第2話 もっとも危険な男

 宇宙世紀0092年6月・・・第一次ネオジオン抗争と呼ばれた戦争が終結してから、既に3年が経過していた。一年戦争の傷を癒す間もなく再び戦乱に巻き込まれた人類は、すでに疲れ切っていたのかも知れない。
 この間は、少なくとも大規模な戦争状態ではないという、形骸化してはいるが平和のひとときではあった。この時代に生きた人々にとって、それは何にも代え難い貴重な幸福であったと言えた。
 が、それを幸福とは思わない人々も少数ながらに存在しているのもまた事実だった。戦争の中で自分の価値を見出す者や戦争によって利益を得ようとした者、そして今の平和を真の平和とは認識していない者・・・ロフト・クローネは、その最後の項目の該当者だった。
 クローネは、かつてネオジオン軍大尉としてハマーン・カーンのもとで戦い、造反し、サイド2に引きこもった。彼自身、平和な生活をなによりも求めている人々の死を良しとはしなかったので、この4年の平和に対しては決して否定的ではない。しかし、戦乱が収まっただけで地球圏の抱える問題がなにひとつ解決していない以上、戦うことをやめるわけにはいかないのである。
 彼はこの宙域を掌握してからの4年間、ずっとこの宙域を占有していたわけではない。戦乱の終結と共に連邦の国防体制が整い始めるのと同時に、麾下のエンドラ級巡洋艦シンドラ、ムサイ級巡洋艦シシリエンヌと共に1バンチコロニーから待避し、半ば漂流状態にあった緊急避難用コロニー”ヘスティア”へと身を隠していた。
 その宇宙港ブロックから中心へと向かう途中にある中央管制室こそ、ヘスティアの心臓部とも言える場所であり、クローネの職場兼自室はその隣の部屋にあった。誰かがドアをノックして、クローネが入室を許可した。
「ご苦労、グァラニ」
 このグァラニという男はクローネの腹心とも言える男で、表面上はサイド2政庁を取り仕切っている人物である。彼はこのヘスティアの住人ではなく、たまたま小用があってここに立ち寄っただけだった。
「ロンド・ベル隊がサイド2の調査に来たそうだな?」
「はい、ほとんど収穫がなかったようで、指揮官は残念がってました。」
 ロンド・ベル隊というのは、これまで数多く存在してきた反連邦的な組織や勢力の残党を掃討し、各コロニーサイドを監視して回る連邦軍の部隊のことである。スペースノイドの間では、自分達を監視、抑圧する部隊を養わされているという認識が強いために評判が良くないという話を聞いたことがあった。
「だろうな。コロニー公社と連邦政府の記録の両方から抹消しているから、偶然の漂着でもなければヘスティアが発見される心配はない。」
「ところで、きょうは何の用があってここに来たんだ?」
「シャアがスウィートウォーターを狙っているそうなのです。」
 スウィートウォーター・・・相次ぐ戦乱で大量に生まれた難民を収容するためのいわば”入れ物”として急遽に建造されたコロニーで、地球連邦政府はその入れ物に難民を収容し、その運用をスウィートウォーター政庁に一任、その後は放置していた。
「それは、本当か?」
「ユリアーノ様からの報告ですので、間違いではないようです。」
 ユリアーノ・マルゼティーニは、この手の情報の収集とヘスティアへの持ち込みを統括している人物であった。彼は地球圏の至る所にその情報源を持っており、クローネやその他のヘスティアの住人達にとって、彼の存在は極めて大きかった。
 4年前の戦闘中に行方不明になったクワトロ・バジーナことシャア・アズナブルが生きていて、ハマーンに代わってネオジオン軍を掌握していたことを、以前にユリアーノから聞かされていたのである。
「スウィートウォーターを拠点にして、遠くない将来に地球連邦に戦いを挑むつもりだな・・・バカな男だ。ヤツは一年戦争やグリプス戦役で、何を見てきたんだ。」
 クローネもシャアと同じく、ジオン軍の兵士として一年戦争を戦った過去があるが、少なくとも自分は、戦争を起こすだけでは人類が平和な時を過ごすことには行き着かないことを悟っているつもりだった。彼がこれまでに接触したジオン軍残党や反連邦組織と袂を分かったのも、その戦争を通じて得た教訓があったからこそである。
