第25章 ブリュッセルの悲劇(後編)

 ブリュッセルの中心部にあるグランプラス広場の時計台が正午を刻んでからしばらくして、そこから少しはずれた場所にある連邦軍ベルギー基地には、市内に侵入したカラバ迎撃に出撃させた7機のジムIIが瞬時に全滅したという報告が入っていた。基地の指揮官であるスワンソン少佐は、その報告に平静を保ってはいられなかった。7機のジムを撃破した部隊が南から、市民達の救援に向かったMS1機が北からと、この基地が挟撃の憂き目にあいつつあるという事実が、スワンソンの肝を十分すぎるほどに冷やしていた。
「残存する全てのジムを出す。レーネ隊の4機を南側、フェク曹長のジムを北側の増援に出せ!」
 スワンソンの部下は、自分の耳を疑った。7機でも勝負にならなかったのに、たった4機のジムを迎撃に出撃させたところで、何の解決になるというのか。
「しかし、4機かそこらのジムでは・・・」
「フェクには詳細を伝えてある。とりあえずは1機のMSから叩く。」
 スワンソンが既に狂気の虜となってしまっていたことに全く気付いていなかったのか、部下のひとりが言われるままに復唱した。
「フェク曹長のジムが出ます!」
 フェクは北側の増援に出すジムIIのパイロットのひとりである。
「曹長・・・抜かりなく、な。」
「・・・了解。」
 通信を切ると、スワンソンは敵ミデアの近くに展開しているジムII隊の指揮官を呼びだした。
「敵MSを市街の北に追い出せ!」
 この指揮官は、フェク機という増援がそちらに向かっていることを教えていなかった。

 戦列から離れたナリア・コーネリアのリックディアスは、ミデアから送信された位置データによって示された地点に向かっていた。そのポイントはミデアの進行予定ルートの直上にあり、ミデアと民衆の安全を確保するためには急がねばならなかった。ミデアと民衆の命、どちらも失いわけにはいかない。
 エネスが最初に気付いたのと同様にナリアもまた、この付近にミノフスキー粒子が全く散布されていないことに疑問を持っていた。ブリュッセルの孤立によって相手が精神的に追いつめられたがゆえに、そこまで気を回す余裕がなくなっていた・・・そう考えれば確かに納得できないことはなかったが、漠然とした不安を拭い去れないでいた。
 しかし、余裕がないのは今のナリアにしても同じ事である。一刻も早く自機をティターンズ残党のMSに向けなければ、ブリュッセルの民衆だけでなくノルウェーのカラバ基地にまで累を及ぼすことになる。
 数カ所もの市民の集団の上を通過して、ナリア機のレーダーは前方に敵影を捕捉するに至っていた。十数分で目的地に到達できたのは、ハヤサカ主任によって施されたオーバーホールと改良があったからだ。その影響は、ナリア自身でもコックピットにいながら実感できていた。
(たった1年で、よくもまぁ・・・)
 ナリアが呆れたように嘆息している間にも、3機のジムIIがこちらの存在に気付いていた。
「3機・・・ちょっと多いけど・・・やるしかないって!」
 対人兵器を使用しようとしていたその時になって接近してきたリックディアスに向けて、ジムII隊が射撃を開始した。

