第27章 葬  列

 宇宙世紀0088年3月28日、エネスとファクターはカラバのノルウェー基地に攻撃を仕掛けてきたジオン残党のモビルスーツ隊を退けた後、シャトルに乗って宇宙へと還っていった。静止衛星軌道で待機していたティルヴィングは、既にそのシャトルをレーダーで捕捉していた。
「11時の方向、連絡のあったシャトルです!」
「シャトルまでの距離を出せ。」
「15秒後に距離1000まで接近します!」
 ミカ・ローレンス軍曹の報告に満足そうに頷いて、ログナーはシャトルの回収を命令した。
「よし、ワイヤーを射出、逃すなよ!」
 ログナーが命令した直後、ティルヴィングからシャトルに向けてワイヤーが伸びていった。そのワイヤーの先には強力なマグネットが備え付けられており、シャトルの外壁に固定することでティルヴィングとの相対距離を一定に保つことができるようになっていた。
 ワイヤーが無事にシャトルを捉えることができたのを確認すると、シャトル回収でもっとも神経を使う作業を終えたことで安堵したのか、ログナーの顔はいつもの強ばりを少し解いていた。
「よし、シャトルの受け入れ準備、私も出迎えにMSデッキに降りる。アルドラ、周辺の警戒を怠るな。」
「・・・了解。」
 わざわざ艦長が迎えにいくこともあるまいに・・・などと思いつつ、アルドラは復唱だけは返した。

 10分後、エネス達を載せたシャトルは、無事にティルヴィングと接舷することができた。27日の夕方に受けたエネスからの連絡で、ログナーはナリアの戦死を知っていた。だからログナーは、帰還者がひとり不足していることについては、出迎えの時点では何も言わなかった。
「エネス・リィプス大尉、ロイス・ファクター大尉、帰還しました。」
 降下部隊の指揮官であるエネスが、形式張った挨拶の後に敬礼した。こういうときには、形式というのは役に立つモノだとエネスは思った。個人的な感情を押し殺すには、こういう形の方がありがたかった。
 エネスという男がどこまで冷静でいられるのか、ログナーはエネスの表情からそれが有限であることを思い知った。兵士が死ぬのは当たり前だと公言したエネスでも、仲間の戦死が精神的に堪えないはずがない。口調はともかく、エネスの表情がそれを顕著に表していた。しかし、それは感情の面で言えば当然であって、エネスの理性の度合いは激昂せずに自分がすべき事を優先したことで証明されている。
「ご苦労だった。ノルウェー基地で予定外の戦闘を強いられたようだな。本艦はすぐにグラナダに帰還する。そのときに報告書を作成して、提出してくれ。」
「了解です。」
 エネスの敬礼は、ややけだるさの残ったモノだった。

