第42章 先にあるもの

 地球連邦軍のモビルスーツ乗りが愛機にパーソナルマークを付与するケースは、意外と少ない。専用機、カスタム機という概念が連邦郡内にあまり浸透していないからだが、例外が無いわけではない。
 フェリス・ウォルシュのバーザムも、その数少ない例外のひとつであった。しかし彼女は、自分の機体にそれほど愛着があるわけでもないし、自分自身の実力を過信していたわけでもない。キツネのマーキングは、いわば連邦軍幹部に対するささやかな嫌がらせであった。彼らにはどこか自分の戦死を望んでいる節があったので、連中にまだ自分が生きているという証明を堂々と見せつけているのだ。
 そのバーザムとレイの乗るゼータプラスCA2型”マイン・ゴーシュ”との戦闘は、数分間に及んでいた。攻撃してはかわされ、かわしては攻撃する・・・その繰り返しだった。
 フェリス機に同伴していたラファエルが迂闊な横槍を入れられずに困惑していたほど、2人の機体はめまぐるしく動いていた。
「キツネに憑かれてるのかっての、オレは!」
 グラナダへのコロニー落とし阻止の一件、コロニーレーザー周辺宙域での遭遇戦に続いて、レイとフェリスはこれで通算三度目の対決となっていた。目的を果たすことを戦場での勝利とするなら、一度目はコロニー落としを阻止できたことで結果的には勝利したことになるが、レイはそれで良しとはしていない。一対一での対戦は完全に負けている。
 しかし、今のレイにはマイン・ゴーシュという強力な武器があった。今度はそうは行かない・・・と意気込んでいた。次の瞬間に繰り出されたビームサーベルによる攻撃は、フェリスには通じなかった。
(新型機でも、それを使う人間の技術が進歩していなければ意味がねぇ・・・ってか。)
 フェリスの攻撃を何とかかわして来れたのは、マイン・ゴーシュに搭載されている補助防衛システム”グングニル”による恩恵を預かっているに過ぎないことを、レイは十分に承知していた。
「ラファエル!」
 今のままでは互いに決定打を欠いたまま、めまぐるしいながらも膠着した戦況に、フェリスは業を煮やしかけていた。やはり速攻で、数を利用した攻撃に切り替えるしかない。
 名を呼ばれたラファエルは、詳細な指示を受けるまでもなくレイ機の後ろに回り込んだ。ようやく彼の入り込む余地が生まれたと判断できたのだ。
「ガンダムタイプなんてのは、ナンセンスなんだよ!」
 特に意識したわけではないが、ラファエルは勢いに任せて叫んだ。相手が近接戦闘を望んでいるが、それに付き合う義務はない。すぐさまマラサイのビームライフルが咆哮した。
 またもシステムの助けを借りてそれを回避したレイは、やや後方のショールとクラックの戦闘が気になって、後方のカメラの映像を正面モニタの端に映し出した。
(ショールが後退・・・じゃぁそろそろか・・・)
 ショールのシュツルムディアスは、その機体のカラーリングが極めて映えるため、すぐに確認できた。少しずつゆっくりと、ティルヴィングのダミーに向かって流れている。しかし、その被弾状況まで確認しなかったのは、距離が遠すぎたのと、レイが現在進行形で戦闘をしているからであった。
 加えて、レイ機の後方から1機のリックディアスと2機のネモが迫っていた。いうまでもなくダミーであるが、エネスの読み通り、フェリスとラファエルはこれらをダミーとは認識しなかった。
「新手が今更になって出てきた?」
 妙だ、とフェリスは思った。何かを守る戦いで戦力を小出しにするのは、ハッキリ言って意味がない。確かにクレイモア隊のモビルスーツ隊は一度帰艦しているが、補給を行って再出撃して来るにしては間隔が短すぎる。5分かそこらでの補給など、物理的に不可能だ。
 咄嗟にそんな考えが浮かんだが、実際はフェリスにも時間的猶予はなかった。即座にダミーをビームライフルで攻撃して、そのひとつが爆発するのを確認した。
「まず1機!」
 ネモを撃墜し、すぐさまレイ機とダミーの正面に出た。あっけないとは思ったが戦場というのはそういうものだ、とフェリスは思っている。その経験の豊富さが、かえってクレイモア隊の術中に陥る土壌になってしまっていた。
(じゃ、オレもそろそろ・・・)
 レイはキツネマークのバーザムがダミーを攻撃してくれたその隙を狙って、敢えて後ろを見せながら後退を始めた。その隙を見逃すフェリスではない。
「逃がすかッ!」
 2発、3発と次々にビーム攻撃を行ってくるのに対し、ある程度の距離を稼いだと判断したレイは、一旦、意味不明の旋回をしてからダミーを射出して、自機の識別信号をオフにした。いわゆる、蜥蜴の尻尾の様なモノだ。
 レイの期待通り、フェリスはそのダミーを正確に打ち抜いて爆発させた。そのあっけなさにまたも呆然としているフェリスを尻目に、その閃光に紛れてマイン・ゴーシュをウェイブライダー形態に変形させ、全力で戦場を離脱した。自分の仕事は終わったのだ。

