第19章 フェリス・ウォルシュ

 UC.0087年8月15日、ティターンズに占拠された月面都市フォン・ブラウン市の奪回行動は、エウーゴによって密かに進められていた。市内にメンバーを潜入させて動向を探ったり、他方ではMS隊の編成なども行っていた。内外の両面から、フォン・ブラウンを奪回していくのである。しかし、ティターンズに何も動きがなかったわけではない。ティターンズはアポロ作戦終了後、すぐにフォン・ブラウン市の政治的要所を押さえにかかり、そのほとんどの占拠に成功していた。

 アポロ作戦時にグラナダ方面への陽動に出ていた遊撃部隊ニューデリーは作戦終了後すぐにフォン・ブラウン宇宙港のドッグへ、とりあえずの帰還を果たしていた。とにかく、損失が大きかった。サラミス級ニューデリー船体の損害は全くと言っていいほど無かったが、その麾下にあるMS隊の損傷率が高く、修理には丸1日ほどかかりそうだった。なにより、指揮官であるエネス・リィプス大尉が今のニューデリーにいないと言うことが、致命的であった。エネスの副官のような存在であったクリック・クラック少尉が何とか臨時の指揮官代行業務を行っていたので、その行動は何とか秩序を保つことが出来た。艦長と指揮官を兼任していたモートン少佐が拘束され、その後任となったエネスも今はここにいない。少尉である自分がニューデリーで最も高い階級にあるという不自然さを、クラックは感じていた。
 人員を派遣してくれないティターンズの姿勢にいささか疑問を持っていた。自分の立場が高くなっていくことは悪いことではないが、今の自分の指揮官代行という立場は自分自身の実力で勝ち取ったモノではないことが、クラックを苛立たせていた。
「少尉、ジャマイカン少佐からです。」
 オペレータからの報告をメカニックの1人から取り次がれてMSデッキの上部デッキへ上がったクラックは、コンソールを操作して画面に出した。そして敬礼する。
「クラック少尉であります。」
「報告は聞いている、MSの修理状況はどうか?」
「は、完全な修復を行うのに丸1日ほどかかりそうです。」
「・・・半日でやらせろ。今日付けで指揮官を送った。もうじき到着するはずだ。貴様も雑務に飽きてきただろうからな、解放してやる。」
 ジャマイカンはあくまで不機嫌そうであったが、また面倒くさそうな言い方でもあった。クラックは新任の指揮官という人物も厄介払いされてきたのだろうか、と少し同情したくなった。ジャマイカンの様な男に顎でこき使われるなど、たまったモノではない。
「了解しました。では、新任の指揮官殿の到着を待ちながら、修理のピッチだけは上げさせます。」
「そうしてくれ。明日に任務を伝える。」
 ジャマイカンはそう言うと、一方的に通信を切った。

