第02章 フェリスの目

 宇宙世紀0088年2月10日・・・フォン・ブラウン市からMSとアクシズに合流する予定の非戦闘員を載せたシンドラの追撃に向かったクレイモア隊は、そこでシンドラのMS隊とニューデリーMS隊の戦闘に出くわす。ファクターはシンドラとニューデリー両方を叩く事を決断し、ショールとエネスはアクシズのニュータイプ、ロフト・クローネ率いるMS隊と闘いを繰り広げるも、クローネを討ち漏らした。そのクローネは、コックピットのある頭部を破壊されたもう1機のシュツルムディアスを回収して、シンドラへと帰艦していた。

 一方、ニューデリーのMS隊に向けて進んでいるファクターとレイは、前方で寄り添うように宇宙を漂っているMSを2機、モニタで確認していた。それらは片腕を無くしたバーザムとクラックのマラサイであり、その少し離れた後方からラファエルのマラサイがフォローに近付いていた。ミノフスキー粒子というレーダーを無力化する物質の存在が、レイとファクターの肉眼からラファエル機の存在を隠している。ファクターには、フェリスのバーザムが損傷を確認できていた。それでも容赦できないのがファクターの立場であったから、レイに攻撃命令を出した。2機のリックディアスが接近してくるのを見たフェリスは、自機の損傷の度合いを気にしている場合ではない事を悟った。
「フェリス、機体は動くのか!?」
 マラサイの右手をバーザムに触れさせて接触回線を開くと、クラックは必死に叫んだ。フェリスは試しに残った腕を動かしてみる。
「大丈夫、動くことは動く・・・戦闘も可能だ。」
 フェリスの返答は、クラックが予想していたよりも元気だった。クラックは心配するのをやめて、自分が今すべきことを、自分の中に探し求めた。
「・・・後退しよう。ヤツはエネス大尉に任せておけばいい。」
 正直、クラックはエネスと戦いたかった。自分を信じて戦う先にあるものが、エネスと戦うことで垣間見えるような気がしていた。それができればクラックもまた自分を信じて、エネスに教わった通りにひとりの人間として、戦えると思っていたのである。だが目の前にある現実は、クラックに時代を垣間見る瞬間を与えてくれないようだった。
「・・・チィィィッ!」
 フェリスは、目先の的に目を奪われて突っ込んでしまった自分の迂闊さを、ひたすらに呪った。クラックはそんなフェリスの呻きから心情を悟ったが、フェリスの行為とその結果はしょうがないモノだと思えた。クレイモア隊は確かに強敵ではあったが、決して勝てないレベルではない。ところが今戦ったリックディアスもどきは、レベルが明らかに違っていた。勝てる気がしないのである。そんなものを相手にしていたのであれば、目先の敵に意識を捕らわれるのも無理のないことだと思った。
「ラファエル、バーザムを連れてニューデリーに戻れ!」
 クラックは後ろから接近してきたラファエルに、フェリスの回収を命令した。自分で連れて戻ろうとしなかったのは、目の前の敵がこのまま逃がしてくれるとは思っていないからである。ビームライフルを右手に、スイッチを切ってあるビームサーベルを左手に持たせて、その場で構えた。フェリスはそれを聞いて、最初はやむを得ないと思った。だが・・・フェリスは心に何か、引っかかるモノを感じていた。そして、逡巡した後に、その通信に割り込んだ。
「いや、3機で迎え撃つ。私に気を使うな。」
「おい、無茶を・・・」
 クラックは言いかけたが、誰よりもフェリスの頑固さを知っているので、フェリスの言い分を受け入れることにした。3機で戦うとして、あとは誰と戦うかが問題である。先程のリックディアスもどきに戦闘を仕掛けるには、目の前のリックディアス2機を排除せねばならない。その2機のカラーリングは両方赤であり、白いヤツはいない。この場はリックディアスを迎え撃ち、その後に戦場を離脱するしかない。
「いつからそんな事を言える程偉くなった?お前の撤退の時間稼ぎは誰がするんだ、バカが!」
「チッ、言いたいことを・・・指揮官はお前だ、フェリス・・・従う!」
「相変わらず口数が・・・ン、来るぞ!」
 フェリスの合図と共に、バーザムとマラサイは左右に散った。その間を縫うようにビームが2本、通過していく。

「レイ、敵は散開した・・・0ダイブ、20アウト!」
 ファクターはレイに、クレイモア隊独自の戦術コードを指示した。この戦術コード0ダイブとはアメリカンフットボールに存在する戦術で、0とは敵のフォーメーションの真ん中に切り込むルートのコードで、ダイブとは全機突入の作戦を示している。20アウトとは、20メートルを進んだ後に、外側に展開する指令である。つまりファクターは、中央突破背面展開戦法を用いたのだ。このような複雑な戦術の指示も、クレイモア隊では、このように短いコードでやりとりされる。
