第22章 地球へ

 宇宙世紀0088年3月21日になってから、ティルヴィングは月の引力圏を離れてサイド4の宙域をサイド2側に迂回した。わざわざサイド4の宙域を迂回したのは、この宙域で月での戦闘の成り行きを静観しているネオジオンの艦隊との接触を避けるためであった。一年戦争における戦闘によって産まれた数々のコロニーやMSなどの残骸が暗礁宙域を作り出し、サイド4の宙域は戦争直後の趣を讃えていた。その暗礁宙域の一画で前進をやめると、ログナーは暗礁宙域中に有線カメラの射出を命令した。
 そしてログナー達の忍耐は、23日に実を結ぶことになった。サイド2の方向からサイド4の暗礁宙域に向かって接近する艦艇の姿を、周囲に飛ばしていた有線カメラによって捕捉できたのである。
「観測班から連絡、艦艇が1隻で当宙域に向かって進行中。距離およそ4万!」
 いよいよ来たか・・・ログナーはそう頷いて、艦内に第二種警戒配置を命じた。この発令によって、MSパイロット達は自機のコックピットで待機する事になると同時に、観測班やその他のクルー達の間に、心地よいほどの緊張感が漂い始めた。
「艦形照合、エンドラ級巡洋艦!」
 ミカの報告を聞くまでもなく、それがシンドラであることなど当に承知していることである。だが、ログナーがここで出した命令は、MS隊の出撃命令ではなかった。今回の目的はシンドラ撃沈ではなく、シンドラを追跡することでアクシズの思惑を察知する事であるからだ。
 ログナーがミノフスキー粒子を戦闘濃度に散布しなかったのは、暗礁宙域に無数に漂う残骸に隠れることができるからである。敵艦のセンサーは、これで死んだも同然だ。
「ローレンス、MSデッキのメカニックに連絡・・・ファクター、エネス両大尉とコーネリア中尉のリックディアス3機分でいい、バリュートシステムの調整をやっておけ。地球に降りるとしたら、MSだけでの降下になるからな。」
「・・・了解。」
「敵艦との相対距離を3万に固定、暗礁宙域を出るタイミングを見計らって、ミノフスキー粒子を低濃度に散布・・・アルドラ、任せる。」
「了解!」
 ログナーがこれほどめまぐるしくクルーに指示を出すのは、久々の事であった。それゆえか、ログナーにはどこかしら、この緊張感を味わっているような雰囲気があった。それから数時間後、シンドラの進路は他のどのサイドでもなく、地球の方向へと向かっていた。

 ヴェキ・クリオネスは、サイド4の宙域に入った時点でティルヴィングから監視を受けていることには、全く気付いていなかった。シンドラのセンサーは、まるでプラネタリウムが夜空を映し出すかのように暗礁宙域を表示しており、その中に隠れている艦艇の識別は到底不可能な事であった。ヴェキのメンタル面でのコンディションが万全であれば、センサーでは捉えきれない人の意思を通じて何かを察知していたかも知れなかったが、今のヴェキのバイオリズムは明らかに低下していた。それがエリナとの物理的な接触が引き金になっている事は、漠然としか自覚できていなかった。
 サイド4から地球の方向に転進して半日ほどが経過した頃に、暗礁宙域をちょうど出るところの地点で、ネオジオンの艦隊と合流をした。その時には既に、混濁状態にあったヴェキの意識は元に戻りつつあった。
 傍らで心配そうな表情を隠しきれずにいたネリナは、ヴェキがなぜ捕虜を助けるような行動をとったのか、未だ理解できなかった。しかし、ヴェキ本人にも不可解な事だらけであったので、それは無理からぬ事だろう。
「ヴェキ?」
 自室の浴室でエリナと共に放心状態にあったヴェキを見つけたのは、他ならぬネリナであった。だが、ネリナはそれ以後も、エリナ・ヴェラエフとの一件については触れなかった。言及されてもどう言えばいいのか判らないヴェキにとっては、下手に心配をされるよりありがたいことだった。
「補給にかかる時間は、あとどのくらいだ?」
 ヴェキがシンドラの指揮に意識を向けられるようになったことは、計算外の出来事が続いたネリナの目には不幸中の幸いに映った。ヴェキを想うあまりに起こした行動が、かえってヴェキを破壊してしまうところだったのである。ネリナはそれに自責の念を感じてはいた。
「もうすぐ、全てが終わるわ。サイド2での準備が万全だったおかげね。」
「MSの補充は?」