 真新しいティターンズの制服に身を包んだ女性の姿が、ニューデリーのMSデッキにあった。その女性は長い銀髪を揺らしながら、ジャンプして上部デッキに上がっていった。その目の前には、ジャマイカンと通信を終えたばかりのクラックの姿があった。
「まだ生きていたのか、クラック。同期の中で一番先に死ぬと思っていたんだがな。」
 女性は冷やかすように、クラックへ言葉を投げかけた。
「フェリス・・・フェリス・ウォルシュ?」
 フェリス・ウォルシュと呼ばれた女性は、右手を腰に当てて、自分と同じくらいの身長の男を見て言った。
「上官を呼び捨てにするのは感心しないな、クリック・クラック少尉。」
「どういうことだ?」
「今日付けでニューデリーに配属されたフェリス・ウォルシュ中尉だ。いわばお前の上官になるわけだ、宜しくな。」
 フェリスは敬礼した。そして、左手に抱えていた書類をクラックに差し出す。
「辞令だ。今日からここの艦長代行として指揮を任されることになった。お前にはMS隊の指揮を執って貰うからな。」
「・・・了解した。しかし、お前が上官だろうが何だろうが、オレに上官風を吹かす様なことはするなよ。」
 フェリスに差し出された書類を受け取るために彼女に接近したとき、クラックは静かに言った。
「相変わらずだな。まぁ心配するな。初めての男には、優しくしてやるさ・・・」
 笑いながら、フェリスはMSデッキからブリッジへと移動していった。(ジャマイカンめ・・・・)クラックは舌打ちした。フェリス・ウォルシュと言う女性はクラックとは士官学校の同期生で、MS操縦だけでなく戦術論などの学科でも優秀な成績を持った人物であった。その端麗な容姿とは裏腹の男性的な言葉遣いを持っており、性格的にもクラックとはウマがあった。卒業時に起こった事件があり、クラックとフェリスは一時期親密になったが、その後別れた。
 原因となった事件とは、迫ってくる男を強引に突き放してきたフェリスの姿勢から来た、ツケが元であった。卒業式直後に4人の男性に囲まれ、いわゆる「お礼参り」に遭いそうになり、そこへクラックがフェリスに加勢した。それまでは友人同士ではあったが、以後は男女の関係になった。
 その後クラックはティターンズへ、フェリスは地球連邦軍の地方部隊へと、それぞれ別の道を歩んだ。フェリスというパイロットは優秀であったが、性格的な問題から厄介者扱いされ、最初の配属から半年で更に2度の転属を経験した。ティターンズへと志願したのは、その直後であった。そして中尉に昇進してニューデリー指揮官の座に着いたのは良かったが、それもまた厄介払いや嫌がらせの一環であることは、フェリスの承知するところであった。

 日付は16日に変わり、フェリスは寝る間もなくブリッジでの雑務を行っていた。補給やMS整備の状況把握や実行など、今日言い渡されるはずであろう任務に万全を期すために、準備を怠るわけにはいかなかったのである。
「中尉、ジャマイカン少佐からの指令通信です。」
「少佐から?つなげ。」
 配属されて次の日にいきなり任務か、フェリスはやや鬱陶しそうに思いながらも、メインスクリーンに現れたジャマイカンの嫌な顔を見た。
「キャプテンシートの座り心地はどうだ、中尉?」
 ジャマイカンらしい嫌な言い方だ・・・フェリスは内心うんざりした。
「は、悪くありません。中尉の身分でありながらここに座れることは幸運でありましょう。」
 厄介払いしてくれたジャマイカンへの、フェリスなりの皮肉である。
「フン!まぁせいぜい頑張ることだ・・・任務を伝える。さっき入った情報によれば、エウーゴに若干の動きが見られるらしい。そこでニューデリーはフォン・ブラウン郊外北20km地点で待機、エウーゴのグラナダ方面からの接近があり次第こちらに報告しろ。場合によっては交戦も許可する。」
「見張りをやれと?・・・了解しました。」
「そう言うことだ。2時間後、0900時には出発して貰う。」
「・・・了解しました。」
 通信を終えて、フェリスはため息をついた。ジャマイカンごときのような男に押しつけがましく言われることに慣れてはいたが、何度言われても気持ちの良いことではない。エリート云々と良いことばかりのように聞こえるティターンズも大変なんだなと実感した。
「補給は完了したか?」
「はい、MS補修、補給ともに完了しています。」
 オペレータの報告を聞いて満足したフェリスは、そのままクルー全員に出発までの休息を命じた。

 一方、指令通信を終えたジャマイカンはアレキサンドリアのブリッジで、フェリスと同じくため息をついた。
「どうなされたんです、少佐?」
 士官が申し訳程度の心配をして、尋ねた。
「まったく・・・ヤザンと言い、フェリスと言い、何を考えているのかわからんヤツは使いにくい。」
 ジャマイカンはいかにも鬱陶しそうな言い方で、言い放った。
「だからニューデリーに隔離したのでしょう?」
「まぁそうだ・・・万が一の為に、例の準備はしておけよ。」
「は、そちらの方は滞り無く・・・しかし、大佐のことはよろしいのですか?」
 ジャマイカンは目を細めて、士官を睨んだ。
「モートンもエネスもいないニューデリーになど、大佐は利用価値など感じないだろうよ。」

