第08章 遺  産

 サラミス級宇宙巡洋艦ベオグラードは、元々はクレイモア隊の旗艦となる予定の艦であった。だがサラミス級巡洋艦が連邦艦隊の大部分を占める中で、隠密裏に活動する遊撃部隊の母艦として性能面で大きな不満があった。そこでアイリッシュ級巡洋艦の2番艦に白羽の矢が立つ所であったが、その2番艦の建造が遅々として進まず、そのアイリッシュ級のデータ収集艦として就航していたティルヴィングを準2番艦としてクレイモア隊旗艦として改修し、採用と相成ったわけである。この準2番艦という曖昧な呼称がつけられた時点で、クレイモア隊が受けるであろうエウーゴ内部での扱いを暗示していたと言える。

 宇宙世紀0088年2月20日・・・エウーゴ、ティターンズ、アクシズの3勢力による、コロニーレーザーを巡る艦隊戦が始まった。ティルヴィングはベオグラードとの合流を済ませた後、コロニーレーザーの方向への最短ルートを通り、日付が21日になった時点でその艦隊戦に参加することができた。アクシズとティターンズが攻めて、エウーゴが守る・・・それがこの戦いの基本姿勢である。コロニーレーザー発射のタイミングさえ間違わなければエウーゴの、コロニーレーザーを奪取すればアクシズもしくはティターンズの事実上の勝利となる。しかしエネス・リィプスにとって、ティターンズの存在など最早眼中にはない。
 アクシズとティターンズの軍勢は、集結と攻勢に出る準備を整えた瞬間から、コロニーレーザー目指して侵攻を開始していた。エウーゴがコロニーレーザーを奪取したときもそうであったが、一方向に集中してエネルギーを放出する大規模戦略的ハードウェアを攻めるには、包囲して防衛戦力を削ぎながら包囲網を縮めていくのが最も有効な戦法である。しかしその実行には、数的優位が不可欠である。地球連邦正規の組織という立場ではなくなった事から正規軍を動かせなくなった上に、ゼダンの門での戦いで致命的なダメージを負ったティターンズでは、数的に大差がなくなったエウーゴ相手にその戦法を執ることは不可能であると言っても良い。エネスがティターンズを問題視していないのには、そう言う根拠があった。
 ティルヴィングとベオグラードの進路上、ちょうどコロニーレーザー防衛戦に攻撃を仕掛けていたティターンズの一部隊が立ちふさがる形になっていた。それを確認したティルヴィングは、全MSに発進命令を出した。艦内にはけたたましく警報が鳴り響き、同時にメカマンやパイロットたちが忙しそうにMSデッキ内を右に左にと動き回る。
 エネスが『死装束』に乗るのは、初めてである。まだ慣熟飛行も行っていない。エネスがかつて乗っていたネモのコックピットシステムからリックディアスにデータを移植し、更に『死装束』に搭載されているシステム”グングニル”への更なるデータ移植作業も行わねばならなかった。しかしこれまで調整を全て行っていたエリナには、このシステムをいじり回すだけの集中力はなく、やむなくレイがその代わりの作業を行っていた。レイには不慣れな作業もあったので、『死装束』の調整が終えるまでには数日かかったのである。
「よ〜し、終わった終わった。お待ちかね〜ってね。」
 レイが『死装束』のコックピットで調整の作業をしている間、エネスはずっとコックピットハッチの脇でその終了を待っていた。
「10分後に出撃だそうだ。手間をかけたな。」
 それはレイが聞く限り、初めてのエネスの謝辞の言葉であった。レイは無言で頷くことで、それに応えた。

