第33章 激 動

 宇宙世紀0088年8月に入ってから、戦局は宇宙から地球に移っていた。地球ではカラバと一部のエウーゴの部隊が、地球に降下したネオジオンと、それに呼応して蜂起したジオン残党軍との戦闘を繰り広げていた。それがアフリカ戦線を中心にしたモノであってユーラシア全域では極めて小規模であったのは、ヴェキ達シンドラ隊がハマーンの思惑を崩すべく暗躍した賜物であった。連邦軍はネオジオン軍に潜在した内部分裂によって救われていた一面があって、その意味では運が良かったと言える。

 エウーゴからの離反を決意したエネスの行動は、素早かった。今すぐに離反するというわけでもなかったが、自分達が8月から正規の部隊となる以上、自由が無くなるまでに最低限の準備をしておく必要があったからである。しかし、自由が無くなるのは7月いっぱいの予定だったのだが、ヴェキ達の暗躍によって戦局が地球上、アフリカ大陸に集中したおかげで宇宙での戦乱が一段落し、次なる行動の土台を築きあげる貴重な時間を得たのであった。そして、暇を持て余していたエネスは、自室で自分が得なければならないことの優先順位を整理していた。
 ユリアーノのもたらす情報、まずこれがもっとも大事なことだ。そして、離反した後の潜伏先の確保・・・これもユリアーノにはサイド2に心当たりがあるらしく、彼は自信を持って断言していた。さらに、ハヤサカを通じての最低限の技術的サポートでの約束も取り付けることもできた。最後の問題は補給であったが、ユリアーノとハヤサカには、巡洋艦一隻分くらいの人員を食べさせるくらいの方策はいくらでもあったので、彼らはそれを保証できると言って見せた。
 最早、エネスにとっての心配は、離反を実行する”時”だけであった。しかし、これこそが最大の問題であって、これを間違えたら全ての準備が水泡に帰す。自分や肉親のみならず、多数の仲間の生命にかかわることだけに、失敗は絶対に許されないのである。