 16日の昼を過ぎた頃には、ティルヴィングは予備兵力としてグラナダから出発、フォンブラウン市手前35km地点を飛行していた。増援としてはあまりに少ない数であるが、グラナダに元々人手が少ない上に、エウーゴの慢性的な人員不足からでは、仕方のないことであった。主力であるアーガマはフォン・ブラウン市から少し後退したところで待機していたが、そこでティターンズMS隊からの攻撃を受けていた。
「1分後にMS隊射出、本艦は最大船速のままでフォン・ブラウンへ!アーガマ隊はもう交戦中だぞ!」
 ログナーがキャプテンシートで吠える。ブリッジクルーたちもそれに合わせて慌ただしく作業を行い始める。
「エストック隊、ファクター出るぞ!周囲に敵影は?」
「フォン・ブラウン手前15km地点に敵艦一隻!進路はクリア!」
「了解だ、ファクター、リックディアス出る!」
 ファクター機はカタパルトから飛び出していった。レイ、ショールもそれに続いていく。
「エストック隊射出完了、フランベルジュ隊一番機カタパルト接続、出ます!」
 ミカ・ローレンスが、聞き取られもしないような報告を発し続ける。それもオペレータの仕事だ。
「ナリア・コーネリア、出るよ!」
 エストック隊射出後1分後に、フランベルジュ隊3機がティルヴィングを出た。エストック隊はティルヴィングの前方、フランベルジュ隊は右側に位置して、それぞれ編隊を組んで前進した。その先には、ニューデリーが待機任務に就いていた区域があった。


 フォン・ブラウン市上空で最初の戦闘が確認されてから、およそ10分が過ぎていた。アーガマ隊とティターンズMS隊の接触は、ニューデリーが待機していた区域とはフォン・ブラウン市を挟んで反対側の方向で起こっていた。ニューデリーの指揮官フェリス・ウォルシュは、それらの戦闘に対しては無関心であった。現状の位置で待機し、先のアポロ作戦開始時の戦闘と同じく、エウーゴのグラナダ・アンマンからの増援に対しての警戒を行わなければならないからである。
「中尉、フォン・ブラウン市内に警報が出されました。住民の避難は終了しましたが、MS戦は市内にも及んでいる様子です。」
「なに?フォン・ブラウンを潰す気か・・・・」
 フェリスは歯ぎしりした。その言葉はエウーゴに対してのものではない。エウーゴのMSをそこまで引き込んだティターンズのMSに対してであった。せっかくのフォン・ブラウンを潰してしまっては、アポロ作戦実施の意味が根底から覆されるではないか、無差別に戦場を広げてどうする・・・ティターンズの上っ面だけに憧れた連中を、フェリスは嗤(わら)ってやりたかった。
「前方から接近中の戦艦から、MS6機の発進を確認!距離2200!」
 オペレータが先程とは違う報告受けて、フェリスは即決した。
「MS隊を出せ!それとアレキサンドリアに連絡!」
「了解、MS発進!前方からMS隊接近、これを迎撃せよ!」
 オペレータはすぐにフェリスの指示に従い、MS隊への発進指示を出した後に、フォン・ブラウンにいるジャマイカンへ現状を報告した。

