第28章 渦の中心へ(後編)

 宇宙世紀0088年2月1日、アナハイム・エレクトロニクスのフォン・ブラウン工場・・・システム開発3課主任マコト・ハヤサカは、ここで開発されている新型MSに搭載されるシステムの担当者として、部下のジョン・マツダを従えてここに来ていた。数ヶ月前なら、ティターンズの査察から逃れるためにフォン・ブラウンでエウーゴのMSを開発することは許されなかった。しかし、今の情勢なら以前ほど気を使わずに、フォン・ブラウンでも堂々とMSを開発することができる。それは出不精のハヤサカにとって都合が良かった。以前は情勢を考慮して、嫌々グラナダやアンマンの工場へ出向いたものであった。それを考えれば今の環境が如何にハヤサカにとってありがたいかは、ハヤサカ自身が良く承知していた。工場のデッキに寝そべっているMSの側で、ハヤサカはひとつの報告を聞いた。
「クレイモア隊が独断で?ハハハ、そりゃ思い切ったことをしたなぁ。」
 ハヤサカは意地の悪そうな表情で、苦笑まじりに呻いた。報告に来た社員は、それを見て呆れた。まさかこの報告を聞いて笑っていられるとは・・・・。
「は・・・・・はい。阻止しようとした警備のMS2機を実力で排除して、こちらの方向へ向かっています。」
「こっちへ?」
「はい・・・それが・・・」
 社員は言いにくそうな表情をしてから、キョロキョロと周囲を見回した。そしてマツダ以外は誰もいないのを確認すると、小声で切り出した。
「実はアクシズ軍の巡洋艦と、フォン・ブラウンの近くで接触するそうです。」
「なに?アクシズの連中とアナハイムが接触をすると、そう言うのか?」
 ハヤサカの声は少し大きかった。社員が人差し指を立てると、ハヤサカの語気は弱まった。
「・・・・あり得るな。ティターンズにも戦力は少なからず提供したんだしな。会長の意思か・・・・」
「私も正確な情報はつかんでいませんが、十中八九・・・」
「MSも提供するんだな?」
「はい、シュツルムの搬送作業が昨日ありました。あれをアクシズに提供するようです。」
「・・・・なんてこった、よりにもよってシュツルムを・・・・」
「現時点でのロールアウト済みの機体では、生産性と性能のバランスが一番良いですからね。上層部の考えそうなことですよ。」
 ハヤサカは舌打ちしたと同時に、今後の戦いにひとつの陰影を感じていた。
「開発3課の方でも、アクシズはマークした方が良さそうだな・・・」
 ハヤサカはマツダの側に寄って、小さな声で言った。
「・・・テスト前に廃棄予定になったのが1機あったな?」
 何かを思いだしたように、ハヤサカがマツダの方を振り向いた。
「はい、カラバで開発したのをこちらで再設計したMSの試作機が・・・では、アレを?」
「あぁ、あと他にもIフィールドとかサーベルとか、プロジェクト・ゼータで廃棄予定だった試作部品が幾つかあったろ。設計4課のデニーニ女史に話を付けて、確保して貰っておいてくれ。」
「そんな事をして・・・」
「かまわんさ。どうせ廃棄されるんだ、有効に使ってやろうじゃないか。オプション装備としてつけられるものをつけておくことにしよう。デニーニ女史には、後でオレが話を持ちかける。」
 マツダは改めてハヤサカへ、尊敬の眼差しを向けた。本体も不完全、部品も不完全という状態から、完成品を作ろうというのである。そんなことはマツダには到底及びもつかないことだった。普通なら不完全な部品から得られたデータを元にして完成された部品を作っていき、その後不完全な部品は廃棄するのが通例である。
