第18章 報 復

 UC0087年、8月10日・・・ティターンズのアポロ作戦は成功し、フォン・ブラウンはティターンズに制圧された。月面での戦闘でティターンズのエースパイロットであるエネス・リィプスは、エウーゴのエース、ショール・ハーバインに敗れ、脱出ポッドのままでティルヴィングへと連れて来られていた。

 MSデッキの自機のコックピットから出たレイは、ショールが上部デッキに上がっていった直後に、エネスのいる脱出ポッドへと足を運ばせ、中を覗き見た。
「あんたがエネスさんか」
 レイが中を見たところ、エネスのヘルメットにはスモークが張られていていたので、中の素顔を見ることは出来なかった。そのうつむいていたヘルメットが少しだけ、上に動いた。
「見ての通りだ。貴様はなんだ?」
「なんだって言われるとちょぉっと困るんだけどな〜」
 レイは少しおどけてみせる。エネスの出す雰囲気は、レイには重たすぎたのである。
「ショールの親友だったんだろ?」
「だった?」
 エネスの口調は少し怪訝さを含めていた。
「親友が、本気で殺し合ったりするもんか。」
「そうかも知れない。オレがティターンズに入った時点で、オレはある意味アイツを裏切ったのかも知れない。知らず知らずのうちに・・・」
「ティターンズに入った時ならば、そうだろうけど。でも、あんたはショールの存在を知っていて、敢えて戦った。オレはティターンズが許せないからエウーゴに入った。あんたはなんでここにいるんだ?」
 それは、レイが一番聞きたいことであった。エネスにしてみれば、今ここでこんな哲学じみたことを論ずる気になれなかったので、一言だけ答えた。
「連邦が許せないからさ。」
「・・・・・・そうかい・・・ま、あんたがこれから敵にならない事を祈るよ。」
 レイにはまだエネスと話をしたい衝動があったものの、ショールがこちらに近付いてきているのを見かけて、レイはその場から離れた。レイ自身、エネスという人物について、踏み込めない何かがあると感じていた。

「艦長、重大な話があります。是非会わせたい人物がいるんです。」
 上部デッキで艦内用の通信コンソールの受話器に向かって、ショール・ハーバインは話していた。相手はログナー艦長である。
「・・・・・判った。艦長室で会おう。ファクター大尉と一緒に連れてきてくれ。」
 ログナーは少しだけ疲れた表情であったが、その意味深なショールの話を聞いて、その顔色を変えた。ログナーとの通話を終えたショールは、帰艦したばかりのファクターを呼び、ショール機「死に装束」の場所へ来るように頼んだ。
「どうした?」
 ファクターは一瞬だけ怪訝な顔をしたが、ショールのいつになく真剣な表情を見てその表情を崩した。
「ある人物を連れて、艦長室に来るように言われました。」
「誰なんだ?」
「ここにいますよ。」
 ショールはそう言うと、死に装束の左手に握られた脱出ポッドを指さした。その直後にショールがそちらへとジャンプして身体を流し始めたので、ファクターもそれに従った。
「エネス!」
「エネス・・・・こいつが『あの』エネス・リィプスか・・・・」
 ハッチが開きっぱなしであった脱出ポッドの中に紺色のノーマルスーツの姿があったのが、ファクターにも判った。顔はヘルメットにスモークがかけられていてよく見えない。すぐさまショールの横に立った。
「エネス・・・行こう。」
「・・・そうか・・・そうだな。」
 それだけのやり取りを終えて、エネスはヘルメットを脱いだ。長いとも短いとも言えない金髪で、髪は少し立っている。目つきは澄んでおり、しかし鋭く、なるほどとファクターに思わせるモノがあった。
「自分はクレイモアモビルスーツ隊隊長ロイス・ファクター大尉だ。あんたのことはショールから聞かされてる。艦長が話を聞きたいそうだ。ついてきてくれ。」
 ファクターは一応の敬礼をして、エネスに言った。相手に対する態度に困ったときは、軍人の挨拶の仕方も便利だなと、ファクターは思う。エネスも敬礼で返して、黙って頷いた。

