第13章 中立都市(後編)

 グリプスへの強行偵察を行い、グラナダに帰投したクレイモア隊は新たな命令が届くまでの間、グラナダでの待機任務に就いていた。待機任務中に母艦であるティルヴィングを酷使することは余り無いであろう事から、いつも通り待機中に艦の補修や補給などを行って次の任務に備えていたのである。ただ、艦載MSの待機場所はティルヴィングの中であったから、艦の機能の全てを休ませていたわけではなかった。表面上連邦の拠点の一つであるグラナダを、エウーゴが表立って物々しい警備をするわけにもいかない事情もあった。

「ハーバイン中尉、ヴェラエフ曹長、艦長室までおいでください・・・繰り返します・・・」
 ミカ・ローレンスの声が艦内に響き渡る。
「ん、エリナもか?」
 ショール・ハーバインがエリナが艦長に呼び出されるのを聞いたのは、隊に配属されたばかりの時以来であった。MSデッキから艦内に戻り、控え室でノーマルスーツを脱いで制服姿になると、出口で隣の第二控え室から出てきたエリナと出くわした。
「艦長に呼び出されるなんて、久しぶりだな?」
 後ろ髪を束ねていたゴムを取り払って、ショールは言った。
「そうねぇ、いったい何なのかしら?」
 エリナにも心当たりはないようだと、ショールには思えた。何の変化もない退屈な待機任務をこのままやるよりはマシかなと、思うことにした。

「君たちに聞きたいことがあってな?」
 ログナーは艦長室の中央にあるデスクに陣取り、両手を胸の前で組んでいる状態で入室してきた2人に話しかけた。表情は思っていたより険しくない。むしろいつものログナーの顔に比べれば穏和と言った方がいいかも知れなかった。
「はい、何でしょうか?」
 エリナは久しぶりに顔を直接合わせた艦長に向かって、そう応えるしかなかった。
「ニッタ少尉から内密に報告を受けているんだが、リックディアス9番機に組み込んでいる新システムの試作品について聞きたいんだ。」
「レイから?あいつ・・・」
 半歩前に右足を進めかけたショールをログナーが制した。
「いや、万が一のためにと思ってとったレイの行動だ。彼をせめてはいかんよ。まぁ、ニッタ少尉のことで呼びだしたわけではない。これから君たちとニッタ少尉で・・・」
 言いかけた時、艦長室のドアをノックされた。
「あぁ、入りたまえ!」
 ログナーが大声を張り上げて訪ねてきた人物に呼びかける。いかにも誰なのかを知っているような態度だ。しかし、ショール達にもそれが誰であるかは見当が付いていた。
「入ります!」
「今君の話をしていたところだ。君たち3人でフォン・ブラウン市のアナハイム・エレクトロニクスに行ってくれ」
「アナハイムに、しかもフォン・ブラウンにですか?」
 ショールは少し驚いた。今までのアナハイムに関する用事は、全てアンマンかグラナダで済ませる事が出来たはずであったからだ。
「アナハイム本社のシステム開発部からの連絡で、その新システムを正式に次の試作MSに使いたいので、そのデータ受け渡しのために君たち3人でアナハイムに出向してきて欲しいんだそうだ。」

 ティルヴィングでそんな事があったUC.0087年6月6日も、夕方になって、フォンブラウン市のホテル「スヴァースズ」12Fにある部屋では、ナタリー・ニールセンという偽の名を名乗っているイーリス・リィプスが自室で寝転がっていた。不意にイーリスの部屋のドアがノックされ、イーリスは反射的に起きあがった。
「ナタリーさん、ちょっと良いですか?」
 声の主はイーリスをここまで連れてきた男、アルベルト・リンドバーグだった。
「はい、ちょっと待って下さい」
 寝転がっていたために服装が乱れていたのに気付いたから、イーリスはそう応えた。服装を直し、イーリスはドアを開けてリビングルームに出る。いくら何でも、男性を自室に入れることに抵抗があったからだ。(護衛なら女性もいてくれればいいのに・・・やりにくいなぁ・・・)イーリスは心の中で密かに不満を述べた。このホテルに来て3日目だが、イーリスはこの中途半端に豪華なこの部屋には全然なじめなかった。別にイーリスの贅沢ではない。ホテルを使ったことのないイーリスにとっては、もっと生活の臭いを感じたかったのである。入院している患者の気持ちが少しだけ分かるような気がした。医者になったときは患者に優しくしてやろうと決心していた。
「なんです?」
「このまま密室にいても退屈でしょう。外に出ませんか?」
 リンドバーグも申し出はイーリスにとっては予想外のことであった。護衛を任された人間でそんな事を言い出すなど聞いたことがない。しかし、今のイーリスにとっては悪い話ではない。この部屋では勉強する気にもなれず、実際に退屈していたからだ。
「いいですね。でも、私を外に連れ出して良いんですか?」
「ホントは命令違反なんですがね、ここは中立都市です。地球の治安の悪い街ではありません。それに、万一の時のために私がいるんですよ?」
 リンドバーグは少しだけ自分の本音を出して言った。イーリスが退屈しているだろうと気遣っていたのは事実であったし、自分も退屈していたのも事実であった。お互いにストレスを貯めておくことは良くないと判断したのである。


