第23章 白 夜

 地球に最も近く、月から最も遠いコロニーサイドであるサイド7と地球の中間点に位置する宙域に、ひとつの資源衛星がある。この衛星はかつての”ゼダンの門”を構成する施設のひとつとして存在していたが、ア・バオア・クー要塞とコロニーレーザーを失った今日では、再びルナIIと呼称されるに至っていた。
 そのルナIIを拠点としていた元ティターンズ遊撃部隊の母艦であるニューデリーは、3月24日の正午から数度に渡って、ネオジオンのMS部隊からの襲撃を受けていた。ニューデリーの位置するところはルナIIの宙域をはずれてすぐ地球側の宙域で、艦外には3機のMSが疾駆していた。フェリス・ウォルシュを中心としたニューデリーMS隊は、母艦へ帰投するコースをとっていたのである。
 ニューデリーMS隊の3人は帰還してすぐに艦長であるモートン少佐に呼び出されて、ブリッジに来ていた。
「ご苦労だった。これで4度目の戦闘だが、疲れてはいないか?」
 モートンの労いの言葉には、心がこもっていた。確かに1日に4度も出撃を繰り返せば、その疲労は並大抵ではないだろう事は、パイロットではないモートンにも容易に想像がついた。
「・・・お気遣いなく。毎回、2〜3機のMSでチクチク攻めてくるだけですから・・・」
 だからこそ余計に鬱陶しいのだと、フェリスは思った。逆に言えば、ネオジオンの狙いがニューデリーをルナIIに釘付けにしておくことなのではないかという推測もできるが、たとえフェリス達ニューデリー隊の実力がネオジオンのMS隊を凌駕していたとしても、さすがに精神的な疲労は隠しきれない。本人が隠そうとしても、表情ににじみ出ているようだった。
「しかし、なんでこうも散発的な攻撃しか仕掛けてこないんでしょうか?」
 クラックが当然の疑問を口に出して、モートンが少し考えて後に応えた。
「ネオジオンがルナIIを攻略することに、さほど価値はないと思うがな・・・恐らくは別の目的がある。」
「・・・例えば陽動とか?」
 例示したのは、フェリスだ。考えてみれば、現在のネオジオンは各コロニーサイドの制圧などで手一杯の状態で、地球側にあるサイド7やルナIIを攻略する行為に、何ら価値がない。逆に防衛に戦力を割かねばならない等、デメリットの方が大きいのである。
「オレ達をルナIIから離れさせない事が、連中の目的って事か・・・だとしたら、オレ達がルナIIに封じ込められた状態のままでいると、ネオジオンの思うツボなんだろ?」
「認識が甘いな、クラック。それをさせないために、連中の攻撃が散発的なんだ。それこそ連中の母艦を叩かない限りは、これが続くんじゃないか?」
 フェリスの反論に間違いがないことくらいはクラックにも判っていたし、クラックが何が言いたいのかもフェリスには判っていた。
「そうか、連中は地球に向かうつもりなんだ。それで、我々に阻止させないために、時間稼ぎの攻撃をしてきたんだな・・・」
 急に声を1オクターブほど上げて切り出したモートンは、今からでは何もかもが遅いことを悟っていた。

 モートンの推測は当たっていた。シンドラがなんの妨害も受けずに地球へと降下することができたのは、クローネがあらかじめサイド6の制圧部隊にルナIIへの陽動を根回ししていたからである。それを知らないログナーは、連邦がなにも手出ししなかったという事実に釈然としない何かを感じつつも、割り出された降下予定地点がコペンハーゲンだということが判明すると、すぐさまMS隊に出撃命令を出した。
 バリュートを装備したエネス達エストック隊のリックディアス3機もシンドラと同様、妨害を受けずに無事、コペンハーゲンの北の約80km地点にある森林地帯に降下することができた。日付が25日に変わってまだ数時間と経過してはいなかったが、空には太陽の面影がおぼろげに浮かび上がっていた。北欧ではよくみられた、いわゆる白夜である。本来ならこの3月という時期に白夜に遭遇することはあまりなかったはずなのだが、一年戦争でのコロニー落としの影響で地軸が歪んだため、この時期でも未だ白夜を見ることができた。
 エネス、ファクター、ナリアの3人は白夜の中、その森林地帯の中でも特に深い森の中でMSのコックピットから降りて、打ち合わせをしていた。