 静止衛星軌道から離脱したティルヴィングは、4日の行程を経た4月1日の正午過ぎ、グラナダに帰着していた。グラナダ基地の宇宙港に入港したあと、報告書を携えてエネスとファクターが艦長室を訪れていた。
 そのエネスから渡された報告書を、ログナーは終始無言で読んでいた。やがてそれらを読み終えると、ログナーは視線をエネスに向けた。
「なるほどな、ブリュッセルの市民デモもろともに、コーネリアは・・・」
「申し訳ありません、自分のミスです。」
「いや、そうではない。仮に君やファクター大尉がコーネリア中尉と代わっていたとしても、3人が無事で帰還できる保証ができたわけではないのだからな。ティターンズ残党がそこまで精神的に追い込まれていた、そういう状況が悪かったに過ぎない。」
 ログナーは、決してエネスを慰めたわけではない。客観的に事実をいっただけだ。エネスにしても、彼自身は慰めの言葉を欲しかったわけではなかったし、その事実も判っていた。
「では、追い込みながらも決定打を欠いたカラバが悪かったと?」
 口を挟んだのは、それまで無言であったファクターだった。
「悪いのはタイミングだよ、誰も悪くはない。ブリュッセル基地を孤立させて物心両面から追い込み、しかるのちに攻撃するというのは当然の戦略だ。」
「なるほど・・・」
「それはもう仕舞いにしよう。しかし、気になるのはシンドラの動向だな。」
 話題が変わったので、エネスは再び報告の説明を再開した。
「確固たる確証があるわけではないのですが、やはりシンドラの目的は旧ジオン公国残党を糾合することではないかと思われます。」
「・・・報告書にあったとおりだな。シンドラはまだ地球にいるのだな?」
 エネスは一瞬、返答に迷った。ブリュッセルの民衆を救うためとはいえ、シンドラの動向を最後まで掴みきれなかったのだ。それを指摘されても、申し開きのしようがない。エネスは相変わらずの無表情を装っていたが、その場に流れる空気からログナーはエネスの心境を悟った。
「いや、むしろこのタイミングで帰った方が賢明だった。MS一個小隊でどうにかできるレベルではない。ことは戦略の域にまで達している。今後もネオジオンの動きには留意してくれ。今のエウーゴにあるまとまった戦力は、我々くらいなのだからな。」
「了解。ところで・・・」
「ン、なにか?」
 エネスは、ナリア戦死の報をレイに知らせたのか確認しようとしたが、できなかった。エネスには、ナリアと特に親しかったレイに知らせるのは、自分の仕事であるように思えてならなかった。それは、自分の指示で単独行動をとらせたばかりにナリアを死なせてしまったという悔恨が、エネスの中にあったからだ。
「いえ、なんでもありません。さしあたって、自分はレイの見舞いに行きたいのですが、外出許可を願えますか?」
「それはかまわんが、今日中には帰って来いよ。」
「了解です、艦長。」
 再び敬礼すると、エネスは表情から緊張を解いてその場を去った。残されたファクターとログナーは、静かにエネスの後ろ姿を見送っていた。2人は、エネスがレイにナリアの戦死を報せる役目を負う覚悟をしていたのだということを、表情から察していた。
「・・・もしかして、艦長はレイに・・・?」
 ログナーの下で10年近くも働いてきたファクターは、この強面の艦長のことを理解していた。
「あぁ・・・部下の戦死を親族や親しい人間に伝える役目というのは、辛いモノだからな。これも艦長の仕事さ。」
「しかし、エネス大尉も変わりましたね。」
「そうだな・・・ティルヴィングに来てしばらくは、ひとりで戦っているような印象を受けたからな。ただ・・・」
「ただ?」
「レイにコーネリア中尉の戦死を伝えたのは、私のミスだったかも知れない。あれはエネスが伝えるべきことだったのではなかっただろうか、と今さらながら思うのだ。」
 ファクターもそれには同意見だったが、ログナーがそこまで気に病むほどではないとも思えた。気にすべきなのは、せっかく最近になって仲間を信用するゆとりを身につけたエネスが、またひとりで背負い込む悪い癖をぶり返したりしないかという点であった。
「珍しく弱気な発言ですな。」
「指揮官というのは、戦術能力に長けていればいいってものじゃないからな。部下のメンタルケアはもっと大事な仕事だよ。」
「世の中には、どちらも不足している指揮官の方が多いもんです。」
 ファクターはしみじみと言って、嘆息した。
「まぁ、それはそれとして、今後のMS隊の編成について君はどう思う?」
 ナリアの戦死後から、ファクターはその事を失念していたことに気付いた。
「そうですね・・・エネス大尉にフランベルジュ隊の指揮を任せても良いと思います。」
「しかし、主戦力であるエストック隊を2機編成にするのは、得策ではないな。エストック隊の編成は今まで通りでフランベルジュのネモ2機はブリッジから直接指揮を行うか、いっそのことフランベルジュを解体してエストック隊に再編成しなおすか・・・その二者択一かな。」
「5機編成の小隊となりますと、戦術に柔軟性を欠くことになりませんか?」
 それは確かにそうだ、とログナーは唸った。小隊の編成を変更すると言うことは、戦術の連携フォーメーションもそれに対応したモノに変更する必要がある。単に頭数の問題ではない。
「やむを得ない、か・・・エストック隊は現状維持で、フランベルジュには2機で頑張ってもらうか・・・」
「それしかありませんな。」
 揃って、2人はため息をついた。今という情勢とクレイモア隊の立場が、パイロット補充を許してくれないことが判っていたからだ。