 デニーニ女史とハヤサカが呼んだ女性は、27歳と若いながらもプロジェクト・ゼータに一枚噛んでいる設計4課の課長で、ハヤサカとは長年の付き合いのある女性であった。今まで幾多にも及ぶハヤサカのわがままな要求にもよく応じてくれていた事は、マツダも知っていた。フルネームはセルニア・デニーニという。
「わかりました。」
「頼む。廃棄のデータをいじくって密かにMSを1機、製造するだけだからな。彼女ならやってくれるさ。」

 2月2日、午前2時・・・シンドラはフォン・ブラウン市の西150kmの地表に到着した時点で、一隻の艦と合流した。それはクローネの作戦遂行に当たり、アナハイム・エレクトロニクスからわざわざ出向いてきた補給艦であった。計画ではアナハイムから出向いてくる補給艦に合流予定の人員とMSが積み込まれている手筈になっていたから、クローネはその計画通り遂行したに過ぎない。3時間もしないうちにMSの搬入作業と人員の移動は終了するはずであり、何事もなくこの任務は終了すると、ブリッジのキャプテンシートに座っているクローネは半ば安心していた。搬入作業が終わりに近付いてきた午前4時17分、クローネの安心はオペレータの報告によって終わりを告げた。

「前方より艦影1!」
「来たかッ・・・!MSの搬入作業を中止、総員戦闘配置だ。MS隊出撃準備、私もMSで出撃する!」
 報告を聞いたクローネは、すぐにそれが敵襲であると断言したが、内心焦っていた。
アクシズを自分の任務のカムフラージュにしていたクローネには、シンドラの存在がそうそう簡単に見つかるとは思っていなかったのである。シンドラのMSデッキに到着したクローネは、さらに追い打ちを受けた。
「ガザDが出られない?」
「はッ、電装系に異常が見つかりまして・・・」
「調整は十分じゃなかったのか?今日までの数日、あれだけ暇を持て余しておいて、今更新米みたいなことを言うなッ!」
 クローネは思わずMSデッキで自分に応対したメカマンの胸ぐらをつかんだ。これは明らかにメカマン達の油断が原因であったが、すぐにそれを解いた。メカマン達もクローネと同様、ここで敵襲を受けるとは思っていなかったのである。エウーゴの目はアクシズに向けられており、フォン・ブラウンに戦力を差し向ける余裕がないはずである。そのクローネの予想は裏切られたかに見えた。シンドラに向かってきているのは言うまでもなく、ティルヴィングである。
 無論クローネはその艦がエウーゴでも特殊な部類に入る戦力を持っており、それがどういう訳か部隊活動を凍結され、その上独断で出撃してきた部隊の母艦であるなどとは知らない。ティルヴィングはグラナダの宇宙港で、警備のジムII2機に向かって威嚇の後に勧告してそれをどかし、出航するための進路を確保した。その後推力を最大にして月面のすぐ上を飛行し、フォン・ブラウンへの針路をとった。グラナダからの出航をログナーが決めてからフォン・ブラウン市手前150km地点に到着するまでに要した時間は、たったの8時間であった。通常グラナダから月面を挟んで真裏にあるフォン・ブラウン市に到着するまでは、およそ半日もかかる。それを約2/3に短縮できたのは、ティルヴィングの宇宙船としてのスペックがあればこそであった。遊撃部隊の母艦として必要な、あらゆる戦局においても迅速さを最優先とした設計こそが、ティルヴィングの最大の武器である。
