第四話  見知らぬ男

(めくら)蛇に()じず』

 二回目のGEX起動テストが終了してから、ハヤサカは上司であるハンス・ロット博士にそう評されていた。それが”ものを知らない人間は恐れを知らない”という意味を表すことわざであるのを知ったのは、彼がレイ・ニッタと出会ったすぐ後のことだ。
 なぜ自分にそんな評価を下したのかは分からないが、恩師であるロットがハヤサカを悪い意味でそんな評価をするはずがないということだけは信じていた。実際、ハヤサカの若さゆえの部分へのロットの期待するところ大であった。新機軸の機体開発には新機軸の発想が必要になると、ジオンからの亡命科学者は考えたのである。
 
 そのハヤサカが個人的にひとりのテストパイロットを売り込んできたことは、ロットにとって衝撃的であり、また刺激的でもあった。というのも、マコト・ハヤサカという男は自分の関心にない人物とまともに付き合おうとはせず、ましてや上司にパイロットを推薦してくるなど普段では有り得ないと思っていた。その彼にGEXのテストパイロットとして推されたレイ・ニッタという男もまたハヤサカと同じ人種、つまりは”規格外の男”ということなのだろうか。
 実のところ、ロットはまだ初期段階でしかない機体のテストをするパイロットとして技術、人格ともに問題の少なさそうな個性の薄い人選をしてきたので、あまりその話に乗りたいとは思わなかった。とはいえ、愛弟子の名誉のために表現すると、別に彼の紹介だから嫌だというのではない。いまという時期がそういう段階だったがゆえである。
 しかし、ハヤサカが珍しくもこういうことをしたのは、嬉しくないといえばウソになる。自分の仕事を真剣に考えているからこそ、他人と自分自身に世話を焼くのだ。技術者としてのハヤサカを育ててきたロットとしては、教育者冥利に尽きるというものである。
 加えて、GEXのテストには複数のパイロットを用いると宣言したのが他ならぬロット自身である以上、経験不足のハヤサカの推薦だからという中途半端な理由で申し出を断るわけにはいかない。本心としては”嬉しい悲鳴”ならぬ”嬉しくない歓喜”とでも表現するのが的確だろうか。とにかく、既存の言葉ではハヤサカを計ることはできないと痛感していた。

 堅実なるガンダムガンマ開発と愛弟子の成長も兼ねた新機軸の発想という両天秤にかけられてロットは苦悩したが、結局、少し時期を遅らせるとすることでそれを解決させたのである。ようは、あまりにデリケートな現段階でなければ良いのだ。

「あれ、まだそんなもんなんですか?」
 フォン・ブラウン市にあるアナハイム・エレクトロニクス本社ビルにあるいつもの食堂では、マコト・ハヤサカという社内ではある意味で名物のような男がチャイニーズのセットを食べているいつもの光景があった。それを目の前にしているのは、テストパイロットのひとり、レイ・ニッタ少尉だ。
 そのいまの言葉の原因は、レイ自身にある。というのも、ハヤサカと出会って1ヶ月も経過してからになってレイがテストパイロットとして抜擢されたからGEXについての詳細を聞いてきたので、ハヤサカがそのまま−つまり、当初の仕様通りの装備品も大部分の装甲も未実装状態で基本動作が精一杯という事実を−答えたのである。
「そんなもん・・・ってなぁ、お前。モビルスーツ開発ナメてんだろ。開発プランの実施が決定してから1ヶ月かそこらで起動テストをできただけでも、かなり早い仕事なんだ。まだ開発開始から2ヶ月・・・焦ることはないさ。」
「それ、ロット博士の受け売りですか?」
「う、オレは良いんだよ。」
 図星である。実のところ、以前にハヤサカ自身もレイと同じような質問をして、いまと同じような言葉を言われたのである。思わず言葉を詰まらせた辺りは、ハヤサカの正直さがよく出ている。
「基本動作といっても、立ったりしゃがんだりするだけじゃない。バランス調整をするだけでも一日仕事なんだ。」
「ま、オレは乗ってるだけですから、気楽ですねぇ。」
「そう他人事のように言っていられるのも、いまのうちだ。感覚が鈍らないように、しっかりマニュアル読んどけ。お前が乗るのは基本動作の実験が一通り終わってからになるんだから、パイロットが基本動作をマスターしてないと実験にならない。それじゃ推薦したオレの立場もないんだ。とにかくやるからには失敗は許さん。」
 一方的に好き放題を言ったが、自分でも棚上げしていると思う。そんなに偉そうなことを言える身分ではないことは、よく分かっているはずなのだ。それでも言ってしまうのは、自分の仕事に対しては真剣になれるからだろう。それだけはハヤサカの良いところだと自分で思っている。
「了解。」
 そして、ロットからその時に教えられたことが、もうひとつある。それは、モビルスーツ開発には莫大な金がかかるということだ。結果的に失敗した最初の動作実験ひとつにも、それこそ目玉が飛び出るような経費がかかっている。税務局の提示する税額や経費と利益のかねあいに、アナハイムの首脳陣はいつも頭を抱えている。
 やれ新型機、試作機、量産機と五月蠅いクライアントは企業の都合など考えてはくれないから、企業の努力はますます必要になる。そういう経済的・政治的な側面からも、自分の仕事を眺めてみる必要があるのだ。
 しかし、その点までは敢えて言わなかった。いや、少なくとも、今は言うつもりはなかった。自分自身、そういうことを考えて仕事をするとやる気が萎えてしまうかも知れないと自覚しているので、似たもの同士であるレイにそれを言えるはずもない。正直、聞かなければよかったとすら思っている。しかし、恩師であるロットがハヤサカの性格を知った上で言ったのだから、自分のためを想ってのことだろうが、感謝と困惑で非常に複雑な気分だ。その一方で、大好物の酢豚の臭いと会話の内容のギャップが滑稽に思えた。