 その”時”の来訪は意外に早かった。この日、8月31日は偶然にも、ハマーン・カーン率いるネオジオン艦隊が地球に降下し、占拠したダカールで連邦政府高官達と和平協議をするための会合を行ったその日であった。クレイモア隊の総指揮官であるログナーは、参謀本部から呼び出しを受けた。以前にも、同じ様な形での呼び出しはあった。昨年のクレイモア隊凍結の決定を報されたときだ。
 ログナーはそれに対して別に驚きもしなかったし、狼狽もしなかった。エネスがかつて言ったように、”賽は投げられた”のだ。一度覚悟を決めたログナーは、こうなると異様なほどのタフさを見せる。クレイモア隊が戦ってこられたのは、この指揮官の度胸の良さゆえであったと言っても過言ではない。
「ノルヴァ・ログナー中佐、参りました。」
 参謀本部幕僚会議の会場に姿を現したログナーは、その内心に秘めるものをひた隠して敬礼した。
「ご苦労、中佐。」
 ログナーの挨拶に応えたのは、エウーゴ制服組の中でも上級の幹部である、エイドナ・バルス少将だった。前にログナーがこの会議の出席を求められたとき、バルスは地球にいた。それはバルスの本来の職場が地球にあったからで、今回はグラナダでせねばならない仕事があったのである。
「君をわざわざ呼び出しておいてなんだが・・・幕僚会議で話し合うことは、何もない。」
 無言で、ログナーは続きを待った。
「地球連邦政府からエウーゴ所属の全部隊に、秘匿の通達があった。」
 秘密の命令書をグラナダに運ぶこと、それはバルスの仕事のひとつであった。
「以後、エウーゴはネオジオン軍の行動に干渉せずに黙認せよ。それに背く者は政府に対して叛逆の意思有りとみなし、連邦正規軍およびネオジオン軍がその罪と責任を問う・・・以上だ。」
 文章にしてみれば数行、口頭でもほんの十秒足らずの手短な命令には、辛辣さが飽和していた。
「黙認せよ・・・つまり、ネオジオンが何をやっても攻撃を仕掛けてはならない、ということですか?」
 ログナーが確認を取るまでもなく、それが事実である。ログナーもこの命令にはいささか驚かされていたが、その驚きの種類は、他の出席者達がこの命令を聞いたときとは別のモノだった。この種の命令が下ることは、既にユリアーノらが予測している範疇にあったからだ。
 この会議にログナーが呼び出された理由は、単純だった。機動部隊の中でグラナダに駐留していたのが、たまたまクレイモア隊だけだったのである。しかし、それだけではないとログナーは思っていた。いや、確信していた。クレイモア隊の動向を警戒しているのは明白だと思えたからだ。
「文面の通りだよ、中佐。」
 淡々としたバルスの口調から、ログナーはきな臭さを感じていた。ユリアーノがかつて言ったように、バルスにとってエウーゴというモノが、最早利用価値のない組織になりつつあったのだろうか。そしてエネスの言う”時”が、すぐそこまで来ているのではないか・・・。
「もし、向こうから手を出してきた場合は?」
「その疑問はもっともだが、同時に無意味でもあるな。ダカール占拠を最後に、ハマーンは軍事行動を起こすことはない。向こうから明言してきた。」
 もちろんログナーは、それを真に受ける気は最初からなかった。ネオジオンがそんなに殊勝であったら、今頃は戦争を回避できたかも知れないのだ。バルスのような人間こそ抹殺すべきだとネオジオンが認識しているということも、想像は難しくない。それを表に出さず、口だけの返事をした。
「・・・・・・分かりました。」
 簡潔なログナーの返答に、バルスは一瞬拍子抜けした表情を見せた。ログナー、いや、理想主義者の集団であるクレイモア隊が、簡単にこのような状況を受け入れるとは思っていなかったのである。しかし、ログナーは、決してこの状況を受け入れたのではなかった。分かったと言ったのは、その命令文の主旨を理解しただけで、決してそれを承伏し、従う気になっていたゆえではない。
「いかなる理由があろうと、無断で戦端を開くことは許されない。最早、ステージは政治の段階に移っているのだよ。それを理解してもらいたい。」
「・・・・・・」
 ログナーは無言を貫いた。呆れて何も言えなかった。自分に不都合な存在を排除するために巡らせる知恵はあっても、事態を認識する力が欠如している・・・改めてそれを思い知ったのだ。エウーゴに参加した当初、連邦のそう言った体制を変革できると、ログナーは信じていた。エウーゴが内乱を制して、連邦は変質するはずだった。だが、現実はどうだ。エウーゴは結局、理想を建前としか利用できず、ただただ地球連邦の歯車に甘んじているではないか。それを思うと、ログナーは”はらわたが煮えくり返る”想いだった。
「わかったのなら、退出したまえ。」
「・・・・・・」
 バルスの思惑は、ログナーには手に取るように分かった。バルスを始めエウーゴ閥の一部閣僚らは、ネオジオンと本気で和平を結べると思い込み、ネオジオンとの間で連邦の組織そのものの現状維持を見込めると信じ切っているのだ。ハマーンやザビ家の思惑とは、明らかに食い違っている。ネオジオンの目指す平和とは、地球に住んでいる連邦政府高官達の抹殺によってもたらされるモノなのである。
 ログナー自身もエネスと同様、何も知ろうとしない癖に全てを知っているように振る舞い、その中で打算を見出すことしか考えない利己主義者の集団になり果てた地球連邦政府に愛想が尽き果てていた。やはり、連邦の組織を改革するだけでは、地球と宇宙に安寧をもたらすことは出来ないのだ。人の認識を少しずつ変えていくというショール・ハーバインの革命思想こそが、ログナー自身も信じるべきだという認識を自覚できていた。
「分かりました、では、失礼します。」
 怒りを抑えつつ、ログナーは退出した。今や、ログナーに迷いはなかった。