「おい、どう言うことなんだよ。シンドラと同じ場所に降りてまず一戦交えねぇと、相手の戦力が判らねぇぜ。」
 降下直前にティルヴィングから通信によって伝えられたシンドラの降下予定地点はコペンハーゲンの東沖140km地点であり、エネス達が降下した地点とは大きく離れていた。しかしこれは、エネスの判断によって意図的に別の場所へと降下していたのである。降下の際、ファクターはシンドラと同じ場所への降下を提案したが、エネスは強硬に反対した。降下し終わった今になって、ファクターはエネスにその理由の説明を求めたのである。
「オレ達はMSだけで降下してきている。コペンハーゲンにいるカラバの部隊に合流するのが先だ。ログナー中佐が根回ししているはず・・・だとしたら、そちらを急ぐべきだ。」
「そうだよ、まず足元を固めてからじゃないとダメさ。」
 ファクターの気持ちは判るが、ナリアにはエネスの判断が理性的かつ正しいと思えた。今回の任務の目的は、シンドラの撃沈ではない。とすれば、仮に攻撃を仕掛けたとしても離脱する術がなく、追撃されて全滅するのがオチだ。
「だが、シンドラの移動先が判ンねぇと、任務にならねぇよ。」
 ファクターは食い下がったが、自分でも急ぎすぎだという認識がないわけではない。
「だから、カラバに接触するんだろ?」
「・・・わかった。で・・・まさか、MSでコペンハーゲンに乗り込む気じゃないだろうな?」
「あぁ、MSは町の外に隠して、オレ達は身ひとつで潜入する。」
 ”潜入する”という表現が、ナリアには癪だった。それではまるで、これから敵地に向かうような言い方だ。ログナーが宇宙で確認した限り、コペンハーゲンの情勢はそれほど不安定というわけではなかったが、それほど安全とも言える状態ではなさそうだった。
 というのも、ヨーロッパ中央部から北部にかけての地域では、かつてのティターンズ勢力の残党がブリュッセルの基地を拠点に反エウーゴの活動をしているだからだ。今のところコペンハーゲンはティターンズ残党の支配下にはないが、事態はいつ、どのように転ぶのか判らない状態なのである。
「ここからあらかじめカラバのクルーに連絡は取れないの?」
 ナリアは余り期待せずに、エネスに尋ねた。
「できないことはないが、万が一でも敵に傍受はされたくはないな。下手な無線は命取りになりかねない。そういう可能性はできるだけ排除したい。」
 エネスの返答は、ナリアの期待に過不足なかったようだ。ため息をついて、いかにも不承不承という感じで頷いた。
「・・・了解、とにかくアンタが指揮官だ、従うよ。」
 ナリアはエネスを認め、ファクターも無言で頷いていた。
「ここからではコペンハーゲンに遠すぎるし、車を拾うこともできそうにない。もう少し近付いて、町はずれでMSを隠そう。」


 コペンハーゲンは、かつてデンマークと呼ばれた国の首都であった都市である。この辺りからスカンジナビア半島全域にかけて森林地帯が多いのは、世界中で環境問題が人々の日常の話題にのぼる前から人の手によって植林が進められていたからに他ならない。
 それは、人と自然の共存の原始モデルであったとも言えるわけではあったが、人が人としてのエゴイズムもしくは利益誘導というフィルターを通さずに自然と共に生きていこうと思うようになるまでにはかなりの時間が必要であって、人々がまだそれを持ち得ていなかったのがこの時代の一般の世論というモノである。
 コペンハーゲンの町を実際に見て、エネスは人が利益を欲する考えそのものの罪というモノについて考えていた。北欧地方の植林はあくまで人の都合の良いように改造を施すこともその範疇にあったのだが、それは人が災害などに見舞われないようにという自衛目的であって、決して金銭的な利益を求めるための商品としての植林ではなかった。エネスには、いささか偽善的ではあっても自然と人類の共存の妥協線という距離を置くことは、決して間違ってはいないと思えた。旧世紀の極東アジアや欧米の人間に、北欧地方に住む人々の精神が少しでも理解できていれば、人類の宇宙移民が100年以上は遅くなっていたかも知れないのではないか・・・とすらエネスは思うのである。