 この日になって、エウーゴ主力艦隊の旗艦であるアーガマが戦闘宙域に到着したものの、それまでアーガマの代わりにエウーゴの指揮を執っていたラーディッシュは轟沈、これを機に戦闘はクライマックスへと突入していた。アクシズ、ティターンズもこれまでの総力戦でそれなりの損害を被っており、このままのペースで戦線が維持されれば、エウーゴとティターンズの共倒れを招く危険があった。ログナーが参謀本部の監視に目もくれずにすすんで命令を実行したのには、その危険をできるだけ減らすべきだという考えがあってのことである。
 MS隊の出撃予定時刻になり、艦内の喧噪は加速度的にその大きさを増していく。今度は時間差を付けずに、エストック、フランベルジュ両隊は準備が終わったMSから順に出撃する手筈である。最初にカタパルトデッキに上がったのは、ファクターとエネスのリックディアスだった。
「大尉、生きて還ってこい。まだ我々には残された仕事があることを忘れるなよ。」
「判ってますよ。ジオン野郎をブッ殺さねぇといけませんしね。」
 ログナーの叱咤に手短に応え、ファクター機は射出されていった。ファクターの言葉に、深い意味はない。気合いの問題である。
「エネス大尉・・・」
 ミカの口調が心配の色を濃くしていた事は、ショール機撃墜というショックから未だに立ち直れていない証拠である。
「何も言わなくていい・・・エネス・リィプス、『死装束』出る・・・」
 この寡黙なエースパイロットを心配する気持ちは判らないでもないが、エネスはまだ、ミカの自分へのささやかな興味に気付くほど、敏感な男でもない。しかし、それは男女の機微を知らぬエネスらしいと言える。自分の機体が射出された後、ファクターと共に速度を落としてレイ機の出撃を待つことにした。ログナーは出撃後の展開を現場の判断を優先してはいるが、まさかそれぞれが個別に好き勝手に戦うわけにもいかない。小隊単位での行動が前提なのである。
「いくぞ、ショール・・・オレ達の戦いの先にあるものを、しっかり見届けろ・・・」
 白いリックディアスのコックピットの中で、エネスはひとりで親友に呼びかけていた。量の上でこれだけの規模の戦いは、初陣の時以来である。さしものエネスも、僅かながら緊張を隠せなかった。

 エウーゴとティターンズの戦いは、文字通り総力戦である。それに対してハマーン・カーン率いるアクシズ軍がコロニーレーザー奪回戦に投入した戦力など、氷山の一角でしかない。現時点の地球圏全体の感心は、エウーゴとティターンズの激戦に向けられている。その隙を狙うかのごとく、ハマーンは今後のために軍を別に動かしていた。そのハマーンの密命を受けたロフト・クローネは、シンドラと共に移動中であるアクシズをサイド3に向けて護送していた。敵襲の気配も全くなく、護送と言うよりはアクシズのみならず、シンドラそのものの移動にも意味があると言うことを暗示していた。そのクローネはブリッジクルーに簡潔に支持した後、医務室へ向かった。
「・・・・・・・」
 クローネが壁のガラス越しに見る先にあるベッドには、戦闘で負傷したらしい男がひとり、眠っている。男の両腕には、多数の点滴が打ち込まれていた。中には輸血用の血液もある。
「ドクター、まだこの男の意識は戻らないのか?」
 しばし無言のままその男を見つめていたクローネが、軍医に尋ねた。
「肉体的損傷は頭部と左腹部にあります。うち、左腹部の傷は塞がってます。既に左の腎臓が摘出されてましたので、それが幸いして命に別状はありません。ただ・・・」
 軍医は少し、言いにくそうにかぶりを振った。
「ただ?」
「問題は頭部の負傷です。ヘルメット越しとは言え、重傷を負っています。脳波の異常も確認されました。このままだと、昏睡状態が長期に渡って続くと思います。最悪の場合、植物状態になりかねません。」
 クローネはその報告に、眉をひそめた。そして・・・
「助ける方法はあるか?こいつの心身を共に助けたい。」
 それは、人道を重んじるクローネらしい言葉だった。


