第28章 病  巣

 宇宙世紀0088年5月に入って、グラナダ基地の宇宙港に停泊していたティルヴィング艦内には次の作戦に先立つ準備を始めているべき艦艇とは思えない、静かな雰囲気が漂っていた。それもそのはずで、今回の任務が通達されたのは1ヶ月も前だったので、その準備のための時間に事欠くことはなかったのである。
 そんな中、負傷療養中だったレイ・ニッタが5月2日、モビルスーツデッキに姿を現していた。4月の始めに退院してから、レイは艦長室やブリーフィングルームに来ることはあっても、モビルスーツデッキにだけは顔を出す気になれなかった。先程復帰した旨を艦長に伝え、そのあとにモビルスーツデッキに来て初めて、”本気で惚れた通算2人目の女”であるナリアが死んだときから自分の中で何かが変わったのではないか、と今更ながらに思えていた。
 それは、モビルスーツデッキという以前は当たり前のように日常的な光景を目にして、いつもいたはずの人物がいないことを認識させられることであった。しかし、レイはそれを露骨に表情では表さなかった。1ヶ月という時間が気持ちに整理をつけさせてくれたのは確かであったし、なによりもレイの性格がそれを許さなかった。レイが精神的に立ち直るのが早かったのは、レイのそう言った性格にプラスしてイーリスが何かと支えてくれていたことも大きかった。
 そのレイの目の前にあるモビルスーツは、3つの機種に分類できた。まずはクレイモア隊の主力モビルスーツであるリックディアスが3機、フランベルジュ隊のネモが2機、そしてガンダムタイプが1機である。6機のモビルスーツのうち、2機は全身が白く塗装されていて、漆黒の宇宙空間では際立って映える機体だった。クレイモア隊という隠密行動を主眼におく部隊の装備とは、少し信じがたいモノである。
「お、オレのモビルスーツが治ってるじゃねえの。」
 白いガンダムタイプ、ゼータプラスCA2型”マイン・ゴーシュ”は、大破する直前と全く同じ姿形をしていた。それを見て、レイは感動にも似た声を大きく上げていた。その声に気付いたのか、足元にいる白衣の男がレイに方向へと振り向いた。
「よぉ、久しぶりだな、レイ。」
「おや、珍しい。」
 レイに声をかけたのは、アナハイム・エレクトロニクスのシステム開発3課のハヤサカ主任だった。出不精なハヤサカがわざわざティルヴィングまで出向いて来たということに、レイは本気で驚いていた。
「退院の挨拶もなしに、いきなりそれか・・・相変わらず礼儀を知らんヤツだな、お前は。」
「あ〜そりゃ失敬。」
「・・・ま、いいさ。モビルスーツはまた作ればいいが、お前の身体に替えはないからな。とりあえず、今度の休みのときに中華料理を奢るって線で忘れてやる。」
 ハヤサカもナリアの死を知っていたので、これ以上は言及しないようにしていた。いくらハヤサカでも、そこまで無神経にはなれない。
「主任こそ、食い意地が張ってるのは相変わらずですねぇ・・・ンで、治ったんですか?」
 主語の抜けたレイの質問に、ハヤサカが面倒くさそうに答えた。
「完成に近付いたと言ってくれ。結局、システムの方が間に合わなくて、オレがここまで出向いてきたんだがな。それはソフトウェアの問題で、ハードウェアとしては既に完成したと言ってもいい。あとはお前のバカが治ってれば、大丈夫だよ。」
「そればっかりは、病院じゃ治せなかったみたいなんですがね。」
 ささやかな抗議は黙殺され、レイは続けた。
「その”大丈夫”って、何が”大丈夫”なんです?」
「何がって、そうだな・・・まぁ色々だ、色々。」
「どこをどう改良したのか、もったいぶらずに教えて下さいよ。」
 ハヤサカは、特に意識してもったいぶっていたのではない。単純に、面倒くさかっただけだったのだ。本来はショール・ハーバイン専用にカスタムされたモビルスーツであるマイン・ゴーシュを、よりレイのデータに近づけて調整をした機体である。技術も進んでいるので、各所での不完全な部分も改善されていた。それらをいちいち説明するのは、ハヤサカにとっては面倒以外の何者でもなかった。
「大丈夫、だと思うよ。なんとなく・・・」
 ハヤサカの言葉の後半は聞こえるか聞こえないかくらいの音量だったので、レイは耳を疑った。
「今、なんとなくって・・・」
「いや、気のせいだ、気のせい。とにかく大丈夫だから、マニュアル読み直しとけ。色々使いやすくしてるからな。」
 ハヤサカは言いたいことだけを言うと、無言で機体を見上げるレイを尻目にモビルスーツデッキから引き上げて、艦長室へ挨拶に向かった。ハヤサカがすべき事は、既に終わったのだ。あとの微調整はレイ自身で行える範囲のモノだ。
「復帰早々悪いが、機体のテストをしなくちゃならん。準備をしておけよ。」
「え、今から?」
「そうだ。この艦は、あと6時間もしないうちに出発するんだそうだ。」