 レイはナリア戦死の報告に最初は驚いて見せたが、以前より増して口数が多くなったようにイーリスには思えた。イーリスはナリア戦死の報告を受けてから2日が経過した今もなお、レイに言葉を投げかけることがほとんどなくなっていた。レイが無理をしているのではないかと思うと、言葉が見つからなかったのである。
 レイはイーリスと一緒に、病室でやや遅すぎたランチタイムを過ごしていた。
「・・・とにかく、あのリンドバーグってヤツはしつこそうだから、気をつけないとダメだぜ?」
 レイは、イーリスと一緒の時にはよくしゃべった。むしろ、イーリスの方が慰められているのではないかという錯覚すら覚えるほどだったが、イーリスはレイがひとりになった途端に黙り込むようになっていたのを知らないわけではない。しかし、レイを慰めようとは思わなかった。元気を出せと言われて、出せるわけがない。その言葉はかえってレイに気を遣わせるだけだ。
「ええ・・・できるだけ、ひとりにならないようにするわ。」
 イーリスには、生返事を返すのが精一杯だった。めざといレイはそれを気にしてはいたが、自分が衝動に任せて発言すれば、イーリスに気を遣われるのは必至だと判りきっていたので、敢えて気付かない振りをした。
「ところでさ、オレの退院っていつだっけか?」
「4月4日よ。ゼータなんとかってモビルスーツの修理は、結局間に合わなかったみたいね。」
「オレの腕が完治する頃には、動けるようになってるよ。予備機のリックディアスがあるけど、パイロットのオレがこの状態じゃ乗れないしねぇ・・・あ、そのポークカツちょうだい。」
 レイの食事は病院から支給されているものだが、付き添いのイーリスには食事が支給されない。よってイーリスは、市販されているランチパックを買ってきているのである。機械で大量生産されたランチパックとは言っても、病院食を食べさせられ続けてきたレイには豪勢に見えた。
 イーリスは自分の食べる動作を一時的に中断して、レイの方を鑑みた。ふとレイがそれに気付いて食べる動作を中断すると、イーリスの方に向き直った。一瞬、気まずい雰囲気が漂う。
「あれ、ポークカツは君の好物?」
「そういうわけじゃないけど、よく食欲がわくなと思って・・・」
「あぁ、そういうこと。」
 直後、先程よりも勢いよくパンをかじり始めた。しばらく無言で食べていたが、いきなりイーリスの方へと再び向き直った。
「これからはハードワークの連続っぽいからね、しっかり喰っておかないと。」
「・・・そうね、食べないと治るモノも治らないわ。」
 再び無言になった2人の雰囲気は、ナリア戦死の連絡を受けるまでのことを考えると、異様なモノであった。その異次元空間のような病室の空気を振り払ったのは、2人のどちらでもなくドアをノックする音だった。

 訪問者はエネスだった。いつものような無表情ではあったが、やはりどこかしら息苦しさを感じさせる表情だった。
「よ、いつ帰ったの?」
「グラナダに帰ってきたばかりだ。退院が決まったそうだな。」
「おかげさんでね。」
 レイの飄々とした口調は、エネスの無表情と同様、表面上はいつもと変わらなかった。エネスはそれを、レイが事実を知らないのだと錯覚した。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 しばしの沈黙の中、レイはエネスの表情が次第に苦渋に満ちたものになっていくのを、めざとく悟っていた。そこからエネスが伝えようとしていることが何なのかも、その表情からは想像も難くはない。
「まさか、謝りに来たんじゃねぇだろうな?」
「!・・・知っていたのか、コーネリアのことを・・・」
「あぁ、連絡は来たよ。だけどそれじゃ、オレの質問に答えたことにはならないぜ。そのお前は、オレに何を言いに来たんだよ。ナリアさんが死んだってことを伝えるだけじゃ足りないみたいだけど・・・まさか自分のせいだ、なぁんてくだらねぇことを言いに来たってんなら・・・帰りな。」
 レイの口調は静かだったが、いつになく厳しかった。それは同時に、レイがエネスを責めるつもりがないと明言したのと同じことであったが、それでもエネスはここで黙り込むわけにはいかなかった。言えなければ、今度は自分がやりきれなくなるだろうからだ。
「済まない、オレがファクターとコーネリアに任せていれば・・・」
「お前の口からそんな言葉は聞きたくないんだよ。」
「しかし生存率は違っていた。それを瞬時に判断しきれなかった、オレの責任・・・」
 レイはエネスに、最期まで言う資格を与えなかった。
「ハ、自信過剰もそこまで行けば大したもんだ。戦ってるのはお前ひとりじゃない、それをお前に教えたのはショールだろう。」
 ショール・ハーバインの名を出されては、エネスとしてはこれ以上我を張ることもできなくなっていた。
「・・・そうだな、オレの心得違いだった。お前にこれをどう伝えればいいのか、判らなくてな・・・」
 多少の引っかかりはあるが、エネスは自分の心の枷が減って楽になれたような気がした。少し緊張の取れた表情から、レイはそれをなんとなく察していた。
「それにさ・・・」
 その証拠に、レイの口調が極めて静かに、そして感慨の色を強めていた。
「・・・?」
「それを言うなら、オレがこんな怪我さえしなければ、ナリアさんが地球に降りることもなかったんだ。悔やむのはオレの方なんだ。だから言いっこなしってことにしようよ。」
 それは、レイの紛れもない本心である。ナリアの戦死を聞かされたとき、レイはその想いで一杯だったのだ。