 GEXの4度目の実験が実施された、宇宙世紀0085年9月21日・・・。

 この日の実験は、既に基本動作のデータを収集し終わった状態からの続きになる。といっても、ハヤサカがレイに言ったとおりGEXには装備品の一切が実装されていないが、今度からの実験機から、いよいよ装甲材にガンダリウムガンマが使用されることになっていた。一回の実験を挟んで今回からレイの参加が許されたのは、機体そのものの安全性が実験に堪えうるものであるとの確証を得られたからだ。

 以前に実験が行われたところとはまた別の場所の月面上。ここにはかつて、月面都市建設の際に月面から採掘された鉱物資源を加工する施設があった場所だ。しかし、この辺の資源はとうに尽きており、誰も近付くことのない廃墟だけがあった。聞いたところによると、この場所はフォン・ブラウン市の都市拡張工事の予定地になっているそうだが、いまはアナハイム・エレクトロニクスがフォン・ブラウン市から借りて、機体の実験などに使用されていた。
「しかし、良いんですかねぇ?」
 月面上を走っていた移動式の大型データ収集車輌の中で、ハヤサカがロットに尋ねた。GEXにまつわるスタッフは数十人にのぼるので、すべての人員をこの車両一台に収容することはできない。よって、同型の車輌が他にも数台あって人員を分散させていたが、ロットはハヤサカを手元に置くことにしていたので、この両者は同乗していたのである。
「なにがかね?」
「いや、GEXってほら、エウーゴとかいう組織の発注で開発されてるわけでしょ?こんな目立つところで実験なんかやって、怪しまれないですかね?」
 エウーゴという名前は、本来ならアナハイム社内では口にしてはならない禁句であったが、いまは狭い社内の中なので、ハヤサカはそれを口に出した。もっとも、それでも何かはばかられるような気がして、ロットにだけ聞こえるような音量ではあった。
「その心配はないよ。この機体には本当の型式番号とは別の、連邦正規の型式番号が与えられている。もし連邦軍の人間に見られても、どうとでもなるのさ。」
「ジオンのMS-09Rリックドムに似せて作られたのも、そういうことなんですか?」
「さぁ、それはどうだろう。設計課の人間に聞くのが確実だろうね。噂では、君は設計課の人間と仲がいいそうじゃないか。」
 ハヤサカの後頭部から、少しだけ血の気が引いていくような感覚が伝わってくる。確かに自分自身にはやましいところは何もないが、自分と他人が噂になるというのは良い気分ではない。彼個人に対する噂など歯牙にもかけないハヤサカらしくないと思われがちだが、それは違った。
「ま、このGEXがなければ、そういうことにもなりませんでしたがね。」
「そう迷惑そうな顔をすることもないだろう?」
「噂ってのは嫌いでしてね、そういうのは得てして無責任ですから。」
「君は責任という言葉が嫌いじゃないか。もっとも君の場合は、責任というものをよく知っているからこそ、それから逃げたがっているんだろうが・・・。」
 それ以上、ハヤサカはそれについて何も言わなくなった。重苦しくなり始めた車内の空気にちょっとした風を噴き入れたのは、レイ・ニッタの無線の声だった。
「ハヤサカ中略さん、準備の方が終わってますよ。」
 そういう呼ばれ方をするのは、ハヤサカにとって不本意この上なかった。
「なんだ、その中略ってのは?」
「ハヤサカなんたら補佐って、長ったらしくて・・・」
「なら名前だけ呼べばいいだろうが。オレだって覚えてない。」
 車内の至る所で笑い声が起こった。それはハヤサカ自身も見慣れた光景なのだが、ふと何かしらの違和感を感じて、一瞬だけ眉をひそめた。その原因が判明するのは、もう少し後のことである。
「ハヤサカ君、そろそろ・・・」
 ハヤサカの良心とも言うべきロットが、咳払いをしてから言った。どうやら彼も笑っていた人間の中にいたらしく、まだ口元は真剣になりきれていない。憮然とすることもなく、それに従った。
「一言多いんだよ、お前は。準備が終わったんならさっさとやれ、バカ。」
「了解!」
 こうして、レイ・ニッタの最初のGEXテストが始まった。