 ティルヴィングのブリッジでイーリスに支えられながら、エリナが血色を失った顔を正面モニタの方へと向けていた。そのモニタは、ティルヴィングのダミーに張り付いたショール機を拡大表示していた。
「被弾してる・・・でも、ショールはどうするつもりなの?」
 エリナはコード・フリッカーの全貌を知らないので、このダミーをどの様にして使うのかも分かっていなかった。それをフォローしたのは、ログナーだった。
「あれを爆破して、本艦の撃沈を装う。その直後にモビルスーツのダミーも爆破して、モビルスーツ隊の玉砕と誤認させて我々は撤退する。」
 あのダミーそのものが爆弾の塊であるということを知ったエリナは、漠然とだが妙な予感を覚えていた。あの規模のダミーを爆破するには、それなりの距離を確保していないとショール機も無事では済まない。だが、ショール機はダミーに密着していた。ショール自身が既に瀕死の重傷を負っているので、距離をとるだけの余裕がないのだが、無論、ブリッジにいる彼女らにはそれを把握できなかった。
「死ぬ気だわ、あの人・・・!」
 エリナが唐突に狂乱の様相を見せ始めたので、イーリスはそれをなだめるので精一杯になった。
「大丈夫よ、ショールさんは戻るって約束したもの。今まで約束を破ったことがないのが、あの人の良いところだったじゃない。」
「でも、もう時間がない!」
 イーリスの期待は、直後に裏切られる結果となった。
「やめてぇぇぇぇぇッ!!」
 エリナの絶叫と同時に、ショールの『死装束』は機体をティルヴィングのダミーに密着させた状態で、ビームピストルを一発だけ放った。その直後、ダミーは『死装束』を巻き込んで、極めて大規模な火球に変わった。
 宇宙世紀0088年10月31日午前11時48分、既に記録上は戦死したこととなっているはずのショールハーバインの本当の死亡を、クレイモア隊の人間は目の当たりにしたのである。


 ちょうどその頃、エネスはフェリス達に気付かれぬように距離を充分に保って迂回し、既に前に突出していたサラミス2隻を撃沈していた。一見、その行程は芸術的なモノに思えるが、モビルスーツのない艦艇を撃沈させることは、それほど至難の業というわけではない。ブリッジを潰せばその目的の7割を消化したことになるので、あとは核融合エンジン部を狙って重点的に攻撃して爆発させれば、1隻の戦艦を消すのに2分とかからない。皆殺しにする方が簡単なのは、皮肉としか言いようがない。
「残りの1隻を牽制する!」
 2隻目を平らげたあと、エネスは『死装束』を最後尾に位置するサラミスに向かって突進させた。
「・・・・・・ッ!?」
 眼前にある艦艇に、エネスはちょっとした違和感に似た感覚を覚えていた。艦首から船体の右半分にかけて、大きく補修を受けた形跡があった。これは昨年、ティルヴィングに体当たりをしてきた艦ではなかったか。
「ニューデリーが来ていたのか・・・」
 それを偶然とは思わなかった。ニューデリーはルナIIに駐屯している部隊だ。今回の討伐艦隊に編入させられたとしても、何の不思議もない。ニューデリーを撃沈せずに済んだことは、エネスに何かしらの安堵をもたらしていた。ティターンズに所属していた4年間を過ごしたこの艦に愛着がないといえば、やはりウソになる。
 偶然性を感じたのは、むしろニューデリーが最後尾の艦で、撃沈対象外の唯一の目標であったことだろう。
「後退してもらうには、武装をやれば・・・」
 言いつつ、右腕のビームガンを放って次々と砲門を破壊していった。
「白い機体・・・」
 ブリッジからその光景を目撃していたモートンは、その機体のパイロットがエネスであることを悟っていた。対艦攻撃の順序が彼の知っているエネスのパターン通りだったからでもあるが、なにより、このような単機での奇襲を艦隊に仕掛けるような人間などそうはいない。それに、クレイモア隊と初めて対峙したあの”グリプスの遭遇戦”でも、エネスはこのニューデリーから出撃してクレイモア艦隊に奇襲を敢行したのである。
(今度は私を狙うか・・・因果なモノだ)
 モートンはただ、苦笑するだけだった。単機で奇襲を仕掛けるということは、相手が時間を欲しがっていると言うことだ。それを理解していた彼は、敢えて抵抗させなかった。
「・・・モビルスーツは全機出撃していて、砲門を潰されては我々にはどうすることもできんな・・・モビルスーツ隊全機撤退の発光信号をあげろ。それにあわせて、本艦も撤退する。」
 命令のあと、すぐにニューデリーから撤退信号が打ち上げられたが、その直後になって、遙か前方で極めて大きな爆発の閃光が上がっていた。その報告を聞いたモートンは、モビルスーツ隊がティルヴィングを撃沈することに成功したのかと最初は思い込んだが、すぐにそれを否定した。彼らがそんなに気持ちの良い負け方をするとは、到底思えなかったからだ。おそらくティルヴィングの撃沈とモビルスーツの撃墜は、偽装ではなかろうか。とすれば、エネスが他のサラミスを速攻で撃沈したのに対して、ニューデリーに対する攻撃には積極性を欠いたことの理由を裏付けているのかも知れない。
 事実、ニューデリーが後退を始めると、エネスの『死装束』はそれ以上手出しをせず、素直に後退して見せたのである。恐らくエネスの方でも、ニュ−デリーと自分の存在を察していたに違いない。だとすれば、エネスは自分を信用してくれたのだと思うしかなかった。