「その時期は分かるか?」
「詳しい状況は不明ですが、準備を開始しているのは間違いありません。恐らく本年中には行動を起こすのではないか、というのがユリアーノ様の見解です。」
「本年中か・・・」
 そのとき、クローネのデスク上の端末が電子音を鳴らし始めた。クローネ達は連邦から身を隠しているという身分上、外界とは隔離された状態にある。外界からヘスティアに接触をするには、今のグァラニがそうしたように直接ヘスティアに乗り込むしかない。情報が外部から入りにくいのだ。つまりこの端末の呼び出し音は、外部からではなく内部からの連絡であった。
「ヘスティア正面に、所属不明の艦影を確認したわ。距離はおよそ8万ってところかしら。」
 内線を入れてきたのは、彼に代わってシンドラを指揮している副官、ネリナ・クリオネスだった。シンドラとシシリエンヌはヘスティアの宇宙港ブロックに駐留しており、予定外の来客に備えて常に周辺の監視をしていたのである。
「冗談を言っているのか?今どき所属不明もあるか。」
 クローネが途端に不機嫌になってオペレータは一瞬たじろいだが、怒ったからといって相手の正体が分かるわけでもない。
「連邦の艦じゃないのか?」
「武装してるけど、地球連邦軍籍じゃないのは確かね。」
「だとしたら、それは敵だ。シンドラに第一種警戒態勢だ。それと、”連中”にも教えてやれ。」
「了解。」
「それと、絶対にこっちからは何もするな。警告も必要ない。かえって我々の存在を教えてしまうことになる。しばらくは静観だ。」
 クローネが内線を切ると、すかさずグァラニが何かをいいたそうに寄ってきた。
「よろしいのですか、クローネ様?」
「なにがだ?」
「その・・・”彼ら”に情報を与えて・・・」
「確かに連中は同志ではないが、敵ではないし、ヘスティアの同居人だ。それに、もしあれが私の予想通りなら、連中も他人事では済まなくなるだろうからな。」
(噂をすれば、か・・・)
 クローネの表情は、緊張を強く浮かび上がらせていた。彼の予想は当たっていたことを、すぐ後に省みることになる。
 所属不明の巡洋艦は、この忘れられたコロニーに偶然に漂着したストレンジャーではなかった。最初からこのコロニーが目的地だったかのようにまっすぐこちらに向かい、しかも、入港許可を求める通信まで送ってきたのである。
 既にクローネは自室から中央管制室に移動しており、彼の到着から数分ほどして、もうひとりの来訪者を迎えていた。
「どういうことだ、クローネ?」
「遅かったな、エネス大尉。聞いてのとおりネオジオンだ。連中の目的は、最初から我々に接触することのようだ。とりあえず様子見といったところか。」
「同感だ。派手に戦闘をやらかすわけにもいかん。藪をつついて蛇に噛まれるのも避けたいところだな。」
 最初は何もしない、という共通の認識を確認できたところで、クローネは話題を少し進ませた。
「シャアのネオジオンがここに来る目的は、ふたつしかない。障害になる可能性のある我々を倒すか、それとも引き込むか。」
「だろうな。オレも貴様もシャアに昔を知られている。恐らく、シャアは糾合する戦力が少しでも欲しいところだろう。オレ達も数ある中のひとつに過ぎないか・・・無駄なことをするヤツだな。」
 クローネとエネスの共通点は、同じ敵を持っているということである。この場合の共通の敵とは、シャア率いるネオジオン軍であった。


 入港許可を得たネオジオンの巡洋艦は、まっすぐにヘスティアへと入り、宇宙港でクローネら武装したシンドラのクルーによる出迎えを受けた。そこにひとりで降り立ったスーツ姿の人物は、クローネの予想したとおりであった。
「13年ぶりか・・・その間に青年実業家にでもなったつもりか、シャア・アズナブル?」
 クローネの言葉には揶揄が含まれていたが、シャアはそれを意に介さなかった。
「君の人嫌いも変わりなくといったところだな、少し安心をした。」
 目の前にいるシャアが護衛をひとりも連れてはいないのを、おかしく思った。それとも、自分はバカにされているのだろうか?
