第二話  出会った女

『光陰矢のごとし』

 ハヤサカの両親の故郷である日本には、そういうことわざがあった。簡潔に言えば”過ぎ去る前には長く思える時間の流れも、過ぎ去ってからは流れが速く感じるものだ”という意味なのだが、ハヤサカはそれを思い出すほどに、2週間あまりと言う時の流れの速さを実感していた。

 時は宇宙世紀0085年8月3日・・・。

 ハヤサカにとって退屈極まりないことにもどかしさを感じている間も、アナハイム・エレクトロニクスで開始された新型モビルスーツの開発計画は少しずつ進んでいた。
 既存の機体を改良するのとは違い、今回の計画は新素材”ガンダリウムガンマ”を使用した新機軸のモビルスーツ開発を目的としていたので、設計課から提出されたプランが即採用とはなり得ない。新型機の開発とはそんなに簡単ではないのだ。
 まず、設計課から各部署を経由して最初の設計仕様書ができてから実験機を製造し、そこから性能テストを経て、欠陥を見つけだしては設計に修正を加える。この一連の作業が延々と繰り返されるのが、新型機開発の流れである。工場に生産ラインが存在しないため、試作機はいちいちハンドメイドで製造されるので、その過程の進行ペースは思ったよりもずっと遅い。よって、最初のシステム設計が終了すると、少なくとも実験機が出来上がるまでは出番がないのである。

 現状では、ようやく最初のオペレーティングシステムの基礎部分の作成が終わりつつある段階で、まだ実験機は組み立てさえ終わっていなかった。肝心の機体がそんなものであったが、基礎システム構築の催促が開発部から来ており、ハヤサカは自分のオフィスで、上司であるロットが作った過去のシステム案から今回の企画案に切り貼りしていくという単純な作業を、いかにも仕方なさそうに行っていた。
 物を最初から作ることは確かに難しいが、ハヤサカにとってはそれこそが望むところであったので、同じ多忙なら刺激のある方をと思うのは当然であった。実際、ハヤサカを初めとするシステム開発3課全体は多忙を極めていた。
「何を贅沢なことを言ってるんですか。」
 オフィス・コンピュータとお見合いをしながらも、思わず本音を呟いてしまったのだろうか。直接の後輩である助手のジョン・マツダが、呆れたように話しかけた。この大男が言っているのは、ハヤサカがいくらアナハイムの社内で実力を認められたシステムエンジニアであっても、モビルスーツに関しては経験が決定的に足りないことだ。
「あぁ?宿題は嫌いなんだよなぁ、オレは。」
「ハヤサカさんは宿題にしないと、自分からしないでしょう?」
 気分転換ができると期待して、ハヤサカは手を休めて手元のコーヒーカップに手を伸ばした。一口だけすすったが、既にぬるくなっていたので思わず顔をしかめた。熱ければ自分は猫舌だから、ぬるければ不味いと文句を言うのは、いわば彼の悪癖だったが、それはこの場にいる全員が笑い話の種にしているほどなので、彼が嫌われる理由にはならなかった。
「バカ言え。楽しそうだったら、徹夜でもなんでもするさ。」
「楽しくないんですか?」
「そりゃな、確かにロット博士はオレの恩師だけど、あの人に寄りかかって仕事をしたことなんか、いままでなかったじゃないか。」
「モビルスーツは掃除機じゃありませんからね。」
「・・・分かってるから、無難にやってるだろうが。」
 掃除機の話題をわざわざ出されて、ハヤサカはむっとしたが、個性的すぎた作品を作ってしまった彼が怒る筋合いはない。タイミング悪く、その当の自動掃除機が作者の後ろを通過していく。
 実のところマツダも、ハヤサカの自動掃除機が正式な商品として採用されなかった理由を知らなかった。もちろん本人にも聞いたのだが、返答はいつも”宿題だ、当てたら中華街の高級中華レストラン陽郭楼の満漢全席を奢ってやる。”と言うだけで、自分から明かそうとはしなかった。