 艦長室のドアを、ショールがノックした。
「入りたまえ。」
 ログナーのリアクションは簡潔だった。少し襟元をただして、ファクター、ショール、エネスの順番で艦長室に入っていった。
「ファクター大尉、ハーバイン中尉両名と他1名、入ります。」
 敬礼してファクターが艦長に申告する。
「で、件の人物とは彼のことかね?」
 ログナーは後ろにいる人物に視線をやりながら、ショールに尋ねた。
「はい、彼はエウーゴへの参加を希望しております。」
 ショールはウソを言った。が、あながち全くのウソでもない。エネスはいずれエウーゴのパイロットとして働く日が来るであろう事は確かであると信じているからだ。
「おい、エネス・・・」
 ショールに呼ばれ、エネスはショールの横に出てきた。エネスはログナー中佐のことをモートンから聞かされていたので、別に自分の身に危険があるとは思っていない。ただ、エネスとしては自分がここにいる理由というモノを考慮してくれる人物であるかどうかは不明なのである。モートン一人をおいて何故ここにいるのか、説明がいささか必要だとエネスは思っていた。
「自分は地球連邦軍、ティターンズ所属遊撃艦ニューデリー指揮官のエネス・リィプス大尉であります。」
 エネスは少し自分でも回りくどく感じるほどに正式の言い方で、自分の官姓名を申告した。大尉に昇進したのか・・・ショールはふと疑問に思った。
「指揮官?モートン少佐はどうしたのか?」
 ログナーは最初の疑問を口にし、エネスもこのことを説明する言葉を用意していた。
「は、モートン少佐はバスクの命令で拘束されました。」
「説明をして貰うぞ?」
「そのつもりです。罪状は調査報告の偽証からの反逆行為などのようで、バスク自らがその拘束を行いました。その後バスクの命令で私がニューデリーの指揮権を与えられ、モートン少佐はグリプスに幽閉されています。」
 エネスの言葉はログナーに小さからぬ衝撃を与えた。しかし、そのこと自体が意外だったのではなく、このことが起こる日が来るのが意外と速かったと感じていた。
「そうか・・・で、君がエウーゴに参加したいという意思があるのは本当かね?」
「はい。私はショ・・・ハーバイン中尉とは士官学校時代から理想を共有した親友でした。モートン少佐と共にティターンズの変革と連邦の変革を行う時期を待つやり方は、もう出来ません。そこで、彼の誘いを受けてここに参上した訳であります。」
 エネスは別にショールのこと場に口裏を合わせたわけではなく、本心を言った。
「なるほどな・・・」
「ティターンズがこの先に迎えるのは統一ではなく支配、もたらすのは平和ではなく恐怖、その姿勢は統制はなく暴走です。ザビ家と何ら変わらぬ、そして恐らくは内部からは変えられそうにもない強固な体制はモートン少佐や私にとっては計算外でした。私はそのティターンズを中枢であるゼダンの門から見てきたつもりです。そして、本当に倒すべきモノはティターンズではなく連邦そのものであると確信しています。」
「・・・・・・・」
 ログナーは黙ってエネスの言葉の続きを期待した。
「今まで強がって来ましたが、もうその時ではないと思います。エウーゴは私のやりたいことを最も行いやすい位置にいると思い、ここにエウーゴの参加意志があることを表明します。」
そのエネスの言葉はログナーが期待していた言葉であった。大いに満足そうな表情でエネスを見つめた。
「判った。しばらくの間・・・そう長くはないが・・・とりあえず一室を与えるので、保護観察とさせて貰っても良いか?」
 ログナーは正直言ってこの場で採用したかったが、エウーゴは一応軍隊組織である。最低限守られるべき規律というモノがあったし、第一エネス程のパイロットが扱うようなモビルスーツがない。ティルヴィングに残っているのは、予備機のネモ1機だけである。ログナーは、エネスの妹のイーリスの時と同様、その監視を甘くするつもりではあった。保護観察という立場に置くだけで、普通の人間であれば変な行動は起こせないモノだ、と思うことにしていた。実際、イーリスの保護観察は数日で解かれている。
「勿論構いません。」
「では、ハーバイン中尉、大尉を部屋まで案内してやってくれ。」
「了解です。では、失礼します。」
 ショールとファクターが敬礼をした後、エネスもそれに従って敬礼した。そして、艦長室を退室していった。彼らが艦長室を辞した後、両肘をついて両手を顔の前に組んだ。エネスという男を信用しても構わないと、個人的には思っている。人質となりうる妹も、こちらで保護している。ただ、このエネスのことを参謀本部に報告すべきかどうかを悩んでいた。本来ならば、報告するのが当然であるのだが、ログナーには抵抗があった。エネス達の考えは本当の意味での反地球連邦思想に近い。少なくとも表面的に連邦軍であるエウーゴでは、あまり楽観的でいられる立場ではない。それはクレイモア隊全体でも言えることで、ショールに思想が近い、いわゆるダイクン派が多数を占めている。
 こういうキャスティングは決して偶然ではないであろうが、ログナーが問題にしているのは、そのキャスティングが何を目的としたモノで、そして誰が望んだキャスティングであるかと言うことであった。自分たちのような思想的な意味でも末端に類される組織は最終的に英雄となるか、粛正されるかのどちらかしかないのではないか?ログナーは不安を覚えながらも、ティルヴィングのグラナダ帰還後にエネスの一件を参謀本部に報告することにした。


