第三話  奔放な男

巧遅(こうち)拙速(せっそく)()かず』

 時間をかけて質の高さを求めるより、多少は質で劣っても効率よく素早くできる方がよい・・・といわれることわざを、ハヤサカは知っていた。
 しかし、彼が参加している”ガンマガンダム開発計画”は、時間をかけてでも完成度の高さを追求すべきであると思っていたので、ことわざはいつも真実を指しているとは限らないと痛感していた。というのも、最初に組み立てられた実験機による試験がうまくいかなかったのである。

 その実験のあった、宇宙世紀0085年8月12日の夕方・・・。

「なんてこったい、まったく。」
 自分のデスクの上で足を組ませた行儀の悪い姿勢で、ハヤサカが苛立たしげに言った。その前に立つ補佐役のマツダが、それを見て顔をしかめる。
「まぁ最初の実験なんてこんなものですって。」
「実験?GEX(ゲックス)の組立も終わり、システムもちゃんと起動したのはいいが、それから5分で転んだんだぞ。それで実験って言えるのか?」
 最初の実験は、ハヤサカのいうとおり、起動して歩き出すとすぐに転んでしまったのである。それも、地球の6分の1しかない月の重力下での話だ。ハヤサカが呆れるのは無理もない。
 ちなみに、ハヤサカのいう”GEX”とは、GANMA  EXPERIMENT(ガンマガンダム実験機)の略で、アナハイム社内だけで通用する名前である。
「確かに充分とは言えませんが、起動実験としてはこんなもんでしょう。」
「で、失敗の原因は何だったんだ?」
「まだ実験から2時間しか経過していませんからね。原因の究明にはもう少し時間がかかるでしょう。ロット課長も参加してますし・・・。」
「そりゃロット先生は信じてるさ。しかし、自分の立場の半端さがこれほど恨めしいと思ったことはないな。補佐と言ったって何にもできないんだからな、オレは。」
「今回の失敗がハヤサカさんのせいじゃないことを祈りますよ。」
 マツダの立場はロットの補佐役であるハヤサカのそのまた補佐役というややこしいものだが、結局のところ、彼の仕事はハヤサカ自身の補佐だけだ。それはすなわち、ハヤサカに過失があれば自分にも責任が回ってくるということである。だが、この”奥ゆかしい大男”はそれを口にはしない。
「あ、イヤなヤツだな、お前。」
 ハヤサカの冗談まじりの苦笑に、目前の大男も倣う。
「冗談ですよ。」
「本気でいわれてたまるか。アレじゃないのか、どっかで重量のバランスが取れてなかったとか、そんなしょうもない理由。」
「あり得ますね。左右か前後の部品のバランスが当初の設計プランと違っていたのか、それとも・・・。」
「最初から設計の段階で違っていたか、か・・・。」
(もしそうなら、失敗の原因は部品の吟味の段階にある・・・ということは、あのデニーニとかいう女の失敗なのか?)
 ふと、数日前に出会った女のことを思い出してみる。確かに彼女は横領の常習犯ではあったが、あれだけ頭の良い女が、こんなつまらないことで足の付くようなマネをするだろうか?そう思うと、彼女がいかに慎重な人間であるかの想像は難しくない。
(いや、部品の吟味はデニーニの仕事だが、デニーニひとりだけの仕事じゃない・・・とすれば、彼女は無関係か・・・)
 しかし、その憶測を正しいと確信できるほど、彼はセルニア・デニーニという女を知らなさすぎた。どのみち調査結果は明日にでも出るのだから、焦ってもしょうがない。結局はそれを待つことになるのだ。
「ええ、それならシステム面が異常なくてもコケますね。バランス機構の問題じゃなくなります。」
 ハヤサカはモビルスーツ開発に関しては素人も同然だったので、実際に動かしてみないと分からない失敗は確かに良い勉強になると思った。新規に機体を開発するというのは、それだけ難しいことなのだ。
「はぁ・・・頭いてぇなぁ・・・ちょっと一服してくるわ。」
「きょうの仕事はもうありませんからね。ごゆっくり。」
 挨拶をしてからそのままオフィスを辞し、最近よく行くようになった社員用ラウンジに向かった。

