ログナー達は何もしなくて良かったのかといえば、そうではなかった。暗礁宙域とは言わないまでも、月からサイド4に向かう途中の航路を中心としたモビルスーツによる哨戒などは、しないわけにはいかなかったのだ。その哨戒は定期的に行っていたが、民間所属の輸送船が数隻ほど確認できただけで、さしたる成果は得られなかった。しかし、それによってログナー達が焦りを覚えたわけでもなく、もともとこの哨戒行動に成果を期待していなかったのが実際のところであった。
 それに、何かあるとすれば暗礁宙域の中であって、むしろ哨戒の成果が得られたときは、緊急事態でしかあり得ないのである。まかり間違って暗礁宙域を抜けて月のすぐ上を通過していくネオジオンの艦艇を見つけてしまえば、その遭遇したエウーゴの部隊は無事では済まないだろう。それゆえログナーはこの哨戒行動をすることには気が進まなかったが、ロレンスから命令されたとあっては、やらないわけにはいかなかった。

 ティルヴィングがサイド4の宙域にある暗礁宙域に到着したのは、出発した翌日になってからだ。ログナーはすぐさま、エストック隊のファクターとエネスのリックディアスを周辺の探索に発進させていた。1ヶ月前、ログナーがファクターと話し合ってモビルスーツ隊の編成を現状維持の線で決めたが、隊長が戦死したフランベルジュ隊の扱いは、未だログナーの頭痛の種だった。エストック隊を攻撃に、フランベルジュ隊の2機を守備に配置することが出来る場合はともかく、今回のようにエストック隊を二分して行動しなければならないときなどは、どうしてもアンバランスが生じるのだ。
 そこで、ログナーはレイのゼータプラス(マイン・ゴーシュ)にフランベルジュ隊の指揮を暫定的に任せ、エストック隊をエネスとファクターのリックディアス2機で編成するシフトを取ることにした。これで全体の戦力がより均一化されたが、相手がまとまった組織力を持つ戦力だった場合は、エストック隊の充実を優先しなければならなくなる。その釣り合いを考えるのは、艦長であるログナーの仕事だった。

 暗礁宙域の探索を開始してから、およそ半日が過ぎていた。宇宙空間では、コロニーや地球上のように視覚的に朝と夜を認識することはできない。しかし、時刻という概念は集団行動に必要不可欠であったので、形式だけの名称ではあっても朝と夜という呼び方を排するわけにもいかなかった。ティルヴィング艦内の観測班やその他のクルー、モビルスーツ隊は二交代制で周辺の索敵を行っていた。
 ここで問題になるのは、クレイモア隊のサイド4探索をいつまでやるのか、ということである。本来の目的は、1ヶ月ほど前までこの暗礁宙域で一時的に居を置いていたネオジオンの艦隊が、まだこの宙域に潜んでいるかどうかを確かめることだった。半日に及ぶ探索で、その当初の目的は達せられたと言ってもいい。ネオジオンの艦隊は、既にこの宙域を引き払っていたのだ。
 しかしログナーは、ティルヴィングの物資が無くなるまでは探索を続ける気になっていた。ログナー自身でもその理由を明確に説明する自信がなかったが、ただ、このままグラナダに帰るのは得策ではないような気がしていた。

 日付が5月4日に変わって、ログナーの漠然とした懸念は、思いも寄らぬ形で現実となった。ブリッジで他のクルーと共に簡素な朝食を済ませてすぐ、オペレータのミカ・ローレンス軍曹が報告をしてきたことから、それは始まった。
「哨戒中のフランベルジュ隊からの発光信号を確認、敵部隊を発見したようです!」
「チッ・・・数は?」
「観測班が確認中です。」
 緊急事態にもかかわらず、ログナーは、状況を冷静に見極めようとしていた。すぐ横に立っていたエネスもまた、それに倣っていた。
「エネス大尉、どう思う?」
「発光信号による連絡と言うことは、フランベルジュ隊は既に敵部隊に発見されている可能性が高いでしょう・・・増援に出ます。」
 エネスの判断は正しいと、ログナーには思えた。
「頼む・・・合流してからは、エストック隊とフランベルジュ隊の編成を元に戻して対応してくれ。全体の指揮はファクター大尉に。」
「了解。」
 返事をしながら、エネスは既にブリッジの出入口の方まで移動していた。
「さすが、判断が速いな・・・アルドラ、敵部隊はどっちから来たと思う?」
 急に話を振られたので、アルドラは最初、戸惑っていた。
「サイド4と月を結ぶ航路では遭遇がありませんでしたから、逆の方向、つまり地球の方向からの可能性が高いかも知れませんね。」
(地球から・・・としたら、ひょっとしたら・・・)
 ログナーは、漠然とした不安を覚えずにはいられなかった。


