第32章 暗 躍

 日付が23日になってすぐ、ユリアーノ・マルゼティーニはサイド2でクローネとの話を終えて、根拠地であるサイド3に戻ってきていたが、クローネの協力を取り付けることができた満足感にいつまでも浸っているわけにはいかなかった。
 ユリアーノは自分の部屋に帰ってシャワーを浴びると、仮眠も取らずにすぐに部屋を出発して、勤務先であるノーアトゥーン社に向かった。この会社は、彼がリーダーをつとめている諜報組織”ピクシー・レイヤー”の根拠地であり、地球圏のあらゆる情報が集まってくる場所だといっても良かった。そこで秘書のクレア・ハリアから資料を受け取ると、その足で小型シャトルに乗り込んで、月へと出発していた。エネスに、今まで隠していたクレイモア隊にまつわる真相を明かすために・・・。

 同じ頃、エネスは軍医のカンダから再び呼び出しを受けてメディカルルームを訪ねていた。カンダの話は、エリナの中にいる胎児の父親がショール・ハーバインであると断定できたことだった。エネスはそれに対して、そうか、と一言だけ返して、他に用がないのを確認するとすぐにメディカルルームを辞していた。あまり感動したり安堵したりする様子もなかったので、呆気にとられたカンダはただ、その後ろ姿を眺めることしかできなかった。
 エネスは別に、エリナの胎内で少しずつこの世に生まれ出る日を待ちわびている胎児に対して、いや、父親であるショールに嫉妬していたわけではない。エリナがショールの子を産むのは当然の結果であって、エネスの心配は別の次元に向かっていた。
 すなわち、エリナが母胎としての宿命を無事にまっとうできるかどうかである。宇宙空間というのは、もともとは人間が生きて行くには障害が多すぎた。とくに宇宙放射線の人体への影響は著しいのが現実であったし、それに自分達は戦争をしているのだ。ティルヴィングが沈んでしまえば、エリナは胎児共々宇宙の一部となってしまう。その辺りに関しては、月やコロニーにいても同じことが言えたのだが、こと宇宙という環境に関しての心配を解消するには、ティルヴィングに乗せておくことは得策ではないと思えた。
 しかし、エリナひとりを月に残していくということは、エネスが手放しで歓迎できる状況ではない。月のグラナダは、エネスにとっては潜在的な敵の巣窟であると言えたからだ。普段は綺麗事を言っている組織が、こと反逆者に対しても綺麗事で済ませた例は歴史の上でも皆無であった。つまり、エネスに対する人質としてのエリナの存在価値に、一部のエウーゴ幹部が気付かないはずがないと思えた。エネスはそれを、ティターンズにいた頃に学んでいたのである。
 エネスが心配していたのは、そういうことであった。エリナにとって完全に安全であるという状況はどこにもないのであって、何が一番安全であるかという比較に悩んでいたのである。

 その報告によって、エネスの心の中からエリナへの心配の種は、わずかではあったが解消された。あとはエリナを無事に出産させてやれるように、自分が環境を整えることに従事していればいいのだが、それはエリナへの心配に範囲を限定した場合のことであって、エネスには他に心配しなければならないことが山積みなのが現実だった。
 8月からクレイモア隊が正規の部隊になるのにともなって、自分の行動にも何かと制約がつきまとうことになるので、エネスが将来的に目指そうとしていることの準備を急がねばならなくなってしまったのだ。幸い、7月いっぱいは自由に行動できそうだったが、1週間でできることには限度があった。ただ問題としては、今まではクレイモア隊の独立行動を理由に正規の部隊にしなかったのに、今更になって正規の兵力として編成するというエウーゴ上層部の考えが不気味だった。
 エネスが導き出した結論としては、エウーゴがクレイモア隊の、いやエネスの反抗を恐れて鎖に繋いでおかなければならない状況にあるのではないか、という考えが浮かんでいた。つまり、エネスはエウーゴ上層部にティターンズにも似た匂いを感じていたのである。だとしたら、今こそが動き始める契機になるのではないか・・・1時間ほどの長考ののち、エネスはいよいよ、エウーゴからの離反を視野に入れて活動することに決めた。勿論、それ自体はショールとの見解の一致を見ていたので、それは既に決まっていたことだ。エネスがした覚悟というのは、そう遠くないうちにエウーゴと袂を分かつ、ということであった。