 実際、ティルヴィングの最大巡航速度は他のアイリッシュ級巡洋艦のそれを大きく上回っていることは、ティルヴィングで採集されたデータが証明していた。しかし、ティルヴィングは万能ではない。燃料の貯蔵タンクや核エンジンを多めに積載するためには、後部の対空砲などの武装や他の積載ブロックを犠牲にする必要があった。だから、長期間補給なしで運用できないという欠陥が生まれてしまった。燃料タンクを多めに積載してはいるものの、全速で移動することの多いティルヴィングでは、そのあまりある燃料を浪費してしまうのである。
 クローネはすぐさま冷静さを取り戻し、先ほど受けた報告を思い出していた。接近してくる艦影は1、そんなに取り乱すほどの戦力差ではない。しかし、クローネ以外のパイロットはすでにガザCに搭乗しており、彼のガザDは出撃不能である。クローネが乗るMSは1機もなかった。MSデッキを何気なく見渡してみる。あった・・・デッキにMSはあった。そこには搬入が終わったばかりのシュツルムディアスが2機、MS運搬用のキャリアに横たわっていたのだ。クローネはここで肝を据えた。
「シュツルムに燃料を積み込め!」
「え・・・本気ですか?慣熟飛行どころか燃料だって・・・」
「半分もいらん、シュツルムに燃料を積み込むか、ガザを直すか、どっちかにしろッ!」
 クローネは苛立ちつつある自分の気持ちを静めようと自分に言い聞かせた後、メカマンに怒鳴った。そのメカマンは慌ててシュツルムディアスの方へ体を流していった。その光景を見守りながら、クローネは上部デッキにあるコンソールから、ブリッジを呼んだ。
「敵艦とシンドラの距離は?」
「3200、敵艦からMSが出撃した模様です。数は4!」
「接触までの予想時間は?」
「約12分!」
 数秒の間をおいて、クローネは了解だとだけ言った。通信を切る。ガザDの燃料タンクからシュツルムディアスのタンクに、少しずつ燃料が移されていく。燃料の積み込みを10分少々で打ち切るとしても、敵MSがシンドラに接触してくるであろうギリギリのタイミングに出撃となりそうだった。3機のガザCはすでに出撃準備を終えており、後は出撃の命令を待つだけであった。
「ガザ隊は敵MSが距離2000に接近した時点で出撃、その後もシンドラから離れるな。防御を基本姿勢にして、なるべく速やかに宙域を離脱する!
シンドラは第2船速で後退、お客さんの船は引っ込ませろ、戦闘の邪魔だ!」
 3人のガザのパイロットがほぼ同時に、クローネに復唱を返した。

 時を同じくして・・・グラナダから出航したティルヴィングは、フォン・ブラウン市の手前約200km地点に到達していた。今のところグラナダから追手が出たわけでもなく、航海は順調そのものであった。クローネ達より長く退屈の苦痛を味わったティルヴィングの面々であったが、クローネ達より時間を無為に過ごさずには済んだらしかった。船体もMSも整備がほぼ完璧に行き届いており、いつ戦闘が起こっても万全の体勢で臨める良い状態だった。しかし、だからこそ叛逆などという不名誉を背負うには勿体ないと、レイなどには思えた。実際はその戦力故に危険視されており、しかもそれ自体が仕組まれたものであったかもしれなかったのだが、この際レイはあまり深く考えないように決めていた。知らない方が幸せだと、レイの心に潜む何かが警告の鐘を鳴らしているのである。
 レイが現在いるのはMSデッキ、すでに艦内に第1種戦闘配置が発令されているので、クレイモア隊に属しているパイロットのほぼ全員が自機のコックピットに入っていた。レイとナリアはその例外であった。デッキ横の控え室で呑気にチューブ入りの栄養剤を飲んでいた。さすがに出撃直前とあって、いつも酒瓶を抱えているナリアはアルコールを体内に入れていなかった。
「レイ、お前はこの出撃について、思うところがあるか?」
