第4話 イシリス・シャハナ・マクドガル

 目の前のギラ・ドーガに乗っているイーシャという少女が、これほどまで明確な殺意を持っているのを知って、クローネは動揺を隠せずにいた。その意志が自分に向けられているからではなく、まだ少女ともいえる年齢の人物がこれほどの殺意をみなぎらせるというのが、異常なことだからだ。
 それでも、イーシャによって仕掛けられたビームアックスの攻撃を回避できたのは、かつてエウーゴでも五指に入るとまでいわれたエースパイロットであるショール・ハーバインをも凌駕した、クローネのパイロットとしての技量があってこそだった。
(やはり強化処置を・・・)
 強化人間を”造る”過程で意識や記憶の刷り込みを行うことは、決して珍しくない。このクローネも、戦場で回収したショール・ハーバインの生命を救うためにやむなく強化処置を施したことがあったので、それはよく知っていた。
 クローネがシャアに対して明確な敵対意思を表明してから、およそ2ヶ月・・・・・・その間に、シャアは差し向ける刺客としてのこの少女にかなり強力な刷り込みをしたに違いない。
 イーシャは引き続き、一方的に格闘戦を仕掛けていた。クローネの方は今のところ回避に専念していて、反撃をせずに様子を見ている状態だ。
(反応は早いようだが未熟だ・・・身体を操りきれていない・・・ということは、シャアがこの娘を差し向けた目的は経験値を上げること、つまり私は格好のテストターゲットというわけか・・・。)
 むしろそう思えた。彼は過去に、ハマーン・カーンから”安っぽいヒューマニスト”と嘲笑されていたのを知っていたし、否定もしなかったが、彼は無差別に人を助けたいと思っているわけではない。敵と認識する相手に対して容赦はしない。
 そして、彼にとっての敵とは人を踊らせる存在であり、目の前の少女ではなかった。この少女は戦闘を何らかの形で強制されている、という予感があったので、彼はこの少女を即座に殺す気にはなれなかった。イデオロギーで大量殺人を覆い隠すようなことを正当化してしまっては、わざわざハマーンのネオジオンから造反した意味がない。
 ハマーンのもとにいた頃のクローネの目的は、外敵の存在によって連邦全体の意思を統一させることであったが、その思惑は外れてしまった。外敵に対する勝利が連邦政府閣僚達の偏った認識を助長し、かえって地球圏を混乱に陥れる結果になってしまった。結局のところ、連邦内部の改革の芽を摘み取ってしまうと悟ったのである。
 そして、それに気付いたクローネは、外敵という存在を消し去るという方針に転じてハマーンを裏切った。きっかけとしてはそれで充分だったが、彼の心変わりの理由はそれだけではない。ハマーンは”やりすぎた”のだ。
”たとえ戦争であっても、やって良いこととそうでないことがある”
 今のクローネの行動原理は、そこにあった。その一線を踏み越えるような存在、たとえばザビ家のような存在に対して、お前達は間違っていると死ぬまでわめき続けてやるつもりなのだ。だからこそ、何かとんでもないことをやりそうな雰囲気のあるシャアに対して、明確な敵対意志を露わにしたのである。

 しかし、目前にいるのは彼らではなく、自分に純粋な殺意を向けてくる少女だ。今はまず、この場を切り抜けることを考えねばならない。
(どうする・・・手加減できる相手ではないし、憂いを絶つには殺すのが一番だが・・・)
 事実、シャアを倒す決意をした以上、ここで邪魔をされるわけにはいかない。
「ならば、退かせるッ!」
 ここでクローネが思いついたのは、ここでいったんイーシャらを退かせておいて、現時点でのシャアの拠点の所在に案内させることであった。シンドラは暗礁宙域のヘスティア側に待機させてあるので追跡は可能だったし、幸いにも、相手は完成された強化人間ではない。付け入る隙はいくらでもあった。
 クローネのシュツルムディアスは、これまで防御のためだけに使ってきたビームサーベルを、初めて攻撃に使用した。ギラ・ドーガが攻撃してきた直後の隙を狙って、そのがら空きの脇を狙って打ち下ろした。その剣撃は、ビームアックスを握っている方の右腕を的確に捉え、胴体から切り離していた。やはり技量や経験では格が違った。
「ウッ!?」
 接触回戦を通じて、少女のうめき声が聞こえる。普通ならこれだけの損傷を受ければ引き上げる気になるだろうが、彼女は普通ではなかった。次の瞬間、イーシャのギラ・ドーガは退くどころか、残った左腕に握らせていたビームマシンガンを乱射したのである。
