第12章 中立都市(前編)

 宇宙世紀0087年5月中旬に入ってから、宇宙と地球は急激に慌ただしくなった。地球ではエウーゴの支援組織カラバとティターンズが各地で小規模な戦闘を繰り返し、宇宙ではグリプス2がルナIIに向けて移動を開始していた。そして、地球から遙か離れた場所からも、あるモノがルナIIに向かって月の周回軌道を移動していた。

 地球のすぐ外側でクレイモア隊と戦闘をしたあと、サラミス級巡洋艦「ニューデリー」はサイド7に帰投せず、移動中であった旧ア・バオア・クー要塞の護衛艦隊に合流し、要塞の施設で補給や補修を行っていた。ア・バオア・クーの護衛艦隊と合流したのはモートン少佐の独断ではない。クレイモアとの戦闘の直後にレーザー回線を通じて、サイド2付近を通過しようとしていた要塞に合流するように指令が出たのである。ニューデリーはその要塞内にある艦艇用のデッキで補修を受けたあと、要塞周辺の哨戒に出ていた。
「艦長、前方より所属不明の小型艇が接近中です」
 ニューデリーのオペレータがモートンに報告する。
「所属不明?軍用機なのか?数も確認させるんだ」
「確認します。所属不明の艦艇に告ぐ、停船して貴艦の所属を明らかにせよ、繰り返す・・・・」
「どうだ?」
「見たところ民間機の様です。数は一隻。」
「こんな所に民間機が?・・・臨検する。艦をその民間機に接舷させろ。」
「了解」
 レナード・モートンは怪訝に思った。サイド2と言えば、一年戦争時にほぼ全滅して以来暗礁宙域となっている宙域である。そこに民間機が通ることなど通常では考えられない。最初モートンはエウーゴの手のモノかとも思ったが、巨大要塞を一隻で何とか出来ると思うような敵ならば、自分たちが苦戦するようなことはなかったはずである。
「艦長、相手が停船します。」
「よし、接舷準備だ、エネス中尉に臨検させる」

 エネス・リィプスはニューデリーのMSデッキ横にある控え室でクラック達に戦術の打ち合わせをしていた。この前の戦闘でハイザックのパイロットであるフェデリコ軍曹が戦死し、新しいパイロットの補充が行われなかったので、フォーメーションなどを現状のままで行わなければならなかったからだ。メンバーが減少すればフォーメーションの変更を検討しなければならない。エネスの部下は3人、クリック・クラック曹長と、エドワード・ラファエル、ジョナサン・アーリントン両軍曹がその名前である。
「3機しかいないから、この場合は散開せずに・・・」
 そこへエネスの近くにかけられていた電話機から内線のコールが鳴る。
「エネス中尉だ」
「民間の小型艇が接近しています。中尉には臨検に向かうよう命令が出ています。ランチを待機させていますから、移乗してください。」
「了解だ、用事が入った。続きはあとだ、休憩していろ。」
 エネスは3人の部下にそう言うと控え室から出て、MSデッキ最前列に置かれているランチに乗り込んだ。臨検を行うのはエネスを指揮官とした6名のクルーである。程なくランチは民間機に接舷したニューデリーを出て、民間機のエアロックデッキまで進んでいく。待機要員に2名を残して、エネスは民間の小型艇に入っていった。小型艇のキャプテンらしき男がエネスを出迎えた。
「小官は地球連邦軍遊撃隊ニューデリーのエネス中尉である。何故の目的があってこちらの暗礁宙域まで来たのか?」
 マニュアル通りの堅苦しい言い方をして、エネスはキャプテンらしき自分と同年代に見えるこの男を睨んだ。
「エネス・リィプス中尉ですね?」
 男は動じずに応えた。
「俺の名を知っているか・・・どこの部隊のモノだ?」
「小官はアルベルト・リンドバーグ少尉であります。この船は移動中のア・バオア・クーを経由して、月のフォン・ブラウンに潜伏するようにバスク大佐から特命を受けておりまして、民間機に偽装した船で航行しているのであります。」
「大佐が?」
「はい、フォン・ブラウンに潜入すると行っても破壊工作や諜報活動を目的としたモノではありません」
「おい、中の様子を見てきてくれ、オレはキャプテンから話を聞くから」
 エネスは同伴した3名の臨検要員に命令すると、リンドバーグにまた話しかけた。
「この船はどこから来たんだ?」
「グリプスです」
「この船の中には何がある?支障がない程度に教えてくれ」
「ある人物の親類の方を安全なフォン・ブラウンにお連れし、戦火から守って欲しいとのことなのです」
「なるほどな、そう言うことか。で、他のこの船の乗客はいないのか?」
「はい、クルーを除いては」