 ハヤサカがラウンジに顔を出したときには、既に客の姿もまばらで、ちょうど先日デニーニと初めて会ったときと同じ様な状況であった。そこでいつものチャイニーズのセットを注文し、トレイを受け取っていつもの席につく。こうすれば、またデニーニと会えそうな気がするからだ。
 ハヤサカの少し後にトレイを受け取った客の中に、確かにデニーニの姿はあった。だが、先日とは少し状況が違うようだ。
「あれ、彼女、美人がひとりで食事なんて勿体ない。よかったら小官と、シャレたディナータイムってのはどう?」
 どうやら、若い男がひっついているようだ。彼女はそれほど迷惑そうでもないが、うまく受け流しているという感じだ。ハヤサカはそのやりとりを、興味深そうに見ていた。なぜなら、その男の方は今まで見た事のない顔で、しかも地球連邦軍の制服を着ていたからだ。
「悪くはないけど、あなたの噂は聞いてるわよ、少尉。他の女子社員にも同じ手口で声をかけてるそうじゃないの。」
「手口って、こりゃまた随分な言い方。それじゃまるで、オレが誘拐犯か何かみたいじゃないですか。」
 その少尉は、髪も長く、見かけもあまり軍人らしいとは言えなかった。歓楽街で客商売でもやって、女性のヒモになっていてもおかしくない雰囲気だ。
「似たようなモノじゃないの。それさえなければ、食事でも喜んでご一緒するんだけどねぇ。」
 デニーニのあしらい方は、いかにも海千山千な雰囲気があった。おそらく、いままで彼女に声をかけた男は、その少尉ひとりだけではないのだろう。確かに美人だが、彼女の正体を知ってしまった以上、そういう関係にはなりたくないとも思った。
「そりゃ残念。寂しかったらいつでも言って下さいな。」
「そうさせてもらうわ。」
 少尉の攻撃をかわしたデニーニは、白衣姿を見つけるとそばに寄ってきた。先ほどの男は、肩をすくめながらも自分のトレイを離れた席に運んでいく。
「君の正体を知っていれば声をかけたのかどうかは、微妙なところだな。」
 冷やかしめいた論評にムッとしないところは、大人の女である証拠なのか、それとも横領などというギリギリの犯罪をしている人間にとって、あの程度の軟派男は周辺を飛び回る虫であるかのごとく余裕を持ってあしらえるのだろうか・・・などと少し失礼なことを思うハヤサカである。
「私の裏の顔を知ってて声をかけてきたのなら、少し惚れるかもね。」
「君はあの男を知っているようだったが・・・」
「先月からアナハイムでテストパイロットとして赴任してきた、士官学校を出たての新米なの。」
 アナハイム・エレクトロニクスに数多くいるテストパイロットは、連邦軍から派遣されてくる人間とアナハイムが独自に雇った人間に分けられる。言うまでもなく、後者はジオン公国軍の消滅によってあぶれた生き残りのパイロット達である。
 しかし、そういった区別に関わらず、モビルスーツ開発部の人間がテストパイロットと密接な関係になるのは必然であった。
「モビルスーツ開発部じゃ有名なのか?」
 ハヤサカの知っているテストパイロットの数は少ない。しかも、彼は実験機の組み立てが終わる寸前まで締め切りに追われていたため、大勢いるパイロットの個々の能力や個性にまで気を回せなかったという現実があった。それらに合わせて仕事をするのは、これからの話だったのだ。
「そこそこにね。どっちかといえば、その・・・あなたと同じような評判だけど。」
「へぇ、オレとねぇ・・・そりゃあいつも災難だ。」
「テストパイロットとしては優秀らしいわよ。実戦に出たことがないらしくて、変なクセもついてないし。ただ・・・」
「女グセが悪い?」
「まぁ・・・近いけど、度は超してないわね。食事とか、酒を呑むとか、そういうのくらいだけど。」
「まぁ限度を知ってるなら良いじゃないか、お互いにな。」
 ハヤサカの言葉が自分にも向けられていたのが分かったので、デニーニは苦笑した。
「なんでも、ハイスクールではシステム工学をやってたらしいわね。だから機体の操縦感覚を掴むのは早い。結構腕がいいって評判よ。」
「なるほど・・・。」
 ふと、ハヤサカは話題が完全に逸れてしまっているのに気付いて、本題を切り出した。
「ところで、今回の実験・・・原因はなんだと思う?」
「ハヤサカさんのことだから、おおよその見当はついてるんじゃないの?」
「なんで?」
「だから、私に会うためにここに来たんでしょ?」
「かなわないな、君には。」
 ハヤサカより4歳も年下の設計課の中で期待の若手と目される評判の黒髪美人は、すべてを見透かしたような目つきで笑ってみせた。実のところ、こういうクール・ビューティーと呼ばれる類の顔は、ハヤサカにとって魅力的に感じてしまう。
「で、実際のところ、どうなんだ?」
「私じゃないわよ。」
「わかってる、君はそんなドジな女じゃない・・・そうだろ?」
「もちろん。でも、確かにおかしい話ではあるわね。いくら新型でも、アナハイムはモビルスーツ開発に関してノウハウがあるから、こんなあっけない結果になるなんて思えないもの。何かあるかも知れない・・・。」
「それは君の方が得意だろ。オレは健全な技術者だからな。」
 そこまで明け透けに言えるだけでもかなりのものだと言って、設計課の若手のホープといわれた女は呆れた。
「・・・しょうがないわね、儲けにならないから気が進まないけど、このまま私の周辺が騒がしくなるのは避けたいし・・・ここは一肌脱ぎますか。」
「そうしてくれ。オレは次のテストまでやることはないが、色々と調べモノがあるし・・・といっても、正式な調査結果が出ないと次のテストの日程もままならないが。」
「気楽でいいわねぇ。設計課の方は今が一番忙しいっていうのに。」
 その一番忙しいときにラウンジで油を売っているデニーニの方も、かなり良い根性をしている。
「どうせ、テストが進めば色々と問題が見つかるに決まってるんだ。いまのうちにゆっくりしておくさ。」
「そうね、せいぜいいまのうちに休んでてちょうだい。」
 言いながら立ち上がって、そのまま無言で立ち去ろうとした。
「あ、そうだ。」
「どうしたの?」
「さっきの少尉、なんて名前なんだ?」
 そういわれてみれば、彼女は少尉の評判は口にしても名前は一度も出していなかったように思う。この酔狂な男があの少尉にどのような興味を持ったのかは分からないので、不可解そうな表情をしたが、それこそデニーニにとってはどうでもいいことには違いなかった。
「レイ・ニッタ少尉よ。」


