第04章 追 憶

 UC.0087、4月11日、グリプスのティターンズ基地を急襲したクレイモア隊は一時的な補修と補給を終え、翌4月12日にグリプスを出発した。一度グラナダに帰らなければならないからだ。現在のクレイモア隊の戦力は艦艇アイリッシュ級ティルヴィング1隻、MS11機であったが、随伴していたトリスタン、イゾルデの2隻が撃沈されており、残ったMSを全てティルヴィングに収容しなければならなかった。しかし、いかにアイリッシュ級のMS運用能力が高いとはいえ、11機を収容することは出来ない。だからやむを得なくトリスタン・イゾルデ隊のMSを艦の外に係留していた。不格好だが、MSを捨てるわけには行かないのだ。

 ティルヴィングのクルー達は皆疲れていた。昨日あれだけの戦闘を行い、休む間もなくティルヴィングとMSの応急修理をしなければならなかった。なるべく早く月に帰投して、次の作戦のための準備をしなければならないのだ。疲れているのは何も整備兵やMSパイロットだけではない。肉体を使わずとも長時間の緊張でブリッジのメンバーも疲れ切っていたのである。
「航行が出来れば問題ない、全艦半弦休息だ」
「了解です」
 ログナーはミカにそう言って、艦長室に引き取った。艦長がブリッジから出ると、ブリッジ内の雰囲気は少し和らいだ。
「ん!・・・・あぁ〜もうじき交代要員が来るから、ソレまでの辛抱ね」
 ミカが両手を組んで身体の上に上げて伸びをすると、そう言った。
「あぁ、6時間休みだからな、早くぐっすり寝たいよ」
 サミエルもそれにつられてあくびをする。艦長のいないブリッジなどだいたいこんなモノだ。周辺の哨戒には、イゾルデ隊が向かっており、エストック・フランベルジュ・トリスタン隊は既に休息時間に入っていた。

 MSデッキで「死に装束」の整備をやっていたショールとエリナは、半減休息に入ってしばらくしてから誰もいないビュッフェで鉢合わせた。お互いに寝付けなかったのだ。特に待ち合わせをしたわけではなく、偶然の出来事だった。
「眠れないのか?」
「ええ、眠いけど寝付けない・・・最悪だわ。」
 ショールは自動販売機で2杯のコーヒーを取り出して、既に席についているエリナに片方を渡した。その後ショールはエリナの向かいに座った。
「無理に寝ようとすると逆に疲れるからな。ゆっくりした方がいいさ。」
 ショールは熱いコーヒーを少しだけ口に含むと、舌を使って口の中で転がした。ショールがコーヒーを飲むときの癖だ。ショールは言葉を続ける。
「次はジャブロー降下支援任務、まだ日数はある。月に帰ったらまたどっか行こうぜ」
 エリナの暗い表情はその言葉で少し和らいだ。ショールはショールなりに何か間を持たせる話題を探してくれているのだ。エリナがショールに惹かれたのはそういう人に対する優しさだった。
「いいわね・・・食べたい物があるわ。」
「何が食べたい?」
「ジャパニーズ・ヌードル、ソバって言うのよ」
「あぁ、聞いたことがあるな、、レイなら知ってるだろうから店のことを聞いてみるよ?」
「ありがと・・・ジャブロー降下作戦っていつだっけ?」
 エリナが急に話題を転換したので、ショールは戸惑いを覚えたが、重い頭を何とか回転させて、言った。
「5月に入ってからだ・・・10日くらいじゃないかな、確か・・・」
「このまま何もなかったとして、月に帰ってくるのが4月18日前後でしょ?時間はあるわね?」
 エリナは猫舌なので今までコーヒーを口にしていなかったが、そう言った時にようやくコーヒーの入った紙コップに手を伸ばした。ショールはじっとその手を見つめていた。

 レイ・ニッタはよく眠れた。昨晩ナリアに深酒を付き合わされて、二日酔い気味ではあったが。しかし、そのおかげでよく眠れた。レイはナリアに感謝した。レイは後から知ることになるが、ナリアが自室に1人の男性を呼んで酒を呑むことはほとんど無いらしい。よほど気に入った男だけが、彼女と2人だけで呑むことができるらしかった。(オレは気に入られたのか)美人にそう思われることはレイにとっては本懐だった。
 美女と酒を呑むこと、これはレイの生き甲斐の一つである。月にいた頃はアナハイムの気に入った女性社員に声をかけては呑みに誘うことなど、珍しいことではなかった。着替えて自室から出たレイは、ビュッフェに向かった。目覚めのコーヒーを飲む為だった。

「あ、お2人さんか、お邪魔だったか?」
 レイのその言葉に、ショールとエリナは振り返って声の主を確認した。
「いや、いいさ、用事は済んだからな。よく眠れたか?・・・って、顔を見れば分かるな・・・よく眠れたモンだ。お前さんは肝がよく据わってる。いいパイロットになるぜ?」
「コーネリア中尉がさんざん呑ませてくれたからな、嫌でも眠れるさ・・・」
 レイは少し肩をすくめた。同時に、ショールとエリナの顔色があまり良くないのに気付いた。
「あんたらも少しは寝た方がいいぜ?コーヒーなんか飲んだら眠れないじゃないか!」
「ええ、そうさせて貰うわ。まだ時間はあるし・・・行きましょ?」
 エリナは少しだけ微笑みを見せた。そしてショールの肩を一度叩くとショールはビュッフェの出口に向かって歩き出した。
「じゃぁね、おやすみなさい」
 エリナはそれだけ言うとショールの後に続いた。