「エネス中尉!」
 小型艇の中身を調べていた臨検要員達が調査を終えて、エネスの元に戻ってきた。
「おう、どうだった?」
「乗客は一名、18歳くらいの女の子でした。名前は・・・ナタリー・ニールセンです。身分証もあります。」
「分かった、撤収するぞ!」
 エネスは右手を挙げて号令を下した。
「積み荷のチェックはよろしいのですか?」
 臨検要員の一人がエネスに疑問を投げかけた。」
「あぁ、この船は連邦軍の偽装船だよ」
「あぁ、なるほど」
 臨検要員はそれで納得することにした。身内の腹の探り合いは気持ちの良いことではないからである。それに、偽装船を使うということが怪しい任務という先入観を臨検要員に植え付けることが出来た。怪しい事にあまり関わりたくないのが人情である。そして、エネス達はランチに移乗して、ニューデリーに帰っていった。それを見送ったリンドバーグは臨検要員に返して貰った身分証を弄びながら、キャビンの方向に向かって歩き出した。座席の間を無重力に身を任せながら流れていく。そして、この小型艇の唯一の乗客である女性の傍らでその動きを止めた。後ろから見ると、真っ直ぐな金髪が印象的な女性だ。
「少尉、いえ、リンドバーグさん、先程の方々は軍人のようでしたけど?」
 ナタリー・ニールセンという身分証を持っていた女性は、静かに話しかけた。
「ええ、連邦軍の臨検ですよ。心配はいりません。」
 リンドバーグは何故かこの女性には敬語を使ってしまう事に少し疑問を持っていたが、その女性には彼にそうさせる雰囲気があった。はかなげな印象を持ちながらも、その言動には何らかの確固たる意思が感じられる。そういった育ちの良さの様なモノを持った女性だった。
「イーリスさん、ア・バオア・クーを過ぎたら私を少尉と呼ばないようにしてくださいね?」
「ええ、つい少尉と呼んでしまいましたが・・・気を付けます。それに、リンドバーグさんも私の本当の名前を呼ばない方がよろしいのでは?」
 少し口元をほころばせて、イーリスという本名を持つ女性は言った。
「兄さんが私をグリプスから遠ざけるように努力してくれたんですよね・・・・ありがたいことですよ」
「ええ、妹想いの方ですね。妹だけでも戦争と関係ない場所にと熱心に申請しておられましたからね」
 それではとリンドバーグは再び身を前方に流し始めた。リンドバーグはそう思い込まされているこの女性を少し哀れに思った。先程までその兄がこの船にいたのである。そして、この兄妹はお互いの存在を知ることなく、再び離ればなれになってしまった・・・何の因果だろうか?リンドバーグは臨検の指揮を執っているのがエネス・リィプスだと知った時は、流石に焦っていた。顔写真の当たりを少し変えた程度の偽の身分証を提示しただけでは、心細かったのである。リンドバーグは真相の一部を織り交ぜて話すことによって、エネスを真相から遠ざけることに成功したのだった。
 リンドバーグがこの命令を出した上官より(多少ではあるが)良心のある男であったことが、イーリスとエネスを引き剥がしてしまう結果になったのは、皮肉としか言いようがない。しかし、命令を無視して兄妹の対面を許すほどになれなかったのはこの男の軍人としての性であった。それに、民間人にはあまり戦禍を及ぼしたくないと考えているのも事実であったし、イーリスという女性の興味を持っていたのも事実であった。今しばらく彼女を見ていたいという衝動に勝てなかったのが、リンドバーグにウソを付かせた最大の理由かも知れなかった。