 しかし、満漢全席と言えば中華料理店の最高級フルコースで、ひとりあたりの飲食代だけでも一月分の給料は平気で吹っ飛ぶ。それほどまでに教えたくないのか、それとも当てられないと多寡を括っているのか、それは周辺の人間には判断できなかった。
「お前は嫌味を言いに来たのか?」
「違いますよ、様子見ですよ、様子見。ところで、今は何をやってるんです?」
「あぁ、これか?巡航モード時の推進剤使用配分の管理モジュールだ。ガンマガンダムは航続距離と連続稼働時間が大事なんだとさ。」
「ずいぶんと地味な仕事ですねぇ。」
 マツダは言葉通り、ハヤサカにしては控えめな事をやっていると思った。新しい物好きの彼のことだから、火気管制システムやその他戦闘に携わる部分もやらせろと言い出すと思っていたのだ。
「しょうがないだろ、そっちは畑違いで、オレは作業を見ているしかなかったんだからな。ま、兵器に関して素人のオレがやってりゃ、こんなに早くはできなかっただろうけど。」
 開発部からの仕様書通りの武装に対応した火気管制システムの基礎部分は、ハヤサカの上司でありシステム開発の総元締めであるロット博士が取り仕切っていたおかげで、既に完成していた。あとはハヤサカが仕切っている機体制御プログラムの割り当てが終われば、最初の彼らの仕事は達成できたことになる。あとはテストの積み重ねとともにシステムも発展させていくのだが、実はそれからの方が仕事は多い。
「それはそうと、前に言ってたアレはどうなんです?」
 彼が指しているのは、”バルカン砲の制御でパイロットを助けてみせる”とハヤサカが豪語したことである。あれ以来、当の言い出しっぺがあれっきり何も言わなくなっていたので、それとなく気にしていたのだ。
「あぁ・・・アレな、考えてなかった。」
 それは本当のことであるが、厳密に言えば、そこまでの時間がなかったと言った方が正しい。ハヤサカ自身も、計画がまだそういう段階でないことくらいはわきまえていた。基礎段階をしっかりおさえておかずに好き勝手をやっても、デタラメなものしか出来上がらないのだ。
「ハヤサカさんは、ソフトウェアの面から、ハードウェアとしてのモビルスーツの性能を引き出そうとしてるんですか?」
「オレはそこまで傲慢じゃないさ。モビルスーツを動かすのは、良くも悪くも生身の人間だ。人間の頭脳は柔軟に事態に対処できるけど、視野や反応速度には限界がある。従来のシステムを見ている限りじゃ人間に頼りっぱなしで、ソフトウェアの方では機体制御が精一杯だったろ?」
「つまり現段階では、人間の判断力や反射神経の限界が、モビルスーツの限界でもあるってことですよね?」
 マツダの返答は、ハヤサカの言っていることの本質をついていた。
「まだ、人類の生活圏が地球の上だけのときはそんな必要もなかったんだが、今じゃ宇宙空間でも戦闘がある。そうなったら人間の視力なんてアテにならないし、これからのモビルスーツには必要だよ。だから、こう・・・補助というか、人間でできない部分をシステムで補ってやりたいんだな、オレは。」
 こうなってはハヤサカの口を止められなくなるのを知っていたので、マツダは話題を切った。ハヤサカにはまだ仕事が残っていたのも、その理由である。
「おや、もう17時、退社時間ですね・・・私もそろそろ自分のところに戻ります。」
「あぁ、お疲れさん。オレはもう少しだけやってから帰るよ。」
「残業手当を泥棒してますね。」
 笑いながら、マツダは自分のデスクに戻っていった。
「ふぅ・・・いったん手を止めると、キーボードを打ち込む気が萎えるなぁ・・・何か喰いに行くか・・・。」
 仕事にはノリが大事だ、というのがハヤサカの持論のようなモノだったので、ペースが狂ってしまった場合には場所を変えて一休みしたり居眠りするのがクセになっていた。この日も例に漏れず、オフィスから外に出ることを決めていた。