 その翌日、朝9時に出勤してきたハヤサカに、意外なほど早く実験についての報告が入った。その結果が彼の予想したとおりであったため、実験機の部品の吟味から再開せねばならなくなり、ハヤサカは再び悶々とした時間を過ごすことになった。

 8月20日正午になって、二度目の実験が開始された。あくまでこの実験は、第一回目の実験の仕切り直しと修正に主眼がおかれているので、結果的には開発プランの遅延という形にはなっていた。
「よし、GEXを起動させろ。」
 アナハイム・エレクトロニクスがフォン・ブラウン市内にいくつか保有している工場のひとつ、その大きなドーム型密閉ブースの中で、ジオン軍のドムの面影を色濃く残している機体が、各所から唸り声ともとれる音を立てながらキャリアから起きあがっていく。
 ドーム上部の管制室からその様子を見ながらテストパイロットに指示を出したのは、今回の実験の総指揮を執ることになったロット博士であった。その真横に控えていたハヤサカとマツダは、やや緊張を帯びた面持ちで見守っていた。やはり、目の前で20メートルになろうかという巨体が動き出す瞬間というのは圧巻と言うしかない。
(この光景を見たくて、ロット先生についてきたんだ・・・いつかオレも・・・)
「了解、テストシークエンス、ファーストステージから入ります。」
 実験機のコックピットからの無線を通して管制室に響く声から察するに、先日ラウンジでデニーニにちょっかいを出していた少尉とは別の人間であるらしかった。
 今回の実験では、テストの行程はロットによっていくつかのブランチに区切られている。その最初の段階は、起きあがってから歩くことである。この歩くという動作こそがもっとも基礎的なものであり、ハッキリ言ってしまえば上手くいって当たり前なのだが、この間の実験ではそれすらもままならない有様だった。それゆえ、スタッフの誰もがどこかに不安を抱いていた。周辺のそういった空気は、次第にハヤサカの神経にも浸食して、彼を柄にもなく緊張させているのだ。
「歩いた・・・」
 どこからか、そういう声が聞こえてくる。何十トンもある物体が直立二足で歩くというのだから確かにそういう感慨はあるのだろうが、むしろ、今度はちゃんと歩いてくれたことに対する安堵という方が的確だろう。
「システム面の問題もなさそうですな・・・」
 今度は大丈夫そうだ、とハヤサカが真横の恩師に耳打ちをする。
「歩くくらいで問題が出るようでは困る。それに、武装やその他の装備は一切ないしね。」
「ごもっとも。」
 周辺がざわめく中、ロットとハヤサカだけはしばらく無言だった。