「エウーゴめ、やはりフォン・ブラウンを前後から挟撃して、我々を追い出すつもりらしいな。それにしてもヤザンめ・・・何を考えている・・・わざわざエウーゴのMSを市内に引き込むなど・・・」
 ジャマイカンはその報告を聞いて、舌打ちした。本来ならばあれくらいのエウーゴの攻撃でもフォン・ブラウンの守備は出来たはずであったのだが、MS隊がアーガマ隊への奇襲を行ってしまったため、エウーゴのMSをフォン・ブラウン市内にまで引き入れてしまった。その結果、エウーゴMS隊によって発電施設を始めとする施設を押さえられてされてしまったことが、何よりも痛かった。
「よし、艦隊をフォン・ブラウン市から発進させる!」
アポロ作戦の失敗を感じ取ったジャマイカンは、側にいた士官に命令した。
「ニューデリーには殿を努めて貰う。連絡の必要はない、既に指示済みだ!」
「は、全艦フォンブラウン市から発進する!」
 ジャマイカンに言われて、士官は通信を艦隊に伝達した。
「まったく・・・ものの1週間も保たんとはな・・・後で帳尻を併せるしかないな。」
 ジャマイカンは呻くしかなかった。

「クラック少尉、敵機の数は6、危なくなったら迷わず後退しろ!」
 フェリスは右手の親指を立てて、モニタに映るクラックに檄を飛ばした。
「了解している。マラサイ、クラック出るぞ!」
 クラックに続いてラファエル、アーリントン機が発進した。
「後退の準備をさせておけ、MS帰還後すぐに離脱するからな」
 フェリスはブリッジクルー各員に、そう指示した。3機のマラサイで6機のMSを殲滅させる事など、無理難題である。だからこちらも増援の足止めをしてから、頃合を見計らって離脱するつもりであった。しかしフェリスは知らなかった。ジャマイカンが既に艦隊をフォン・ブラウンから撤退させようとしていることを・・・

 エストック隊とフランベルジュ隊からは、先程と比べて遙か前方の戦闘の光は縮小していた。急襲を受けたアーガマが見事に持ちこたえた証拠である。しかし・・・ショールは怪訝に思った。せっかく艦隊まで従えて占拠したフォン・ブラウンなのだから、ティターンズの防衛戦がここに引かれていて当然であったはずだ。それなのに、この防衛戦の薄さは何だ?宇宙の経済を支えているフォン・ブラウン市を押さえることは、スペースノイドを押さえる事につながる。それなのに何故必至に防衛しない?ファクター、レイの機体と編隊を維持しつつ、ショール機はフォン・ブラウン市へと向かった。
 実際ではティターンズMS隊の勇み足で、本格的な防衛戦を張る前に市内にエウーゴのMSを入れてしまったことがそもそもの原因であったのだが、無論ショール達がそれを知る由はなかった。フォン・ブラウン市に逃げ込んだエウーゴMSの行動が、結果的にティターンズの撤退を促した怪我の功名であったと言える。
「ショール、レイ、前方の敵母艦からMSが出た、数は3機!フォーメーションYで迎撃!」
 フォーメーションYは、Yの字の中心に敵を位置づけ、それを3方から包囲していくフォーメーションである。クレイモア隊のフォーメーションは以前実戦で使われたフォーメーションVのように、文字に見立てる独特のフォーメーションが採用されている。方々からメンバーを集められたクレイモア隊では新たにフォーメーションをディスカッションするよりも、分かり易いフォーメーションを即座に組むことを志向していたのである。その中のいずれもが攻撃的なフォーメーションであり、いかなる状況でも自らを攻撃的なポジションに置くことがクレイモアのクレイモアたる特徴であると言える。
「了ぉ解!」
「了解・・・」
 ファクターはフォーメーションを指示して、レイ機、ショール機は散開した。フォーメーションYを展開し始めているエストック隊に対し、フランベルジュ隊はエストック隊の右側、敵部隊から見て左側を通過して、フォン・ブラウン市へ先行していくコースを取った。エストック隊は敵MS隊を排除した後にフランベルジュを追っ手フォン・ブラウンへ向かう手筈である。
「おかしいな・・・簡単に事が進みすぎる・・・」
 フランベルジュ隊長のナリア・コーネリアも、ショールと同じ事を思った。ひょっとしたら、また以前のグリプスのように引っかけられたのではないか、ナリアは慎重に行動しようと思っていた。
「マチス、アルツール!フォン・ブラウンへ急ぐよ、何かある!」
 それはベテランパイロットとして、そして女としての勘であった。