 ティルヴィングのダミーに流れた『死装束』を目撃したクラックは、しばし呆然としていた。自分が被弾させた白いシュツルムディアスがそのまま母艦に流れ着き、直後に機体の核融合エンジンが爆発を起こしてティルヴィングを巻き込んだようにしか見えなかったからだ。
 両腕を失ったクラックのジムクゥエルは損傷箇所が悪かったのか、コックピットから各部への伝達経路の障害があるらしかった。おかげで接近してそれを確認することもできない。自分の見たことだけが全てだった。
(これでよかったのか・・・エネス大尉はここで死んでも良かったのか・・・)
 素直に喜べないのは当然であった。モビルスーツ同士の決闘という意味では、勝ってはいないのだ。尊敬する人物だからこそ倒したいという認識は確かに芽生えていたが、こんな結果を望んではいなかった。
 やがて、撤退信号を受けたフェリスとラファエルがクラック機回収のため、こちらに向かって来ていた。
「半端だ、中途半端すぎる・・・」
 こんなもどかしい想いをしたことは、クラックの21年という短い人生の中では一度もなかった。エネスだけではない。今まで散々自分達を苦しめてきたクレイモア隊がこんなあっけない終わり方をするなど、思いもよらなかった。文字通りの死闘を、そして敗北をも覚悟していたのに、である。
「クラック、無事か?」
 元恋人の声色はそれほど深刻というわけもなく、心配はあまりしていないと言う感じだった。つまり、外から見ても損傷の度合いはそれほどではないということだ。当たり所が悪かったとしか言いようがない。
「あぁ、オレは何ともない。煮え切らない想いで一杯だけどな。」
 悔しさを隠さず、フェリスに漏らした。
「・・・私もだ。」
 その短い返信の中に、クラックは自分と同じ確かな何かを感じていた。その感覚は、不審という形で後ほど明らかになる。
「撤退信号が出た。戻るぞ。」
「仕方ないか・・・機体を頼む、フェリス、ラファエル。」
「了解。」
 こうして、クラックのジムクゥエルはバーザムとマラサイに抱えられて、ニューデリーに帰還した。

 彼らの帰艦を出迎えたモートンは、後日、昨年に引き続いて二度目の虚偽の報告をすることになる。モートンはコード・フリッカーの全てを知っていたわけではないが、クレイモア隊の機動戦力全滅が全て偽装なのではないかという疑問の存在を、確かに感じていた。ニューデリー強襲後、エネス機の撃墜を確認できなかった以上、エネスはどこかで生きているはずなのだから・・・。

