第37章 終わりの始まり

 地球への落下軌道を取っていたコロニーが阻止限界点(Gライン)に到達するまで、残り15分を切っていた。コロニーの宇宙港にあたるブロックには、既にレイの乗るゼータプラスCA2型”マイン・ゴーシュ”の姿があった。
「手間取っちまった、クソ!」
 毒づきながら、レイは愛機から降りた。当然ながら、レイはシンドラIIを旗艦とする艦隊の手厚い歓迎を受けたが、それにかまわずにウェイブライダー形態で勢いのまま突破し、宇宙港に入り込んだのである。
「管制室は・・・こっちか。」
 コロニーの進路を変更すべく、管制室へ向かう通路を探したが、幸いにも通路のひとつの脇に見取図を見つけられたので、目的の場所へのルートをすぐに知ることができた。
「リミットまで10分少々か・・・急がなきゃ。」
 10分という時間は、レイにとって少なすぎた。その間に管制室のメインシステムに入力されている数値を変更し、進路変更用の核パルスエンジンに点火し、大気圏への侵入角を設定しなおさねばならない。エンジン点火をコンピュータに命令してから点火まで数分がかかるし、コロニーほどの巨大な物体が進路を変更するには、さらに時間がかかる。正直言って、かなり分が悪い。しかも、この先、無事に作業ができるという保証はどこにもないのである。
 床に表示された矢印に従って通路をしばらく進むと、大きなドアがレイの前に立ちふさがった。どうやらここまでは、問題なしのようだ。
「ここか・・・」
 緊張のためか、パイロットスーツの中がひどく蒸し暑く感じられるが、それを押し殺してドアの開閉スイッチを押した。その瞬間、レイは自分が遅かったと思い込んだ。その部屋の中には、緑色のパイロットスーツの姿がひとつあったからである。
「動くな!」
 すかさずレイは、腰のホルスターからハンドガンを抜きはなって、構えた。管制室のコンピュータの前で作業をしていた手がすぐに止まって、ネオジオンの兵士はレイに背中を向けたまま両手を挙げた。
「・・・邪魔をしないで欲しいな、エウーゴのパイロット。」
 そのパイロットも焦っているのだろうか、とレイが思うほど、抑揚のない声だった。しかし、どこかで聴いたことのある声だ・・・とも思った。
「ネオジオンの邪魔をするのが、オレの仕事でね。作業をやめてもらおうじゃないの。」
「・・・そうはいかん。コロニーの軌道修正をしなければならないからな。」
 言ってからパイロットは、両手を降ろして作業を再開した。自分は舐められたと思ったレイは、激昂した。忍耐もそろそろ限界だった。
「やめろっての!」
「悪いが、オレは急いでいる。その命令は聞けんな。」
 狭い管制室の中に、銃声が重く鳴り響いた。

 エンドラ級巡洋艦シンドラは、クローネの指示通りに一度コロニーの前で人員を降ろした後、コロニーから一旦離れていた。クローネと合流するためだ。
 そのクローネのシュツルムディアスは、既にコロニーのすぐ外側で陣形をとって構えていた艦隊へと向かっていた。そのすぐ先には、エンドラIIがあった。
「マシュマー、コロニー落としなど、バカなマネはよせ!」
 通信回線が開かれると同時に、クローネは怒鳴った。
「バカなマネだと?貴様、ハマーン様に逆らうのか?ハマーン様が間違った判断をされるはずがない。地球に居座る俗物を抹殺すれば、おのずと地球圏は平和になるのだ!」
「平和?お前やハマーンの口から、平和という言葉が出るとはな。地球の滅亡が、コロニーの人々の生活にダイレクトに影響することを知らないのか、お前は!」
「ハマーン様の考えに抜かりはない。ダブリンだけを破壊すれば、連中は脅しに屈して、サイド3を我々に明け渡す。我々が地球圏を握ってから、地球は復興させればよい。」
「あのしみったれたニュータイプのなり損ないに、未来を作れるとは思えない。アイツは過去を清算するついでに、戦争を仕掛けているんだぞ!」
 その言葉を聞いた瞬間、それまで余裕の表情を浮かべていたマシュマーの顔が、怒りに豹変した。
「貴様、ハマーン様を愚弄することは許さんぞ!」
「ならばどうする。オレを殺すか?」
 乗せられつつあることを自覚したのか、マシュマーは再び余裕の表情を浮かべた。
「いや、貴様を殺しはせん。ハマーン様の命令だからな。あくまでハマーン様に従わないと言うのなら、貴様のサイド2の住民が皆殺しになるがな。」
「な・・・なんだと?」
「貴様ごときの思惑、ハマーン様が知らないとでも思っていたのか。私がレーザー通信で一言命令すれば、サイド2の1バンチから順に毒ガスを注入し、全滅させることができるぞ。それとも核攻撃が良いか。ダブリン周辺の数十万の人命と、数千万におよぶサイド2の命運・・・貴様はどちらを選ぶかな?ハハハハハハハハ・・・」
 この時になってクローネは、自分が最初から敗北していたことを悟った。敗因は、ハマーンを見くびっていたからではない。それどころか、ハマーンという存在の大きさを知っていたからこそ、慎重に長期的な地球圏の革命を画策していた。サイド2を私物化したのは、その土台を作っておくためだったのだ。
 ただ、まさかハマーンがスペースノイドに手出しをすまいとは思っていた。見くびっていたのではなく見誤っていたと言うべきだろうが、どのみち、認識が甘かったと言うしかない。ハマーンがサイド2を訪れたのは、その準備をするためでもあったのだろう。
「なんということを・・・」
「さぁ、どうする。ここで大人しく引き上げるというのであれば、サイド2に派遣した部隊を撤退させてやるぞ・・・貴様次第だ。だが、迷っている時間はないぞ。」
 もはや、クローネに選択の余地はなかった。すぐ後ろに追いついていた自らの母艦に向かって、通信を飛ばした。
「クッ・・・ネリナ、シンドラはサイド2に撤退だ!」
「そうだ、それでいい。貴様がこの宙域を離れたと確認次第、撤退するように命令してやる。」
 クローネの歯噛みは、マシュマーにとって確定した未来であったようで、いかにも予定通りだというように不気味に微笑した。