「よし、各艦順次発進、フォン・ブラウン市から発進する!」
 ジャマイカンは苦虫を噛む潰したような顔で、撤退を命令した。アーガマ周辺、フォン・ブラウン市内での戦闘は時間をおうごとに規模を縮小させていたので、その撤退行動にそれほど難はなかった。ものの数分で艦隊のそれぞれの艦艇が宇宙港から殺到して出て行った。
「艦長代理!アレキサンドリアがフォン・ブラウンの宇宙港から・・・」
 ニューデリーのオペレータが、その突然起こった事態をフェリスに報告した。
「なんだと!?防衛戦を今更張って何になるんだ!」
「いえ、月重力圏から離脱するコースを取っています!」
 オペレータがアレキサンドリア他の艦艇が取っているコースを、モニタで表示した。
「撤退するというのか・・・しかし、こんなに早く・・・・そうか、用意周到に準備していたと言うことか・・・ジャマイカンめ、私たちを囮にしたか!」
 フェリスはその思わぬ展開に、逆上した。言葉を続ける。
「・・・MS隊へ・・・撤退信号!」
 歯噛みして、フェリスは最後に命令した。

「ラファエル、アーリントン、敵は散開している。集中して3機で真ん中の隊長機を叩くぞ!」
 クラックは僚機に指示を出して、先頭を切って敵MSとの間合いを詰めた。そして、ビームライフルの射程距離内にリックディアスの1機をとらえると、射撃を開始した。ラファエル、アーリントンのマラサイも同じくビームライフルによる射撃を2発、3発と行う。
 マラサイとリックディアスでは、基本性能はリックディアスにこそ分があるものの、リックディアスの主武装はクレイバズーカとビームピストル、いずれよりも宇宙空間における有効射程距離はビームライフルの方が長い。真正面から接近しながらの戦闘では、リックディアスでイニシアティヴを取ることは難しいのである。ファクターは自分の状況をきちんと理解していた。先制を敢えて取らせ、自らの懐に敵を誘い込む事に集中した。
 ファクター機は少しずつ後退しながら、クレイバズーカを無照準で2発、発射した。3機のマラサイがそれを回避すると、お返しとばかりにビームの雨がファクター機に降り注いだ。無照準で攻撃した分、ファクターの意識は回避へと向かっていたため、それらを何とか回避することが出来た。その回避に専念という状況はファクターらしからぬものに見えるが、そうではない。ファクターは十分攻撃的だ。今の状況はいわば、チャンスを作るための布石である。ファクターには自分に攻撃が集中してくることを十分に予測していた。
「ちぃっ!かわしたか!」
 クラックは舌打ちした。並のパイロットなら、回避に専念していてもこの攻撃をなかなか回避できるものではない、クラックは自分の指示したフォーメーションに自信を持っていたのである。しかし、相手は並ではなかった。クラックは自分の攻撃している相手の小隊の中に、白いリックディアスがいることを知らなかった。無理もないことである。クラック達がエストック隊を捕捉したときは既に、3機が散開していたからだ。

 フランベルジュ隊はフォン・ブラウン市までおよそ6kmの地点まで到達していたが、既に艦隊が宇宙港を発進していた。ナリアはその光景を目の当たりにして、呆然となった。
「撤退する気?」
ナリアはそのまま前進をしていたが、5隻もの艦艇の撤退は整然としていて、1MS小隊の付け入る隙はなさそうだった。ナリア機から見て、フォン・ブラウン市内の戦闘は既にほとんど無く、向こう側にあったであろうアーガマ隊との戦闘の光もなくなっていた。エウーゴの本隊は既に市内に入り、ティターンズに占拠されていた施設の奪還を果たしていた。敵艦隊の撤退からフォン・ブラウン市奪還がとりあえず果たせたことを察知して、ナリアは僚機に撤退を指示した。
「敵艦隊は撤退を開始した、あとは本隊に任せても大丈夫のようだ。こちらも後退する、いいね?」
「了解!」