 今回のGEXの動作実験は、手足を使った基本動作からさらに一歩進んで、機体の各所に備えつけられている推進器を併用した動作のデータ収集が目的であった。前回までのような狭いドームで実験をしない最大の理由が、この実験内容なのだ。
 レイ・ニッタの操縦技術は確かに前評判通りであって、変な癖もないので見た目ほどの不安定さもなく、むしろ堅実であったと誉めても良いくらいだ。彼の操るGEXは大小のジャンプを織り交ぜて、月面とその上方の虚無の宇宙空間に光の帯を、見る人間の網膜に焼き付けていく。
「動きが軽い・・・ガンダリウムガンマって装甲材、良さそうだ。」
 ハヤサカは独白したつもりだが、それを聞いたロットはわざわざ返事を出した。
「それだけじゃない。ジェネレータやバーニアの出力も従来のモビルスーツより高いし、パイロットが無駄の少ない運動をしてくれている。なかなか良いパイロットを連れてきたものだ。」
「忘れてはならないのは、ここが地球の6分の1の重力しかない月面であることですかね?」
「重力の大小と動きの軽快さはまた別のこと。重力の低い方がかえってバランスが取りづらいことも確かにあるし、これが1Gの重力下だとまた別の結果が出るかも知れない。すべてはまだまだこれからだよ。」
 等々、テストが順調に進む中でのロットの言葉をすべて集約すれば、彼の細い目にもレイ・ニッタは良いテストパイロットであるように映るという。少なくともハヤサカには、そう認識できた。
 ある程度の運動が済むと、いままでのそれがまるでウォームアップであったかのように、次第にパターンを変え、運動の軌道もより大きさを増していく。所々にある窪みや岩の突起を飛び越えたりといった、ややバランス制御の必要な動作も混ざってくる。そういった動作をするたびに、計測されたデータが収集車内の機材がけたたましい音を立て、記録していった。
 ロットは、リアルタイムでプリントアウトされるそれを眺め、感想を漏らしては、その紙を他の人間に渡して機体の運動に目をやる。ハヤサカもそれにただ追従していた。
 その一方で、先ほどハヤサカが車内に感じていた違和感もまた、時間の経過とともに強まっていた。何かがいつもと違うのだ。一度気になりだすとそれを確かめねば気が済まぬ性格であったので、テストもそっちのけで周囲への注意が自然と傾いていた。
(何か、悪い予感がする・・・)
 それは、目の前で行われているテストの結果とはまた別ではないか、と思えた。

 テストが開始されてから、そろそろ1時間が過ぎようとしていた。この時、既にハヤサカの注目は機体のテストにはあまり向いていなかった。ふと、周囲を注意深く見回してみると、ようやくその違和感の正体が分かった。そこで、小声でロットに尋ねた。
「ロット先生、あの方は・・・?」
 ハヤサカが見つけたのは、見知らぬ人物であった。というのも、確かにハヤサカはスタッフ全員の顔を把握しているわけではないのだが、いままで一緒に仕事をしてきた技術者のもつ共通の−たとえば緊張や焦燥といった−雰囲気があったので、ある程度はそれが人物判断の指標になっていたのである。
 ところが、そのロットと同じくらいの年齢であろう男性の持つ雰囲気は、明らかに異質であった。緊張と言うより、むしろ警戒に近い雰囲気があったのだ。
「ん、誰かね?」
「右端のモニタの前の・・・」
「あぁ、マイヤー・・・フリッツ・マイヤーだ。大学時代に君にも話したことがあったと思うが・・・」
 それを聞いて、すぐさま記憶の中から固有名詞を検索する。人名を記憶することはあまり得意ではないのだが、真剣に考えた方が良いとハヤサカの中の何かが警告しているのだ。
 そして、検索が終わった。確かに聞いたことのある名前だ。
「確か、先生のジオン時代の・・・」
 ハヤサカの記憶は確かだった。ロットが連邦政府に亡命するよりも以前、ハヤサカのような生徒がいたと聞いていた。もっとも、性格面やその他の人間的な部分では、まったく違うタイプではあったのだが、自分の仕事に対する熱心さは良い勝負だと、ロットが言うのだ。
 そのロットの話によると、マイヤーという男は今回の実験からの参画になるらしかったが、なぜ今更になって追加人員が出て来るのかという疑問は、確かにハヤサカの中にあった。それも、モニタを眺めるその視線に何か負の感情を込めている男など・・・。
 しかし、ハヤサカが漠然と感じていた悪い予感が具体的な形になるのは、かなり後の話である。

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