第14章 2機の『死装束』

 ムサイ改級宇宙巡洋艦シシリエンヌは、サイド2の宙域に到着した時点で1バンチコロニーに滞在していたクローネからの連絡を受けて、コロニーを大きく迂回するコースを航行した。シシリエンヌを捕捉されないために、囮のガザD4機をクレイモア隊に差し向けて時間を稼ぎ、その隙に1バンチコロニーに入港したのである。

 宇宙港でシシリエンヌの指揮官を出迎えたクローネは、シシリエンヌの指揮官が以前に共に行動した時とは別の人間であったことが判って、少し驚いた。
「シシリエンヌ艦長のコルドバだ。」
 シシリエンヌから出てきた男は、クローネにそう名乗った。
「ロフト・クローネだ。ガザ4機は帰還しなかったそうだな?」
 クローネは、この新しい指揮官のやり方を認めなかった。シシリエンヌは最初から敵艦の索敵可能範囲から離れており、手出しさえしなければ無傷で迂回できたのではないかと言うのがクローネの考えだった。それに、仮に時間稼ぎの部隊を射出したとしても、生還した機体を回収する算段は立てておくべきなのだ。しかしコルドバは、麾下のMSを回収するか否かを迷うことなく置き去りにした。それは軽率だと思う。
「敵部隊が展開していたんだ、迂回のための時間稼ぎをしてもらっただけだ。それの何処が悪い?」
「その”だけ”とやらに、4人の部下の生命を無駄にするのか。」
「大事な機体を犠牲にしてまでお前のオモチャを無傷で運ばなくちゃならない、こっちの身にもなってみるんだな。ハマーン様の命令でなければ、こんな任務なんか願い下げなんだよ。」
 クローネの表情を一瞬だけ変化させたのは、コルドバの歯に衣を着せぬ物言いではなく、その内容だった。
「オモチャ?」
 クローネは首を傾げた。オモチャの正体などは、わざわざムサイを使って運搬したのだから、それがMSか何かであろうくらいは容易に想像がつく。しかしそんな事は、予定にはない。ハマーンとの連絡の時でも、それは伝えられていなかった。
「お前がこの前、アクシズに持ち帰った試作機だよ。新たに同型機も数機が手に入ったし、データの収集もほぼ完了している。だからお前に返してやるんだとさ。何と言ったか、あの強化人・・・」
 コルドバの最後のフレーズを聞いた途端に、クローネの表情が急変した。その表情を一言で表現するとすれば、”殺意”である。ヴェキが強化人間であることを知っている時点で、コルドバという男がただの増援の指揮官ではないことが証明されたようなモノだからだ。さしものコルドバもこの畏怖せずにはいられない程のプレッシャーを感じて、態度を一歩後退させた。
「・・・とにかくだ、オレ達シシリエンヌはシンドラの麾下に配属されることになった。知っての通り4機のガザは失ったが、まだ未組立のガザDが3機分あるから戦力の心配はない。」
 クローネは表情を元に戻して、
「・・・わかった、さっきのことは聞かなかったことにする。ヴェキに近付きさえしなければ、お前の命は保証してやる。シンドラと合流した後はヴェキの指示したがってくれ。」
 とだけ、コルドバに脅しをかけた。言ってクローネはその場を辞した。コルドバから離れたい心境もあったのは確かだが、クローネにやるべき事が多いという現実的な問題が直面していたからである。
「なるほど、ハマーン様が監視をしたくなるわけだ。ヤツのお守りは骨が折れそうだな・・・」