 ナリアの質問は唐突すぎて、レイはその質問の意図するところを掴むのに、数秒の時間をかけねばならなかった。
「・・・情報源の事ですか?」
「情報は正しいというのが前提だからな。それは今の問題じゃない。フォン・ブラウンにアクシズの連中が何の用があって訪ねてくるのかと、思ったことはないか?」
「・・・なぁるほど、そっちの問題ね。フォン・ブラウンにアクシズが関係するとしたら、アナハイムしかないでしょ。」
 レイはサラリと言った。実際にはこの返答こそが真実を射抜いていたのであったが、それは後になって気付く事である。
「おいおい、アナハイムはエウーゴの大事な大事なスポンサー様だよ?まぁアナハイムとアクシズが手を組むことはあり得ないとして、だとしたらアクシズがアナハイムから何かを接収でもしようって事しか思い浮かばないんじゃない?」
「そらそうですね。アクシズを囮にして月を混乱させても、アナハイムが協力的な訳が・・・いや、まてよ・・・ジョンから聞いた話だと、アナハイムはティターンズにだってMSを数機、渡してたっていうし・・・・いや、まさかね。」
 さすがに考えすぎだろうと、レイは苦笑した。直後、艦内にミカ・ローレンスの声が大きく、響き渡った。
「敵艦を発見、距離3200、エストック、フランベルジュ両隊は発進準備!」
「おっと、敵さんがやっと見つかったか。話はまた後でな、レイ!」
 ナリアから少しだけ遅れて控え室から出たレイは、すぐにMSデッキに入った。
「こォら、レイ!出撃準備が聞こえてなかったのか、早く乗れバカヤロウがッ!」
 デッキに入ってきたレイに、ファクターの怒号が浴びせかけられた。レイはなんで自分だけ・・・と一瞬思ったが、事態が事態なのでレイは一言謝って、急いで自機のコックピットに滑り込んだ。ナリアのフランベルジュ小隊には現時点での出撃命令は出ていなかったので、ファクターはナリアには何も言わなかった。
「・・・何やってんだか」
 レイ機のモニタに、ショールの顔が現れて、冷やかしはじめた。その表情は呆れた様子でもなく、怒った様子でもない。戦闘前の緊張をほぐす程度の何気ない会話の類だと、レイは思った。
「スクランブル前に喋ってんじゃねぇ!」
 再びファクターが怒号を飛ばす。
「プッ・・・怒られてやんの」
 思わず吹き出しそうになったレイは、自分も怒られたことを棚上げしてショールに仕返しをした。仕返されたショールも苦笑する。
「はいはい、おっと!大尉がカタパルトに上がったな・・・オレ達も行くぞ!」
「了ぅ解、了ぅ解」
 ショールの『死装束』は右、レイのリックディアスは左のカタパルトデッキへと上がっていく。ファクターのリックディアスは既に発艦を終えて、小隊単位のフォーメーションを組むために待機していた。
「ショール・ハーバイン、出るぞ!」
「レイ・ニッタ、ディアス行くぜ!」
 2人の号令は同時だった。ファクター機と合流したショール達はすぐさまに編隊を組み、エネス機の合流を待った。直後に出撃してきたエネスは、自分のネモをショール機のすぐ右につけて、腕からワイヤーを伸ばした。ショール機との間に接触回線を開くためである。
「巡洋艦が1隻だけなら、なにかあるぞ・・・気をつけろ。」
 エネスはそれだけを言って、接触回線を切った。
「・・・・・・」
 ショールは無言のまま、前方を見つめた。エネスだけではなく、ショールも嫌な予感を憶えていた。アクシズ軍の目的がフォン・ブラウン市の占拠であれば、たった1隻で向かってくるはずがない。例えエウーゴに余力がなかったとしても、街ひとつを占拠するのに巡洋艦1隻分のクルーでは数量的に無理がある。ならばその目的はなんだろうか?