 エネスが最初にやらねばならないのは、正確な情報を得ることであった。そんなエネスの前にユリアーノがタイミング良く姿を見せたことは、決して偶然ではない。クレイモア隊に関する情報が入って、エウーゴと彼らの関係に生じていた亀裂が地表にまで現れたのを察知し、エネスに助力すべくグラナダを訪れたのである。そして、エネスにしても、それを偶然とは思っていなかった。
 ユリアーノはシャトルを物資搬入口に入れると、以前から確保していたティルヴィング専用ドックへの道を通って、ティルヴィングに悠々と姿を見せたのである。数分後、ユリアーノは出迎えにきたエネスに案内されて、ログナーの私室の賓客となっていた。部屋の中には2人の男がいたが、部屋そのものは狭かったので、すぐにその正体を確認することができた。ファクターとログナーである。2人は既にエネスの考えを知っており、それに賛同していたのだった。
「君の聞きたいことは判っているよ、エネス大尉。」
 それがユリアーノの第一声だった。エネスが無言で続きを促したので、ユリアーノは続けた。
「つまり、クレイモア隊が、なぜ正規の部隊になったか・・・その理由を知りたいのだろう?」
「相変わらず耳が早いな、貴様は・・・」
「ここだけの話、エウーゴの上層部には私が投資している人物がいてね。その人物もいわゆる俗物というヤツだが、情報源としては貴重なんだ。」
「それは解っている。その情報源にオレは関与しない。必要なのは、より正確な情報だ。」
「まぁ、だいたいは君の推測通りだと思う。」
「オレ達がエウーゴに対する不穏な動きを見せないよう、先手を打ったつもりなんだな?」
「さすがと言いたいけど、間違いだ。その逆だよ。」
 ユリアーノの感嘆は正直なモノであったが、それを否定せねばならないのもまた、事実であった。
「逆・・・どういうことだ?」
「君らの上司のことで、判ったことがあってね。」
 言ってから、ユリアーノはクレアから受け取っていた資料を封筒から出して、ログナーに手渡した。その様子を見ながら、ファクターはたまらず口を開けた。
「もったいぶるのはやめようぜ、ユリアーノさんよ。」
「資料を要約すると、ロレンス大佐、いやバルス少将は最初からクレイモア隊を反逆者に仕立てるつもりだったんだ。」
「ちょっと待ってくれ。だったら、なんで今までオレ達をかばうような態度をとってきたんだ?おかしいじゃねぇか。」
「ファクター大尉の心配はもっともだが・・・」
 言いかけたユリアーノの横から、エネスが口を挟んだ。
「つまり、まずはエウーゴを勝たせるということか。」
 ユリアーノは黙って頷いただけだったので、エネスは続けた。
「そのための第一歩として、エウーゴの中で思想的純度の高い人間を意図的に選んで編成し、特殊遊撃部隊を使って全体の効率を上げる。そして連邦の内戦が終わる頃にエウーゴの活動を思想と乖離(かいり)させ、連邦政府が現状を維持できるようにするのが目的・・・」
「ご名答だ、エネス大尉。エウーゴが内戦を制したはずなのに、連邦自体は何も変わっていない。それは偶然ではなく、意図的なモノだった。最初からエウーゴの思想を黙殺することを前提にして、エウーゴに協力していたのがバルス少将や、その他の一部エウーゴ閥だったんだ。彼らにとってエウーゴの掲げていたスペースノイド主義は、今では邪魔にしかならない。」
「そういうことか、エウーゴはオレ達を処分する口実ができるのを待っていたんだ。」
 ログナーが思い立ったのは、ロレンスと対面しているときの様子だった。解散させられるかけたところを助けたり、自分達に何かと自由にさせてきたのは、やはり隠された目的があったのだ。
「連邦がエウーゴとネオジオンが争うのを好んでいないのは、外交のマイナスポイントをできるだけ出さないためだった。」
「しかし、ユリアーノ・・・だったら、今ここでオレ達が連邦やエウーゴの口実を与えるのは不味いんじゃないのか?自分から火事場に飛び込んで、火傷をすることはない。」
 それは、先程からエネスが抱き続けていた疑問だったが、だからといって手をこまねいていれば、あとで自分を許せなくなるだろう。
「つまり、エネス大尉は口実になるような行動を起こそうとしていたわけか?」
「・・・・・・」
「今はよした方が良い。あとで連邦から口実が必ず与えられるときが来る。行動するのなら、それを待つんだ。」
「貴様の情報は信じるが・・・本当にそのときが来るんだろうか?」
「必ず来る。」
 ユリアーノは自信たっぷりに断言したのには、根拠があった。議会のルートを通しての情報では、連邦政府が近々、エウーゴの各部隊を武装解除させ、ネオジオンの活動を邪魔しないように命令が来る可能性が高いと言うことだった。
「解った。連邦の方から手を出してくるまで、性急な行動は起こさないようにしよう。」
 エネスの決断に、ファクターとログナーは頷いて従った。
「だが、行動計画で定まっていない部分がある。仮に連邦から口実をもらって行動を起こしても、オレ達はただの反逆者だ。逃げ道がない。」
 ファクターの発言はもっともだと、ユリアーノは思った。ユリアーノ自身が経験していることだからだ。
「その点に関しては、私を信用してもらいたい。既に用意してある。」
 ユリアーノはまたも、自信たっぷりに答えた。その確信に満ちたユリアーノの表情を見て、エネスはその準備を本格的に今のうちに始める決心が付いていた。