 時を同じくして、サイド2の1バンチコロニーに設営された自分の執務室で麾下のシンドラの帰還を待っていたロフト・クローネは、未だ実務処理の飛び交う戦場の中にいた。人を殺さずに済む仕事であるというのが唯一の救いだと思えたが、慣れない事務仕事をしなければならないのは精神的に苦痛だった。もしグァラニという部下を得ることができなかったら、クローネの苦労は数十倍になっていただろう。それを考えると、クローネはサイド2を自分の意志で占有しようとした事への認識の甘さを後悔せずにはいられなかった。今の自分は、幸運なのだ。そんな感慨を抱いて小休止していたとき、執務室のドアをノックする人物がいるのを、少し遅れて知った。
「ン・・・誰だ?」
「グァラニです。」
 ノックした人物は、クローネの政治的側面における右腕、というよりも頭脳(ブレーン)といえる部下だった。
「・・・入ってくれ。」
「失礼します。実は、クローネ様に面会希望をしてきた人物がおりまして・・・」
 クローネは即座に、その人物が何者なのかという疑問を持ったが、すぐにその解答を導き出していた。
「あぁ、あのお坊ちゃんか。通してくれ。」
「は・・・」
 グァラニが退出して、入れ替わりに別の男がクローネの部屋に入室してきた。無論、クローネはその男のことを知っている。
「執務の邪魔だったか、ロフト・クローネ大尉?」
 男は長くも短くもない、整った金髪の持ち主だった。見るからに、どこかの貴族の家系なのではないかという雰囲気を醸し出す風貌を持っているその男を、クローネはお坊ちゃんと陰で呼んでいた。しかし、面と向かってそう呼ぶことができるはずもなく、クローネは男の名を呼んだ。
「いや、小休止を入れたところだよ、グレミー・トト。」
 男、グレミー・トトがこのサイド2にいるのには、理由があった。サイド1からアクシズへの帰途で、グレミーがサイド2へと立ち寄る気になったのだ。今の自分よりもハマーンに近い位置にいながら、思想的には遙か遠くをいくクローネに興味を持っていたのである。
「君のことは、ハマーンから聞かされたことがある・・・なんでも、ザビ家とは遠からぬ縁者だそうだな。」
「縁者か・・・そう言う控えめな言い方は嫌いじゃないな、クローネ。」
「君が血統で成り上がろうとしている・・・というのは下士官達の風聞だが、その君がオレに何の用だ?」
「私は出来るだけ早く、アクシズに戻らねばならない。時間がないから単刀直入に聞く。私のもとへ来ないか?」
 クローネは一瞬、この青年が何を言っているのかが解らなかった。グレミーも自分も、少なくとも今はネオジオンの士官であるはずだ。いわば仲間である。クローネがグレミーの言っている先に何があるのかを悟るのに、数秒の時を要した。
「・・・叛乱を起こすというのか?」
「有り体に言えば、そうなる。ハマーンは、ザビ家の血を利用しているに過ぎない。幼少のミネバ様に力がないことを良いことに、今のネオジオンはあの女の専横を許している。あの女には地球圏の明日を創ることができないということは、お前も判っているのだろう?」
「それに関しては同感だが、だからといって、君がそれに取って代わっても良い方向に進むとは思えないな。」
「我々高貴な血筋の者が人類を導いていかねば、地球圏は連邦の食い物になるだけだ。我々には、どんな犠牲を払ってもやり遂げなければならない使命がある。」
「そんな方便は、8年前に既に聞き飽きたよ。だいたい、君らサビ家が何を犠牲にした?犠牲を強いただけじゃないか。戦争に無関係の人間をあれだけ殺して、まだ血が欲しいのか?」
 クローネは、このザビ家の生んだ軋轢(あつれき)が服を着て歩いているような男に、地球圏の何を見てきたのだろうか、と言いたくなるのを堪えるのに、かなりの忍耐が必要だった。
「戦争に無関係な人間などいるモノか。地球に居座っているだけの無能な人間こそが一年戦争の温床だということは、自明の理ではないか。お前こそ、自分が人類を導いていくつもりなのか?」
「何をバカな・・・人類は導かれるべき存在ではない。自分で決めて行動しなければならないのに、どこまで民衆の堕落した他力本願に手を貸せば気が済むんだ。血統で人を動かせたのは、人間の社会が地球の陸続きにあった時代だ。市民革命以後、本当に時代を動かしてきたのは一握りの英雄ではない。」
 グレミーにしても、またクローネにしても、互いには完全に相容れない存在であるという明確な自覚を覚えていた。ハマーンを共通の敵として共闘することも不可能ではないが、仮にハマーンを打倒し得たとしても、その後で新たな問題が生まれるのは明白だ。それにクローネは、現時点でハマーンを打倒することは得策ではないと思っていた。
「これ以上の議論は無意味だな。きょうの話は、聞かなかったことにする。君も、もう一度よく考えた方が良い。」
「・・・後悔をすることになるぞ、クローネ大尉。」
「どうかな。」
 クローネは簡潔に答えて、グレミーに退出を促した。そのグレミーは無言で、それに従った。
「ザビ家って人種には、学習能力がないのか・・・まったく。」