 エストック隊が地球から戻ってから今日までの1ヶ月の中で、地球の情勢には変化があった。ヴェキ・クリオネス率いるシンドラはエストック隊を載せたカラバのミデアによる追跡を察知してからすぐ、最初にジオン残党勢力と接触をしたアムステルダムでそれをやり過ごし、エストック隊より2日遅れでブリュッセル入りした。ハマーンの命令書の通りであれば、このブリュッセルに立て籠もっていたティターンズ残党に接触をしなければならなかったのだが、指揮官であるヴェキは敢えてそれを無視して、エストック隊をブリュッセル基地にぶつけるよう仕向けた。
 理由は3つあった。カラバの動きがヴェキもしくはクローネの予想よりも早く、シンドラが追尾されていることを配慮していなかったことと、シンドラの戦力が十分ではなく、この先にもやるべきことを控えている立場としては消耗を出来るだけ避けたかったのだ。
 そしてなによりも、ネオジオンの地球での勢力拡大に協力するつもりは毛頭なかった。結果としてブリュッセルのティターンズ残党を糾合することはできなかったが、それは既にクローネが書き込んだカレンダーの中にあった。ヴェキは意図的に、ブリュッセルを見捨てたのである。
 シンドラがブリュッセル上空を通過したのは、ティターンズ残党の全滅をヴェキが直接確認するためであった。それを終えたヴェキは、シンドラの進路を東に取った。ハマーンから送られた計画書にはストックホルムとワルシャワに潜伏しているジオン残党勢力の存在が示されており、本来はブリュッセルに立ち寄ったあとにワルシャワの勢力と接触をするのが任務だった。しかしヴェキは、独断でストックホルムの部隊に電文を送って接触し、ノルウェーのカラバ基地に陽動を仕掛けるようにしたのであった。エネス達は、そのストックホルムに潜伏していたジオン残党勢力と、ノルウェー基地で一戦を交えたのである。ストックホルムの部隊を捨て石にしたことによって、ヴェキはまたひとつ、ハマーンの思惑を崩していた。
 4月の中頃に入って、ヴェキはワルシャワの部隊と接触をし、近い内に実行されるであろうハマーンの地球降下にあわせてダカールの連邦議会を制圧する手筈を整えていた。これまでストックホルムとブリュッセルという未来の戦力たりえるべき勢力を潰したが、ハマーンに対する体裁を整えるためにはワルシャワは残しておくべきだと判断したのだ。それに、あまり簡単にネオジオンが負けてもらっては、困るのである。連邦の人間達に危機感を抱かせて団結させ、その上で革命していく・・・ネオジオンはそのための必要悪であると言うのがクローネの考えだった。ヴェキはクローネに無条件で賛同するように意識操作を受けていたので、クローネの思惑に従っていた。


 そのヴェキが地球を離れたのは、5月2日になってからだった。ヴェキの副官的存在である妻、ネリナ・クリオネスは、大気圏を離脱したことを確認すると、ヴェキに判断を仰いだ。
「サイド2のクローネに、レーザー通信回線を開けるか?」
 ヴェキの質問に、オペレータが即応した。
「レーザーの進路、クリアです。」
「解った。クローネと回線を繋いで、オレの部屋へ回してくれ。」
「了解。」
 オペレータが指示通りに実行しているのを確認すると、ネリナにブリッジを任せて自室に戻った。