「撤退信号・・・撤退だと?」
 ビームライフルを連射しながらファクター機へと突進していたクラック達は、そのまま減速せずにファクター機の横を通過する為に更に前進しようとしたとき、自分が突進してきたコースの真後ろに、黄色い信号弾が上がったのを確認した。この急な撤退信号に明らかな不満を抱いてはいたが、フェリスは嫌がらせなどでこういう行動をとる女ではない、少なくともクラックの知っているフェリスは強さの他にそう言う誠実さを持った女である。
「・・・後退するぞ、このまま全速で敵機横をすり抜けて、反転、離脱する!」
「了解ッ」
 言うと、クラックは引き続きファクター機めがけて全速で突っ込み、そのまま時計回りに旋回して全速で離脱するコースを取った。そこへクラック機の右方向から接近していたショール機が攻撃を掛けようと追いすがった。
「ショール、追うんじゃねぇ!向こうにも事情があるようだ、様子を見る。フランベルジュも後退してくる、こっちも合わせて後退する!」
「フォン・ブラウンは?」
 その後ファクター機に近寄ってきたレイが、フォン・ブラウン市の方向を見ながら言った。
「フランベルジュと合流してからだ。向こうの状況が掴めねぇからな。」
 4分後、フォン・ブラウン市から後退してきたフランベルジュ隊と、エストック隊が合流を果たしていた。ナリアから事情を聞き、ファクターは納得した。急な撤退信号もそれで合点がいった。ファクターは先程交戦したMS隊が時間稼ぎをしていたのだと納得した。無論事実は違ったが、ニューデリーのMS隊が艦隊撤退の時間稼ぎに使われたことだけは、確かなことであった。結局エウーゴのフォン・ブラウン市奪回作戦は、いささか予定外の要素を孕みながらもなんとか成功を収めた。

「MS隊、帰艦しました」
 怒りを収めたフェリスは、その報告を聞いてすぐに撤退を指示した。撤退のコースは先程アレキサンドリアが取ったコースと同一のコースを取り、艦隊とは10分ほどのタイムラグを置いてサイド5の合流予定宙域に到達する予定である。
「クラック少尉をブリッジへ・・・」
「オレならここだ。」
 フェリスがクラックを呼び出そうかと言い出したその時、クラックは既にブリッジへ上がってきていた。フェリスは疲れた表情を隠さず、クラックへ顔を向けた。
「ご苦労だった。ゆっくり休んでくれ。」
「何があったんだ?」
 クラックは何気なく聞いた。簡単な言い方であったが、何が聞きたいのかはフェリスには判った。
「私たちは捨てウマにされたんだ。まったくジャマイカンもやってくれる。」
「それであの撤退の手際の良さか・・・初めからオレ達を見捨てるつもりだった訳か・・・」
 クラックは舌打ちして、それからは何も言わずにブリッジから出ていった。怒気を孕んだ雰囲気が、ブリッジ全体を支配する。当然だろう、自分を囮にされて良い気持ちであるハズがない。
「合流ポイントまで急げ、今のところエウーゴの追撃はないが、どこかでの遭遇戦もあり得るからな。」
 周りの雰囲気を緩和するように、フェリスは努めて冷静な言い方で言った。合流してからジャマイカンに問いただそうと思っていたが、クラックと話をしていて気持ちは変わった。ジャマイカンに言ったところで、巧く言い逃れるに違いないと気付いたからだ。そして、今は考えるのをやめた。

 その日、地球のダカールで開かれていた連邦議会で、地球連邦軍の指揮権そのものをティターンズへ委譲する法案が採択された。それはこれからの運命を決定づける瞬間であり、その運命は地球圏の迷走という形で具象化することになる。


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