 エネスをログナーに引き合わせた後、ショールはエネスを連れて保護観察用のカメラがついている部屋へと案内していた。その部屋は、数日前まではエネスの妹が使っていた部屋であり、そのイーリスはクルーと同じ待遇で自室を与えられていた。
「で、ショールよ」
 通路のハンドグリップを持って移動をしながら、その前を進んでいるショールに話しかけた。エネスの気持ちの方も落ち着いているようなので、ショールは本題に入った。
「・・・・イーリスはこの艦にいる。」
「なに?」
「フォン・ブラウンで保護したのさ。どう見てもティターンズの監視から逃れられたとは思えなかったからな。」
「・・・そうか、フォン・ブラウンにいたのか・・・・待てよ?いつの話だ?」
 途中でハッとなって、エネスは思わずハンドグリップを放した。身体が慣性の法則に従って、前に流れていく。ショールがエネスの左手を掴んで、エネスを助けた。
「6月に入ってからだ。」
「6月だと?リンドバーグめ・・・オレはまんまとごまかされたわけか・・・・」
「どういうことだ?」
「オレはフォン・ブラウンに向かっていたティターンズの偽装船を臨検したんだ。その船にイーリスが乗っていたってことだ!」
「なんてことだ・・・とにかく、今から会いに行ってやれ。」
「・・・そうさせてもらう。」
 ショールの心中は複雑であった。エネスには、妹がグリプスに連れてこられたことで、ティターンズに強制的に戦わされる可能性すらあったと思えたのであろう。今のところエネスの態度がティターンズに従順ではあっても、万が一のための保険をかけられていたのである。エネスの顔をちらりと見ると、その表情は安堵と怒りが入り交じった複雑な表情であったように見えた。
「初めっからオレをエウーゴに引き込むつもりで、イーリスを助けたのか?」
 エネスは静かに言った。
「否定はしない。だけど、やっぱりお前の妹が人質になるのは気持ちの良い事じゃないからな。それに、あの娘には昔の借りがある。」
 ショールは、エネスの方向を見ずに、ただ前だけを向いていた。ショールは士官学校時代、イーリスと出会っていた。イーリスはエネスに両親の死を知らせに来たのであった。そこでショールはエネスによってイーリスと引き合わされたが、その時、カリフォルニア基地のすぐ近くにあったその士官学校が、ジオンの残党によって強襲を受けた。その時はまだ一年戦争が終結してから日も浅く、かつて自軍が所有していた基地であるカリフォルニアベースを奪還しようとした組織的ゲリラ戦力が残っていた。その時に、軽くではあるが負傷したショールを、イーリスが手当てしたのである。 イーリスは医学系の学校に通っており、その手際はよかった。そのおかげでショールのキズはその跡を残さずに済んだ。ショールの言う借りとは、その事である。それについては、その時側にいたエネスも無論、知っていた。
「そうか・・・すまない」
 エネスは、それだけを言った。
「ここがイーリスの部屋だ。時間からして部屋にいるはずだ。」