 グラナダからリニアレールに乗って数時間後、ショール達はフォン・ブラウン市に入った。入国審査もアナハイムが発行した偽のIDで無事にパスし、アナハイムの社員としてとして潜入することが出来たのである。リニアレールのステーションから出た3人は、アナハイム・エレクトロニクス本社のある位置を地図で確認すると、エレカを拾ってその方向に走り始めた。15分ほどエレカを走らせると、コロニーでは見かけることの出来ない高層建築の賜物が見えてきた。アナハイム・エレクトロニクス本社ビルである。
 受付で偽IDを提示して、自分たちが用事のあるシステム開発部へ連絡を入れて貰うと、しばらくして3人にとっては馴染みのある人物が顔を出してきた。
「レイ!」
 大柄なその人物は大声を上げると3人の元に走り寄ってきた。
「ジョン!ハハッ、久しぶりだな!」
 レイとジョン・マツダはお互いの肩を叩き合って、再会を喜んでいる。実に2年ぶりなんだからしょうがないか、ショールは思った。
「ショールさんもエリナさんも、しばらくぶりです」
「そうだな、もう1ヶ月以上経つよな?でも、グラナダ勤務のあんたが、何でここにいるんだ?」
 ショールは右手の親指を立ててマツダの挨拶に応えてから聞いた。
「ええ、そのシステムの件で私も呼び出されましてね?次の試作MSで実際に導入することが決まったので開発3課に出戻りです。」
「そうか、お前は3課に戻れるのか、主任も喜ぶんじゃないのか?」
 レイは嬉しそうにマツダの背中を何度か叩く。
「レイも開発3課だったのね、そういえば・・・」
 エリナは珍しく心から嬉しそうにしているレイを見て、尋ねた。
「ジョン、早く案内しろよ?」
「急かすなよ、レイ!ショールさん、エリナさん、こちらのエレベータです」
 マツダの案内を受けて、20Fにあるシステム開発3課と書かれた表札のある部署に入っていった。オフィスの中には一人の男しかいなかった。退社時間を過ぎたばかりだから、人が少ないのは当然であった。
「主任!例の方々をお連れしました」
 マツダはそのオフィスの最奥にいる、30歳くらいの男に呼びかけた。
「おう、来たか、アナハイムにようこそ。開発3課主任のマコト=ハヤサカだ。早速で悪いが、データのコピーをもらえるかな?」
 その男は無精に伸ばした黒髪を束ねており、無精ヒゲもアゴの下や鼻の下に蓄えている男ではあったが、ショール達はその話し方に見かけによらない好印象を抱いていた。ショール機のコンピュータからシステムデータのコピーを持ってきていたエリナが、ハヤサカにそのディスクを渡す。
「どれどれ?」
 ハヤサカは自分のデスクの端末に受け取ったディスクを差し入れ、データを読み出していく。
「ほう、この運動は・・・」
 そういうとハヤサカは何かをキーボードで打ち込み始めた。4人に手招きをする。
「こいつを見てくれ」
 モニタには3Dのコンピュータグラフィックスとフレームで表現されたリックディアスが映し出されている。
「これが正面から敵の攻撃を受けたときの回避運動だ」
 ハヤサカはまたキーボードで何かを打ち込む。モニタに映っているリックディアスが時計回りに錐もみ状態の回転をしている。言うまでもなくショールの回避運動だ。
「こんな回避運動は見たことがない。遠心力と慣性を使って微妙に機体をずらしている・・・一見非合理的に見えて、実はアポジモーターの燃料はそれほど使っていない合理的な運動だ。全力で移動しながらの回避だと理想に近いな」
 感心しているハヤサカに、ジョンが呼びかける。
「主任、どうです?」
「いいな。回避運動時におけるパイロットにかかるGが大きいのが気になるがな?」
 ハヤサカは顎に手を当てて無精ヒゲを撫でると、そう言った。
「でも、通常のパイロットの許容範囲内ではありますよ?」
「一応な・・・でも、限界ギリギリだな」
「でも、現にここにいるハーバインさんが現実にリックディアスで行った運動です。推力も10%ほど追加されてますし」
「しかし、この運動を利用すれば強襲離脱型MSが出来るか・・・」
「あとはベースとなるMSの選定ですね?」
「それが問題だが、システムに関してはこれで良いと俺は思う」
「ですね。引き続きデータの蓄積を依頼しましょう」
 ハヤサカとジョンのやりとりが長く続いた後、2人はショール達に向き直った。
「というわけで、このシステムの利点とハーバイン君の運動は見せて貰った。このまま引き続きデータの蓄積を頼めるかな?」
 ハヤサカは何か余裕のある笑みを浮かべて、ショールに話した。
「オレは構わない。エリナはどうだ?」
「私も構わないわ。このシステムにも慣れてきたし」
「だな。細かい調整とかで分からないことがあったらオレに聞けばいいしな」
 レイも納得したようで、大きく頷いて見せた。