 ヴェキが自室に戻ったとき、既に端末にはクローネとの回線が開かれていたあとであった。部屋の壁に固定されているディスプレイには、クローネの顔が映し出されていた。
「久しぶりだな、ヴェキ・・・宇宙に帰ってきて早々で悪いが、報告を聞かせてくれ。」
 ヴェキは、サイド4を経由して地球に降りたことから、地球での行動の全てをありのままに報告した。クローネに指示されたことが大半だったので、包み隠すようなことは何もない。
「なるほど、ワルシャワの部隊とだけ接触を持ったか。」
 報告を聞き終えたクローネは、何かを考えながら応えた。
「不満そうだな、全て潰しておくべきだったか?」
「いや、お前の判断は正しい。ストックホルムの部隊とブリュッセルのティターンズの件に関しては、オレが誤魔化しておく。よくやってくれたな、ヴェキ。」
「艦内のクルーの掌握には、手間取ったがね・・・」
 ヴェキの意味ありげな微笑みの正体を、クローネは悟った。ヴェキがサイド2を出る前に言ったことを実行してくれたのだ。
「そうか、コルドバは死んだんだな・・・仕方ないな、地球の情勢は混乱しているのだから・・・」
「ヤツが捕虜を拷問にかけたんでね、合法的に処理ができたのが幸いだった。」
「捕虜?おい、まさか・・・」
「エリナ・ヴェラエフは死んではいない。ただ、精神的には死んだも同然かも知れないが・・・」
「・・・そうか・・・解った。シンドラはサイド4を通って、サイド2に帰投してくれ。途中、エリナ・ヴェラエフをカプセルに入れて、グラナダに向けて射出しろ。」
 その命令は、ヴェキにとってはあまりに意外だった。捕虜をタダで返してやるなど、聞いたことがない。しかし・・・ヴェキは考えた。エリナがシンドラに来てから、ヴェキの体調が変調を来していたという事実を考えると、彼女がいない方が都合はいい。あとは、射出されるカプセルが回収されるかどうかの問題だ。空気と水は3日分は入れられるので、エリナが中で死ぬようなことはないだろう。それに、カプセルにタイマーを仕掛けて、一定時間が経つと救難信号を発信するようにすれば、安全面の問題はクリアされる。
「そうだな・・・了解した。もともと、あの捕虜のことはハマーンに報告をしていないから、問題はないだろう。」
「そうしてくれ。では、サイド2で待っているぞ。」
 クローネとの交信を終えて、ヴェキは席を立ってブリッジに戻った。

「サイド4から、艦隊は既に撤退しているようね。」
 ブリッジに戻ってきたヴェキを出迎えたネリナは、入ってきた情報を整理した書類に渡してくれた。
「そうか、反乱事件は結構早く収まったんだな。ということは、途中での補給は期待できないな。とにかく、サイド4を経由して、サイド2へ帰投するぞ。それとネリナ・・・艦長室に来てくれ。」
 ヴェキが何かを言いたそうにしているので、ネリナはエリナに関することで何かを知られたのではないかと内心焦ったが、その可能性をすぐに否定した。
「ええ、わかったわ。」
 シンドラ内部の通路を2人は並んで歩いていたが、終始無言だった。この静けさは、ネリナにとって不気味に感じられた。わざわざ別の場所に呼び寄せると言うことは、他のクルーには聞かれたくない話があるということだ。ネリナはこの不気味な時間が、一刻も早く過ぎるように祈っていた。やがて2人の前には、艦長室のドアが立ちふさがっていた。

 促されて先に入室したネリナは、ヴェキが艦長室のドアをロックしているのを見た。
「で、なんなの?」
 ネリナは言いながら、ヴェキの表情を鑑みた。艦長室の空間は宇宙を航行している艦の通路よりも閉塞していたが、ネリナにはその実際の差違以上のものを感じていた。しかし、ヴェキの表情から察するに、ネリナ自身が一番恐れていた事態というわけではなさそうだったので、ひとまず安堵の息をもらした。
「さっきクローネと連絡を取って、サイド2に帰投するように命令が出た。それはさっきオレがブリッジで指示したから、解ってるな?」
「ええ、それで?」
「月にもっとも近付いた頃を見計らって、エリナ・ヴェラエフをカプセルに入れて射出しろ。」
「!?・・・随分と気前の良い話ね、無料で捕虜を返してやるなんて。でも・・・」
 ここで、ネリナは考えた。ヴェキのためにも、そして自分のためにも、あの女がいない方が何かと都合がよいはずだ。一度、あの女がヴェキとまともに顔をあわせないために、コルドバを使い捨てて壊しにかかった。しかし、精神的に殺すことには成功したが、それによってヴェキの注意を引いてしまった・・・これでは逆効果も良いところだ。
 しかし、自らの手を汚さずに病巣を排除できるのなら、それに越したことはない。自分は何を驚いていたのだろうか、とすらネリナには思えた。
「グラナダに向かって射出すればいいのね?」
「あぁ、出来れば手の空いてそうなお前がやってほしい。ただし・・・」
「え?」
「・・・生きたままで射出しろよ。」
 ネリナはこの時点で、自分が試されているのだと言うことに気付いた。つまりヴェキは、ネリナのエリナに対する感情を知っていたのである。瞬時に、ネリナの背中に冷ややかな汗の存在を感じていた。

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