第04章 急転直下

 アクシズの巡洋艦シンドラの艦内には、警報が鳴り響いていた。これは敵襲を知らせるモノであり、シンドラのクルー達にとってはあまりに予想外の出来事だった。
「敵艦との距離は?」
 シンドラの指揮官ロフト・クローネは、キャプテンシートから立ち上がった状態でオペレータに怒鳴った。即座にその返事が返ってくる。
「約6200、艦艇数1、本艦を迂回してアクシズと本艦の間に割り込もうとする動きを見せています!」
 クルーのほぼ全員がこの事態を予想できなかった中で、クローネだけが現状を冷静に受け止めていた。逆にクルー達にとってはあまりに信じられない出来事なのだろう。シンドラが航行している航路には、敵の襲撃を受けるはずのないルートを選んでいる故である。シンドラのクルー達にとっての”敵”とは他でもなく、エウーゴである。ティターンズには最早、エウーゴ以外の敵に構っていられる余裕はないはずなのだから。
「1隻のエウーゴの艦艇か・・・ン、私だ、補充されたガザC3機の調整はできているか?」
 端末でMS格納庫のメカマンを呼び出して、尋ねた。
「はい、万全です。いつでも出撃できますよ。」
 クローネはこの時点で、出撃を決意していたわけではない。あくまで自衛の戦力を確保しておきたかっただけである。なぜなら、クローネは接近してくる艦艇がショールやエネスを乗せた艦であることを、漠然と感知していたからである。その勘が正しければ、数の上で勝ち目は薄い。そしてクローネの勘は、良くも悪くも当たるのである。2機あったシュツルムディアスのうち1機はアクシズの本艦隊に引き渡しており、残った1機とガザC3機がシンドラの格納庫にあるだけだ。打って出るにはリスクが大きすぎた。だからクローネは、全速でこの宙域を突っ切ってアクシズへ急ぐことを優先するよう、指示を出した。

 宇宙世紀0088年2月15日・・・本艦隊との合流を果たした後、月重力圏をサイド3の方向に離脱したアクシズへと向かったシンドラを追撃してきたのは、ティルヴィングだった。そのティルヴィングはシンドラのすぐ後ろを航行せずに、シンドラのアクシズへの接近を阻止するべく迂回していた。ティルヴィングが補給を終えてグリプスのコロニーレーザーの宙域を出発したのが2日前の13日の正午、そしてシンドラがアクシズの本艦隊を離脱したのが12日深夜、ティルヴィングは約半日の遅れを全速航行で一挙に縮めた事になる。ティルヴィングという艦の速さは見事に証明された。

「なんとか間に合ったか・・・軍曹、シンドラの詳細な位置は判るか?」
 ログナーはミカに尋ねたが、この手の索敵は副長のアルドラ・バジルの仕事であるので、代わってアルドラが答えた。
「待って下さい・・・観測、判るか?・・・了解した。艦長、距離6000、本艦から見て左前方です。」
「つまり我々はシンドラの右後方6キロか・・・よし、距離5500の時点でミノフスキー粒子を戦闘濃度に散布、エストック隊を先発させてシンドラを攻撃、1分後にフランベルジュ隊出撃、エストック後方のアクシズ側の宙域を固めさせろ、急げ!」
 ログナーの怒号と同時に、ティルヴィング艦内で警報がけたたましく鳴り響き始める。それとまた同時にブリッジクルーも慌ただしく艦内に指示を出したり、航路を調整しだした。しかし彼らには、戦闘の緊張感を楽しむ余裕はない。手早くシンドラを捕捉撃滅せねば、こちらが危ないのである。
「やっと出撃か・・・」
 リックディアスのコックピットで待機していたレイは、待ちわびていた。しかしそれは、自分が戦いたいという気持ちからではない。その証拠に、レイの顔には汗がにじみ出ていた。この汗はパイロットスーツの蒸し暑さとは異質であり、むしろこの出撃に嫌な予感を覚えての汗である。この緊張は本意ではない。
「レイ、何か感じたんなら忘れろ。今は目の前の敵に集中するんだ。」
 不意にレイ機に呼びかけたのは、ナリアであった。弱気は死を招く・・・この姉御肌の恋人はそう言いたいのだと、レイは悟った。ナリアへ復唱をしたことが、むしろその弱気を自分で無意識に認めたことであるとは、レイ自身も自覚していない。アクシズにある戦力があまりに未知数である以上、この出撃では緊張をしない方がおかしい。だがレイは感じていた予感とナリアが察したレイの弱気は、明らかに異質であるとだけは自覚できた。
「大尉、左前方11時方向に敵艦、出撃後に方位修正ののちに直進して下さい。」
「了解だ。ロイス・ファクター、リックディアス出るッ」
「ショール・ハーバイン出るぞ、メカマンは下がれ!」
 先発するエストック隊のファクター機とショール機がカタパルトデッキから飛び立ち、レイとナリアの機体がカタパルトに上がった。ナリアはレイが出撃した1分後に、第二陣として出撃する予定であった。
 先発したエストック隊はレイ、エネス機の合流が終わった時点で編隊をVの字型に組み、方向を転換してシンドラへと向かって直進した。ショール達の機体コックピットのモニタでシンドラが見えるくらいの距離に近付いても、そのシンドラからはMSが発進した様子がなかった。ただ前進しているだけという印象すら受ける。
「速度が速まってます、このままではフランベルジュ隊がアクシズとの間に割り込めません!」
 これまでファクタ−はシンドラから発進してくるかも知れないMS隊への注意から、速度を巡航モードのままで維持していた。しかし、レイの報告を受けてようやく、全速でシンドラへの突撃を命令した。