 ひとり暮らしだけあって外食が多い生活をしていたので外食してもよかったのだが、食後に仕事をしようとしていることもあってか、できるだけ会社から近い場所にいたかった。よってこの日の夕食は、社員食堂で採ることになった。
 さすがに大企業だけあって、本来の勤務時間から超過して会社に居残る人間は5人や10人ではなく、社員食堂は部分的に深夜まで営業しているのが通常であった。
 いつもと同じ中華料理のセットメニューを注文してから、それを受け取って適当な席につくと、ふと周辺を見回した。もともとここで夕食を採ることは少なかったので、混雑して狭苦しく感じる昼食時のことをつい思い出してしまう。それゆえ、今の静かで広々とした食堂の慣れない雰囲気を少し新鮮に感じていた。
「ん〜気分転換ってのは、こうでなくちゃな。」
 客が少ないということもあってか、開放的な気分になって、自然と独白の声も大きくなったのを自覚した。備え付けの箸を握ってセットメニューの一品である八宝菜に手を出そうとしたとき、ふとトレイの上に影がよぎった。
「白衣を着たまま中華料理を食べると、油で汚れてしまうわよ。」
 不躾な第一声だったが、若い女性のそれであったため、ハヤサカは顔を上げて声の主を見た。年代的には自分と同じか少し下くらいの、黒髪が印象的なそこそこの美人だと判断できた。
「いつものことさ。チャイニーズはオレの好物だし、白衣はオレの社内での普段着だからな。」
 相手の正体も分からぬ内ではあったが、言葉遣いはいつもの通りであった。唐突に変なことを言ってくる人物相手だと、たとえ上司であっても敬語を使う気にはなれない。それに、相手が自分と同格か下と分かって言葉遣いを変えるのも現金な話だという、ハヤサカの個人的な感情が働いていた。
「社内では、その・・・噂になってるけど、まさかそのままの人物とは思わなかったわ。あなた、マコト・ハヤサカさんでしょ?」
「噂?」
「だらしない格好で、場所構わず中華料理を食べている白衣を着た日本人・・・私はそう聞いてたわ。もっとも、私はこの時間はいつもここにいるんだけど、初めて見るわね。」
 デニーニがここハヤサカを初めて見たのも当然のことで、今までハヤサカは残業のおりにこの社員食堂で夕食を採ることが今までなかったのである。というよりも、このガンマガンダムのプロジェクトに携わるより以前には、残業したことすらない。
「とんだ有名人だな、オレは。君は残業手当泥棒の常習犯ってわけだ。悪い女だな。」
 その噂とやらは間違っていなかったので、ハヤサカは訂正する気配を見せず、食事を中断して相手の顔を見ているだけだった。
「まったくね。セルニア・デニーニ、設計課に勤務してるわ。」
 彼女が細い手をさしのべてきたので、白衣で一度手を拭ってその握手に応えた。
「あぁ、同じ開発部の管轄下か。知らなかったな、失礼。」
「開発部は広いですものね。私を知らないのも無理ないことだわ。」
「それで、君はどんな仕事を?実験機の組立は既に始まってるから、こんな時間まで残業するような仕事はもうないはずだ。」
 ハヤサカがこの女に興味を持ったのは、自分を同じ部内の人間と知りつつ話しかけてきたということで、彼女と自分の仕事上の接点がどこかにあることを確信したからである。もっとも、設計課とシステム開発各課の繋がりは深いから、それは杞憂かも知れなかった。
「私がやったのは、頭部のカメラ部分だけど、厳密にいえば設計はあまりしてないわね。」
「じゃぁなにを?」
「経理とかその他の部署とつなぎを取って、設計課の提出したプランに沿った部品の吟味、といったところかしら。」
「それは経理と装備課の仕事だろ?」
「実際に調達するのは彼らの仕事。私がやってるのは、彼らの調達した部品の吟味だけ。もちろん、だけといっても、これはこれで大変な仕事なのよ?」
 言いながら、図々しくもハヤサカの向かいの席に座るが、ハヤサカは食事を再開した。この女に興味こそあるが、空腹を解消することも彼自身にとって大事なことだったからだ。第一、料理が冷めてしまっては味が落ちる。
「それは分かる。モビルスーツだけの話じゃないものな。」
「それに、新型機の部品だって、実験が回数を重ねるたびにどんどん新しくなるから、これからも大変なの。」
 ここでハヤサカは、ふと確認しておきたいことがあったので、聞いてみた。
「それじゃ、使わなくなった部品はどうなるんだ?」
「廃棄処分が普通ね。もっとも、データは残るけど。」
「普通じゃない処理もあるのか?」
「そりゃ、廃棄予定の試作部品だって欠陥こそあれど使えるのもあるから、経理の人間に話を付けてこっそり分けてもらうこともあるわね。それを流用して新しい部品を作れば、費用の削減にもなるわ。」
 この返答で、ハヤサカは納得した。デニーニという女は、些少ながらも横領をやっていることを間接的に認めているのである。この女の持つ匂いは、会社を食い物にする、自分と同類の匂いだ。
「で、君は何を言いたいんだ?」
「あなたは自分の職場で、もう少し好きにやりたいとは思わない?」
「まだ、今はそういう気になれんなぁ。こっちは勉強しなきゃならんことで一杯だ。なんせ、オレはモビルスーツに関しちゃ素人なんでな。」
 言葉とは裏腹に、デニーニの言う”好き”に魅力を感じていた。今は無理だが、彼女とのコネクションを持っていれば、いずれは自分の思うモビルスーツを作れるかも知れない。その誘惑はハヤサカにとって、とてつもなく大きかったのだ。
 そして、デニーニの方も、ハヤサカの言葉に秘められたニュアンスを察していた。
「なるほどね、今はそういうことにしておくわ・・・また会えるかしら?」
「そうだなぁ、美味いチャイニーズの店を見つけたら・・・。」
「その時を楽しみにしているわ。」
 そうしてデニーニが去り、ハヤサカは夕食に集中する時間を手にすることができたのである。

 食事を終えて無人のオフィスに戻ると、再びオフィス・コンピュータとのお見合いを再開した。しかし、気分転換をした割には調子が出ず、キーボードを叩くペースも遅い。
「セルニア・デニーニか・・・いい女だったなぁ。」
 デニーニがハヤサカの性格を知りながらもああいう話をしたと言うことは、自分を抱き込んで共犯にするつもりなのだ。が、それに乗ってみるのも悪くないとも思った。


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