 サイド4の暗礁宙域、ティルヴィングからそれほど距離が離れていない宙域で、レイの乗るマイン・ゴーシュは単機で敵部隊の母艦を目視できる距離にまで接近していた。アルツールとマチスのネモはマイン・ゴーシュと比べて巡航速度が遅く、先行したレイ機に追いつくのにはもう少し時間がかかりそうだった。
 マイン・ゴーシュの先行はレイが決断したことだが、レイはそれを誤った決断だと今になって思い知ることになった。なぜなら、遭遇した敵艦というのがシンドラだったからだ。
 1ヶ月以上も前に地球に降下したシンドラが、二度と宇宙に帰ってこないとは思っていない。いつかまた、相まみえることが必ずあるとレイは思っていた、いや、思いたかった。レイは今までの数度のシンドラとの戦闘の中で、一矢も報いていなかったからだ。
「やべ、モビルスーツが出てきやがったな・・・でも、今度こそ借りを返させて貰うってね!」
 レイはひとり叫びながら、敵モビルスーツ隊の全機出撃を待たずして、シンドラの船体にBSG(ビームスマートガン)による攻撃を開始していた。それで船体に小規模な破損を与えると、レイはマイン・ゴーシュの本来の使い方である一撃離脱を敢行した。全速でシンドラの前を横切って、時計と逆回りの方向に旋回をして、再びシンドラに攻撃を仕掛けようとした。しかし、レイの攻撃は未然に終わっていた。シンドラから出撃してきたモビルスーツの1機が、マイン・ゴーシュに攻撃を仕掛けてきたのである。しかしその射撃は、マイン・ゴーシュに装備されているIフィールド・バリアによって無効化されていた。
「また白いディアスか!」
「また白いガンダムか!」
 レイとヴェキは同時に叫び、同時に射撃を開始した。BSGは連射のきかない兵器であるため、ヴェキクラスの相手に中距離戦を仕掛けるのには向いていない。レイはそれを十分に理解していたので、BSGをすぐに投棄して、腰部ビームカノンで対処した。
 そこに生じた隙を、ヴェキは見逃さなかった。ビームピストルによる射撃をして、すぐさまビームサーベルを抜きはなっていた。間合いを詰めながらの射撃からの接近戦は、ヴェキの得意とする戦法だ。
「!・・・この戦法は!」
 めざといレイは、その攻撃を受ける前にすぐさま距離をとって回避したあと、その戦法が自分のよく知っているパイロットのそれと極めて似ていることに気付いていた。相手はショール・ハーバインなのだ。
 ヴェキが出撃したため、シンドラの指揮はネリナが引き継いでいた。ブリッジからでも戦闘の様子は、割りと鮮明に見えていた。そして、ヴェキと交戦中の機体が見覚えのあるモノであることを思い出していた。
(あのガンダムタイプは・・・ということは、相手はティルヴィングとかいう・・・)
 思ってからネリナは、何も言わずにブリッジを離れていた。