 フォン・ブラウン市の占拠ではなく、市民を人質にとって政府に何かの要求を呑ませようとしているのか、それとも都市機能を麻痺させることで何かの時間稼ぎにでもしようと言うのか・・・幾つかのパターンが思いついたが、いずれにしても説得力を欠くものばかりであった。そうこうしているうちに、アクシズの巡洋艦−−エンドラ級宇宙巡洋艦シンドラである−−との距離は、モニタを通して肉眼でハッキリと分かる所まで、縮まっていた。


「敵MS、距離2000まで接近!」
 クローネがシンドラのMSデッキにオペレータの報告が流れたのを確認すると、燃料の注入をある程度終えたであろうシュツルムディアスを見た。先程クローネが掴みかかったメカマンが、自分を見つめるクローネの視線に気付いて、OKであると意思表示した。クローネもそれに頷いて応えた。
「よし、行くか・・・ガザ隊、出撃だ!」
 号令を出して、クローネもMSのコックピットに身体を滑らせていった。基本操作やコンソールの操作などは、月引力圏に入る数日も前から何度もマニュアルに目を通していたので、ほとんど憶えていた。あとは実戦で思い通りに使えるかどうか、である。ジェネレータが臨界状態にあることを確認すると、横たわっているシュツルムディアスは、その完成されたフォルムを横から縦に持ち上げていく。その間に3機のガザCはシンドラから発進するべく、カタパルトデッキへと向かっていった。

 ファクター機とレイ機を先頭、エネス機を最後尾に配置してアルファベットのYの字のようなフォーメーションを組んで進行していたエストック隊は、シンドラとの距離がかなり縮まった地点で、シンドラからMSが出撃してくるのを確認できた。それを最初に見つけたのは、右前列に位置していたレイ機である。
「MS3、出てきました!」
 エストック隊の機体同士の距離はそれなりに近く、月周辺はミノフスキー粒子も薄いので、通信は割とクリアであった。ガザC3機は横一列に並んで、シンドラの前に陣取っていた。向こうからこちらに向かってくるような気配はないと、ファクターには思えた。
「よし、ブリッツをかける。全機散開!」
 ファクターが指示したブリッツという戦術は、元々アメリカンフットボールという旧世紀からアメリカで盛んなスポーツにあった戦術からネーミングされている。相手がボールを前方へ大きくパスするのを予想して、守備の選手が相手の布陣の隙間を縫うようにして奇襲するという作戦である。つまりファクターは、相手がこちらに向かってこようとせずに後衛を守るために密集しているガザ隊のフォーメーションの守備的攻撃という性質を一瞬で見抜き、攻撃的攻撃をモットーとした奇襲戦法を取ろうとしたのである。無論この戦術は皆と打ち合わせ済みである。
 ファクターは左へ、レイは右へ、そしてショールは真ん中を進み、3機のガザの間にできている隙間を狙い、推力を全開にして突っ込んでいった。エネスはその少し後ろ、丁度ショール機をカバーするように追尾していった。予定ではあと1分もしないうちにフランベルジュ隊がティルヴィングを発進することになっており、仮にガザ隊が散開してエストック隊を大きく外側から迂回してティルヴィングを狙っても、ナリア達に任せておけばいいことになっている。クレイモア隊の戦術は、アクシズ軍のそれより圧倒的に洗練されていた。ほとんどの兵士の実戦経験が皆無のアクシズ軍には、このような芸当はできない。
「いよいよ新戦術のお目見えってわけか・・・艦を先に叩くッ!」
 最初の砲火をあげたのは、ショール機であった。ショールの『死装束』は、エストック隊、いやクレイモア隊の中でも最速を誇る。真ん中のガザCに向かってビームピストルを数発威嚇のつもりで発射したが、そこに留まらずにそのまま通過していく。それに気を取られたガザCは、その直後にやってきたエネス機の狙撃を受けて、一撃で粉砕された。
 その最初の砲火が上がった直後、丁度ガザCが撃墜された瞬間に、シンドラかは1機のMSが飛び出してきた。それはショール達には見慣れたシルエットだった。
「早速一機撃墜・・・やはりただ者ではなかったか・・・しかし、これで!」
 クローネのシュツルムディアスの姿は、それを真正面に捉えたショールとエネスを驚愕させた。
「・・・・・・・!」
「・・・リックディアスがアクシズの艦にいるだと?」