「お前の用事は察しが付いている。ここでは話しにくいだろうから、私の部屋にでも来てもらおうか。茶菓子くらいは出してやる。」
「・・・了解した。」
 シャアは自分が昔からこの男に嫌われていたのを知っているので、短く答えた。クローネの方はと言えば、この突然の来訪者を私室兼執務室に案内してから、ひとりで待たせることにした。それは嫌がらせでなく、シャアの目的を聞くと言うこととは別の、もうひとつの目的のためである。
 となりの中央管制室に入ったクローネを、待機していたエネスが出迎えた。
「どうやら、大物が来たらしいな。」
 エネスも彼と同じく、そういう予感があったのだろう。慇懃な態度を取りながらも手段を選ばない、シャア・アズナブルはそういう男であると思っていたからだ。
「君も来ると良い。シャアの目的が私を抱き込むだけとは思えないしな。」
「分かった、同行しよう。オレもヤツに話がある。」
 部屋のドアを開けると、部屋の真ん中にあるソファに腰掛ける、金髪の男に目が行った。
「エネス大尉、グラナダで会って以来か。君らクレイモア隊が造反したまでは当時でも知っていたが、今も生きていると聞いたときは驚いたよ。」
「そうだな、クワトロ・バジーナ大尉、いや、シャア・アズナブル大佐。わざわざここまで、しかも直々にやってくるとは、どういうつもりだ?貴様も随分忙しそうじゃないか。」
 ネオジオンの総帥たる男が直々にやってくるというのだから、確かに尋常ではない。近くまで寄ったから、などという友人同士の会話をするつもりも、それぞれにはなかった。
「なに、サイド2に用事があったのでね。ちょうど、君らとも話をしておく必要を感じていたところだし、あくまでも”ついで”さ。」
 ”ついで”を強調した辺りにきな臭さを感じつつも、クローネとエネスは続きを促した。
「その表情から察するに、回りくどい説明は要らないようだな。」
「そういうことだ。貴様が何かをしようとしていることくらいは、オレ達も知っている。」
「なら、率直に言おう。私に協力する気はないか?君らとて今の連邦を、地球を良く思ってはいないのだろう?そうでなければ、こんな所で隠遁生活をしているわけがない。」
「それはそうだが、私が求めているのは連邦の変革であって、地球圏全土を戦争に巻き込むことではない。一年戦争で、一体何人の人が死んだと思っている。」
 クローネが答え、エネスも続いた。
「そのとおりだ。オレもまた、無意味な戦争を起こす気はない。戦争を産み出す温床を粛正しても、また別の人間が戦争を求める。歴史はその繰り返しではないか。貴様が何をしようと知ったことじゃない。独立したければすればいい。」
「つまり、ネオジオンに参加する気はない・・・ということだな?」
「有り体に言えばな。ただ、気になることがある。貴様が求めるモノの先にあるのは、一体なんだ?スウィートウォーターを占拠して、貴様は何をするつもりなんだ?」
 エネスのその疑問は、グリプス戦役のときからずっとシャアに対して抱き続けていたモノであった。エネスとその親友であったショール・ハーバインの目指す先にあるのは、人が人として生きていける時代そのものであるはずだった。だがシャアには、何のために何をするのかが不明瞭すぎたのだ。
 スウィートウォーターを狙って動き出したという情報を知っていたのに、シャアは驚きを見せなかった。なぜならシャアは、この一連の動きに呼応して地球圏各地に散在しているジオン軍残党などが合流してくることを期待していた。つまり、意図的に隠さなかった情報ということである。
「スウィートウォーターは、君らも知ってのとおり、難民の入れ物として建造されたコロニーだ。もともと廃棄されたコロニーをつなぎ合わせただけの、極めて不安定のな。だが連邦はその後、難民達に何をした?そう、何も・・・」
 シャアに最後まで言わせず、エネスが遮った。口数の多い男を、エネスは信用しないことにしているのだ。
「そんな能書きは良い。スウィートウォーターを拠点にして連邦軍に艦隊戦を仕掛けて、連邦に何を要求するんだ?」
「スウィートウォーター政庁の存在を、ネオジオン政庁として認めさせる。スペースノイドのための政治は、スペースノイドが手に入れなければな。そして、連邦のこれまでの愚行の責任を問う。」