 月のフォン・ブラウン市にあるアナハイム・エレクトロニクスビルにおけるセルニア・デニーニの評価は、二通りあった。彼女が27歳という若さでありながらもMS設計4課を取り仕切る実力を持っていると言う評判と、”あの”マコト・ハヤサカが最も信頼している人物であるという評判である。前者がほとんどの割合を占めてはいたのだが、一部の真相を知る人間は、後者の評価を下している。ハヤサカは社内でいわゆる”変人”扱いを受けていたから、そのハヤサカの評判に比例してセルニアの評判も自ずとそう言う種類になってくるのである。だが、デニーニはその後者の評判を、気にとめたことはなかったし、むしろ光栄に思っている。
 技術者でありながらも理論より直感やフィーリングを重視するハヤサカは、確かにアナハイムでは異色な存在であったと言える。しかしそれが技術者としての評価とは別物であり、社内の人間たちもそれは認めていた。デニーニはハヤサカに設計したMSのスペックにあわせたシステム構築をしてくれるのと引き替えに、廃棄予定の部品や機体を再利用できるように取り計らうように手続きをとってきた。一緒に食事に行ったり酒を呑むことも珍しくなかったので、社内では2人の関係を噂する人間は絶えなかった。しかしハヤサカとの関係は、俗な恋愛関係という言葉ではくくれない、シャープさがあった。よく言えば主任という地位にいる者同士の友好と連携、悪く言えば公私混同である。
 正式に廃棄完了となるまでは部品や機体はアナハイムの資産なので、デニーニの行為はある意味横領と言えなくもなかったが、それがアナハイムのMS開発に与えた影響は大きかったので、トップからは事実上黙認されていると言っても良かった。廃棄予定の部品を有意義に使って新型を作ってくれるのだから、会社にとっては確かにありがたい話でもあるからだ。

 そのデニーニの姿は、フォン・ブラウン工場の第2格納庫にあった。ハヤサカから依頼されて調達した廃棄予定の試験機の生まれ変わった姿が、いよいよ彼女の目にも映るときが来たからである。そこにはあらゆる意味で話題の尽きないシステム開発3課主任と、その助手ジョン・マツダの姿もあった。
「あぁ、デニーニ女史!」
 キャットウォークの上にセルニアの姿を見つけて、柄にもなく白衣を着たハヤサカは手を振って自分の位置を知らせた。デニーニは腰まで真っ直ぐに伸びた茶色の髪を縦にゆらして、6分の1Gという緩やかな重力に逆らわないルナリアンらしい動作で下に降りてきた。
「その”女史”っての、やめていただけません?」
 デニーニは月の重力で乱れた髪を整えながら、冗談交じりに抗議した。月でのこういう場所では、女性は髪を束ねるのが半ば常識のようなモノであったが、デニーニはそれを敢えてしなかった。後でこういう仕草をしなければならないのは面倒であったが、自分の髪を縛り付けるのはデニーニの本意ではないからである。そのハヤサカが自分を呼ぶときだけにつく敬称も、本意ではない。
「いや〜あなたがいるからこそ、オレが好き勝手できるんだ。知ってるか?ニホンではそういうのを『足を向けて眠れない』って言うんだぜ。」
 言い終わって、ハヤサカがクククッと含み笑いを漏らした。
「まぁ・・・いっか。で、アレですか?」
 デニーニが見上げて、ハヤサカもアレですと応えた。
「そう、ゼータプラスC1型の試作機をベースに、専用システム”グングニル”を搭載して推力を強化、武装も例の試作品を左手のラッチに装備させた。マニピュレータ無しでサーベルが振れるから、スマートガンを撃つ邪魔にはならない。」」
「ハイパーサーベルの試作品を?でもあれは・・・」
 デニーニは動揺したのは無理もないと、ハヤサカは思った。ハイパービームサーベルは、Zガンダムの後継機であるZZガンダムに搭載予定の高出力ビームサーベルで、ハヤサカの注文にはその初期の試作品が含まれていた。だがこの試作品には、重大な欠点があった。
「あぁ、一度作動させたら3分でミノフスキー発信器が焼き切れる。でも攻撃力は従来の30%増しだからな、持たせる価値はある。それとIフィールドバリアをくっつけた。」
「呆れた・・・横流しておいて言うのもなんだけど、欠陥品を集めてよくこんなMSを作れたわね。あのIフィールド発生器は作動開始後120秒しか使えないじゃない。」
 その心配はごもっともだな、ハヤサカは心の中でセルニアの言葉に同意した。ビームによる攻撃から機体を守るIフィールドバリアは、確かに大半のMSにビーム兵器が標準装備されている現代であれば、限りなく高い有効性を持つ。しかしそれは、戦闘中における継続した使用が可能であればの話なのだ。時間制限が付いてしまっては、制限時間経過後の防御効果の低下もさることながら、パイロットに焦りをもたらす。それでは意味がないではないか。
「ショール・ハーバインか、そのクセに適合したパイロットにしか扱えないだろうな。システム面も含めてクセが強すぎる。」
「で、ベース機はどのくらいいじったの?」
「ベースの機体そのものはほとんといじってない。スラスターを4基から6基に増やしただけだ。」
「ちょっとまって、なんで部品を交換しないのよ?」
「クレイモア隊に回す機体だからな。そもそもクレイモア隊にこの機体を渡すこと自体、参謀本部の諒解を得てないんだ。純正品なんて使えるか。」
 デニーニは右手でもたれそうになった頭を支えさせた。
「で、コードネームは?」
「ゼータプラスCA2”マイン・ゴーシュ”」
 ハヤサカは心なしか、誇らしげに機体の名称を言った。
「CA2?」
「C型、Assult&Awey(強襲・離脱)でAふたつ、マイン・ゴーシュは防御用の戦闘ナイフからちなんで名付けた。」
 強襲離脱型MSを創りたい、そう言ったのはハヤサカであった。そしてハヤサカの出してきた注文通りの部品は全て、デニーニが提供したモノである。
「なんでまた・・・まぁ正式じゃないから、ギリシャ文字から名付けろとは言わないけど。」
「ん〜なんとなくだな。」
 ハヤサカはサラリと言った。
「・・・あ、そう・・・で、どうやってクレイモア隊に届けるの?」
「あ!」
 ハヤサカが突然大きな声をあげたので、デニーニはビクリとなった。
「なに、なに!?」
「それを忘れてた・・・今からサイド2向けて出発しても、到底間に合わないだろうなぁ・・・ま、連中なら取りに来るか・・・おい、マツダ!」
 後ろに構えていた大男を、ハヤサカが呼んだ。
「はい?」
「レイに連絡を取って、フォン・ブラウンまで取りに来させろ!」
 マツダは数秒の間、ハヤサカの言葉を反芻(はんすう)した。
「ンな無茶な・・・」
「今すぐとは言ってないだろ。連中が月に帰ってきてからでいい。」
「・・・判りました。」
 ジョン・マツダは手短に応え、再びハヤサカの後方に下がった。それを確認しようともせず、ハヤサカはデニーニに新型MSの詳しいスペックを講義していた。