 1時間後・・・シシリエンヌと接舷をしたシンドラの艦内は、運搬されてきたMSの搬入と、未組立MSの組み立て作業で慌ただしくなっていた。その作業にメカニッククルーであるはずのネリナ・クリオネスが参加しなかったことを、誰も不思議がらなかった。ネリナは元々シンドラのクルーではなく、シンドラがアクシズに戻ってきた時点で合流したクルーである。ネリナがクローネに求められたのはメカニックとしての手腕ではなく名前と容姿だった事を、他のクルーは知らない。現時点ではヴェキの副官的役割をしているという事実が、クルー達にとっての全てだった。だが、ヴェキとネリナのノーマルスーツ姿は確かに、MSデッキにあった。搬入作業の手伝いではなく、立ち会いのためである。
 ヴェキの目の前で、シシリエンヌから1機のMSが運び込まれた。その全体のフォルムは確かにシュツルムディアスだったが、カラーリングと頭部はシンドラにあるそれとは全くの別物だった。本来赤く塗装されている部分が全て白く彩られていたし、頭部の形も少し違う・・・ヴェキはそれに違和感を覚えた。
「いやに目立ちそうなカラーリングだな・・・クローネが乗るのか?」
 そのヴェキの質問に答えられる人物は、隣にいるネリナだった。
「あなたの機体よ。」
「オレの?」
「・・・ヴェキは白が好きだったじゃない。」
 ネリナは真実を織り交ぜて、偽った。
「そうだったか・・・そうだな。ツッ・・・・」
 何かを考えようとすると軽い頭痛が走り、ヴェキは一瞬だけ頭を抱える仕草をしたが、ノーマルスーツのヘルメットが邪魔になった。
「ヴェキ?」
「あ?・・・あぁ、大丈夫だ、まだケガの影響が残ってるのかな・・・で、あのMSはなんで頭部が違うんだ?」
「前の戦闘で撃墜したエウーゴの機体を回収したのを再利用したのよ。貰い物だから部品が足りないわ。使えるモノから使わないとね。」
「そっか・・・そうだな・・・連邦との闘いはこれからが本番だからな。」
(ヴェキの記憶はまるで天秤のようね・・・今の記憶と本当の記憶、どちらかに傾いても、自我のバランスが崩れるとドクターは言っていたけど・・・ホントに大丈夫なの?)
 ネリナは底知れぬ不安を拭い去れなかった。ヴェキの記憶の混乱を避けるために、以前の環境に近い環境に身を置かせるという方法を採った。しかし、ちょっとしたきっかけでそのバランスを崩しかねない脆さがあった事は、生命維持を最優先に施した処置の副作用だけに、やむを得ない部分もあった。クローネとネリナが悩んでいるのは、その点である。今のところはネリナという精神安定剤の効果が作用しているので、いきなり記憶が戻って敵に寝返るようなことはまずない。だがそれは、完全では有り得ないのである。
「とにかく、今は休みなさい。しばらくは戦闘もないだろうし、実務だけなら私でもできるから・・・」
 ネリナの言い方は、優しかった。
「・・・機体のテストまで休ませてもらうとするか・・・じゃ、後は頼む。」
 ヴェキは運び込まれたシュツルムディアスにメカニックが群がるのを見届けて、ブリッジに戻った。ヴェキが立ち去った直後、ネリナを呼ぶ声があった。白いシュツルムディアスのコックピットに入っていたメカマンからだ。
「『死装束』?」
「はい、頭部コックピットに搭載されているシステムに、機体名として登録されていました。」
 ネリナは数秒考えて言った。
「・・・登録名をシュツルムディアスに変更できる?」
「特殊なシステムみたいですが、そのくらいなら可能です。」
「・・・そうして。」
 ネリナはそれ以上言わずにメカマンに頼んだ。言うまでもなく、ヴェキの事を案じての事である。