 レイはまだショールやエネスが地球連邦を改革したいと思っている主義者であることは知らなかった。ただ「凄いエースパイロット」ということしか認識していなかった。レイ自身はただMSに乗るために士官学校に入ったと言っても過言ではない。一年戦争の頃、レイはハイスクールの工学科生だった。その時、新聞の写真で見たMS-06ザクUを見て度肝を抜かれた。これまで自分が勉強してきた技術など及びもつかないような兵器が登場したのだ。
 レイはこの時から、これまで以上に機械工学やコンピュータの研究に意欲を見せた。しかし、一年戦争終結後にレイが進んだ進路はMS開発企業ではなく、士官学校だった。自分の納得できるMSを創るためには、MSパイロットになって自分がどんなMSでも乗りこなせるようになるべきだと考えたのだ。
 UC.0084に士官学校を優秀な成績で卒業したレイは、卒業後すぐに月のアナハイム・エレクトロニクスにテストパイロットとして出向した。アナハイムでの仕事はレイにとっては極めて充実したモノばかりであった。親友もでき、その男とはMSを独自に開発したいという夢を共有したのであった。しかし、月での生活が1年に及んだUC.0085、レイにとっての人生の転機が訪れた。一年戦争後に月に潜伏していたジオン軍兵士と出会ったのだ。レイはそのことを忘れたことはなかった。コーヒーを口に運びながら、記憶をたどった。


 全てが偶然だった。仕事を終えて、適当に酒を呑み、少し火照った身体を心地よく感じて、何げに路地裏を歩いていると、そこにたたずむその男の雰囲気が何か周りと違っていたのを感じて、声をかけたのがきっかけだった。
「あんた、こんな裏道で何やってるんだ?」
「連邦の制服か・・・捕まえに来たのか?」
 みすぼらしい格好の、無精ひげも剃っていない中年の男は、ただ座って見上げているだけだった。
「オレはタダのパイロットだ。関係ないな?」
「なら、なんで声をかけた?」
「分からないな・・・なんとなくだ。あんた、元ジオンか?」
「そうだ」
 男は短く答えた。
「理想の実現のために戦ったが、その理想を見失った男だ。」
 これまで無感情だった男の声が、一瞬だけ変わった。レイはその男に興味を持った。元ジオン軍兵士と実際に会うのは初めてだったからだ。
「なぜだ?一方的に理想を掲げておいて、それを見失うのは無責任じゃないのか?」
「お前、まだ若いな・・・個人の理想など、組織全体は見据えちゃくれない。ジオン軍はザビ家の利己的な理想のために利用されたんだよ。ジオン・ダイクンの教えに基づいてスペースノイドのために戦ってきたオレが、なんでコロニーの人間を殺さなければならない?」

 彼は一年戦争中にあったコロニー毒ガス事件において、あるコロニーの毒ガス注入ボタンを直接押した人間だった。レイは毒ガス事件については報道されているか書物に記載されている程度のことしか知らなかった。その男を自室に招いて、その時のことを詳しく聞いた。レイにとって、それはショックの小さなモノではなかった。直接ボタンを押した後味の悪さが、その男の言葉からは如実に感じることが出来た。いかなる理由があっても、戦争で民間人を虐殺することが如何にナンセンスであるかを、レイは実感した。
何のために戦うのか?
理想のためか?
その実現には民間人の虐殺がどうしても必要だったのか?
 2年たった今でも、その疑問は答えを見出せなかった。あの男は結局、レイと出会って3ヶ月後、連邦に捕まってしまった。一度だけ面会を許可されて、男とは話をした。しかし、男はレイが自分を売ったとは思っていないと言った。その男の確信は何を根拠にしていたのだろうか?レイには分からなかった。その後のレイは戦争を嫌悪してMS開発の夢を捨て去るどころか、むしろ今まで以上にMSにこだわった。
 戦争をするところを選ぶことがMSにはできるるのではないか・・・レイにはそう思えるようにまでなった。犠牲者をより少なくするためには、戦争をより早く終わらせるべきだという定説に、自分で辿り着いたのだ。そのために作戦行動そのものにかかる時間を最低限に押さえることが出来るようなMSの研究に没頭した。
「毒ガスやコロニー落としなんて必要ない!戦争で死ぬのは兵隊だけで十分だ!!」
 レイはそう掲げるようになっていた。しかし、月にいる間にその夢は間に合わなかった。男が捕まって1ヶ月後の7月31日、ティターンズがサイド2の30バンチコロニーに毒ガスを注入して民間人を虐殺するという事件が起こってしまったのだ。この事件は報道管制の網の目をくぐって、ごく一部の連邦軍兵士の耳に入った。レイは事件の1ヶ月後に、偶然それを知ってしまったのである。それをレイに教えたのは、その頃からエウーゴと呼ばれる反地球連邦組織の人間だった。その人間は密かにレイの自室を訪れ、レイをエウーゴに勧誘してきたのだ。レイは二つ返事でエウーゴに参加することを伝えた。レイのコーヒーは、その追憶の間に無意識のうちに飲んでしまっていたようで、紙コップは空だった。

 UC.0087、4月17日、クレイモア隊は何事もなくグラナダに帰投することが出来た。クレイモアMS隊はティルヴィング補修の間グラナダの警護に当たることになっていた。予定では2週間後の出発であった。期間がヤケに長いのは、休暇も入っているようだ、これからの作戦行動の重要さを物語っているな・・・エリナと共にティルヴィングから降りてきたショールは思った。グラナダの宇宙港は、慌ただしさで埋め尽くされていた。  


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