 しかしエネスもショールも機体を少し観察すると、迷いを捨てた。シュツルムディアスのシルエットはリックディアスに酷似しているが、100%同じではない。特に背部バインダーは特徴的ですらあったから、ショールはそれめがけて射撃を開始した。エネスもそれに続いて射撃していく。これでクローネ対ショールとエネスの1対2、そして両翼のファクターとレイ対両翼のガザC各1機ずつという構図が成立した。
 ファクターとレイのリックディアスはそれぞれ外側から巻き込むように展開しており、ショール達がクローネと対峙した瞬間になって、ようやくガザCとの戦闘が可能になる距離にまで接近していた。
「こいつを倒さねば敵艦に近づけない・・・」
 ショールは自分と対峙した機体のこれまでの運動を見て、少なくとも熟練した手強いパイロットだと思った。それはエネスも同じモノを感じていた。
「ショール・・・」
「・・・判ってる、一気にやるしかない」
「Raedy・・・Ha!」
 エネスの号令と同時に、2機のMSは機体を急進させてクローネ機に接近していった。『死装束』はビームサーベルを右手に抜き放ち突っ込み、エネス機はビームライフルを構えて、射撃した。
「左右から挟む気かッ?」
 クローネには、この2機のMSがしようとしていることが、”判った”。上昇してエネスの攻撃を回避し、ショールの接近をも回避した。
「読まれてるッ」
 ショールは自機のバインダーにマウントされているもうひとつのビームピストルを引き抜かず、そのまま上に射撃した。リックディアスにはこういうトリッキーな戦法があるのだ。しかしそれもかわされた。クローネはこの2機のMSのパイロットが尋常ならざる技量の持ち主だと、”判った”。一度だけ唇を上下共にペロッとなめ回した。
「やるな・・・」
 クローネのシュツルムは、静かに動き出した。静と動のメリハリのついたこの動きに、エネスは悪寒を感じていた。静かだからこそ警戒すべき何かがあると直感していたのである。クローネのシュツルムがリックディアスと同型のビームピストルを右手に構え、そして急激に素早い運動でエネス機に向かって射撃を行いながら接近してきた。クローネが近くにいた『死に装束』ではなくエネス機を狙ったのは、理由があった。前方やや下に位置している白いディアスは明らかにカスタムタイプであり、性能はクローネの機体と大きくは変わらないだろうと予測できたが、もう片方はどう見てもジムタイプである。戦場では警戒していなかった相手からの攻撃の方が怖いのだと、知っていた。
 シュツルムの射撃は、それまでの静かな動きとはうって変わって苛烈だった。4発、5発と次々に射撃を行っていく。エネスはネモの運動性を過小にも過大にも評価していなかった。ネモにできる事とできない事の分別はついていた。無理をせずに距離をとりながら上昇と下降を交互に行い、クローネ機の接近を受け流すように反時計回りの円運動を行ってクローネ機の右後背に回ろうとした上で、2発のビームを放った。射撃戦においてこのような戦法はいわば基礎中の基礎である。エネスはその基礎を無駄なく行えるパイロットであり、射撃なども正確そのものである。しかしそのエネスの射撃は通じなかった。
 クローネはノールックで右手を後ろに回して、エネス機の方向へと正確に2回、射撃をしてきた。いくら全天周囲モニタがあっても、パイロットが後ろの正確な位置を瞬時に把握する事はほぼ不可能に近い。それをやってのけた敵MSのパイロットは、エネスの常識を覆した。
「まさか・・・ニュータイプとでも言うのかッ」
 エネスは呻きながらも、なんとかそれを回避しようとした。2発撃ってきたビームの初弾は左への水平移動でなんとか回避できたが、2発目を左手のシールドに直撃を受けて、シールドは消えてなくなった。シュツルムは180度の方向転換をして、エネス、ショールとやや距離をおいて向き合った。
「・・・・ハァァァァッ!」
 その隙にショールの『死装束』はクローネ機に接近戦を挑むため、全速で突っ込んでいた。あとはショールがクローネの回避位置を予測するだけである。エネスが援護のためにクローネ機の上方と右へ向かって射撃をする。それは攻撃ではなく、クローネの回避運動を制限するためである。
「な・・・上ッ!?」