 ヴェキがクローネからの通信をシンドラ艦内にある私室で受けたのは、そのすぐ後であった。
「慣れない仕事で大変そうだな、クローネ?」
「まったくだ。グァラニがいなかったらと思うと、ゾッとするな。そっちはヒマそうじゃないか・・・羨ましいこったな。」
「新しいMSも入ったからな、組立や調整でメカマンはそうでもないさ。で・・・この定時連絡の時間でもないのに連絡してきたからには、何か急ぎの用件があっての事だな?」
 ヴェキは話を本筋に進めた。ヴェキ自身もこれから搬入を終えたばかりの『死装束』のテストもしなければならず、長ったらしく挨拶を交わす時間的余裕は少なかった。
「・・・そう言うことだ。オレがシンドラに戻り次第、フォン・ブラウン市に潜入してくれ。」
「フォン・ブラウンに?」
「オレはサイド2をまだ離れるわけにはいかないから、ヴェキ、お前にはオレの代理としてやってもらう。アナハイムの人間と接触をして、シュツルムディアス用の補充部品を受領してくれ。」
 クローネは、ヴェキの返事を待った。
「・・・アナハイムの人間と言うけど・・・誰だ?」
「この前にシュツルムディアスを受領したときに、算段をしている。場所は後で知らせる。13日にそこに行くようにしてくれ。」
「わかった。シシリエンヌで月に向かえば良いんだな?」
「あぁ、月引力圏に入る前にシャトルに移乗していけばいい。今のフォン・ブラウンなら、一般人に扮すれば簡単に入れる。ひとりで行くのもよし、シシリエンヌから数人選んで潜入するのもよし、それはお前に一任する。」
 クローネは通信を切った。
「月、フォン・ブラウンか・・・」
 ヴェキは何気なく呟いて、すぐに部屋を出た。ヴェキの心の中には、月に何かを置き忘れたような、そんな感覚がくすぶっていた。ヴェキにはその正体が何なのか、判らなかった。


 宇宙世紀0088年3月12日・・・クレイモア隊旗艦ティルヴィングは、サイド2奪回の任を果たせないまま、月はグラナダに帰着していた。グラナダの宇宙港は閑散としており、エウーゴがティターンズとの闘いで疲弊しきっていることを如実に表現していた。早速、ログナーは事のあらましを報告するため、参謀本部のロレンスの私室を訪れていた。
「・・・ということは、ネオジオンの展開がこちらの予想を遙かに超えている・・・そう言うことか?」
 ロレンスが報告を聞いた後、ログナーに尋ねた。
「エウーゴのみならず、連邦全体におけるジオンに対する認識が甘すぎると言うことです。」
「それは責任転嫁に聞こえるがな。」
 ロレンスの言い方は少々厳しかったが、ログナーは動じる様子を見せない。相手が悪すぎたのだ。こちらに非はないことは、報告を聞けば判るはずだ。
「・・・仕掛けるには万全の準備が必要だと言うことです。行き当たりばったりな戦略が通用する相手ではありません。」
「貴官は与えられた状況で最大限の成果を挙げることを考えていればいい。まだエウーゴは戦力の整備が終わってない、連邦正規軍を動かせるよう働きかけるつもりだよ・・・とにかく、この失敗の帳尻は合わせてもらうぞ。」
「・・・で、何をすればよろしいわけで?」
 ログナーが尋ねても、ロレンスは少しの間沈黙した。
「・・・数日は待機してもらうことになる。次の命令があるまでは、艦と艦載機の補修を充分にやっておけ。」
「判りました・・・では、失礼します。」
 ロレンスは手でログナーを退出させてひとり、ため息をついた。
「半月はクレイモア隊を縛り付ける事になるか・・・ま、仕方のないことだな。」
 この時期に連邦正規軍の動きは確かにあったのだが、これはエウーゴへの支援が目的ではなかった。ティターンズとは別組織のエリート部隊が連邦に反旗を翻し、それに呼応して月面都市のひとつが彼らを受け入れたのである。月面都市はその大小に関わらず、経済・産業の面で地球にも多大な影響力を持っている。それゆえに連邦としても彼らの行動を無視するわけにもいかず、討伐部隊を差し向けた。早い話、この一連の騒動は連邦の内乱ということになるのではあったが、結果的にエウーゴがその事件には干渉しなかったのは、単に戦力が足りなかったからである。
 ロレンスは当然ながら、その連邦軍の動きを知っていた。この月面での騒動が落ち着くまでクレイモア隊を動かすつもりがなかったのと、反連邦を掲げた勢力のクレイモア隊との接触をできるだけ避けようと言う意図が、ロレンスの胸中にあった。

