第24章 ブリュッセルの悲劇(前編)

    いかなる組織であっても、そしてそれがたとえ軍隊であっても、人として越えてはならない境界線というモノがある。自主規制、自粛を忘れた瞬間から、その組織の破綻は決定している。軍隊は、決して道具になってはならない。人の集まりであることを決して忘れてはならない。軍隊が戦争で死ぬべきではない人々を意図的に巻き込むのは、羞恥心のなさがさせるのだ。
 戦争で死ぬべきなのは、罪のない子供達や女性なのか?そうではない。断じて、そうではない。戦争で死ぬべきなのは、自ら選んで死地に赴く、我々兵士なのだ。だが、兵士が死を恐れる事は当然だ。オレだって死にたくはない。明るい未来を愛する人と共に過ごしたいと思うからこそ、闘えるのだ。兵士は軍隊のためではなく、そういう未来の為に闘わねばならい。オレはそう自分に言い聞かせている。たとえそれが、理想論であったとしてもだ    (ショール・ハーバインの手記より)

 エネスはミデアの中で割り当てられた小さな個室で、ひとりベッドに寝ころんでいた。
(ショールの生き方には、オレにはないものがある・・・オレはショールにはなれない)
 エネスがそう思うようになったのは、ごく最近のことだ。ショールがティルヴィングからいなくなって以来、エネスはショールになろうとしていた。それはクレイモア隊にとってのショール・ハーバインであって、エリナ・ヴェラエフにとってのショール・ハーバインであり得ないことはエネス本人が一番よく判っていた。しかしそのエリナもまた、ティルヴィングにいない。
 エネスとショール、理想を共にする親友同士の最大の相違は、それぞれが何を必要としているかである。ショールには人の人としての情愛、エリナという象徴が必要だった。そして今のエネスに必要なのは、敵であった。敵という存在が、今この場いないショールと自分をつなげてくれているのである。
 不意に、エネスの部屋のドアをノックする音が鳴った。エネスは読んでいたショールの手記を閉じて、応答した。
「誰だ?」
「ナリア・コーネリアだ。」
 エネスの返事を聞いたのと同時に、ナリアはドアを操作して開けた。
「何の用だ?」
 エネスのぶっきらぼうな言い方は、今に始まったことではない。行動を共にしてきた数ヶ月間でそれが判っていたので、ナリアはそれを気にとめていなかった。
「昼メシを持ってきたのに、ご挨拶だねぇ・・・」
 それを聞いて初めて、エネスは今という時間を知った。どうも地球に降りてからというモノ、時間の感覚が狂っているように思えた。夜は明るいし、ミデアのクルー達は交代しながらも24時間体勢で稼働しているので、それは仕方がないことだろうとエネスは思う。
「・・・そうか、それはすまない。」
 ふと見ると、ナリアがランチボックスを2つ持っていたのが判った。
「貴様も、昼食はまだなのか?」
「一緒に食べても良いかい?MSの整備で喰いそびれちゃって・・・ひとりで喰うのもアレだしさ。」
「・・・オレと一緒に食べても、美味くはならないぞ。それに、オレはレイじゃない。」
「パイロット用のランチパックなんだし、これ以上不味くはならないでしょ?」
 エネスの承諾を得て入室すると、ナリアはベッドの上に放り出された、ひとつの手帳を見つけた。直前までエネスが読んでいたショールの手記だ。この手記には、ショール・ハーバインが遺したエッセンスの全てが詰め込まれていると言っても良かったが、この手記の著者はこれを完成させずにティルヴィングからいなくなってしまった。そうなっては、その役目を引き継がねばならない・・・エネスはそういう義務感だけで、ここまで闘ってきたのである。しかし、エネスは最近になって、自分がショール・ハーバインではないことに気付いてしまった。エネスがエネスでなくなってしまったら、ショールはそれを許さないだろう、と思い始めたのである。
「その手帳は?」
 ナリアがショールの手記にささやかな興味を抱いたのは、エネスの身体とミデアの備品以外にある唯一の物体だったからだ。
「・・・夢物語さ。」
 それ以後、エネスはこの手記に関して何も言わなくなった。