 2分ほどが経過して、2機のネモがシンドラのいる宙域に姿を現していた。しかし、戦況はレイとヴェキの一騎打ちを許さなかったし、レイ達3人対ヴェキという図式も許さなかった。シンドラからも増援としてガザCが2機、出撃していた。それゆえ、戦況が停滞気味であることに変わりはなかった。
 そうしている間に、ネリナはとある独房の前にまで来ていた。ヴェキに指示されたことを実行するためであるが、ヴェキの指示では、月にもっとも近付いたときにカプセルに収容したエリナを射出することであったが、ネリナはなんとなく、それを今すべきだと直感していたのだ。

 更に数分が経過して、エネスとファクターが到着した。これによって、この宙域の戦力の格差は逆転していた。しかし、エネスはこの時点で、シンドラの戦力を全て撃滅するまで戦う気にはなれなかった。体勢が整っていないのはエネス達も同様だったし、暗礁宙域での戦闘は双方に不便を来している。現状のまま戦闘を継続するのは得策ではないと思えていた。さしあたって、レイ達と合流してのち、速やかに撤退した方が良いだろう。
 そして、エネスがファクターに撤退を申し出る判断がついたのは、次の瞬間だった。
「なんだ、アレは・・・ン、救難信号?」
 シンドラから放たれた小さな光は、点滅しながらエネスの『死装束』の方へと向かってきていた。その正体が小さなカプセルだということに気付いたのは、そのすぐあとだ。
「ファクター、攻撃をやめろ、救難信号が出ている!」
 エネスは、自機のすぐ横でシンドラに向けて射撃による対艦攻撃をしていたファクターを制止した。しかし、ファクターからは苦情は来なかった。ファクターにも救難信号が見えていたからだ。
「解った、回収はエネス、お前がやれ。撤退信号はオレが打ち上げる。」
 ファクターもまた、エネスと同じことを考えていた。暗礁宙域での戦闘は、嫌がるのが普通である。戦闘中に障害物に当たって機体を破損させてしまう危険だってあるのだ。
 エネス機がカプセルを回収したのと、ファクターが撤退信号を上げたのはほぼ同時だった。撤退の発光信号によってほのかに照らされたカプセルを見て、エネスは血相を変えた。
「まさか・・・」
 思って、エネスはカプセルの正体を確かめるべく、カプセル正面の透明なガラスの部分を拡大して中を確かめた。心臓が体中に血液を送り出す音が時を刻む音に感じられるほど、エネスは緊張していた。
「やはり、エリナだ・・・」
 エリナが生きてくれていたことに、エネスはとりあえずの安堵を覚えていた。しかし、何か違和感もまた、同時に感じていた。姿形は確かに自分のよく知っているエリナだが、目が開かれていてもどこか虚ろで、異様と言えるほどに静かだったからだ。いつも快活なエリナの面影は、つゆほども感じられない。
 ファクターの打ち上げた撤退信号を受けて、レイ、アルツール、マチスの3人はすぐにエネス達と合流した。それにあわせてヴェキ達も引き上げていた。
 悲劇という種子から発芽が始まったことを、誰一人として気付いていなかった。

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