 ランチでニューデリーに戻ったエネスは、臨検の報告をブリッジで行っていた。
「そうか・・・連邦のお偉いさんのご令嬢だったか。」
「は、そのようです。身分証のコピーもここに」
 エネスはモートンに先程コピーさせて貰った女性の身分証を提示した。写真を見ると、エネスは一瞬妹の面影を見たが、耳にあるホクロが無かった事や、「まさかな」と思っていた部分もあって、エネスは真相を察知することが出来なかった。
「分かった、本艦は再び哨戒行動を続行する。中尉、ご苦労だった。今のウチにしっかり休んでおけ」
「は、ありがとうございます。それでは」
 敬礼して、エネスはブリッジを退出した。

 自室に戻ったエネスはシャワーを浴びると、ベッドに横になった。時計は5月30日、19時を少し回った時間を示していた。
「寝るにはまだ早いし、そういえば夕食も喰ってなかったな」
 気分が落ち着いたのを見計らって、エネスは自室を出て食堂へと移動を開始した。食堂には少しだけ人がいた。整備等の仕事に一区切りをつけたクルー達が数人、コーヒーを飲んだりして談笑していた。食事を受け取ったエネスは、食堂の一角に部下の姿を見つけた。クラック曹長である。
「クラック!!」
 エネスは部下の名前を呼んで、そこへと向かっていた。
「中尉、ご苦労様です」
「いや、問題はなかったし、それほど疲れてはいない。白いリックディアスと戦う方がよほど疲れるさ。打ち合わせは明日続きをやるぞ?他の奴にも伝えておけ」
「了解です。」
 宇宙用の食事をとりながらも、エネスはクラックに命令した。エネスはクラックが時々何か違う雰囲気を見せることがある事に気付いていたから、この男に心を許す気はあまりなかった。不穏と言うより、変なのである。変としか表現のしようがない。挙動がおかしいのでもないから、エネスはクラックをあからさまに警戒する事もしなかった。だから、部下と上司という明確な距離をとることで、クラックに接していた。
 
 臨検の騒動から2時間ほどが経ち、イーリスとリンドバーグを乗せた小型艇は移動中であったア・バオア・クー要塞に合流した。ここでは小型艇の補給やイーリスとリンドバーグが入用なモノの調達などを行った。日付が5月31日になると、小型艇は要塞を出発した。ここからフォン・ブラウンまでのおよそ3日の行程を経て、イーリスとリンドバーグはフォン・ブラウン市に問題なく入国することが出来た。偽物とはいえ、連邦が発行した身分証であったから、入国管理局もそれほどの追求をしなかったのである。
 宇宙港から出た2人は、あらかじめ予約していたホテルのエレカ・リムジンに乗って、移動していた。ホテル「スヴァースズ」がそのホテルの名前である。なんでも、北欧での古い言葉で穏和なモノ、快適なモノという意味を表す言葉らしい。ホテルの外観は最上級のホテルとは比べるべくもないが、あまり上級のホテルに長期に渡って宿泊しても、訳有りな2人と誤解されるのを防ぐためにあえて中級のホテルにしたのである。これはイーリスの監視と護衛を任されたリンドバーグの判断である。2人はロビーから鍵を一つ受け取り、ボーイの案内で12Fにある部屋に入っていった。
「この奥の部屋が当面の間、あなたの部屋となります。ご入用のモノがありましたら、私に言って下さい」
 荷物を運び入れたボーイにチップとして5ドル札を2枚渡して退室させると、リンドバーグは言った。
「私はこの部屋にいますので、外出の時は声をかけてください」
 ホテルの部屋は一室の中にもう一部屋あって、そこのドアを指してリンドバーグはイーリスに申しつけた。イーリスはドアを隔てているとはいえ男性が同じ部屋にいることに抵抗を覚えたが、護衛という名目で付いてきている以上文句は言えなかった。
「グリプスの時より待遇はいいけど、体の良い監視ね」
 地球からグリプスに連れてこられた時の待遇は、お世辞にも良いとは言えなかった。狭い一室に監禁されたも同然だったのだ。それに比べると今の状態を嘆く理由はないのが、イーリスの今の状態だった。イーリスはベッドに横たわると、届いたばかりでまだ整理されていない自分の荷物を眺めた。
「兄さんが手配してくれたモノに文句は言えないしね・・・」
 イーリスはテレビの電源をつけて、ニュースを見ながら一人呟いた。ニュースでは地球でのカラバとティターンズの戦闘について報道されていた。 


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