 クローネは最初、上に回避しようと思っていた。その矢先にエネスの射撃があり、回避行動を変更するのが一瞬遅れてしまった。それを見逃すショール・ハーバインではない。
「貰ったッ!」
 『死装束』は回避行動を行う機会を逸したクローネのシュツルムに、ビームサーベルを突き出した。同時にシュツルムもビームサーベルを抜いて、突き出した。それぞれ右手の剣を突きだした形となり、『死装束』とシュツルム、互いの左肩を貫通させていた。小さい爆発がそれぞれ一度だけ起こった。
「・・・・・・ッ!」
「この辺が潮時か・・・」
 クローネは他のガザ隊に向かって撤退信号を撃ち出そうと回りを見たが、ガザの姿はなかった。撃墜されていたのである。ファクターとレイのリックディアスはガザ隊の左右それぞれ外側から回り込むようにしていたが、クローネの出現によってガザ隊は邪魔をしないようそれぞれ距離を多めに取るように散開を始めていたので、丁度ファクター達をかち合う位置取りになってしまっていた。そのおかげで時間は稼がれ、既にシンドラはかなりの距離を後退しており、クローネもそろそろ後退を始めないと置いてけぼりを喰らいかねなかった。バルカンファランクスを無照準で乱射して一瞬だけショール達の目を眩ませると、すぐさま後退を始めた。
「ショール、追撃できそうか?」
「無理だ、機体が動かん。電気系もやられたな・・・クソッ!」
「とにかく、アクシズ軍は撃退したんだ、任務も終わりだ。帰艦しよう」
「そうだな・・・」
 ショールはそう言うと、ヘルメットを脱いで額にびっしょりとかいていた汗をパイロットスーツで拭った。
「・・・なぁ、エネスよ・・・」
 呼びかけた後ショールは、コックピットにあらかじめ配置されているサバイバルボックスから栄養剤の入ったチューブを取り出して、それを口に含んだ。
「なんだ?」
「・・・リックディアスだったな」
「あぁ、リックディアスだった。何かの補強はされていたようだが・・・アナハイムから奪取したのか、それとも・・・いや、今はやめておこう。帰ろう」

 5分後、エストック隊の全MSはティルヴィングに無事帰還することができた。3時間後、作戦後の休息をとっていた全MSパイロットにブリーフィングルームへの呼び出しが告げられた。ファクター、ショール、エネス、レイ、ナリア、マチス、アルツール・・・合計7人のクレイモア隊実戦部隊のパイロット達は、皆いぶかしげな表情を浮かべながらもブリーフィングルームへと向かった。
「よし、来たな。みんなご苦労だった。今後のクレイモア隊の行動を伝える。」
 部屋に全パイロットが集合したのを確認したログナーは、スクリーンにティルヴィングの現在位置を示す画像が表示させた。
「ティルヴィングは現在フォン・ブラウン郊外140km地点を航行している。ティルヴィングはグラナダに帰還せず、サイド2に向かう。先程入った情報ではエウーゴのグリプスのコロニーレーザー奪取は成功、アクシズに向かって発射され、その軌道を変更することに成功した。こうなったらアクシズもティターンズも黙っていられるわけがない。そこで、我々はグラナダへ帰投せずに艦隊戦に加わる事にした。」
 ログナーの決定は、またも参謀本部の意向から逆らったモノであった。しかし皆は驚かない。こうなることはクレイモア隊のクルー誰もが予想していたからである。そして誰も異論は言わなかった。
「ここからサイド2までおよそ4日少し、推進剤を節約するために全速での移動は避けたいので、このまま第2船速を維持する。だからサイド2への到着は2日遅れになり、予定では2月8日に本艦隊と合流できることになる。コロニーレーザーを守り、ティターンズを排除する。質問はないか?」
 質問の挙手をする者は誰もいなかった。これは全員がその決定に合意したモノである事を示している。ショールとエネスは、互いに顔を見合わせて、頷きあった。

 30分後・・・ティルヴィングは月引力圏を離脱して、主戦場となるであろうサイド2へ向かって行った。ショール達は自分達の未来に陰影を残しつつ、ティルヴィングの装甲の向こうにある宇宙に想いを馳せていた。

宇宙世紀0088年2月2日、午前7時・・・人の想いは、戦争を越えられるのか?


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