 イーリスの部屋の前に立って、ショール親指でドアを指した。イーリスはともかく、エネスは今しがた保護観察扱いにされたばかりである。それを察したエネスは、ドアをノックした。
「はい?」
 イーリスの声だ。エネスが聞き間違うはずのない、イーリスの声だ。ドアが開いていくと、エネスの前にはベッドに座っていた妹の姿があった。ショールも立場上2人だけにしておくことは出来ないので、部屋の隅に立っていることにした。エネスが妹と実際に会うのは何カ月ぶりであろうか、ショールは黙っていた。
「ショールさん、それに・・・に・・・・兄さん?」
 なぜこんなところに、と言う言葉を、イーリスは飲み込んだ。驚きのためである。
「久しぶりだな・・・イーリス。」
 エネスはイーリスの肩を抱いて、静かに言った。エネスが普段見せない、イーリスやショールしか知らない、エネスのもう一つの表情だ。
「兄さんもよく無事で。
「リンドバーグに、何もされなかったか?」
「リンドバーグを知っているの?」
「あぁ、少しな。一度会ったことがある。でも、お前が無事なら良いんだ。」
 イーリスはエネスから離れると、ベッドに腰を落ち着かせた。その表情はやや疲れを見せていたものの、エネスと会えたことに心から安堵していたようだ。そして、エネスに椅子に座るよう促した。
「兄さんは、エウーゴにはいるの?」
 妹の質問に少し無言になる。
「今はとりあえず・・・な。」
 椅子から立ち上がったエネスはショールの方に振り返ると、そうとだけ言ってショールを促した。
「お前は心配しなくても良い。オレ達を信じろ・・・また来る。」
 ショールとエネスは、すぐにイーリスの部屋から出ていった。

 4部屋ほどを通り過ぎた先に、エネスの部屋があった。いわゆる保護観察用の部屋である。
「ここがお前の部屋だ。しばらくじっとしていてくれ。」
「監視カメラ付きだろう?動けるモノか。」
 妹と再会したことで、エネスの緊張と気負いのようなモノが、少しずつ解かれているのだろう。ショールは嬉しく思った。
「今は我慢してくれ。」
「判っている、今はな・・・では、オレは部屋に入らせて貰う。身一つで運び込むモノなどないからな。」
「あぁ、オレはこれからブリーフィングだ。フォン・ブラウン奪還作戦があるからな・・・」
「奪還か・・・あまり派手にやると、バスクやシロッコ当たりを喜ばせる結果になるかもしれん、気をつけろ。」
 エネスはそれだけを言って、部屋のドアを閉めた。ドアを閉めた後、エネスはため息をつく。(「バスク、リンドバーグ・・・・このままで終わると思うなよ・・・オレをここまで利用した分の借りは、きっちり返させて貰う・・・)エネスは、ティターンズを駆逐してからでないと連邦を変えられないのだと、気付いていた。しかし、時代は益々混迷の時代へと進んでいくことになる。ティターンズの暴走はこれからなのだ。


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