 エネスがレイの見舞いから帰ってきた頃、ログナーはティルヴィングにはいなかった。グラナダ帰還にあわせて今回の任務の報告書を作成し、参謀本部に出頭するように求められたのである。ログナーはいつものように、直属の上司であるロレンス大佐の執務室に来ていた。
 細かい部分の詳細な解説を求めながらも報告書を全て読み終えたロレンスは、溜め息まじりにログナーを見た。この溜め息の先にあるものを、ログナーは知らない。ロレンスの心境としては、クレイモア隊の戦力が適度に減ってくれたことは歓迎すべきことなのである。ある程度独立した位置にある部隊が強力すぎることは、叛逆を恐れている参謀本部の人間達にとって面白くないのだ。
「残念だが、パイロットの補充は認められない。」
 第一声がそれだったのは、ログナーが恐らくは補充を頼み込んでくることを予測した上だ。もっとも、それはログナー自身も覚悟をしていたことなので、落胆は小さかった。
「正規軍の整備は、まだ整っていないと言うことですか。」
「そうだ。教導団の反乱が短期間で収まりそうなのは不幸中の幸いだが、それでもまだエウーゴやカラバの存在を認めなければならないほどに、体勢は不十分だ。もっとも、今のエウーゴには連邦正規軍にまで干渉するような余力もないがな。」
「では、我々を歴史の表舞台に出しますか?」
 ログナーは、冗談を言った。
「それはどうかな。君らを正規の部隊に仕立て上げたところで、戦略的自由を持つ部隊をひとつ減らすことになる。結局はプラスマイナスゼロが関の山だ。しばらくは現状維持で頑張ってくれ。モビルスーツ隊の編成に関しては、君に一任する。」
「了解しました。で、我々はしばらく待機になりそうですか?」
「いや、ニッタ少尉の復帰と同時に、サイド4を警戒、探索してくれ。我々の頭上にネオジオンがいるのは、面白くないからな。」
「大佐は、まだ連中がサイド4から退去せずに居残るとお考えですか?」
「保険だよ、あくまで・・・それとも不服かね?」
 ロレンスは眉を少しひそめてログナーを見たが、逆にログナーの方からもロレンスを同じ様な目で見ていた。しかしログナーは、決してロレンスを疑っていたのではない。もしサイド4の暗礁宙域に、先日まで滞在していたネオジオンの部隊が潜んでいたとすれば、思わぬ死角をつかれかねないというのは解る話だった。問題は、別の所にあった。
「そうではありません。命令とあらば従います。しかし、ニッタ少尉の復帰にはあと1ヶ月近くもかかります。それまで放っておいてもよろしいのですか?」
「グラナダ周辺でまとまった戦力と呼べるのは君らだけなんだ、仕方あるまい。こちらに戦力がないわけではないが、ハマーンがこのグラナダ基地を狙っている可能性がある以上、迂闊に動かすわけにはいかんのだ。」
 グラナダやフォン・ブラウンといった月面都市を占拠すると言うことは、サイド3から見れば地球降下への橋頭堡となるだけでなく、各コロニーサイドや連邦政府に対しての牽制にもなる。月面の企業連合体による利益誘導に従って活動していた人間の多い政府にしてみれば、月面都市とはアキレス腱なのである。その防衛を疎かにするわけにはいかないのが正直なところだった。
「了解しました、その通りにいたします。」
 敬礼して、ログナーは辞した。それからほどなくして、ティルヴィングに帰還したログナーは、フォン・ブラウンのアナハイムビルにいるであろうハヤサカに連絡を取った。ハヤサカはすぐに捕まった。
「私だ、主任。」
「どうも、ご無沙汰してます。」
 ハヤサカが寝癖もそのままにモニタに出たので、ログナーは呆れるしかなかった。時刻は昼を回ったばかりである。
「あぁ、気にしないで下さい。きのう寝てなかったものですからね、ちょっと昼寝を・・・」
「そんなことは良い。機体の修理はできたかどうか、確認してもらいたい。」
「あぁ、アレですか?あと数日中には終わりますよ。」
 ハヤサカはアクビをしながら、鷹揚に答えるだけだった。

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