 ナリアのリックディアスが交戦状態に入ろうとしていた頃、ブリュッセルの基地を目指していたエネス達もまた、交戦状態に入っていた。エネスの予測では、恐らくこの4機のMSが基地の防衛戦力であり、そして最後の機動戦力だろう。なればこそ、迅速に対処しなければならなかった。
「エストック・アルファからベータへ・・・目前の4機を全力で排除、左右に散開して挟撃する。」
 エネスの出した指示の意図するところは、機動戦力を徹底的に排除して敵の交戦の意思を削ぎ、最悪の事態を避けようとする点にあった。しかし、エネスは敵の指揮官の精神状態が既に平衡を保っていられない状態にあることなど知りようもなかった。
(最初が7機で、北側に向かったのが3機前後、さらに今回が4機・・・情報では最低10機だから、こんなモノか・・・)
 ファクター機が左、エネスの『死装束』が右へと散開していく。2人のリックディアスが強力な戦力であることを既に知っていたジム隊隊長のレーネ少尉は、ここで戦力を二分するような愚は犯さなかった。4機のジムは、目立つカラーリングに塗装されている『死装束』に向かって方向を一斉に転換し、接近していく動きを見せていた。無論、ファクター機からの挟撃は覚悟の上である。
「良い度胸だ・・・なら、遠慮なく攻撃させてもらうぜッ!」
 4機の一斉射撃に対してエネス機が回避行動をとっている間に、ファクターは4機の後方に回り込んだ。挟撃の体勢がこれで完成したが、エネスにかかる負担が増大していることには変わりはない。
 そのエネスの危険をできるだけ減らすべく、ファクター機は中央の2機に向けて射撃を開始した。改良されたリックディアスのビームピストルは、新型エネルギーCAPのおかげで威力が上がっていた。1機のジムが瞬時に破壊されたが、それでもジム隊はエネス機への攻撃をやめなかった。
「正気かッ!」
 玉砕覚悟で包囲しようとする敵の指揮官を罵りながら、エネスは回避行動に専念していた。反撃のタイミングを伺っているのだ。
「仕方ない、ベータ、先に基地へ向かえ。今は時間がない!」
「わかったッ!」
 最初の指示を覆したエネスは、それに従ってこの場を離脱しようとしたファクター機が攻撃を受けないよう、左手に抜き放ったビームサーベルを振り回して敵陣の中央を突破した。その通信はレーネ達にも傍受されているのは明白であった。ジム隊が急遽、反転してファクター機へ追撃を仕掛けようとしていたのが確認できていたのである。
(市街地の真上で派手な射撃戦をするわけにはいかない・・・ファクターが先に基地に向かうのだから、オレはこの連中を各個撃破するのが妥当だな・・・手間はかかるが、ビームの攻撃はナシだ)
 出撃の前に読んでいたショールの手記が、エネスにそう考えさせる芽を植え付けていた。いつもなら、建物に多少の被害が出ても一刻も速い敵の撃破こそが被害を最小限にとどめることができる、そう考えたはずだ。実際のエネスの判断とそれとは、どちらも間違ってはいない。単に思考の方向性の問題なのである。
 ファクター機が離脱してから、エネスは自機の右手に固定装備されている二連装ビームガンを構えるだけで、操縦レバーの発射ボタンからは指を離していた。
「悪いが、手加減をしているヒマはない!」
 『死装束』は持てる全ての推力を一斉に開放して、再び敵陣の中央を突破しようと突進した。今まではファクター機の任務遂行の援護を視野に入れた、あくまでも囮の行動だったが、これからは本気で叩きにいける。いや、市街地の被害を出さないために本気で戦うしかなかった。

 そこから更に数分が経過した頃、3機のジムと交戦状態に入ったナリアのリックディアスは、思わぬ苦戦の中にあった。これまで何かと市街地の建物を盾にしたり、建物の前に出てナリアの攻撃の意思を鈍らせたりと、ジム隊の戦法はナリアの苛立ちを育てていった。更に悪質だったのは、ナリアが射撃を躊躇している間、市街地の直上で戦っているにもかかわらずにジム隊が射撃をしていたことだ。それによる被害は、決して小さなモノではなかった。
 こうも射撃による攻撃を警戒されては、射撃戦を得意とするナリアも、さすがに手を焼かずにはいられなかった。やむなくナリアは、ジム隊の注意を一度自分に引き付けるという目的のひとつを達したことを自らの記憶の隅に追いやって、敵の隙をうかがうべく距離をとった。背の高い建物を見つけると、すぐさまその陰に隠れていた。
(果断速攻をモットーとする私としたことが・・・だけど、もう好き勝手はさせない・・・)
 ナリア機は自分の不利を悟って戦場を離脱はしたが、決して敵部隊の撃滅を諦めたわけではない。基地の攻略に向かっているエネス達を信頼してはいたのだが、ナリアにとってそれとは別次元の問題なのである。
 ナリア機の離脱が早かったおかげで、ジム隊はナリア機の行方を見失っていた。ここでジム隊は、ナリア機の捜索と市民達の鎮圧との選択に迫られることになったのは、まず間違いのないことだ。ナリアはそのジム隊の動向を見守っていたのである。
 更に数分が経ったとき、ジム隊はナリア機のカメラから見えるような距離にまで近付いていた。ジム隊の判断は、ナリアの予想通りにして当然のモノである。ナリア機を撃破しないかぎりジム隊が安全に本来の任務を遂行し得ないのが、判っていたからだ。
「枕元で蚊がうるさいと眠れないってンだろ?だったら、私を叩き落としてみなよ!」
 咆哮と共に、ナリア機は建物の陰から姿を現し、直後に上昇を始めた。高度をとれば狙い撃ちされる可能性が高くなるが、自分が回避行動をとっても市街地への被害はない。そして、ナリア機は太陽を背にした。


 連邦ベルギー基地から出撃したフェク曹長は、最初に北側に派遣した部隊の通ったルートよりもやや北寄りを通って、ナリア機へと着実に近付いていた。距離にしてみれば、既にナリア機を目視できるほどだ。フェクは舌なめずりをして、唇の渇きをわずかながらに癒した。その仕草は、まだ若いフェクの緊張の度合いを示していた。その緊張の原因は、スワンソンに事前に伝えられた挟撃作戦内容である。
 スワンソンから受けた作戦とは、フェク機が後背から、ジム隊が前方から攻撃を仕掛けてナリア機を暴徒と化した市民達の真上まで追い込み、市民達もろともに撃滅しようと言うモノであった。これが成功すれば、まさしく一石二鳥である。
 スワンソンがフェクという増援の存在を北側のジム隊に教えなかったのは、無線をナリア機に傍受されて伏兵の存在を知られてしまうことを恐れたからであった。ミノフスキー粒子を散布させなかった理由も、この挟撃作戦に先だって敵MSにある程度の情報を与えることで、伏兵の存在を隠すためだったのである。