 これまでに何かと過去の反省としての贖罪を全人類的に求め、”自然の復活と永続”ではなく”自然の延命策”を唱えてきた思想家は数知れずいたが、彼らが求めるのは過去の清算であって、具体的な未来への可能性と人類の展望を最初に示したのはジオン・ズム・ダイクンその人であった。
 エネス・リィプスやショール・ハーバインは、そのジオンの考えに密かに賛同していた連邦の人間であったが、それがジオニズムの信者であることとは全くの別問題である。2人はジオン公国軍の存在を、一切認めなかったのだ。

 コペンハーゲンの郊外にMSを隠せるだけの針葉樹林を見つけて、そこにリックディアスを隠したエネス達は、パイロットスーツから普段着に着替えて市内に潜入を果たしていた。降下作戦の発動直前にログナーが手回しをしてくれたおかげで、コペンハーゲンの町中での合流の算段ができていたので、エネス達3人はカラバの連絡員からの接触を待つために指定のカフェテリアに入った。
 程なくして、町のそこら辺に歩いている男性と同じ様な格好をした人物が店に来て、エネスの後ろを通り過ぎていこうとしていた。ちょうどエネスの後ろを通過したときに、男はつまづいて小銭を床に落とした。男から一度だけ目配せを受けたエネスは、その小銭拾いを手伝った。
「・・・・・・!?」
 小銭を拾うエネスの手に、一枚の紙切れが手渡された。ここでエネスは、この街の情勢がカラバと連邦の人間が大っぴらに接触できない状態であることを悟った。エネスとの共同で小銭を拾い集め終わると、男は店から立ち去って、エネスは元の席に戻った。
「これを・・・」
 エネスがテーブルの上に差し出したのは、先程男から手渡された紙切れである。エネスが小声で切り出したので、自然とファクター、ナリアの姿勢はやや前屈みになった。
「『ブリュッセル、ワルシャワ、オスロに反エウーゴ勢力の部隊が展開中、既に当方の輸送機が到着している。至急、当方と合流されたし』・・・どう言うことだ?」
 ファクターは現在の情勢に対する疑問を、そのまま小さく口にした。それにあわせて、エネスは店で購入したヨーロッパ地図をテーブルに広げた。
「合流ポイントはここ、ブリュッセルはここから西、ワルシャワは東、オスロは北にある。つまりここコペンハーゲンは、個々は小規模ではあるが、反エウーゴ勢力に包囲されつつあるということだ。当面は戦場になることもないだろうが、時間の経過と共に危険性は高まる一方になる。元ティターンズの勢力は根強いという証拠だな。」
「だけど・・・」
 ナリアの疑問は、ファクターのそれとは別の次元にあった。
「なにか?」
「反エウーゴ勢力って言い方が気に入らないね。ジオンの残党もいるだろうけど・・・ティターンズ勢力と同調するなんてことが、ホントにあるのかね?」
「現体制を共通の敵として協調する事は、有り得ないとは言えないな。ともかく、オレ達はすぐにここから立ち去るべきだろう。カラバの輸送機がここに来ている以上、それを知られたくはない。」
「シンドラの情報はどうする?この街じゃ大した情報は得られなかったんだぜ?」
「もし元ティターンズとジオンの残党が共同歩調をとろうとするなら、シンドラの目的次第では、行き先はその3都市のどれかになる可能性が高い。カラバと合流してからでもキャッチできるさ。なにせ、相手は巡洋艦だからな。」
「・・・ごもっともね。じゃ、とりあえず行こうか・・・」
 3人は同時に席から立って、飲んだコーヒーの代金を支払って店を出た。あとはカラバの部隊と合流をするだけである。
 エネスがカフェで出会った男から渡されたメモにある合流ポイントは、コペンハーゲンからちょうど真南の海岸線だった。エネス達がリックディアスに乗っての移動は数十キロの距離をすぐに縮めるのだが、できるだけ自分たちの行動を公にできない状態では、慎重な移動をしなくてはならなかった。しかしあまり慎重に度を過ぎて移動速度を落としてしまったら、かえって発見されやすい危険もあった。その加減こそが、隠密行動の難しさであろう。

 白夜の中、コペンハーゲンを出てからちょうど1時間が経過した頃になって、砂浜から少し内陸側寄りの平野で、カラバが入手したミデア輸送機の姿を見ることができた。
(ミデア輸送機・・・?よくも連邦の正規の機体を調達できたものだな。ティターンズは地球にも敵を作っていたのか・・・ならば、オレがティターンズに入ったことは、やはり間違いだったのか?)