「MS接近、数は3!」
 オペレータの報告を聞かなくとも、クローネには近寄ってくる殺気のようなモノが察知できていた。その証拠にクローネは立ち上がっていて、今にもブリッジから出ていこうとしていたのである。
「いいか、シンドラは構わず直進して、アクシズへ辿り着け。オレ達も後から合流する。ガザ隊を先発させて、本艦の防衛に回せ!」
 それだけを言って返事を待たずにブリッジを辞したクローネは、急いでデッキへと向かっていた。正直なところ、敵艦の動きから予想していたのは先回りだけで、まさかその敵艦からMS隊が出てきてこちらに直進してくるとは思っていなかった。クローネのパイロットとしての実力は、ショールとエネスのコンビをもってしても力押しできないほど強力だが、まだ指揮官としての実力はこれからだという印象は拭い去れない。そんなクローネでも一艦の指揮官になれると言うことは、アクシズ軍全体の練度が極めて低いことの証明でもある。
 クローネの本音を言えば、こんな軍隊はさっさと負けてしまって、もっと効率のいい地球圏改革への道を進んだ方が良いと思っている。今自分たちが行っていることは、イタズラに人を死なせ、地球圏全体の国力を低下させるだけの暴挙でしかないではないか、という主張が隠れている。そのクローネの真意は、恐らくハマーンも承知しているに違いない。そうと知ってもなお自分を利用しているのは、万一の際にいつでも自分を処分できる自信があるのか、あるいは自分を利用せざるを得ない状況にあるのか・・・その疑問は考える度に異なる結論に達していた。だからクローネは、とりあえず考えるのをやめた。

「MSが出てきやがった。いいか、MSにはあまり目をくれンじゃねぇ。先に母艦を叩くんだ。全機散開!」
 ファクターの相変わらず汚い言葉遣いが戦闘中でもそれほど不快にはならないのは、なぜだろうか?レイはそう言う咄嗟の考えを捨てて、復唱した。ショール機は左、自分は右、それぞれ散開してシンドラの足を止めてMSを自分とショールの元へおびき寄せ、ファクターが沈める・・・今回、美味しいところを持っていくのは、ファクターになる予定である。
「ここまで危ない橋渡ったんだ、あとはやるしかないぜぇぇッ!」
 レイは咆哮して、クレイバズーカをシンドラに向けて発射した。

 エネスやショール達がクローネとの戦闘を開始したまさにこの時、コロニーレーザーの宙域から離脱してサイド7への方向に進む艦艇が1隻、あった。ニューデリーである。ショール達との戦闘の後に撤退したクラック達は、ニューデリーに帰艦してすぐには動かなかった、いや、動けなかった。
 時間は3日前、12日夜に遡る。