「了〜解〜」
 レイは余裕たっぷりに、応答した。レイはファクター機のすぐ左に自分のリックディアスを近づけると、右のクラック機に射撃を開始したファクター機とタイミングを合わせて、左に散開しているバーザムに射撃を行った。急速な展開を見せる両機に対しての散発な射撃に余り意味がないことは、ファクターも承知するところであった。ファクターがクラック機の移動する先、つまり外側に射撃をしたのは、両機の展開と後続のマラサイによって包囲されることを防ぐ意図があった。レイもその意図を承知していたので、それにならった。フェリス機とクラック機は、数的優位にモノを言わせた包囲戦術を阻止された形になった。もっとも、展開を阻止しただけで、まだ数的優位を崩したわけではない。ファクターとレイのリックディアスは、戦術コード通りに真ん中を突っ切っていく。
「ほらほらッ、戻ンねぇと各個撃破しちまうぜぇッ!」
 レイは咆哮と同時に、右手に持たせてあるビームサーベルを振るいながら、ニューデリー隊の真ん中に位置するラファエル機に向かって突進した。
「これで2対1!」
 レイ機と並んで突進しているファクターは、ラファエル機のすぐ横を通過する際に左手のビームサーベルを振るった。正面から左右同時挟撃の憂き目にあったラファエルは、やむなく上昇をかけた。ラファエルが回避運動を終えた次の瞬間、ファクターとレイのリックディアスがビームサーベルを振るいながら通過していく。ラファエルは自分の判断があと1秒送れていたらと思い、ゾッとした。
「ミノフスキー粒子散布下の中で、なんであんなに連携できるんだ・・・」
 ラファエルは呻くことしかできなかった。ファクターが自分の趣味であるアメリカンフットボールの戦術をそのままMS戦に流用したのには、趣味という以外にも理由はあった。複雑な戦術の指示を短いコードであらわすことは、戦闘中での時間の節約につながる。ミノフスキー粒子という物質が継続した通信を不可能にしているということは、意思の疎通を効率的に行う必要があるということだ。それはミノフスキー粒子が戦術概念の根本にある現在では、重要なことなのである。この最大の利点があるからこそ、ファクターは貴重な時間をアメリカンフットボールの講義に当ててきたのだ。ラファエルが2機のリックディアスの移動した先を探すと、左右に展開し始めているのを見つけた。


 2機のシュツルムディアスとガザDのシンドラ隊を撃退した後に合流したエネスとショールは、ファクター達が先行した方向に目を向けていた。ビームを発射しあう事で生じる独特の閃状が、距離の離れたエネス達の機体のカメラに戦場の位置を克明に教えてくれていた。
「ショール、ここに長居は無用だ。すぐに援護に向かうぞ!」
 エネスはあくまで冷静に戦況を把握して、ショールに呼びかけた。ショールはそれに応じると、機体をファクター達のいる方向へと向けて推進させていった。エネス達とファクター達にあいている距離は、それほど大きくはない。方向こそ違うものの、エネス達がクローネ機との壮絶な戦闘を開始した時点で、同じ頃にはファクターが中央突破背面展開戦術をレイに通達していたくらいの距離である。全速で向かえば1分もかからないだろう。エネスは自機をショール機のすぐ後ろから追尾し始めると、その距離について考えていた。宇宙空間というのはそれなりに遠くても案外鮮明に状況を見ることができるので、距離感が掴みにくいのが事実である。その辺の計算はコンピュータに任せるしかない。
(クラック達も頃合いを見て撤退してくれればいいが・・・オレが教えた引き際の重要性を、憶えているかどうかだな・・・)
 かつての部下をむざむざ死なせたくないと言うエネスの密かな希望は、叶えられなかった。クラック達は撤退するつもりであったが、ファクター達が向かったせいで交戦しなければならなくなったのは、皮肉としか言いようがない。
 エネス達が合流しようと移動を開始した頃、ニューデリー隊の中央を突破して、その外側から左右に展開していたファクターとレイの両者は、それぞれの標的の位置を確認していた。クラック機もフェリス機も、まだ移動をやめてはいなかった。フェリス達の展開もまた速かったため、すぐには止まれないのである。やむなく展開をやめて反転し、自分を追うリックディアスをそれぞれ迎え撃つ体勢に入っていた。
「数はこっちが多いのに、なんで包囲されるんだッ!」
 フェリスははやる自分の気持ちを自覚していたが、それを隠そうともせずに残った左腕のビームライフルを発射させた。ファクターのリックディアスは射程距離にこそ入っているが、まだ体制が十分ではなく、リックディアスには当たらなかった。
(落ち着け、フェリス・ウォルシュ!)