 宇宙世紀0088年3月25日、エネス、ファクター、ナリアの3人はコペンハーゲンでカラバのミデア輸送機と合流し、街を離れた。このミデアは、カラバのノルウェー基地がティルヴィングの要請を受けてよこした機体であったが、エネスにしてみれば旧式のミデアでも思いがけないほどのサービスに思えた。
 かつてのノルウェーの首都であったオスロに基地があるのだが、オスロはティターンズ残党の標的のひとつであるのは、以前に入手した情報の通りである。戦力を割くということが今のカラバにとってどれだけリスクを伴うモノになるのかは、容易に想像が付いた。場合によっては、自分たちがノルウェーでティターンズ残党と闘うことも視野に入れておかねばならないだろう。だからこそ、エネスは自分の任務をできるだけ速く完遂させることが、カラバを助けることに繋がると考えていた。
「ブリュッセルの新しい情報?」
 エネスがミデアのクルーから報告を受けたのは、ナリアとのランチタイムを終えたばかりで、食後のコーヒーをもらおうとキャビンに上がってきたばかりの時であった。ブリュッセルは、シンドラが向かっている進路の延長線上に位置している都市である。エネスはシンドラの目的地がブリュッセルにあるのではないかという推測を持っていたので、カラバに情報を収集させていたのである。
「ええ、ブリュッセルの市民達の間に、不穏な動きが見られるようです。」
 暗号電文を解読した結果を出力した紙を読みながら、モリスンは緊張して言った。
「それは・・・間違いのないことなのか?」
 モリスンの緊張が感染したようで、既にキャビンに上がっていたファクター達の顔にも緊張が走る。この中の誰もが、30バンチ事件に代表されるティターンズの凶行を連想しただろう。
「まだ確定情報ではありませんから、なんとも言えませんが・・・」
「ブリュッセルに、ティターンズの戦力が配備されているのだな?」
「はい、それは間違いありません。10機前後が確認されています。」
 モリスンの報告を信じるしかなかったが、エネスは起こりうる最悪の事態を想像せずにはいられなかった。もしブリュッセル市民達がティターンズ残党、もしくは戦乱そのものの元凶である連邦に対しての大規模な市民活動に出たとしたら、ティターンズ残党は自己の安全のために躊躇いなく武力鎮圧を行うだろう。エネスは内心、焦りが大きくなってくるのを自覚していた。ティターンズの恐ろしさは、今のメンバーの中ではエネスが一番良く知っているのである。
「シンドラはまだ到着していないのか?」
 エネスの質問に答えようとしたその瞬間、新たな通信の着信を得て、モリスンはエネスを遮った。
「ちょっと待って下さい・・・これは・・・」
「何があった?」
「シンドラがコペンハーゲンから西に向かったのは確かなのですが、途中で迂回コースをとったそうです。」
「迂回?」
「進路の先にブリュッセルがあるのは間違いないのですが、このままだとアムステルダム直上を通ります。」
「やはり連中は、アムステルダムに寄り道をしたんだ・・・とすれば、ブリュッセルにいるティターンズは待ってるんだ・・・」
「シンドラをかい?」
 ナリアが横から割り込んだ。ナリア自身も、最悪の事態が起こらないことを祈るしかなかった。
「いや、カラバとオレ達をだ。ブリュッセル基地で反エウーゴの活動をしていれば、いつかは必ず鎮圧の部隊が来るだろう?連中はそれを見越しているのさ。」
「だったらどうする?シンドラをマークするのが、オレ達の任務だ。オレ達がこのままブリュッセルに向かっても、シンドラがブリュッセルに来る保証はどこにもないんだぜ?」
 ファクターが当然の疑問を口にした。シンドラの目的地がブリュッセルにあるというのは、あくまでもエネスの推測に過ぎない。シンドラの目的地がアムステルダムにあったとしたら、自分達は無駄足を踏むことになるのだ。
「ブリュッセルに行こう。シンドラが地球に降りてきた目的が旧ジオンとティターンズ残党の糾合だとしたら、どのみちブリュッセルに介入することになるんだ。アムステルダムもそのついでじゃないのか?」
「エネス大尉の言っていることには、説得力がありますよ。」
 モリスンの横槍には、3人にとって聞くべき価値が大きかった。なぜならアムステルダムには、旧ジオン残党が潜伏している可能性があるという情報を得たときに、一度カラバが調査をした事があった。その調査をしていたのが、モリスンの部隊だったのだ。しかし残念ながら、モリスンの調査ではジオン残党の所在は掴めなかった。
「なるほど、ジオンがオランダ、アムステルダムに潜伏している可能性か・・・」
 ファクターは唸りながら、エネスの次の言葉を待った。
「なぜ貴様達の調査で見つけることができなかったんだ?」
「都市内部に潜伏しているのではなく、都市周辺で場所を変え替えしていたからでしょう。都市部の中では見つけられなかった、ということです。周辺の調査もする予定だったんですが、一度ノルウェーの基地に戻らなければならなくなりましてね・・・」
 申し訳なさそうにモリスンが言ったのは、エネスが責めるような口調で話していると解釈したからである。しかしエネスには、そのつもりはなかった。ただ単に、思った疑問を口にしただけなのだ。
「そうか・・・どのみち、オレ達がアムステルダムの心配をしている余裕はないな。ブリュッセルに向かおう。市民達にもし動きがあるのだとしたら、オレ達は一刻も早く行くべきだ。」
 エネスの提案に、皆は頷いた。