 
 同日、ルナIIに駐留しているサラミス級巡洋艦ニューデリーにも、同じ通達が連絡員によってもたらされていた。あらかじめ連邦の出方を予測できていたエネス達と違い、ユリアーノからの連絡を受けていなかったクラック達の受けた衝撃は、小さなモノではなかった。
「ハマーンのダカール制圧と、それに伴ってのこの通達か・・・」
 溜め息まじりに、艦長であるモートン少佐が呟いていた。ブリッジクルー達はそんなモートンの心境を横目に、仕事に精励していた。もっとも、待機中のニューデリーでの仕事といえば哨戒任務に就いていた部隊の申し送りなどくらいだったので、モートンの愚痴に付き合いたくないがゆえ”仕事の振り”をしているようにも見えなくもない。ブリッジでまともにモートンと付き合っているのは、彼の左右を陣取るクラックとフェリスくらいであっただろう。
「捉えようによっては、連邦がネオジオンに降伏したようにも見えるでしょうね。」
 フェリスの心境は複雑だった。彼女は過去に数度、やっかまれて転属を命ぜられた身であったので、連邦のやり方にはいささか懐疑的であった。いっそ、連邦政府は一度ネオジオンに痛い目に遭わされた方がいいとすら思えたが、自分自信では何もできないまま事態が進んでいくことには心なしか抵抗があって、それらの二律背反を自分でも制御しきれないでいた。
「ったく、連中は何考えてるんだか・・・ともかく命令がでた以上、オレ達はそれに従うしかない。あとはエウーゴ次第か・・・」
(そして、エネス大尉達の出方も気になる・・・)
 無論クラックは、尊敬しているエネスが今この時にエウーゴからの離反を考えていようなどとは、想像もしていなかった。だが、エネスが連邦政府の言うがままになっているのも、なんとなく釈然としないのである。
「いや、ネオジオンの出方次第だろう。こうなった以上、エウーゴの方から手を出すことは出来ない。」
「では、ニューデリーはどうしますか?」
 フェリスの質問に、モートンは即答を避けた。実際、どうしたらいいのか分からないのだ。命令には従う、それは当然だ。特に指令がでていない以上、ニューデリーはルナIIに釘付けになるのもやむを得ないことだろう。せいぜい、ネオジオンの気が変わって手を出してきたときのために、警戒を敷いておくことくらいしかできないのが現実だった。
 モートンがそれを口にして、フェリスもクラックも納得していた。今の自分がどれだけ中途半端な立場にあるのかを、それぞれが良く理解しているのだった。
「我々に出来ることは少ない。だが・・・」
 モートンにはひとつだけ、現状を打破できる可能性を信じていた。
「だが?」
「クレイモア隊は・・・エネス大尉なら、何かリアクションを起こすかも知れない。」
「大尉が動くというのですか?」
 クラックは本心から驚いて見せた。
「確証はないが、可能性はある。そうでなくては、彼はなんのためにエウーゴに下ったのか・・・」
 それはただの願望や直感ではなく、彼をティターンズに引き込んだ人間として、彼の数少ない理解者として根拠をもっていた。その根拠とは、組織という枠組みに収まりきれないエネスの持つ改革思想であった。エネスとの5年に及ぶ付き合いの中でモートンはそれを肌で感じていたし、実際、エネスを含むクレイモア隊は一度ならずエウーゴの統制を離れて独自に行動していた。そう、リアクションを起こす可能性は十分にあるのだ。

 ユリアーノから新たな情報が入ったのは、ログナーが幕僚会議から帰還した直後、8月31日の昼過ぎだった。艦内はランチタイムによる半舷休息が敷かれていて、朝に艦を出たときと比べても閑散としていた。それをただ眺めながら、ログナーはブリッジに戻ってきていた。
「おかえりなさい、艦長。」
 出迎えたのは、ミカ・ローレンスだった。ログナーの表情を見れば、召喚された理由がロクでもないモノであることくらいは想像が出来たが、敢えて何も言わなかった。
「ご苦労・・・」
 精神的な疲れを隠そうとしたが、その一言に全てが集約されているような印象を受けた。ログナーは続けた。
「何か変わったことは?」
「例のJ.Mから、暗号電文が入っています。まだ解読はしていません。」
 指揮官が不在である以上、ミカがそれを解読せずに帰りを待つのは当然であったが、ミカの好奇心は確かにログナーのいかつい顔に向けられていた。
「いいだろう、読んでみてくれ。」
 もはや、ブリッジクルーに隠すことはない・・・ログナーはそう思っていた。
「はい・・・”連邦はネオジオン軍と和平協定を結ぼうとしたが、エウーゴの部隊の妨害にあって会合は決裂、ネオジオンはダカールから撤退した。続報を待て”・・・以上です。」
「・・・わかった。アルドラ、エネス大尉を呼びだしてくれ。」
「了解。」
 アルドラに呼ばれ、エネスがモビルスーツデッキから移動してブリッジに到着したのは、すぐしてからだった。ログナーは暗号電文を解読してプリントアウトしたそれを見せ、口頭での説明を省いた。
「続報を待て、か・・・まだ動くなと言うことですね。ネオジオンも政府官僚を懐柔する策を捨てて、次なる何かを仕掛けてくるかも知れません。」
「・・・だろうな、もう少し時を待とう。」
 ログナーにあわせてエネスも頷いたが、表情はまだ納得を孕んでいなかった。

 エネス達はその後、2ヶ月もの間を無為に過ごすことになったが、その間に準備を着々と進めることができた。ネオジオン軍がサイド4の宙域に向かって部隊を派遣したという情報を得たのは、10月30日のことであった。そしてこのすぐ後に起こる事件が、クレイモア隊、いや地球圏全ての運命を決定づけることになる。激動は、まだ終わっていない。

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