「正気かッ!退け!無駄死にをするな!」
 回避運動を取りつつも、クローネは、言わずにいられなかった。ギラ・ドーガのコックピットを狙わなかったのは、彼女たちを生かして帰してシャアの拠点を探るという目的もあったが、正常な判断力を失う程までに他者に踊らされ、自分のしていることの善悪も分からぬまま殺されるこの少女が哀れだったからだ。自分の意志で戦いを挑んでくるのであれば、クローネとて相手を殺すことに抵抗はない。それは、過去にエウーゴのショール・ハーバインを殺そうとした経緯があったことからも明らかだ。
「連邦と手を組んで大佐の邪魔をする人間の言うことか!」
 少女は生の肉声を初めて発した。
「派閥次元の発想では世界を救えない事を、知っておくことだ。」
 言いたいことは山ほどあったが、それを少女に言っても詮無きことである。
(自分を御しきれない人間の相手は難しいな・・・)
 精神的な刷り込みによって戦闘を強制するというやり方は、今となっては強化人間の製造方法として古いモノである。強化された人間が強制的に刷り込まれた記憶や情報を如何に用いるかというのは、全てその人間の個別の性格や人間性に左右される場合が多く、それらが相互に干渉してしまう。それによって精神が不安定になると言う致命的な欠陥があったのである。
 ショール・ハーバインが施されたのはあくまで記憶や情報の刷り込みと肉体強化の処置だけであり、マシーンからの戦闘への強制もなく、ヴェキとしての人間性はショールの人間性そのものであった。よって、新旧の記憶の相互干渉こそあれど、錯乱を引き起こすような状態にはならなかった。
(成り行きに任せるしかないのか・・・)
 思って、クローネは自機にさらなる攻撃をさせ、ギラ・ドーガの左腕を破壊することで攻撃力を奪った。しかし、それでもイーシャは退かなかった。残った両足で格闘戦を仕掛けてくる灰色の機体の異常さに、クローネは戦慄に似た感覚を憶えていた。
「人形の手足をもぎ取るッ!」
 少し間合いを取って反撃を封じると、今度はビームピストルで両足を撃ち抜き、ようやくギラ・ドーガは沈黙した。続いて、発光信号弾を打ち上げて待機させていたガザ隊を呼んだ。数分後に駆けつけてきたガザ隊に、今後の処置を伝えた。
「この機体をシンドラに持ち帰れ。敵のエンドラは撤退するだろうから、シンドラが合流するまで連中の行き先を探る・・・ン、エンドラはどこだ?先程の宙域にはいないようだが・・・。」
 ここにきて彼は、イーシャの母艦であるエンドラ級巡洋艦の姿が見当たらないことに気付いていた。無論、暗礁宙域を挟んで反対側にいたガザ隊にも、確認はできていない。
「まぁいい、とにかくシンドラと先に合流しろ。私は先行する。」
 重ねて命令して、クローネ機は暗礁宙域の向こう側へと機体を進ませていた。まだ敵のエンドラは遠くにはいないはずである。追尾するにしても、まだ間に合うのだ。
 先行したクローネ機がシンドラと合流したのは、彼がネオジオンのエンドラを見失ったと判断した直後のことであった。すかさず機体をブリッジの前に進ませた。
「エンドラがどっちの方角へ逃げたのか、分かったの?」
 艦の指揮を執っているネリナが先に回線を開いて呼びかけた。
「いや、私が足止めを喰っている間に、後退を開始していたようだ。痕跡もない。」
「妙な話ね?」
「それで、あの少女、イーシャと言ったか。どうだ?」
「コックピットに閉じこもってるわ。まぁ機体があの状態だから、暴れる心配はないけど・・・あの娘、どうするつもりなの?」
 ネリナの言葉には、”またあの悲劇を繰り返すつもりなのか”という抗議のニュアンスが含まれていた。彼女自身、5年前のショール・ハーバインにまつわる事件の当事者であったし、私情からエリナ・ヴェラエフを破壊しようとした過去を悔やんでいた。その気持ちが、クローネへの協力を形作っているのである。
「分かった。私も戻ることにしよう。シンドラをヘスティアへの帰還コースへ。ギラ・ドーガは帰還後まで放っておけ。」
「了解。」
 このままシンドラを進ませることに既に意味がないことを、ネリナは察していた。
(できればシャアへ居場所を知る手がかりを、と思ったが、残されたのがあの少女だけとはな・・・イーシャは手がかりになるのか?)