 次にエネスが行うべきだと思ったのは、ユリアーノの情報通りに事が進んだ場合の、行動の準備をすることだった。その為に、エネスは翌日になってレイを叩き起こして、自分に同行させることにした。朝早くに起こされたレイは、わけもわからずにリニアトレインの車両に押し込まれたのである。
 アナハイム・エレクトロニクス、システム開発3課のハヤサカ主任がエネス達による予定外の訪問を受けたのは、7月24日の正午過ぎだった。エネス達が到着したそのとき、ハヤサカはシステム開発3課のオフィスで部下を叱りつけていたところだった。
「なんだ、この数値は?お前が計算ミスなんて珍しいじゃないか。」
「あれ、間違ってました?おかしいなぁ・・・ちゃんといけてるはずだったんですが・・・済みません。」
 ハヤサカに叱られているのは、彼より一回りほど若いくらいの男で、雰囲気もどことなくハヤサカと似ていた。叱られる側である男は、口ほど申し訳なさそうにしているようには見えなかった。その辺の鷹揚さと厚顔さなどは、ハヤサカそっくりである。
「おや・・・エネス大尉、それにレイ。」
 エネス達の姿を視界の隅に確認すると、ハヤサカは機嫌をUターンさせた。
「仕事熱心なことだな。」
 それに応じたのはレイではなく、エネスだった。エネスの方から人に声をかけると言うことは、そうそう見られる光景ではないので、レイは少し驚いていた。
「仕事熱心?オレが?・・・ははは、そりゃ見間違いだろう。」
 他にやることがない、ハヤサカはそう付け足していた。発言をそのまま解釈すれば”暇つぶし”ということになるが、ハヤサカは事実、そのつもりでいた。
「そうか、失礼をした。」
 エネスはハヤサカのことをそれほど知っているわけではないので、また別の意味で捉えたようだったが、レイはそれをフォローする必要性を感じていなかった。長く付き合っていれば、いずれ判ることだ。
「ところで主任、見かけない人ですね。」
 レイが尋ねたのは、つい今しがたにハヤサカと会話をしていた人物のことであった。
「あぁ、お前らが知らないのも無理はない。こいつは今年の春に他から引っ張ってきたヤツでね。ニールセン、こっちがエネス大尉、もう片方がレイだ。いつも言ってただろ?」
 紹介された男、ニールセンは、とりあえず会釈だけはした。
「はぁ、どうも。アレフ・ニールセンです。」
「・・・宜しく。」
 ニールセンの簡潔な挨拶を受けて、2人はそれに倣った。
「こいつはもともとは設計の人間だったんだが、オレが頼み込んで引っ張ってきたんだ。エネス大尉の『死装束』改良プランを立てたのは、このニールセンなんだぜ?」
「あぁ、それが縁でこっちにきたわけか。ま、主任にいびられないように、がんばんなよ。」
 レイの言葉が冗談であることくらい、アレフにはすぐに判った。アレフもまた、鷹揚に返した。
「ま、出世して私がいびってやりますよ。」
 それは、ハヤサカが自分の出世に全く興味を示さないことに対する、皮肉まじりのささやかなジョークだった。ハヤサカが出世することを望まずにシステム開発3課の主任に甘んじているのは、自分が好き勝手にやりたいからであり、アレフもそれを十分に知っていたのだ。
「今でも十分に責任に押しつぶされそうなんだ。これ以上出世してたまるか。」
 と、ハヤサカは図々しくも公言しているのである。そこが変人たる所以としてアナハイムでは知られているが、そんな悪評ともとれる風評に耳を貸すハヤサカではなかったし、アレフにもその気持ちは解った。彼もまた、ハヤサカによって類に友として呼ばれたのである。
 いっぽうのレイは、ハヤサカが誰かに叱られながら謝っているシーンをイメージして、必死に笑いをこらえていたが、その(せき)は決壊した。
「プッ・・・クハハハハハ、そりゃ楽しみだ。」
 レイが大笑いしている間、ハヤサカは苦笑するだけだったが、エネスだけはそれに乗らなかった。
「ハヤサカ主任、悪いがオレは急いでいる。少し時間を貰えないか?」
「まぁそろそろ時間だし、こっちはかまわないぞ。」
 エネスの表情からみて、これはロクでもない頼みに違いない、ハヤサカはそう確信していた。

