第07章 エリナの心

 宇宙世紀0088年2月16日・・・月、グラナダにあるエウーゴ参謀本部では、緊急幕僚会議が開かれていた。エウーゴの戦局における優位は今のところ揺らいでおらず、それを決定づけるためにコロニーレーザーの充電も順調に進んでいた。グラナダベース地下にある会議室には、エウーゴの主要幹部が数人、集まっていた。彼らはいずれも軍人もしくはそれに関係する人間で、エウーゴへ出資を行っている資産家の姿はない。

 最初に発言をしたのは、地球から宇宙に上がってきたばかりのエイドナ・バルス少将であった。
「ロレンス大佐、弁明を聞こうか?」
「弁明といいますと?」
 ロレンスは決して、とぼけたわけではない。出撃禁止の命令違反を犯した事実は確かに言い逃れができない事ではあったが、それを本気で阻止しようとしなかったのには、クレイモア隊の行動が叛逆行為ではないと言うロレンスなりの確信があったからである。理想主義者は自分の理想のために努力は惜しまないし、裏切りもするだろう。だがそれは、エウーゴとクレイモア隊兵士の目的が一応は合致している今の段階で叛逆などあり得ないことも証明しているのである。
「言うまでもない。クレイモア隊が出撃禁止命令を無視したばかりか、勝手な作戦行動を起こしているんだぞ。君の責任が皆無などと、今更言う気じゃないだろうな?」
「無論です。しかし、情報に若干のタイムラグがありますが、今のところクレイモア隊の行動はエウーゴを利する行為です。独立作戦権限を与えていた頃と何ら変わりませんよ。厳重な処罰には値しません。」
「結果論だな。もし反逆行為があったらどうするつもりだったのだ?今のエウーゴは主力を全てコロニーレーザーに集めるのが精一杯だ。クレイモア隊がこの状況を利用して自らの野心を満たそうとしない保証が、どこにある?」
(これだから現場を知らない官僚は・・・所詮は目先のことしか見えない俗物だな・・・くだらん)
 ロレンスは胸の内で嘆息した。ロレンスの真意は、バルスとはまた別の次元にある。クレイモア隊の叛逆など、恐れてはいないのだ。エウーゴが政治的目標を掲げて行動をおこしている以上、末端の兵士の中にも理想主義者がいることなど百も承知である。その中で特に実力と思想の両方を併せ持つ兵士だけを選別した。理想を高く持っている人間は、その実現のために努力を惜しまない。それを士気の維持に利用するために、類に友を”呼ばせた”のである。それに、部隊内で共通した思想がエウーゴにとって危険なモノに育ってしまった場合、まとめて処断すれば禍根を断つことができるという利点もあった。そういう打算こそが、参謀本部から見たクレイモア隊の本質そのものなのである。
「保証します。」
「なぜ言い切れる?」
「彼らの・・・ショール・ハーバインを中心とするメンバーの目的は、連邦の変革そのものです。地位や名誉を欲するような連中ではありません。ここで反逆行為を起こしたところで、彼らの目的達成には直結しません。彼らは理想主義者です。理想主義者だからこそ、今は信用できるのです。」
「・・・判った。ただし、連中をコロニーレーザーに向かわせろ。」
「凍結を解除なさるのですか?」
「そうだ。ティルヴィングと連絡を取って、サラミス級を1隻つけてやるからサイド2へ行け、と伝えろ。」
「判りました。現時刻をもってクレイモア隊の凍結を解除し、剥奪した独立作戦権限を復活させます。それと、きのうグラナダを出発したベオグラードを合流させるように手配します。いいですね?」
「ベオグラードは、ティルヴィングを照準内に捕捉したまま航行するようにな。妙な動きを見せたら・・・撃て。」
 この時のロレンスの目は、また別のことを考える怪しい目であった。
「それと、これまでの件は不問に付しますか?」
「あぁ、今回は泳がせておけ。」
「判りました。それでは。」
 敬礼して、ロレンスは場を辞した。会議を終えて自分の執務室に戻った後、レーザー回線を開いてサラミス級ベオグラードに連絡を取った。ティルヴィングの現在位置に関する情報はきのう入ったばかりで、どの辺を航行中であるかの見当はついていた。念のために秘書官を呼んでティルヴィングの詳細な位置を調べるように命令したのは、レーザー回線を使える位置かどうかを確かめるためである。
 反面、ロレンスは苦虫を噛みつぶしたような顔つきをしていた。バルスの処置は、ロレンスから見ればあまりに早すぎるように感じられた。まだ叛逆の意図がないのが判っているのに、むしろクレイモア隊から無用な嫌疑を受けるのは得策ではない。今はまだ自分を信用させて、利用すべきなのだ。叛逆の芽を摘んでおくことは、武力なしでも行えるのである。