 かつてベルギーという国の中枢であったとともに、ヨーロッパで最も美術館の多い都市として名実共にヨーロッパ有数の芸術都市と名を馳せたのが、ブリュッセルという都市である。宇宙世紀となった今日でもその旧世紀の趣は変わることなく、戦後の復興とともに平和な人々の日々の営みがなされているはずであった。
 しかし宇宙世紀0085年になってティターンズが連邦の軍部内での権威を強めつつあったときに、異変は起こった。中央ヨーロッパの特別居住区以東から北欧地方までにかけての治安維持を名目に、ティターンズが基地を接収したのである。エウーゴ対ティターンズという事実上の内乱であったグリプス戦役が終結した今という時代でも、ティターンズの部隊が立て籠もっていることに変わりはなく、ブリュッセルの人々はティターンズの影に怯えながら暮らしていかなければならなかった。
 芸術というモノはいつの時代も反骨、自由の象徴であった。権力の暴力的な支配あるところに芸術は健全な成長を遂げることはできないと思われがちなのが、平和な時代を生きている人間の誤解である。しかし、権力の専横という事実そのものが反感を育て、水面下での反抗活動が芸術を育ててきたのが、人類の歴史でもあった。ティターンズの人々には、それに思い至るまでの想像力がなかった。
 宇宙世紀、果ては一年戦争後という時代においては、過去の歴史のような優美たる新たな芸術の誕生はなかったが、過去の芸術を人類の文化の象徴として保全しようとする人々の健全さは、確固として残っていたのである。
 ティターンズの部隊は、数多く存在する美術館の中でも主要ないくつかを破壊した。そうすることによって人々の心のよりどころをなくし、反抗する気概をくじこうとしたのである。しかし、それは結果として逆効果となった。市民達の怒りのたいまつに火をつけてしまったことなど、ブリュッセルを占拠しているティターンズの人間達は思いつきもしなかった。そしてグリプス戦役が終結し、ブリュッセルの基地が孤立し始めたのと共に、市民達の不満は少しずつ表面化していた。

 ”ブリュッセルに不穏の動きあり”との情報をエネス達が得てから、既に数時間が経過していた。その間、エネス達3人は新たに入ってくる情報を出来るだけ早く知るために、キャビンに居続けていた。待つと言うことは、それ自体が人にとって拷問である。
「ブリュッセル市内の数カ所に、市民達が集まり始めたそうです。ごく一部ではありますが、市民とティターンズの間で衝突が始まったそうです。」
 モリスンの報告は、エネスの表情を渋くしていた。
「情報は本当のようだな・・・ブリュッセルに到着するまで、あと何時間だ?」
「1時間もかかりません。出撃するのなら、そろそろ準備をした方が良いでしょう。」
「・・・判った。ファクター大尉、コーネリア中尉、出撃準備をするぞ。」
 エネスの腹は、既に決まっていた。市民達の活動が本格的な暴動に発展する前に、自分達の手でケリを付けるしかない。
「わかったよ。」
「了解だ。」
 2人の返事はすぐに返ってきた。ファクター達にしても、エネスと同じ腹の内だったのだ。