 1時間ほどが経って、ハヤサカとの会見を終えたエネスは、ビルの出口の前で少しだけ満足そうな笑みを浮かべてレイを見た。
「エネス・・・お前、何考えてるんだよ?」
「いいか、レイ・・・このことはログナー艦長とファクター大尉しか知らないことだ。口外はするな。」
「・・・わかった。まったく・・・こんな面白そうなことをオレに隠してやがったのか。オレにも何かやらせろよな。」
 レイの表情は何か新しい悪戯を思いついた子供のような、そんな印象を与えていた。レイとてショール・ハーバインの思想を、この1年に及ぶ付き合いの中で知るに至っていたのだ。
 かつてティターンズの台頭に危機感を覚えたことのあるレイは、ショールの秘めていた宇宙革命思想に関しては好意的だった。それを事実ではなく雰囲気で感じ取ったエネスは、自分がエウーゴから離反する意思があるということを告げた。
「やっぱりな、そんなことだろうと思ったよ。その為の準備に、主任の協力が必要だったわけか。」
「そうだ。主任には、今後も協力してもらうことになる。」
「速攻でOKしたろ、あの人は?」
「あぁ、出来ることならなんでもやると言った。」
 レイにとって、そのハヤサカの承諾は意外でもなんでもなかった。あの男のことだ、自分の好みで作ったモビルスーツの実験体になることでもを条件にエネスの願いを受け入れたに違いない。実際、レイの想像が当たっていたことは、直後のエネスの回答で知ることができていた。
 これで仮にクレイモア隊がエウーゴを離反しても、少なくとも自分達が餓死することだけは避けられそうだった。
「それで、次は何を?」
「既に準備は完了した。あとはそのときを待つだけだ。なんといったか・・・そう、”(さい)は投げられた”というところだな。」
 レイが見たエネスの表情は、まるで長かった受験勉強が終わって、結果を待つだけの受験生のようだった。

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