 ナリアは太陽を背にして、直下にまで接近してきた1機のジムIIに向かって急降下した。スラスターの推進力に自由落下による加速が加わって、凄まじいまでのスピードで真上からのビームサーベルによる一閃を見舞った。直後、ジムIIは左肩から右腰部にかけて袈裟懸けに切り裂かれ、胴体部分が綺麗に両断されていた。恐らくパイロットは、この瞬間に起こったことを自覚できずにビームに焼かれたに違いなかった。
「調子ブッこいてんじゃない!」
 台詞とは裏腹に、ナリアの精神は研ぎ澄まされていた。先程両断されたジムIIが核融合炉の爆発を免れたのが、その証拠である。
 ナリアはシートの上で右に左にと視線を動かして残りのジムを確認すると、ナリアが予測したとおり、2機ともビームライフルを構えていた。ここでナリアは、自身を評価するとおりに果断速攻を決断した。今度は躊躇せずに右に向かって水平移動から、バルカンファランクスによる攻撃を仕掛けた。
「ホラホラァッ!」
「メインカメラが!?」
 その攻撃によって頭部を砕かれたジムは、後ろの建物にのけぞりそうになった。その後背に回り込んで、まるでジムを抱き起こすかのような動作をした。ジムの後ろにある建物を守るためである。
「前に倒れないとダメだろッ!」
 ジムの腰にビームサーベルの柄を添えて、すぐにビームの刀身を発振させた。コックピットを直撃したその攻撃に、パイロットは瞬時にして蒸発していた。パイロットだけを静かに失ったジムは、そのまま無言で前に倒れ込んだ。
 研ぎ澄まされたナリアの精神状態は、この時にはすでに昇華して興奮状態に近かった。
「・・・・・ッ!?」
 ナリアが次の目標に意識を向けようとした、そのときだった。コックピット内に警告音が鳴ったのとほぼ同時に、機体が激しい振動に見舞われた。
「ウッ!?」
 激しく機体が揺さぶられ、ナリアの三半規管もフル稼働を強いられていた。今の自分がどの様な状況にあるのかがすぐには判断がつかず、やむなく機体を上昇させた。
「胴体を貫通した・・・これはッ!?」
 機体の損傷の度合いを、コックピットシステムがモニタを通じて知らせている。ナリア機は後背からの予想外の攻撃によって、直撃を受けたのだ。リックディアスのコックピットが頭部にあったおかげで、ナリア自身はそのビームを生身に受けることだけは避けられていたが、機体の損傷は致命傷に近いモノであった。最初に交戦していたジム隊がフェク機という増援を知らなかったことで、かえって伏兵の存在を前提とした素振りをしなかったので、ナリアはその優れた状況判断ゆえに直撃を受けるハメになってしまった。ナリアは自分の迂闊さを呪うしかなかった。
「ウッ・・・・・・やったなッ!!」
 振り返って、フェク機に突進していくナリア機・・・それに対してフェクは、スワンソンに指示されたとおりに機体の向いている方向だけは変えずに逃亡を図っていた。
 後背からのジムの攻撃を2度ほど受けたが、それでもナリアはフェク機へ追撃をかけようと突進した。フェク機は既に、市民達の集まっている地点のすぐ近くにまで来ていた。リックディアスの速度は、フェクの予測を遙かに超えていた。フェクはこの時点で、恐慌状態に陥った。
「こんなことで死んでたまるかっての!」
「ワァァァァッ!」
 フェクのジムを至近に捉えてナリアは絶叫しながらサーベルを突き出し、フェクもまた無意識にそれに倣った。直後、フェクは機体の胴体の中心を貫かれてコックピットごと焼かれたが、ナリア機はフェクの未熟で無意識なサーベルの攻撃によって頭部をかすめていた。ナリアの僅差での勝利である。
 しかし、その最後の攻撃が当たったことで、頭部の前半分は削られていた。コックピットは各所でスパークを発し、全天視界モニタの一部が小さく爆発してナリアに直撃した。破片が体中に刺さり、ナリアの顔面には鮮血が流れ出ていた。その血をペロリと舐めた瞬間、ナリアはなぜかレイの顔を思い出していた。ナリアが最後に見たビジョンは、レイが一度だけ自分を抱いてくれたときの顔だった。
「これじゃ、私、死ぬみたいだよ・・・レイ・・・」
 そのすぐあとにナリア機は、2000人に及ぶ市民達と共に、フェク機の爆発に巻き込まれていた。ナリア・コーネリア中尉の戦死は、この瞬間を遠くから目撃したミデアのモリスンによって確認された。

 ベルギー基地の機動戦力を全て排除したエネスとファクターは、そこから数キロも離れた場所で起こったナリア機の爆発を目の当たりにすることはなかった。しかし、ある生き残った市民の目撃証言から、後に”ブリュッセルの悲劇”と呼ばれる事件の真相が彼らの元にもたらされることになる。


第25章 完     TOP