「済まなかった・・・」
 帰艦して減圧を終えたMSデッキでヘルメットを脱いだ後、フェリスがクラックに向けていった言葉である。
「いや、気にするな・・・お互い死ぬには早すぎるんだ。もっと納得して死のうじゃないか。」
 クラックは疲れていたが、フェリス程ではない。
「で、私達はこれからどうするんだ?」
 フェリスは既に、次の段階を考えている・・・疲れているにもかかわらず、そういう切り替えの速さは流石だとクラックは思う。
「そうだな・・・オレ達をさんざんこき使ってくれたバスクもジャマイカンも、既にこの世にいない。そろそろオレ達はオレ達の闘いを始めるべきじゃないかな。」
「私達の戦い?」
 フェリスは興味深そうに、眉を少しつり上げた。
「そう、オレ達の戦いさ。ティターンズももう終わり、オレ達もその呪縛から逃れた。今のオレ達が何をしようとしても、ティターンズに止める力はない。この闘いが終わった後、ティターンズにいた人間はヘタをすると反逆者だ。だとしたら、先のことを考える段階じゃないのか?」
「つまり、手のひらを返して連邦につく、そう言うわけか・・・で、具体的にはどうする?」
「まずは正規の部隊に戻るためには、ティターンズと敵対していることが必要だ」
 クラックの説明は多少回りくどさを含んではいたが、フェリスにはクラックの意図することが判ってきた。フェリスは先を続けるように促す。
「で、次は?」
「正規の部隊としての体裁を作る。」
「お前の言いたいことが分かってきたよ、クラック。つまりは、ティターンズに仕掛けるという事か?それは構わないだろうが、時間がないぞ。」
 右手を顎に当てて考えるような仕草をしているフェリスの目は、まだクラックを見つめていた。
「できるだけ手早く体裁を整える上に、オレ達のプラスにもなる手段がひとつだけある。」
「なんだ?」
「サイド7へ向けてくれ。」
「なに、サイド7?しかしここからでは、どれだけ飛ばしても3日は・・・」
 言いかけたフェリスを人差し指を立てて、クラックが制した。
「それでいいんだ。ゼダンの門を構成していたコロニーレーザーは移動したけど、グリプス1の基地の方は残っている・・・」
「そうか、ア・バオア・クーが消滅した今なら、手薄なグリプスを叩ける!」
「もうひとつあるんだけどな。ある人物を救出する。反ティターンズの人物を救い出すことで、オレ達の立場も反ティターンズ、つまりは正規軍の扱いを受けられる。」
「・・・・・・」
 フェリスは無言を貫き通した。

 そして、日付は15日に戻る。ニューデリーはサイド7へあと間近という距離にまで接近していた。既にニューデリーのモニタは、グリプス1の巨体を映し出していた。
 ニューデリーのブリッジの空気は、複雑だった。クルー達のこれからの立場を考えれば、悪いことではない。だが連邦軍のトップというのは、手のひらは返すためにあると考えている連中であり、自分たちが安泰である保証などはどこにもありはしない。こんな状況でよくも艦内が混乱しなかったものだと、クラックやフェリスが思うくらいである。実際クルー達の心境は混乱にこそ達していないが、それに近い状態ではあった。クラックからこれからの方針を伝達されたとき、自分たちの艦がサイド7へ向かいだした事で生じた混乱に近い状況は、むしろ悪化したと言える。それをこうまで統率できたのは、フェリスの手腕に他ならない。
「クラック、本当に大丈夫なんだろうか?」
 そのフェリスとて、クラックほど自分の未来を楽観していられる精神状態ではない。
「大丈夫だ。仮に今すぐにティターンズの本隊が全滅したとしても、今からサイド7で起こす行動は無駄にはならないさ。」
「一体誰を救出すると言うんだ?」
「お前は知らないだろうが、この艦の最初の指揮官だよ。」
 そのクラックの一言に反応を示したのはフェリスではなく、耳だけを傾けていたブリッジクルーだった。だからクラックの意図を察したのはフェリスよりも、クルー達の方が先だったのである。自分を注目するクルーを後目に、フェリスの方を向き直って続けた。
「モートン少佐は叛逆の疑いで拘禁はされたが、処刑はされていない。その少佐を救出すれば、必ずオレ達のプラスに働く。それに少佐には、オレをエネス大尉に会わせてくれた恩がある。それを返したい。」
 クラックには確信があった。反ティターンズと言うことは、その反作用として連邦への体裁が整うことに通じる。クラックの意図はここにあった。フェリスは、モートンという男がティターンズでもトップクラスの実力を持つと言われているパイロットのエネス大尉と共にティターンズを内部から変革させようとしていた人物であることは、聞いたことがあった。
「なるほど、そう言うことか・・・良いだろう、お前に私の未来を預ける・・・」
 フェリスとブリッジクルー達は顔を見合わせて、クラックの方向を向いて頷いた。この時点で、ブリッジに流れる複雑な空気は和らいだ。

 月重力圏から離脱してサイド3へと向かいつつあるアクシズの手前の宙域では、既に壮絶な戦闘が開始されていた。シンドラに攻撃を仕掛けたエストック隊に、ガザ隊が襲いかかっていたのである。だが、襲って来たのはガザだけではない。クローネのシュツルムディアスという最大の壁が、クレイモア隊の前に立ち塞がっていた。
 ショールは、3度目の正直というニホンの名言を聞いたことがあった。フォン・ブラウン上空での遭遇戦、コロニーレーザーの宙域での追撃戦、そして・・・ショールやエネスも、ここで全てを終わらせるぐらいの覚悟をもって、シュツルムディアスと対峙していた。レイとファクターは、まだガザ隊の相手をしているので精一杯であり、ショール達は自分の力のみで戦うことを余儀なくされた。今度こそ失敗は許されない、その覚悟はショール、エネス、そしてクローネとそれぞれ同じだけのベクトルを持っていた。

事態は急転直下を迎えようとしていた。

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