 アナハイム・エレクトロニクス本社ビルを後にした3人は、夕食を採るために、街の中心部に向かってエレカを走らせていた。繁華街の手前でエレカを停め、徒歩で適当な店を探すことになった。
「最終に間に合わなくなる!あんまり時間を食うわけにはいかないんだ、そこで良いんじゃないのか?遊びに来たんじゃないんだしな!」
 ショールはここは嫌だ、あそこは嫌だと言っているレイに、半ばうんざりしたような言い方で諭した。
「おっと、大人げなかったかな?すまん。明日からまた宇宙食だと思うとどうしてもね。じゃぁそこのホテルで食事といこうぜ!?」
 半分笑いながらレイは、ホテル「スヴァースズ」を偶然指さした。レイの指さした場所にいる人物を見て、それまでエリナと肩をすくめていたショールは愕然とした。
「まさか・・・イーリス?」
 ショールは士官学校時代にイーリスと出会っているし、幾度か食事に行ったこともあった。最後に会ってから2年が経っているとはいえ、そのショールが間近で見る女性の顔を見間違えるはずがなかった。その口から出た人物の名前は、エリナにも勿論聞き覚えがあった。
「あの娘、地球のはずでしょ?なんでこんな所に!?」
 エリナも少し動揺する。
「今はまだハイスクールのはずだ。その高校生がわざわざ戦闘の激しい宇宙に上がってくるなんて考えられない・・・それに、この前の戦闘の時にエネスが言っていたんだ。『地球にいるはずの妹が宇宙にいればこうなる』ってな!」
「じゃぁ・・・」
「連れてこられたな、人質として・・・助ける!」
 ショールは親友の妹の元に走り出した。
「ちょっと、本気!?」
 護衛らしき男は一人だったが、他にも護衛がいるかも知れない・・・そう思ったエリナは一度叫んでみたが、ムキになったショールがテコでも動かないことを知っていたからすぐにその後を追いかけていった。
「おい、どういうことなんだよ!?」
「あなたも来るの!」
 状況を把握できていないレイが声を挙げたが、エリナが手招きして後を追うように言った。
「イーリス!」
 不意に声をかけられたイーリスは、その声の方向に振り向いた。イーリスだけではなく、リンドバーグも当然振り向く。
「ショールさん?」
「貴様は・・・がっ!!」
 振り向いたリンドバーグの顔に向かって、ショールの左正拳が放たれた。倒れたリンドバーグを省みることなく、イーリスの右手をつかんで走り出した。
「ショールさん、でも!」
「話は後だ!エリナ!レイ!こっちだ!」
 こめかみの急所に一撃を受けたリンドバーグは気を失う前に目でイーリスを追った。既にイーリス達は全力で路地の方へ走っていったのを見ながら、リンドバーグが意識を失った。

 繁華街から離れ、先程エレカを停めていた場所まで4人は息を荒くして走ってきていた。
「ハァッ、ハァッ・・・ショールさん・・・なんで?」
 イーリスが息を整えながらショールに尋ねる。
「なんで?君はティターンズの人質だったんだぞ?助けなければならない、オレはそう思っただけだ。」
 既に呼吸を元に戻していたショールが「なぜそんなことを聞く?」と言わんばかりにイーリスに詰め寄る。追っ手が来ていないかと、左右を見回す。息が荒いのはイーリスだけであった。エリナもレイも、流石に回復が早かった。
「私が人質?」
「そうさ、君は人質として地球から連れてこられたんだ!一緒にいたのは監視役だろ?」
 ショールが少し語気を強めたので、イーリスは少したじろぐしかなかった。
「監視されているのには気付いていたけど・・・人質だなんて・・・だいたい、ここにいられるのは兄さんが手配してくれたと説明されてるわ。」
「とにかく、オレ達と一緒に来てくれ!」
 そう言うとショールはイーリスの手を取って、エリナ達とエレカに乗り込んだ。このまま時間を浪費すればリニアレールの最終便が間に合わなくなる可能性があるからだ。

 その20分後、リニアレールのグラナダ行きの最終便に4人は乗り込む事が出来た。とりあえずイーリスをティルヴィングに連れていかなければならないと、ショールが判断したからだ。その便の中で、イーリスはかつて想いを寄せた男の隣りに座って、うつむくしかなかった。


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