 短気な自分に気付いて、フェリスは一度、自分のヘルメットを叩いた。今は目の前の敵を退けて撤退することが、優先事項なはずだ。決着は今でなくともつけられるが、ここで撤退しないとエウーゴの増援が出てこないとも限らない。ここはエウーゴの占領下の宙域なのだ・・・とフェリスは自分を取り戻して、いさめた。息を大きく吸って、改めて敵機を見据えた。向こうは徹底的に撃墜するつもりなのか、それとも撤退に追い込むつもりなのか、一体どちらが狙いなのだろうか?フェリスは逡巡して、解答は恐らく後者だと山をはることにした。

 レイのリックディアスは、クラック機とにらみ合っていた。既に体制を整えていたクラックは、フェリス機援護のために、一刻も早くこの場を離脱したかった。単艦でエウーゴの占領下の宙域に赴かせたティターンズの連中への苛立ちなど、この際は問題ではない。今までのクレイモア隊との戦闘は、チームワークでなんとか生き残ってこられた。しかし完全に各機を分断された今となっては、そのチームワークは発揮されない。逆にここにつけ込む隙があるのではないかと、クラックは相手に攻撃も加えずに凝視していたのである。レイもまた、そのクラックの挙動を理解しかねて、動けずにいた。
「なら、また包囲すればいい!」
 先に動いたのはクラックだった。一か八かに賭けて自機を下降させ、自らが敷いていた包囲陣の内側にターンした。フェリス機、ラファエル機、ともにクラック機からの距離は100mとない。モニタを通して自分の行動の意味するところを察するには、充分な距離だ。クラックはそこに賭けた。
 それらを左方から見ていたフェリスは、クラックの期待通りにその行動を確認していた。フェリスは一旦ファクター機との距離を置くと、クラック機と同じく包囲陣の内側へと移動を開始した。フェリス、クラック機は包囲陣を解いて、密集隊形を取ろうとしていた。そしてそれは、ラファエルからも見ることができた。
「ここは良いんだよな?」
 自問して、ラファエルは上方から再び下降して、包囲隊形を解く動きを見せた。少なくとも各個撃破されることのないようにしたいというクラックの思惑は、こうして戦場に分散していたニューデリー隊を結びつけた。
「密集するだと?させるか!」
 せっかくの各個撃破のチャンスだ、それを逃す手はない・・・ファクターは意気込んで、フェリス機を追った。レイもそれにならって、クラック機を追う。しかしそれこそ、クラックの意思の中であった。ファクターとレイのリックディアスもクラック達につられた動きを見せたため、互いの包囲陣が自ずと解除されてしまった。それにレイが気付いたときは既に、ファクター機と共にニューデリー隊の包囲下にいた。
「後ろを追ってきたってぇのに、なんで包囲されたッ?」
 ファクターは何が起こったのか、判らなかった。実際は、一旦内側に収束すると見えたニューデリー隊のフォーメーションにファクター達がつられて動いたのを確認すると、再び散開していたのである。前方と左右後背を頂点としたトライアングルは、完全に2機のリックディアスを窮地に陥れた。すかさずビームの雨が降り注いだ。
「おいおい・・・乗せられた、乗せられちまったよ!」
 レイは自分の置かれた状況が少し判ってくると、攻撃される前にと回避運動を始めていた。ファクターもすぐに上昇して、なるべく攻撃を受けまいと動いた。それがニューデリー隊の攻撃とタイミングが重なって、ビーム攻撃の多くはリックディアスを直撃させられなかったが、完全に回避できたわけではない。それぞれ2発ずつが、ファクター、レイ各機を直撃して、レイ機は右足を、ファクター機は左腕を失った。
「やった、これで・・・勝て・・・なに!」
 ラファエルは喝采をあげたが、それで言葉が途切れた。ラファエルは自分の真後ろから伸びてくるビーム攻撃に、全く気付かなかったのである。咄嗟にラファエルは、緊急脱出ポッドを射出させた。直後、ラファエルのマラサイは粉々になっていた。
「大尉、レイ!」
 そのビーム攻撃でラファエルのマラサイを瞬時に撃墜したショールは、ミノフスキー粒子の存在も忘れて、叫んだ。その後ろにはエネスのネモが控えている。ファクターとレイは戦況の変化を察知して、ラファエル機の撃墜によって空いたスペースから包囲陣を脱し、ショール達と合流した。2機共に損傷しているのを見て、ショールやエネスは”潮時だ”と思った。
「大尉、そろそろ・・・」
「わかってるよ。潮時だってンだろ?」