 ミデアのすぐ側に私服の男が数人いるのが判ると、エネス達はその付近にMSを移動させて、コックピットから降りていた。
「エウーゴのエネス大尉だ。」
 今回の指揮官であるエネスが代表して、迎えの兵士に名乗って握手を求めた。軍隊に握手をするという事は少ないが、カラバは民間の組織ゆえに、民間人も多い。エネスが敬礼せずに握手を求めたのは、その辺の配慮があってのことだ。相手はそれに、すんなりと応えた。
「お待ちしていました、ログナー中佐からレーザー通信で連絡は受けていました。詳しい話は中で・・・」
「了解だ、宜しく頼む。」
 エネスはらしくもなく素直に応対したので、自分自身がおかしかった。待機室で既に出迎える準備を終えたミデアの指揮官は連邦軍の軍人であるらしく、待機室に入室してきた3人の姿を見つけて敬礼した。
「指揮官のスーン・モリです。みんなからは”モリスン”と呼ばれています、どうぞ宜しく。」
 この中年の指揮官は髪型も少しだらしなく、収まりが悪い。人物としての雰囲気も軍人にしては少しラフに思えたので、宇宙での軍人生活を長く過ごしたエネスには、地球の軍人はみんなこういうラフさというか、柔らかさがあるのかと思えた。それを考えると、確かに雰囲気そのものも宇宙艦にいる時の方が硬質なものに思えてきた。それは、地球出身であるエネスでも気付かないことだった。
「エウーゴのエネス大尉、ファクター大尉、コーネリア中尉だ。」
 生返事ではあったが、エネスは無難に挨拶をした。
「・・・ネオジオンの巡洋艦を追跡しているのでしたな?」
「攻撃をするつもりはない。あくまで追跡して、相手の意思をつかみ取ることが任務だ。」
 ファクターが代わって説明した。数時間前まで攻撃を主張した本人とは思えない言葉だったが、ファクターのいう攻撃とは相手を撃滅するためではなく、あくまで任務を遂行する手段としての攻撃である。エネスもナリアもそれは重々承知しているので、何も横槍は入れなかった。
「シンドラ、でしたな。コペンハーゲンの東沖でそれらしいのが降りたという情報が入ってます。」
「それは何時間も前の話じゃないの?」
 ナリアは、そんな判りきったことを報告するなと言いたげに口を尖らせたが、それこそ茶々入れというモノであるとファクターが心の中で毒づいた。
「・・・以後の情報は確認させていますよ、コーネリア中尉。」
 まるでのれんを押したかのように、モリスンはナリアに肩すかしを食らわせた。直後の舌打ちは、ナリアのせっかちさがさせた事だろう。
「で、このミデアはどっちに移動しているの?」
「とりあえず南、ベルリンの方角です。東や北に移動するのは、面白くありませんから。」
 モリスンの包囲から抜けたいという心情は、エネスにも十分に理解ができた。
「了解した。それで、南の方は安全ではあるのか?」
「この辺に安全なんて言える場所はありませんが、まぁ危険は少なくなりますね。西に行けば特別区があるんですが、あそこに近付きたくはないですね。」
 地球の情勢というのは宇宙よりも複雑なのだと、エネスは学んだ気分になった。が、単に連邦政府が地球に居座り続けていることが全ての原因であることは、今のエネスにもおぼろげに判った。
「・・・・・・」
「それで・・・」
 途中でモリスンは、通信端末が安っぽい電子音で会話を邪魔されたことに一瞬顔をしかめたが、すぐに表情を柔らかいモノに戻した。
「私だ・・・そうか、判った。」
「どうかしたのか?」
「シンドラらしい艦の目撃情報が入りました。東、このままだとアムステルダムを通過するコースをとっています。」
「アムステルダム・・・アムステルダム・・・」
 エネスは反芻して、カフェで広げた地図を思い出していた。
「・・・ブリュッセルか、あそこにはティターンズの基地があった・・・そうか、連中、元ティターンズを抱き込むつもりなのか!」
 エネスもまたモートンと同じく正しい推理をしたが、全てが遅いと言うこともモートンと同じだった。

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