 サイド2を出発して以来、シンドラは戦闘行為を一切行っていない。にもかかわらず補給が必要だったのは、燃料や食料という消耗品だけの問題ではなかった。今までの戦闘で失ったMSの補充なども、ここでやっておかなくてはならなかったのである。そうしないと、サイド2にクローネ機と共に艦載MSのほとんどを残してきたシンドラにある機動戦力は、ヴェキの『死装束』だけになる。それでは地球での任務に支障が出る可能性もあるのだ。
「ガザDが2機ね。」
「旧型の量産がMS、しかもたった2機と『死装束』で地球に降りろってのか・・・あの艦隊の連中は何を考えてるんだ。」
「・・・きっと、向こうだって余裕ないのよ。」
 だがヴェキは、それでも納得はできなかった。シンドラに課せられたジオン公国軍残党を糾合するという任務の重要性は、今回の連邦軍教導団反乱事件への介入とは比較にはならないほど大きい。だが、アクシズから月に差し向けられた艦隊の司令官は、それを意に介していない。ネオジオンの今後には必要な任務であったにもかかわらず、現場ではそういう矛盾があった。しかし、こう考えればヴェキは納得がいった。
「嫌がらせも度が過ぎると、流石に無視していられる気分にはなれないな・・・」
「言わないでよ、私だってかなりムカついてるんだから。」
 ネリナは肩をすくめた。
「それで・・・降下予定ポイントの北欧、コペンハーゲンって?」
 ヴェキに質問されて、ネリナは副官としての責務をまっとうすべく、資料に目を通しながら答えた。
「連邦の基地があるわ。北欧地方の治安維持のために、ティターンズが接収した基地みたいね。今も、反エウーゴの運動をしているわ。」
「・・・なんでブリュッセルに直接降下せずに、わざわざ何百キロも離れたコペンハーゲンに降下するのかと思ったら、ハマーンはティターンズの反エウーゴ運動も利用しようってんだな。」
 ハマーンの命令書どおりに任務を遂行できたとしたら、ブリュッセルは最終的な目的地である。そこでヨーロッパ各地のジオン軍残党を集め、ハマーンの地球降下に併せて一斉に蜂起するという手筈なのである。
「それと、ベルギーからフランスにかけては、連邦政府が定めた特別居住区があるのよ。あそこに被害が及ぶと、今後の連邦との外交折衝に支障が出ることもあるわね。」
「そこに連邦の高官も住んでるってわけか、なるほどな。懐柔と脅迫を使い分けようってんだな。」
 ヴェキはようやく、状況の整理とハマーンの思惑の一端を察することの両方が、いっぺんにできた。
「お前達の家はいつでも潰せるんだぞって事だな。都市を破壊されても、連邦政府は屈しない。市民の命なんてタダみたいなもんだと思ってる連中だからな・・・だけど、ホントにこれだけなんだろうか?」
「どういうこと?」
「ハマーンじゃなくても、このくらいの脅迫は思いつくさ。でも、ハマーンにとっては政府高官の懐柔なんて、ただの通過点なんじゃないかな。本当に倒すべきだと思ってる相手を懐柔したまま生かしておくなんて、考えにくいだろ?」
「・・・それ以上は深入りしない方が良いわよ。」
 ネリナの表情が曇りを帯びたので、ヴェキは不思議に思った。
「どうしてさ?」
「ハマーン様の思惑を勘繰るということは、それ自体が不穏な野心を疑われることになるわ・・・気付いてる?あなた、ハマーン様を呼び捨てにしているわ。ま、私はその事には言及しないけど。」
「!・・・そ、そうだな、この件はこれで終わりにしよう。」
(今はまだ、な・・・クローネ)
 ヴェキは、自分がネオジオンのパイロットとして戦うよりも以前から、ジオン公国の存在を良しとしないという考えを持っていたような気がしてならなかった。直後、補給作業の完了の報告が、ヴェキの耳に届いた。

 その頃ティルヴィングは、シンドラの4万メートル後方でその動向を監視していた。はじめは、ティルヴィングのセンサーもシンドラのそれと同様に暗礁宙域のせいで役に立たなかったが、そこから出た今は、ミノフスキー粒子をティルヴィング周辺に散布して身を隠し、有線の望遠カメラをシンドラの方向に飛ばしていたのである。
「シンドラの補給が完了し、移動を始めた模様です。」
 ミカの報告に、ログナーはただ頷いた。
「よし、相対距離を3万に固定、追尾する。移動の方向は?」
「地球の方向へ、まっすぐに向かっています。」
(地球か・・・しかし連中は、連邦軍がなにもせずに黙って地球に降下させると、本気で思っているのだろうか?)