 それはレイ達にも同じ事を感じることができたのだろう、4人の見解は完全に一致した。しかしエネスは、退こうとしなかった。エネスもこの辺りが潮時であることくらいは、当然判っていた。だが、エネスにはもうひとつすべきことがあった。ニューデリー隊への勧告である。その為にエネスはエストック隊から離れて、残った方のマラサイへと近付いていった。フェリス達の方もショール達の到着によって戦意を削がれており、撤退の意思は交戦前よりも固まったくらいである。
「クラック、そして指揮官、退け!・・・退かなければ、ここで貴様を撃つ!」
 通信を確保できるくらいにまでクラック機に接近した後、エネスが叫んだ。ここまでの接近を許したと言うことはそれ自体が相手も撤退の意思があると言うことの証明ではあったが、フェリスのバーザムがラファエルの脱出ポッドを回収するために接近してきていたので、エネスは叫んだ。
「エネス大尉、ひとつだけ応えて下さい。あなたは誰の敵なんですか?」
 クラックはそう聞かずにはいられなかった。その通信はフェリスにも聞こえていたが、現時点では沈黙して聞くことにした。
「・・・人間であることを忘れた人間達だ。」
 エネスの答えは、明快だった。”ひとりの人間として戦え”・・・それは、エネスがクラックに教え続けてきたことなのだ。クラックはその答えを聞いて、エネスという人間が変わったのではなく、エネスと取り巻く時代というモノが変わったのだと納得した。
「では、オレが貴様に聞こう。貴様の敵は誰だ?」
「オレの邪魔をする人間です。オレは自分がより高く生きていけると信じて、真っ直ぐに生きていく。自分の生きる先に何があるのか、それを知りたい。それを邪魔する人間は、全てオレがこの手で倒す・・・それだけです。」
「そうか・・・」
 エネスはそれだけ答えて、撤退をあらわす信号弾をあげた。それに併せてファクター達も、フェリス達も撤退を開始した。それを見ながらエネスは、クラックは自分が倒すべき対象にはなり得ないと考えていた。
「クラック・・・お前は・・・」
 損傷した自機をクラック機に支えられながら、フェリスはクラックに対しての疑問を口にしかけたが、それをやめた。クラックはエネスという男とは戦えないだろうと、すぐに気付いたからであった。
「ん?どうした?」
 その言葉の断片が聞こえたのだろうか、クラックはフェリスの通信にに応答した。そのクラックは、撤退に追い込まれた悔しさなど微塵も感じさせない、何か自分に納得したような機嫌の良さだった。フェリスは流石に、それには驚いた。
「なにゴキゲン気取ってんだよ。私達は撃退されたんだぞ。ラファエルまで撃墜されたってのに・・・」
「ティターンズって、呪縛みたいなモノだったんだな。」
「呪縛?」
「そう思わないか?ティターンズの表面的な部分にダマされたのは確かだけど、ティターンズに従う以外、オレ達に道はなかった。ティターンズに従わない正規軍の兵士がどんな扱いを受けたのか、お前が一番よく知ってるんじゃないのか?」
 クラックは宇宙を流れる機体の中で、フェリスに詰め寄った。それはフェリスにとって、複雑な気持ちにならざるを得ない話である。フェリスが士官学校を出てすぐに、ヨーロッパのある部隊に配属となった。そこでの通常の勤務そのものには、さしたる問題があったとは思えなかった。だが、事あるごとにティターンズが絡んでくるようになってからは、フェリスの態度は豹変した。自分の権力をカサに着て他者を嘲笑し、自分の過大評価しかできない連中という偏見じみた認識は、フェリスの中に芽生えていた。それがフェリスの表情に露骨に表れ始めると、その部隊の指揮官は自己の保身のためにフェリスを転属させるように裏から手を回した。それが2度に渡って続いてくると、ティターンズというモノに心底嫌悪するのも当然だっただろう。そこでティターンズから嘲笑されてコキ使われることよりも、ティターンズに入ってティターンズを見返してやろうと心に決めていた。そしてフェリスは、ティターンズに志願した。
「そうだな・・・ティターンズの歴史も、じきに終わる。そうしたらその呪縛なはなくなる。私達はそこからやり直せるんだろうか・・・昔の私達に、戻れるんだろうか?」
 フェリスは珍しいくらいに素直に、クラックに答えた。その素直さは、クラックには好感の持てる性質のモノだった。通信用モニタのフェリスの目には、少し涙があったように見えた。それはクラックにとって、2度目のフェリスの涙だった。


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