 ロレンスからの通信をティルヴィングが受けたのは、サイド3手前の宙域から衛星軌道まで戻った時であった。ログナーは元々、シンドラ追撃の作戦行動が終わった時点でグラナダへ帰投するつもりであった。当初の目算通り、クレイモア隊は今後のエウーゴにとって重要度の高い戦力となる事を見越していたのである。だからコロニーレーザーを巡る戦闘に参加する気はなかったし、参謀本部も自分たちを温存して、より有効に利用してくるだろうと思っていた。しかしそのログナーの予想は、ロレンスの伝えてきた命令によって裏切られた事になった。ロレンスとの通信を終えたログナーは、無言で右手を顎に当てて深刻そうに考え込んだ。
 17日に合流予定のサラミス級ベオグラードは、恐らく監視だろう。そうでないと、今までの命令無視を水に流す姿勢があまりに不自然すぎるからだ。監視はつけられてしかるべきであるのが、今のクレイモア隊だろう。もっとも、ログナーはエウーゴへの反逆行為を起こす気など、毛頭なかったのではあったが・・・
「ベオグラードとの合流を急げ。それまでは休息を6時間2交代でとっておくように。」
 それだけを命令した後、ログナーはブリッジをでて自室に引き取った。休息許可がでて、ミカやアルドラの顔から緊張がなくなった。
「これから私達・・・どうなるんだろ?」
 ミカが率直に、独り言のように漏らした。その心配はもっともである。
「今まで通りだろ?オレ達の叛逆の嫌疑は晴れたんだ。」
 アルドラが応えた。楽観的な人は幸せだとミカは思って、それ以後言葉を発しなかった。アルドラは決して、楽観主義者ではない。最強のエースであるショール・ハーバイン亡き今の状況では、クレイモア隊の戦力は半減とまではいかないまでも、大きな損失であることには変わりない。アルドラの言葉が気休めなのであるのは、サミエルにも判っていた。
「今の状況で反逆者扱いされたら、行き場がなくなるよ。あ〜胃に穴があきそう・・・」
 サミエルのボヤキもまた、もっともだった。

 エリナ・ヴェラエフは、”あのとき”の絶叫以来、一言も話さなかった。それでもメカニックの仕事を最低限こなしていたのは、夫であるショール・ハーバインが自分をメカニックとして一人前に扱ってくれていたからという、ある意味ショールへの気持ちを証明する行為であった。『死装束』とエネスのネモを除いてほかのMSには傷ひとつ入っていないなかったので、メカマン達の仕事と言えばネモの修理だけであった。だからチーフメカニックがいなくとも、なんとかなっていた。そのエリナは、『死装束』のなくなった頭部に予備パーツをつけた後、コックピットブロックに入ったままになっていた。
 頭部のカラーリング作業は未だに終えていないので、『死装束』はかつてそれを愛用していた人物の趣味どおりの、完全な白ではなかった。だがエリナにとっては、そんなことはどうでも良かった・・・というよりも、それに気を回す余裕などなかった。
「・・・エリナ・・・クッ」
 エネスはその『死装束』の足元から頭部を見上げて、ただそう呻く事しかできなかった。本来なら自分の方こそ慰めて欲しいくらいであるが、エリナに先手を打たれてしまってはそれに続くわけにもいかなかった。エネスはショールの親友だが、エリナほどの完全な理解者ではない。エリナにこそ、その死を悲しむ権利がある。なんと自分は無力なのだろう・・・と、エネスは戦闘しかできない自分を恨めしく思った。自分さえあのときに攻撃をちゃんと受け止めていたら、あのときにちゃんと仕留めていれば・・・後悔は尽きなかった。その意味でエリナが自分を責めなかった事には助けられた想いであったが、エリナのためには自分が責められるべきでもあった。このままエリナが立ち直れなかったら、エネスは自分が許せなくなるだろう。
「エネス・・・オレはアンタが憎いぜ。」
 声をかけたのは、レイである。目尻には涙の後があったが、一応の平静を取り戻したようだ。エネスに向けられた声に乗って、酒の臭いがかすかに届いていた。ナリアと一緒に飲んでいたのだろうか・・・いつもなら酒を咎められもしただろうが、今という状況ではシラフでいられないのが、人間というモノなのかも知れない。
「・・・オレがショールを殺したんだ・・・オレが・・・殺してしまった・・・」
「そうだ・・・と言いたいけど、相手はあんたとショールが2人がかりで仕留められなかったバケモンだ。誰も勝てるわけねぇよ。」
「クレイモア隊の凍結が解除されたそうだ。またコロニーレーザーに戻って任務があるらしい。」
 いつものエネスなら、エウーゴ参謀本部の目論見に何かしらの疑問を持ったかも知れない。だが今のエネスは、いつもの冷静で明晰な男ではなくなっていた。
「任務、任務・・・か。軍人って、とことん人間じゃないんだな。」
「まったく・・・」
 エネスはレイが右手に持っていた酒瓶を奪い取って、自分の口腔内に中身を流し込んだ。
「・・・へぇ・・・」
 いつもの元気こそはないが、レイの飄々とした口振りが、エネスには羨ましかった。そして、妹にはどうやってこのことを知らせたらいいのか、考えを巡らしていた。妹がショールへの恋慕の情を捨てられなかった事を、エネスは知っていた。