 クローネの疑問をよそに、シュツルムディアスを収容したシンドラは進路をヘスティアへと向けた。


 数時間後、シンドラはヘスティアの宇宙港へと入港を果たし、その後の処理をネリナに任せると、クローネはモビルスーツデッキに降りた。デッキ内の一画に鎮座しているギラ・ドーガのところには、既にメカニッククルー達が集まっていた。コックピットハッチを強制的に開放するための準備をしているのである。
「クローネ様、準備の方は完了しました。ご命令があればすぐに開けます。」
「ン、中の様子は?」
「通信を遮断されてますから、なんとも・・・」
 自らの手で通信をオフにしていると言うことは、少なくともその時点では少女の意識が失われていないということである。そう判断したクローネは、すぐさまハッチの開放を命令した。
 クルーにハッチを開けさせて中を覗き込むと、まるでタイミングを計っていたかのように小柄なパイロットスーツが拳銃を構えたが、クローネはそれに驚かず、淡々と声をかけた。
「捕虜は捕虜らしくしたほうが良い、イシリス・シャハナ・マクドガル。」
 やや冷ややかな言葉は、忠告というよりも警告であった。銃を向けるということは、それだけで殺されても文句を言えないのだ。といっても、戦場と少女という異常な組み合わせが成立している状況である。まともな神経を持ち合わせていなくとも不思議ではない。
「私の名前を知っている・・・なぜ?」
 イーシャが戦闘の時に放出した心の声を受信したことを、クローネは上手く説明できなかった。相手に意識を向ければ都合よく心の声を聞けるようなことはなく、勝手に相手の存在の輪郭が分かってしまうのだ。訓練によってそれを制御することはできない。
「さぁな。」
 身の危険がないと判断したのか、イーシャが銃を下ろして、それをクローネが取り上げた。
「戦場での敗北は死だ。なのに、なぜ敵である私を助けた?」
 戦場で殺されていてもおかしくないのに自分は生かされたのだと、少女は自覚しているようだった。逆に、敵を殺さないという行為に疑問すら覚えていたのだろう。だが、その質問については答えなかった。
「・・・・・・監視用の個室に入れておけ。あとで私が取り調べる。それと、ドクターに検査を頼んでおいてくれ。この年齢で戦場にいたんだ、強化人間かも知れない。」
 言い残してデッキから辞したクローネは、突然の背後からの声に呼び止められた。
「また、ヘスティアに戻って来ちゃったわね。」
 声の主は、この艦の女艦長だった。
「仕方ないさ。敵艦は既に撤退してて・・・!」
 ここでふと、敵エンドラの撤退が早すぎたことに、不審を抱いていた。タイミング的には、あの少女がクローネに敗北した直後には既に撤退を開始していたことになる。つまり、あの少女が敗北したと見て、早々に見捨てたのではないのか・・・。
 しかし、それは矛盾していた。強化人間の製造には莫大な時間と費用がかかるので、敗れたからといって早々と見切りをつけられるようなものではないはずだ。それでは、なぜあのエンドラは少女を助けるべくモビルスーツを差し向けなかったのだろうか。
(いや、それを考えるには、情報が少なすぎるか・・・)
「どうしたの?」
 ネリナが顔を覗き込むようにして、正面に回り込んだ。まるでキスでもするかのような距離にまで近付いたときになって初めて、クローネの意識が現実に戻っていた。
「あ?あぁ、シャアの居所を掴むせっかくのチャンスを、逃してしまったなと思ってな。」
「・・・それで、あの娘の取り調べは、あなただけでやるの?」
「なぜ?」
「身体検査もせずに取り調べるのかと思っただけよ。」
「それならドクターに・・・」
 言いたいこととクローネの認識に大きなギャップがあったようで、ネリナは苦笑した。
「そうじゃなくて・・・他に武器とか持ち込んでないか、チェックしなくても良いのかって聞いてるのよ。」
 クローネは、ようやく勘違いに気付いたらしかった。何か聞き流しているようで、いつもの彼らしくないとは感じられた。
「そういうことか、忘れていた。殺せと言った人間なら、武器を持っていれば捕虜になる前に自分に使ってるだろう。それに・・・」
「それに?」
「私は、その・・・少女の身体をいじくり回して喜ぶ趣味はない。」
 冗談ととれなくもないことを真顔で言ったので、ネリナは思わず笑ってしまっていた。いつも深刻ぶって近付き難い雰囲気を持ち、天才的なまでのモビルスーツ操縦の技量を持つこのニュータイプも人の子なのだと実感できたのが、嬉しかったのだ。人間はやはりどこか弱い部分があった方が良いと、ネリナは思った。
「なら、大人の女なら良いわけ?」
 顔を近づけたままだったため、ネリナの意地の悪い表情を露骨に見たクローネにも、完全に冷やかしであるというくらいは分かった。いまの自分は、たとえようもなく情けない表情をしているのではないか、そう思えた。
「ハマーンのような女を若い頃に見ていれば、女嫌いにもなるさ。」
「へぇ・・・女嫌いね・・・」
「もちろん、同性愛の趣味もない。」
「分かってるわよ、そのくらい。それじゃ、私がボディチェックやってあげる。先に行ってるわ。」
 急に真面目な話題に振られたが、早くそうなることを望んでいたので、クローネはすぐに表情を切り替えた。
「あぁ、頼む。」
 尋問、というか取り調べの下準備を買ってでたネリナは、すぐにその場を去った。その後ろ姿を見ながら、クローネは、ユリアーノにいまの状況をどう説明するのか思案していた。

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