 その先にまだ何か隠していることがあるような気がしたが、シャアもこれ以上は言う気がないようだ。それを表情と口調から察して、エネスは詮索を避けた。どのみちシャアとは袂を分かつことになるのだ。そもそも、スペースノイドとアースノイドという線引きをなくそうと志向しているエネスとは、この時点で接点がない。
「・・・分かった。オレはもう貴様と話すことはない。ただ、イタズラに戦乱を拡大して民間人を巻き込むような戦いをした場合、オレ達クレイモア隊をも敵に回すということを覚悟してもらう。」
 それは事実上の決裂宣言であったが、その裏に隠された”クレイモア隊は手を貸さないが、条件付きで邪魔もしない”という意味を、シャアは理解していた。エネスからクローネに視線を転じたが、クローネの表情もシャアの申し出を断ると言っていた。
「しかし、君らは度し難いな。政治面からの変革を求めているようだが、革命は破壊から始まる再生であるというのを分かっているのか?」
 エネスはもう口を開きたくないらしく、クローネが答えた。
「それは自然の摂理ではなく、人間が勝手にそう思い込んで決めたことだ。無理な革命は新たな反動を生む。報復は報復を生むだけだ。いい加減、ジオン・ダイクンにまつわる報復の螺旋を断ち切るつもりはないのか?」
「過去を清算しなければ、未来には進めないだろう?そして、私には過去を清算するだけの力がある。」
 シャアの確信じみた言い方に、クローネは苦笑した。
「力・・・そうか、お前も力に溺れるのか。ザビ家やハマーンもそうだったが、お前も同じ轍を踏むというわけか。」
 それに対して、シャアは何も返答をしなかった。答えに窮したわけではなく、答えるつもりがないのだ。自分自身が力を正しく使えると断言できるほど、傲慢にはなれなかった。もし断言できる人間がいたら、それは不幸だろうと思う。
「ともかく、お前に力を貸せないと言う点ではエネス大尉と同意見だが、私はそれだけで済ませるつもりはない。ジオンの名を冠する存在を消し去るのが、私の目的のひとつだ。特にザビ家やお前のような、ジオンの名を騙るヤツをな。」
「なら、私をここで殺すか?」
 シャアはさりげなく言ったが、答えは分かりきっていた。最初から自分を殺すつもりなら、話を聞いたりはしなかっただろう。
「ここでお前を殺すのは簡単だが、そのつもりはない。お前を殺してもお前を支持する人間達の報復を招くからな。だが、お前のやることを黙ってみているわけにはいかない。よって、シンドラは邪魔をさせてもらう。」
 クローネの発言はエネスのそれと違い、明らかな敵対意思の表明であった。
「了解をした。クレイモア隊には、邪魔をしない限りは手を出させないようにしよう。それでいいな?」
 話を振られて、仕方なくエネスはそれを承諾した旨を伝えた。その返事をもって、シャアとエネス、クローネの会談は終わった。

 シャアがヘスティアから立ち去るのを見届けて、エネスもまたクローネの前から姿を消した。私室にいるのはクローネだけになった。
(エネス達は静観をするか・・・それが良いだろう。連中には連中の目的がある。問題は、シャアが連邦に対してどのような戦略を持っているのか、だな・・・私の横槍が功を奏すればいいが)
 クローネとて、シャアがこれから行うことの全てを予測していたわけではないが、正面からの艦隊決戦や政治的な裏工作では終わるまいという確信だけはあった。眠っているとはいえ、連邦軍には辺境のコロニーに至るまで部隊を駐留させるだけの物量があり、その差は決定的だ。その差を埋めるには、コロニーを地球に落とすくらいの覚悟が必要となる。
 だが、シャアはザビ家と違い、大多数のスペースノイドの支持を得ている。それがときには足かせになることも承知していたが、だからこそ不気味さも感じた。かつてのエウーゴも似たような立場であったが、クレイモア隊という影を産み出した経緯があるのを、忘れてはならなかった。
 そして、クローネは、自分が手を出さなくともそう遠くないうちにシャアのネオジオンから何らかの攻撃が仕掛けられることを確信して、それに向けての準備を始めることにした。恐らく、残された時間は少ないだろうから・・・。

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