 ティルヴィングは、後方から迫る連邦のクレイモア隊討伐艦隊の先発隊の攻撃に晒されていた。それゆえ、エネス達もレイ達やシンドラにまで気を回す余裕がなかった。なんとか先発隊のモビルスーツの編隊がティルヴィングに攻撃を仕掛ける寸前に当該宙域に到着したエネスとファクターは、状況を把握する時間を与えられなかったのだ。唯一分かっているのは、12機のジムIIが向かってきていることだ。
「エネス、まずは目前の敵をたたくしかねぇ!」
「待て!」
(しかし、たかがいち部隊討伐のために艦隊まで用意できるとは・・・やはり連邦は、ネオジオンに対して恭順を決め込んだと言うことか。そうでなければ、連邦正規軍に艦隊規模を動かすだけの余裕はないはず・・・。)
 実際、サラミス級バンクーバーとアンカラの先発艦隊をはじめとする5隻編成の討伐艦隊は、ルナII駐留のニューデリーを除いて各コロニーサイドに配備されていた治安維持部隊を掻き集めて編成されたものだ。治安維持部隊を撤退させた理由は至って簡単、必要がないからだ。ここまで大仰なことをしてまでクレイモア隊を討伐しようという理由もまた簡単で、コロニーが地球に落ちた方が都合のいい人物が、連邦政府の中にいると言うことだ。
 エネスとファクターのリックディアスはすかさず前進して、敵モビルスーツ隊の正面に躍り出た。ふとエネスが後ろを確認してみると、ティルヴィングからの先発隊としてコロニーに向けて出撃していたフランベルジュ隊のネモ2機が、戻ってきていた。
(守りの方をあの2人に任せるとしても、オレとファクターだけで12機の敵と・・・正面からでは勝ち目はないか・・・どうする?)
「どうするよ、エネス?」
「2機では勝負にならないのなら、数を増やせばいい。ショットガン・フォーメーションでいくか。」
 ショットガン・フォーメーションとは、以前にサイド2でヴェキと名を変えたショール・ハーバインと戦ったときにとった、カウンター戦術のコードである。こちらが後退して敵を母艦のすぐ前まで誘い込み、機会を見て一気に反撃に出ると言うモノだ。確かに、ファクターにはそれしかないと思えた。
 すかさず2機のリックディアスは、ティルヴィングの方へと少しずつ後退を始めた。ジム隊の隊列は正三角形で前と左右、中央にそれぞれ3機の小隊単位に分かれていたが、先頭のジム隊の指揮官は、数に圧倒的な差があることからそのまま押しきる戦術に出たようで、エネス達につられて突出してきた。これがエネスの狙いであった。戦力を無意識に逐次投入させることで、瞬間的な数的不利を解消したのである。だが、敵とて後続が続いて来るであろうから、あまり時間はない。
 エネス達がジム隊を連れてティルヴィングの前方約数百メートルにまで戻ってきたとき、ファクターは発光信号でティルヴィングにショットガン・フォーメーションを実行することを告げていた。
「ショットガン・・・アレを使うのか・・・危険な賭けだがやむを得まい。フランベルジュ隊、ファクター大尉の指示に従え。」
 ログナーの直接の指示を受けて、マチスとアルツールはファクター機のすぐ後ろにまで前進した。
「よし、メガ粒子砲の発射準備。照準を先頭のジム隊に固定、エストック隊散開を合図に、砲撃開始!」
「了解!」
 ミカの復唱を聞き流し、正面スクリーンに投影された映像を凝視する。やがて先頭のファクターとエネスが一度射撃して散開すると、ログナーは叫んだ。
「撃て!」
 左右のカタパルト脇とブリッジの前にある小型メガ粒子砲が一斉に火を噴いて、前方のジム隊に直撃した。この一撃で、突出していた1小隊が消滅していた。しかし、その直後の瞬間を狙って、後続のジム隊が押し寄せてくる。これを左右に散ったファクター、エネス、マチス、アルツールが、それぞれに外側から射撃を開始し、一方的な殺戮を手中に収めていた。これでクレイモア隊の勝利は確実なモノとなった・・・はすであった。
「艦長、サラミス級2隻の更に後方から艦艇を確認。数は不明、遠すぎます。」
「接触予定時間は?」
「およそ、35分!」
 ミカの蒼白な表情と違って、艦長のそれは冷静そのものだった。なぜなら、敵ジム隊の母艦である2隻のサラミス級は、いっこうにティルヴィングとの相対距離を縮めていなかったからだ。増援が到着するまで当該宙域での戦場を確保するための先発隊であるのは、ログナーには分かっていたのだ。後続の艦隊は増援と言うよりも、本隊だろう。
(いよいよ、アレを使うときが来たと言うことか・・・)
「エネス大尉に発光信号、戦術コード”フリッカー”を指示。」
「フリッカーですか?」
 ミカの記憶に、そんなコードは存在しなかった。
「そう言えば分かる。」
「了解。」
 直後、光の点滅によってモールス信号と同じ効果を現す信号が、エネス機に向かって発せられた。
「フリッカー・・・アレを使うつもりか・・・なるほどな。クレイモア隊全機後退、パスプロテクション!」
 エネスは、ログナーの状況判断の鋭さに驚嘆するばかりだった。そして、戦術コード”フリッカー”実行のため、ティルヴィングと麾下のモビルスーツ隊の全機が横一列に並び、後退を始めた。