 とりあえず副長であるアルドラに意見を求めようとしたが、こと戦略面に関する話題をできるとは思っていなかったので、同じく傍らにいたエネスに尋ねてみることにした。これが1年前なら、ショール・ハーバインがその役目を負っているところである。
「たった1隻で地球に降下するということは、連邦の妨害を排除できる自信があるのか、事前工作によって気にしなくてもいいのか、そのどちらかでしょう。シンドラにいるニュータイプなら、1隻の戦力でも足ります。」
「ニュータイプ・・・ショールと君でも力押しできなかった、あのニュータイプか。」
「ええ、ヤツなら連邦のMS一個中隊でも、一機で相手にできます。しかし、力でごり押ししてくるような連中じゃありませんからね。何らかの事前工作をしてくる可能性は高いでしょう。」
「・・・具体的には?」
「連邦にはそれほどまとまった戦力を一隻に差し向けるだけの余裕はありませんから、例えば陽動部隊をルナIIあたりに差し向けて注意を逸らし、その隙に地球に降下するなどが考えられます。単純ですが、効果的です。」
 いってみたものの、エネス自身、その可能性は五分五分だと思っていた。
「・・・なるほどな。アルドラ、所定の指示通りにシンドラを追尾、これからパイロット達はブリーフィングルームに集合、地球降下に先だっての打ち合わせをする。」
「了解。」


 シンドラへの静かなる追撃戦を続けつつも、ティルヴィングの艦内ではブリーフィングが開かれていた。暗礁宙域でシンドラを待ちかまえているときにでもブリーフィングをするだけの時間はあったのだが、シンドラの進路や戦力規模の予測が困難であったために、ログナーはそれを確認できるまで先送りにしていたのである。それゆえ、シンドラの追跡と並行して、様々な準備を行わなければならなかった。
「まず、ニッタ少尉の負傷に伴う、配置の臨時転換を通達する。コーネリア中尉はそのままエストック隊に編入、2機のネモはブリッジで私が直接、指揮を行う。」
 皆がナリアに注目したが、ナリアにとってはそれほど意外というわけでもない。エストック小隊がクレイモア隊の主力である以上、欠員が出て補充もきかないとなれば、当然の人事である。それらの視線を横目に、ログナーは本題に入った。
「シンドラは、地球に向かっている。当艦は相対距離を保ちつつ、有線カメラによる目視によって追跡している。ハマーンの思案の先にあるモノが地球にあると判明したので、それ以上ネオジオンの好きにさせる必要はない。」
 ログナーの説明に、皆は沈黙を保っていた。
「エストック隊3機のみでバリュートを使い、シンドラに併せてこちらも降下、地球上での動向を見極めろ。降下してその後、ティルヴィングは衛星軌道にて待機する。」
 一通りの説明を終え、ログナーは静かなままの室内を見回して、皆の表情を鑑みた。ナリアが挙手をして、発言の機会をも止めているのを見つけた。
「・・・それは判りましたが、降下してからは?」
「カラバに連絡を取って、MS輸送機を調達してもらう。その後はエネス大尉に一任してあるので、指示に従ってくれ。マチスとアルツールのネモは、直接、ブリッジから指揮を執って、当艦の直衛に専念させる。」
 直後、ログナーのすぐ側に立てかけてあった通信コンソールが、妙に甲高い音を鳴らし始めた。
「私だ・・・そうか・・・わかった。引き続き追跡を頼む。」
 受話器を元の位置に戻すと、沈黙したままただログナーを見つめるパイロット達に向き直った。
「シンドラがバリュートを装着したそうだ。」