 こうして、基本動作とバランス機構の動作確認を主眼とした二度目の実験は、無事に終了することができた。しかし、あくまでこれは機体の基礎的な部分の起動実験であり、様々なシチュエーションにおける動作や宇宙空間での動作実験、武装のテストなど、やることは山ほどある。すべてはこれからなのだ。

 その日の実験が終わったのが夕方、ハヤサカの姿はまたもラウンジにあった。実験のあったブースからアナハイム・エレクトロニクスのビルまではそれほど離れていない。
 ここに姿を現したのは、デニーニに会うためではなく、この場所の本来の使い道である食事のためだ。実のところ、この日の実験のファーストラウンド終了の辺りから、彼の胃袋が空腹の悲鳴の大合唱を始めていたのである。
 何らかのストレスがかさんでくると異様に腹が減ってくるのは、ハヤサカの哀しい習性であった。そのおかげで、夕食には早すぎる時間にラウンジに足を向けてしまったのだ。ホットドッグとミルクをトレイに乗せて席につくと、人気の少ない店内を何気なく見回してみた。デニーニがいなければいないで構わないのだが、いたらいたで話をしようという気になっているのだ。あの手のややこしそうな女とは関わりたくない、と最初は思っていたハヤサカであったが、最近ではなぜかラウンジに来るたびに彼女の姿を探してしまう。そういう変化を自覚して複雑な心境にはなったが、それが少なくとも恋愛感情ではないという確信もあった。
「あれ、あいつは・・・」
 そこで、ハヤサカは意外な人物の姿を目にした。先日この場所で見かけた、あの少尉だ。確か、名前をレイ・ニッタといったか。ふと興味に駆られて、名前を呼んでみた。
「お目当ての彼女はいないようだぞ。」
「おや、あなたは確か・・・ハヤサカさんでしたっけ?」
 ハヤサカはレイとは初対面であり、当然ながら名前を名乗ったこともない。有名であることが良い事なのか、それとも悪いことなのか・・・それは誰にも分からないことである。
「こうして会話をするのは初めてだな。マコト・ハヤサカだ。」
「あ、こりゃご丁寧にどうも。レイ・ニッタです。」
 ハヤサカが向かいの席を勧めた。
「相手が女性じゃないことが、そんなに残念か?」
 向かいの席に座ったおよそ軍人らしくない優男は、知らず知らずのうちにそういう表情になっていたのだろうことを指摘されて初めて気がついた。
「まぁ、そんなところでしょうかねぇ。」
「それでも誘いに乗ったってことは、オレと話をする気になってくれたのか?」
「ひとりよかマシですから。」
「・・・噂通りだな。」
「いや、それほどでも・・・ところで、起動テストが無事に終わったそうですね。」
 仕事に関することにはわりと無頓着そうに見えたが、どうやらそれは偏見であったらしい。それを是正した上で、ハヤサカは言うことにした。
「なんだ、耳が早いな。」
「まぁ、オレの仕事もテストパイロットですからね、仲間内で話を聞いたんですよ。ひょっとしたらオレも実験に参加するかも知れないし。なんたって今回のは新機軸の機体・・・興味あるねぇ。」
 今回までのテストに参加していたパイロットが次回のテストでもGEXに乗るとは限らないのだが、ロットの出したテストプランでは、実際に機体の本格的な実験ができるようになってからは複数のテストパイロットを投入するつもりだったと聞いていた。
「お前、システム工学に通じているそうじゃないか。」
「あれ、ハヤサカさんこそ耳がいいじゃないの。オレはね、実戦に出るよりも、テストパイロットの方が向いてると思ってるんですよ。それに、自分の乗る機体を作れるようにもなってみたいですからね。だからアナハイムへの出向の話が来て小躍りしましたよ。」
 ヘラヘラと笑いながら言ったので、どこまでが本気なのかハヤサカには分かりかねていたが、ひょっとしたらすべてが本気なのかも知れない。
「腕がいいってもっぱらの評判だが、自信は?」
「ま、ぺーぺーの新米ですから。」
「正直だな。」
 今度はハヤサカが笑う番だった。この少尉は、自分と同類なのだ。
「気に入った、レイ・ニッタ。お前、次のテストやってみるか?お前さえよければロット先生に話を付けてやるぞ。」
「はい?」
 あまりに唐突だったので、レイは自分の顔が間抜けなほどに呆けていることを自覚するまでに、幾分かの時間を要した。


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