 ハヤサカがショール機撃墜の報を受けたのは、フォン・ブラウン工場からオフィスに戻る直前であった。ショールがクレイモア隊からいなくなった後で専用機が完成するというのは笑えない冗談であり、痛烈な皮肉である。この機体のシステム”グングニル”で使われている自動回避運動のデータは、ショール本人から採取したモノだ。これをショール以外の人間が乗るとしたら、他に誰がこんなクセだらけの機体を扱えるのだろうか・・・このショールの遺産を受け取る資格があるのは、事実上人を選ぶシステムに適合したパイロットだけだ。もしくは・・・ハヤサカはショールの死を嘆くと同時に、自分のすべきことが既になくなっていることを認識していた。もう、どうしようもないのだ。

 日付が22日にかわって、数時間が過ぎた。コロニーレーザーがティターンズ艦隊に向けて発射され、ティターンズの機動戦力は壊滅的なダメージを受けた。勝敗は、まさにこの瞬間に決したと言える。その後エウーゴはアクシズ軍の攻撃にもなんとか耐え凌ぎ、アクシズ軍に一時撤退をさせるに至ったが、再度侵攻は時間の問題である。それを迎え撃つには、エウーゴは損害を受けすぎていた。コロニーレーザーは使用不能になり、指導者であったクワトロ・バジーナは行方不明となった。戦死者も沢山、出してしまった。それでも戦わねばならないのが、エウーゴという連邦直属となった軍組織の宿命である。
 エウーゴは最終的に、連邦政府から軍事行動を正規の正規軍の行動として認められることになったが、それは逆に官僚がエウーゴの掲げる政治的側面から目を逸らし、エウーゴをタダの実戦軍組織としかみなさない事を示している。激しかった戦闘を終えて帰艦したエネスは、コックピットのモニタ越しに宇宙を見据えて、今後に自分が戦う相手が誰であるのかを考えていた。

第08章 完     TOP