 ブリュッセルにあと15kmという地点で、エネス達のリックディアスはミデアから出撃した。エネスがミデアに出した指示は、別ルートで市内に進行して市民の動きを牽制すると共に、既に武力衝突が始まっている箇所での負傷者の救助というものだけであった。
 エネス達はブリュッセルの南側から、ミデアは北側から進行して、エネス達はそのままブリュッセルの基地そのものを叩くために、市民達の集団を素通りしていった。
(思ったより展開が早い・・・)
「エストック・アルファからベータ、ガンマへ。そろそろ出迎えのMSが来る・・・それぞれにおいて対処!」
 あらかじめ打ち合わせていたコードネームで呼びかけたエネスは、自分が予想した通り、前方の基地からMS隊が向かってきているのを確認した。その数は7機である。
(情報より数が少ない・・・治安維持に数機、残りが基地に待機といったところか・・・)
 エストック隊のリックディアス3機は散開しなかった。エネスの指示は別の表現をすれば”好きに戦え”ということであったが、それぞれが包囲されないように各個撃破という共通の認識があったゆえに、連携の取れた運動を見せた。
 エネスの『死装束』はハヤサカ主任によって新規に追加された武装である二連装ビームガンを、ファクター、ナリア両名のリックディアスはクレイバズーカを構えて、それぞれが前方に固まった5機のジムIIの集団に向けて射撃を開始した。その射撃は苛烈を極めていた。とりわけ『死装束』の二連装ビームガンの連射は、密集した量産MSにとっては悪夢のような攻撃となった。中央を陣取る5機のジムIIは、一瞬で2機にうち減らされていた。
「散開して、各個撃破!」
 エネスの号令と同時に、ファクターとナリアの機体は左右に分かれてそれぞれ1機ずつに向かって進み出した。エネス機も正面の2機に向かって突進していく。
「これが前哨戦というのならッ!」
 エネスはビームサーベルを抜かずにビームガンによる射撃で2機を撃破したのは、戦闘を一刻も早く終わらせるためであった。今のこの戦闘がメインではないのは、3人が共通して感じていることだ。
「エネス大尉、MSが市民達に向かって対人兵器を使用し始めています。このままでは被害が拡大する一方です!」
 突然の通信を送ってきたのは、ブリュッセルを南北に正反対に進んでいるミデアからだった。
(ミノフスキー粒子が散布されていない?連中は正気か!)
 エネスの疑問は当然である。この時代では、MSによる有視界戦闘を更に有効にするために、ミノフスキー粒子の散布が半ば常識化している。それが守勢にある場合は、尚更だ。ミデアから送られたデータによれば、MSによる市民への攻撃が開始されたのはミデア輸送機の近くだった。
「・・・エストック・ガンマ、貴様はミデアと合流しろ。オレとベータで基地に攻撃をかける。」
「了解!」
 既に右から向かってきているジムIIを撃破していたエストック・ガンマことナリア・コーネリアは、エネスの指示に従って隊列から離れた。エネスはこのまま市民を無視して基地の壊滅に専念するのか、それとも戦力を分けて市民の保護と任務の継続を並行させるのかの二者択一に迫られ、後者を選んだ。
 しかしエネスには、ちゃんとした根拠があった。ミデアの近くでMS隊が展開されているということは、ミデアが撃破される危険を伴うことも示している。ミデアが破壊されてはエネスの最初の決断の意味が失われてしまうというのが、まず第一の理由だ。そして第二の理由は、既に市民の抵抗運動が避けられなくなってしまった以上、まっさきに基地を破壊しても市民の犠牲を避けられ得ない状況にまで発展していたからである。

 ブリュッセルの前哨戦は、エストック隊の一方的な優勢で幕を開けた。しかしこの先には、ティターンズの最後の凶行が待っていることを、誰も予想し得ないでいた。後に”ブリュッセルの悲劇”と呼ばれる事件が起こるのは、この後のことである。


第24章 完     TOP