 ログナーが参謀本部からティルヴィングの艦長室に戻ってきたのは、その日の夕方過ぎだった。クルーの大半はグラナダ基地の食堂や街に繰り出しており、艦内は静まり返っていた。どうやらミカ・ローレンスやアルドラ・バジル、サミエル・ハンガーらブリッジのクルーも交代要員に後を任せて、その多数派の中にいるようだった。自分が朝から何も食べていなかったことを今更ながらに思い出したログナーではあったが、再び艦内から出る気にもなれず、艦内の士官用ビュッフェで軽く何かを食べようと艦長室を出た。
 ティルヴィングに設営されているビュッフェは他のアイリッシュ級のそれと違って、士官食堂と言うよりもどちらかと言えば喫茶店に近い。朝昼晩の3食は無重力パックを施されたランチパックを職場で食べている事がほとんどであったし、元々データ収集艦であったティルヴィングには広い士官食堂など必要がなかったからである。支給される宇宙用栄養ドリンクや食事の他に、あくまで嗜好品としてのコーヒーやハンバーガーを販売するブロックが小さく存在しているのは、あくまで”従業員”への福利厚生だからだ。だからそこで入手できる食品類は、自腹を切って自動販売機から購入する。はじめから軍事運用を前提にしていないのを無理に改修した、ティルヴィングならではの施設と言える。
 そのビュッフェにログナーが姿を見せた時にビュッフェにいたのは、ロイス・ファクター、レイ・ニッタ、エネス・リィプスというエストック小隊の面々だった。3人は軽くハンバーガーとコーヒーを口に放り込みながらも、雑談をしていたようだった。
「あれ、艦長がこんな所に来るなんて、珍しいこともあるモンですネェ」
 半ば冷やかし気味に言ったのは、レイだ。だがレイの言うとおり、ログナーがこのこぢんまりとした喫茶店の趣を持つビュッフェに顔を見せることは、確かに珍しかった。
「おお、君らか・・・丁度良い、話があったんだ。」
 ログナーは不機嫌さを隠して、あたかも何もなかったかのように接した。それはログナーの忍耐力が可能にさせたことである。
「話と言いますと?」
 と、ファクタ−だ。
「君ら3人とコーネリア中尉の4人とヴェラエフ曹長に、やって貰いたいことがあってな。」
「なんなら、ナリアさんも呼びましょうか?自分の部屋にいますよ。」
「いや、それは君から伝えてくれればいい、ニッタ君。」
「了ォ解。」
 ログナーは3人と同じテーブルに唯一空いた関に身体を固定させると、テーブルの上に腕を組んで話し始めた。
「実はな、フォン・ブラウンのアナハイム・エレクトロニクスに行って欲しいんだ。」
「なんでまた、4人なんです?エリナは判りますが・・・」
 ファクターが不思議がって、尋ねた。
「4人の共通点は、リックディアスの実戦経験を持つ事・・・それに関係があると言うことか・・・」
 横槍を入れたのは、エネスだ。
「その通りだ。我が隊は、しばらくの間は月で待機する事になりそうだ。そこで、この際だからリックディアスのオーバーホールと再調整もしておきたいと思ってな。」
「ネオジオンのMSを相手に、リックディアスでは難しくなってきたから、確かに必要かも知れない。」
 またもエネスが言った。会話の雰囲気は、既にログナーとエネスが主導しているかのようだ。
「使い続ければ疲労するのは、人体もMSも同じ事だ。この際全面的なメンテナンスを行っておいても良いだろう?この先そんな機会がいつ来るかも判らないしな。」
 ログナーのこの言葉に、ファクター達3人は頷いた。
「判りました、では明日の朝一番に出発します。」
 締めくくるのは隊長の役目と言わんばかりに、ファクターが言った。
「そうしてくれ。」

 ログナーの軽い食事に付き合った後、レイはナリアに明日のことを伝える為にナリアの私室を訪れた。よほど疲れていたのか、酒臭い部屋の中でナリアは熟睡していた。ここで起こしでもすれば、ナリアを不機嫌の奥底に叩き落とすことは判りきっていたので、ボイスメモを残して部屋を去った。レイや他の面々にとって最も皮肉な1日が、すぐそこにまで近付いてこようとしていた。

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