 銃声がやんだ直後、メインシステムで作業をしていたネオジオンのパイロットスーツは、左腹部から鮮血を撒き散らしながら倒れた。レイは狂いなく、人体急所のひとつである腎臓をヒットさせていたのである。
 相手が動かなくなったのを確認すると、レイはその男に代わってメインシステムの操作を開始した。ところが・・・。
「あれ?このプログラムって、軌道修正用じゃねぇの・・・ってことは、こいつも・・・」
 ふと男を見下ろす。撃ったときときよりも男との距離はかなり短く、ヘルメットにはスモークが張られていた。それゆえ、顔を確認することはできない。気になったレイは、室内の空気の存在を確認してから、男のヘルメットを剥ぎ取った。
「・・・ショール!」
 そう、このパイロット、ヴェキ・クリオネスの顔は、ショール・ハーバインそのものだったのである。レイは早まって、ショールを撃ってしまったと言うことになるのだ。
「なんてこった、ダチを撃っちまうなんて!」
 よく見ると、ショールの胸は小刻みだが確実な、呼吸の存在が伺えた。それもそのはず、ショールは5年前の戦闘中の事故による負傷で、左の腎臓を失っている。腸を貫通くらいはしたかも知れないが、命に別状はなさそうだった。
「クソ、まず軌道修正をしなきゃ・・・」
 時計を見ると、タイムリミットまであと5分もなかった。今すぐに核パルスエンジンを点火させないと、間に合わなくなる。しかし、つい今しがた、あまりに衝撃的な出来事があって動揺してしまっただけに、キーボードを打ち込むにも、レイらしくないミスを連発してしまう。それが更なる苛立ちを生み、ミスは重なっていく。
「よし、これで点火だ!」
 命令を一通り打ち込んでエンターキーを押すと、モニタに核パルスエンジンの起動を確認するメッセージが表示される。1分ほどして、コロニー全体が小刻みに振動した。エンジンが点火したのだ。
「よし、点火を確認。戻るか・・・」
(でも、その前に・・・)
 ショールを抱き起こし、頬を数度叩いてみる。意識はあるようだった。
「ショール、オレだ、レイ・ニッタ。分かるか?」
「うっ・・・レイ?」
 苦痛に呻きながらも、ショールはかつての友の名を無意識に呼んだ。次第に意識がハッキリしてくるのが、自分でも分かった。
「自分の名前が分かるか?」
 レイがこういうことを質問したのは、意識がハッキリしているかどうかを確認するためだ。
「オレは、ヴェキ・・・」
 期待こそ裏切られたが、意識そのものの心配はなさそうだ。それを確信してから、肩を貸してショールを立ち上がらせた。しかし、レイは、ショールを連れて帰ることを決断していた。

第37章 完     TOP