 一方、ティルヴィングに帰還したエネス達は、ショール・ハーバインの戦死に悲嘆にくれる暇も与えられなかった。モビルスーツデッキ全体の空気は、先程までの激戦を終えたことの余韻を色濃く残していた。
 『死装束』を降りたエネスは、ふと周辺を見回していた。誰かを捜している様子であるのは、周囲の人間はみんな気付いていたが、彼らには声をかける余裕がなかったし、エネスの雰囲気は、気軽に声をかけられるようなモノではなかったからである。
「何探してんの?」
 クレイモア隊でもっとも気楽な男といえるレイだ。彼とて、親しい人物を失ってまだ半年も経っていないのだが、それをおくびにも出してはいない。今のエネスは、レイのそう言う”自分らしさ”を羨ましく思った。
「エリナが戻ったそうだな。」
「あぁ、そういうこと・・・」
 エリナはようやくショールを失ったショックから立ち直ったばかりだというのに、同じショックをその直後に受けたことになる。心配して当たり前だった。
 レイはエリナがどうなったのかの全てを、イーリスから聞いていた。ショールの戦死の瞬間を目の当たりにしたことも、である。しかし、それをエネスにそのまま教えるのは良くないと思えた。
「メディカルルームに、イーリスが付き添ってるよ。行けば分かる。」
 レイに言えたのはそれだけだった。メディカルルームに再びいなければならないと言うことを悟ったエネスは、自分の嫌な予感が的中したことをも察していた。
「・・・分かった。」
 あくまで冷静に答えて、メディカルルームに向かった。
「エリナ!」
 ドアが開いたのと同時に中を見回すと、彼女は確かにそこにいた。
「兄さん・・・エリナさんが・・・!」
 泣きたいのを今まで堪えていたのだろうが、唯一の肉親が目の間に現れたことでその堰がきれたようだった。その言葉に、エネスがベッドの方向を向くと、出撃前と同様のエリナの姿があった。
「せっかくショールさんと会えたのに・・・こんなの・・・」
 エネスはただ、言葉を失っていた。イーリスの涙は、ショールの本当の死だけが原因ではないことを知っていたゆえ、なおのこと何も言えないのだ。
「・・・・・・」
 しかし、目の前の現実から逃げるわけにはいかない・・・思ったエネスは、気休めでなく心からの一言を言った。
「エリナは必ず元に戻る、戻してみせる。だから泣くな。」
 正直なところ、泣きたいのはエネスも同様だった。ショール、エリナ、そして自分・・・士官学校時代に未来を誓い合った3人の絆が、8年も経たないうちに音もなく崩壊したような気がしていたからだ。
「と、とにかくオレは、3人で誓い合った未来に進む。これが先に逝ったショールへの、そして自分へのけじめだ。エリナのこともあるしな・・・お前はどうする?今ならどこか安全そうなところに降ろせるが・・・。」
 イーリスの回答は、既に決まっていた。
「安全なところなんてないわ。私も一緒に行きます。」
「!・・・そうか。」
 妹の芯の強さを知っているエネスは、あえて翻意を促そうとはしなかった。自分が将来作るであろう反連邦組織の一員にするわけにはいかないが、せめて自分の決めた道を行かせてやろうとだけは決心していた。

 それから30分ほどが経過して、ティルヴィングでも、ダブリンへのコロニ−落下が確認された。地球に生まれた刹那的な閃光は、エネス達を嘲笑する巨大な影のように感じられた。エネス達は、敢えてそれを目に焼き付けて、未来への邂逅のためにサイド2へと向かった。

 なお、このコロニーのダブリン落着とクレイモア隊造反事件には、後日談があった。第一次ネオジオン抗争と呼ばれる一連の戦乱が終息してのち、この事件に関する連邦政府の公式見解が各メディアを通じて発表された。
 ネオジオン軍はコロニー落としを断行したが、連邦軍の一部の部隊がそれを阻止に向かったことまでは事実であったが、その後の内容は事実とは全く異なるモノに改竄されていた。
 その内容とは、コロニーを阻止に向かったのはニューデリーをはじめとする5隻の艦隊で、そのときに突如エウーゴ所属のクレイモア隊が叛逆、艦隊を撃破してコロニー落としを助けたというモノであった。つまりクレイモア隊は、歴史の表舞台に名を初めて記したそのとき、この事件のスケープゴートにされたことになる。
 無論、反論する者も皆無ではなかったが、唯一の当事者であるニューデリーのレナード・モートン少佐、クリック・クラック少尉、フェリス・ウォルシュ中尉、エドワール・ラファエル曹長の証言で、クレイモア隊が彼らとの交戦の結果に全滅したことが証明されてから、その全てが闇に葬られてしまっていた。
 まさしく、”死人に口なし”の論法で、連邦政府はこの事件に関する責任追及を逃れたのである。

 そして、実際にクレイモア隊が歴史の舞台に再び姿を現すのは、これから10年後の話である。

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