 これで、地球に降下するのだという予測は、確固とした確信に変わった。

 シンドラが地球降下のためのバリュートの装着作業が完了から丸一日が経過して、日付は翌3月24日になった。シンドラは地球降下予定時刻まであと僅かな時間を残すのみで、大気圏突入のための各部の最終チェックも、たった今終了したばかりだった。
「ヴェキ、地球は初めて?」
 キャプテンシートで眠そうに目を擦っているヴェキに、ネリナが話しかけた。ネリナ自身も睡魔と戦っていたのだが、ひとりでは睡魔には勝てそうもなかったようだ。
「あぁ、どうだったかな?そういえば憶えてないな、昔の事なんて・・・でも、地球の重力の温かさというか、コロニーとはGという記号では同じでも、もっと親しみのある重力っていうのかな。そういうのは憶えているような気がする・・・」
 ヴェキはこの時、少しずつ頭痛が激しくなってきている事を自覚していた。
「ヴェキ?」
「ツッ・・・ウ・・・」
(何かを思い出そうとして、また頭痛か・・・エリナとか言う女だけが原因じゃない、なんだ?)
「ヴェキッ!?」
 肩を揺さぶられて、ヴェキはようやく意識をとどめる事ができた。
「と、突入予定時刻まで、あとどのくらいだ?」
「およそ、15分!」
「・・・敵影は?」
「ミノフスキー粒子が低濃度に散布されていますので、広範囲をサーチできませんが、有効範囲内には敵影なしです。」
(ミノフスキー粒子が散布されている?)
 ヴェキはそれ自体に敵の存在があるのではないか、と少々疑問を感じた。
「とにかく、レーダーからは目を離すな。オレはMSデッキで待機する。他のMSは出すなよ。」
 それを聞いて、ネリナは本気で焦った、ヴェキはパイロットだけでいられる身分ではなく、シンドラの指揮官だ。
「無茶言わないの、今のあなたが出たら、死ぬわ。」
「バカいえ。敵襲があったとしても、時間を稼ぐだけさ。残り数分で邪魔なんかされてたまるかよ。」
 ヴェキ自身、自分が頭痛を堪えてまで戦う明確な理由を、すぐには見出せなかった。とりあえず言えることは、今はハマーンの命令を実行して、クローネに足場を作る時間を稼がせてやるのが先決だという事だけである。クローネを無条件で信頼するように記憶と意識を植え付けられていたのを、ヴェキ自身は知らない。
(・・・だけど、今はそれだけで充分だ。クローネがジオンの存在を消してくれる、オレはその手伝いをできればいい。)
 思い直して、ヴェキはシートから立ち上がった。すぐにでもブリッジ出たいという衝動が、ヴェキの体内から脳天にかけて突き抜けていく。だが、ヴェキの精神と肉体の均衡は、それを許してはくれなかった。シートからたっているのがやっとの状態で、そこから倒れそうになるのをネリナがフォローした。
「・・・わかったわ、今のあなたが休めるのは、MSのコックピットだけなのね。」
 ヴェキの意識は再び混濁状態に陥りかけていたが、ここで何もせずにじっとしているとヴェキ自身の意識が破裂しそうな雰囲気を、ヴェキの目つきから感じていた。例え決意が堅固であったとしても、ヴェキ自身の力なら少しくらいの危機を乗り越えられるという信頼があればこそのあきらめである。
「すまない・・・だけど、オレはまだ死なないさ。人が人として生きていける時代を作るには、まだ死ねない・・・」
 ヴェキ本来の記憶と、仮初めの記憶は、無意識に共存を始めていた。


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