「イーリス・・・ショールが死んだ。」
 まだ酒が抜けないうちにと、エネスはすぐにイーリスの部屋に向かった。そして、妹に部屋の中に招かれたと同時に、さらりと重大なことを言った。
「・・・え?」
「5時間前の戦闘で、ショールが死んだんだ。」
「!」
 目の前が真っ暗になった。立ち上がったばかりのイーリスであったが、そのショックで腰の力が抜けきって、ベッドにヘタリと座り込んだ。
「お前になんと伝えたらいいのか、判らなかった・・・知らせるのが遅くて済まない・・・」
「・・・兄さん、私はショールさんが好きだったの・・・ずっと、何年も前から・・・」
「・・・」
「でもあの人にはエリナさんがいた・・・吹っ切れたつもりだった・・・でも・・・」
「もういい、言うな。」
 エネスはそっと、妹を自分の胸元に抱き寄せた。イーリスは大声を出して泣くようなことは、しなかった。嗚咽を静かにあげるだけだった。
「落ち着いたら、ドクターの所へいってこい。」
 大事な人が死んだときは、無理にでも仕事を作った方が良い。エネスはそう思って、敢えて言った。イーリスのは、久しぶりの兄らしい配慮を察して、ただ頷いていた。今はただ、泣いていればいい・・・エネスも泣きたかったが、そうしなかった。

 エネスがイーリスのもとを訪ねたあと、再びMSデッキに戻った。『死装束』のコックピットのハッチはまだ閉じられており、エリナは、自分の中にまだ生きているであろう死者の魂と語り合っているらしかった。少し見上げた後、エネスは『死装束』の頭部へとジャンプしてコックピットハッチを外部から開ける操作を行った。
「エリナ・・・」
 コックピットの中・・・エリナは虚ろな目を上に向けて、無言のままたたずんでいた。
「エリナ!」
 エリナの心はここにない・・・エネスは一種の危機感を覚えた。
「・・・」
「オレだ、判るか?」
 エネスの声は、やさしかった。
「・・・仕事しなくちゃ・・・」
 エリナの声が一見元気を取り戻したように見えたのが錯覚であることは、間近にいるエネスにも判る。言葉が見つからない・・・次の瞬間、エネスはエリナの唇を自分のそれと重ね合わせていた。
「・・・!!」
 エネスの奇襲とも言うべきキスは、エリナの意識を一気に現実へと引き戻した。
「よして!」
 ハッとなって、エリナは両手でエネスを押し戻した。
「コックピットを、オレにあわせてくれないか?」
「・・・あなたがショール・ハーバインになるというのね?」
「そうだ。」
「ダメよ、あなたはショールにはなれないわ。」
「・・・オレがこれに乗って闘うことが、ショールと共に闘うことになる。それはお前も同じなんだ。お前がこれを整備することは、ショールと共に闘うことなんだ。だから・・・頼む。」
 最後は、震えて言葉になっていなかった。
「・・・そうね、判ったわ。この機体をあなたにあわせてセッティングするわ。」
「エリナ、その・・・すまなかった」
 エリナには、エネスがなにに対しての謝罪の言葉なのか、判らなかった。キスをしてしまったことか、それとも自分の夫を目の前で死なせてしまったことか・・・それともその両方か・・・だがエリナは、混乱をしたわけではなかった。
「いいのよ。」
 エリナはそれだけ言って、全てを赦した。それからすぐにシートから立ち上がって、コックピットから出ていった。
(・・・ショール、貴様は本当に死んだのか?オレには貴様が生きているように思えてならないんだ・・・いや、生きていなくてはならないんだ・・・)

 日付が2月17日に変わってすぐ、ティルヴィングはサラミス級ベオグラードとの合流を果たしていた。ようやく自身でも精神状態が落ち着いたと確信を持てるようになったエネスは、この増援が監視であることをすぐに察知していた。MS上部デッキの窓からその様子を見てから、一緒にいたレイとナリアの方へ向き直った。
「コーネリア、連中の動きには充分注意した方が良い。」
「あぁ、この時期になってのいきなりの増援だ。ロクなもんじゃないだろうね。」
 ナリアもまた、事態の不自然さを感じているようだった。
「ま、後ろからズドンなんて事にならなきゃいいけど・・・」
「レイ、笑い事じゃ済まないかも知れないよ。後ろは私に任せろ。背後は守ってやる。」
 ナリアの右手は、自然にレイの左肩に寄り添う形になっていた。エネスが辺りを見回してみると、クルー達はショール機撃墜というニュースのショックからなんとか立ち直り、今という状況から生まれる次なる展開に気を回せるようになったように見える。それは悪いことではない。
 だがエネスの心配は、エリナの心の傷に及んでいた。ショールがエリナの胸の中で死にたいと冗談めかして本音を言ったのは、自分の死後もエリナや自分が共有した理想のために闘ってくれることを望んでいる心境があったからだ。元気を出せとか、そんな言葉など無意味なことは判っている。だからこそ、エネスは自分がどうすればエリナの心を救えるのか、判らなかった。人は何かを犠牲にしなければ、自分の欲しいものを手に入れることはできないのだろうか?それはエネスがこれから長い間持ち続けた、疑問であった。
 

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