第17章 喪  失

『エネス、すぐにティルヴィングを出撃させて!』   
 何者かに連れ去られたエリナが残した言葉を、エネスはそのまま実行させることはできなかった。ログナーに連絡は入れたのだが、ティルヴィングが即刻グラナダから出航できるはずもない。主力MSであるリックディアス4機の全てはアナハイムエレクトロニクス、フォン・ブラウン工場にあり、マイン・ゴーシュのパイロットは不在だから、ティルヴィングに残っている中で戦力と呼べるのは、2機のネモだけだ。例えすぐにティルヴィングが敵を捕捉しても、とても闘いにはならない。だからエネスは、リックディアスのオーバーホールを優先すべきだと考えていた。
 そのエネスの提案ももっともだったので、さしあたってリックディアスを必要としないレイがイーリスを連れてティルヴィングへ先に戻り、エネス、ファクター、ナリアのリックディアスのパイロットだけはアナハイムに残ることにした。その後エネス達はジョンの案内で、フォン・ブラウン工場へとエレカを走らせた。

 アナハイム・エレクトロニクスのフォン・ブラウン工場は、民間、連邦直轄かかわらず地球圏でも最大規模のMS開発施設であると言っても過言ではない。その工場はいくつもの区画に分かれており、中には数は少ないが既に閉鎖されたブロックもあった。そのひとつには、ハヤサカが密かに改修したブロックがあった。マイン・ゴーシュという非公式な機体が開発されたのも、このブロックである。この場所を知っているのはシステム開発3課の面々と、デニーニだけだ。そのデニーニもまた、リックディアスのオーバーホール作業に付き合わされる形で、ここに来ていた。
「4機のMSをいっぺんにオーバーホールだなんて・・・ハヤサカ主任も物好きよね?」
「言ってくれるなよ、デニーニ女史。物好きな連中に付き合えるのは、物好きだけなんだよ。」
 物好きというのは、人をあっと言わせるような新しいモノを作る土壌になるのだ。それこそ誉め言葉だとハヤサカは思う。
「注文通り、リックディアス4機分の部品を持ってきたわよ。今、搬入させてるわ。」
「そりゃご苦労さん、監査をちょろまかすのに苦労したんじゃないのか?」
「そうでもないわ。リックディアスはもう作られてないから、専用の純正部品も廃棄予定だったのよ。それはまとめてこっちで引き上げたわよ。」
 ハヤサカは驚いて、デニーニを振り返った。
「全部か?」
「ほとんどね。シュツルムディアスはネオジオンに譲渡しちゃったし、このタイプのMSはもう創らないでしょうからね。主任が必要なんじゃないかと思って引き受けたのよ。」
「いや〜気が利いてる、流石デニーニ女史だ。」
 ハヤサカはデニーニのしたたかさに、心から感心した。廃棄予定といっても、それだけの純正部品をくすねるのは、それなりの出費もあったはずだ。もっとも、かかった元手は部品代ではなく、管理部の人間へのリベートではあったが・・・。
「誉めてもこれ以上は何もでないわよ。で、リックディアスをどう料理するの?」
 ハヤサカはデニーニの質問に、心から楽しそうに応えた。
「まぁ外見は全然変わらないけどな。もうリックディアスは最新のMSじゃないだろ?それに最新の技術を導入してやろうってのさ。新型を作るより、こっちの方が楽しくなってこないか?」
「そうね、闘った相手の驚く顔が目に浮かぶわ。」
「だろ?旧式だと思ってナメてると、痛い目に遭わせてやろうってのさ。」
 言っている間に、エネス達がジョンに案内されて、システム開発3課の作業ブロックに到着した。エネス達をわざわざこの工場まで連れて来させたのには、ハヤサカなりの理由があった。ジェネレータの交換や各部の姿勢制御用アポジモーターの取り替えなどによって、操縦性に微妙な狂いが生じる。それをコックピットシステムで補うために改修後のデータも取り、それをコックピットシステムに反映させておかねばならなかった。
 エネス達が到着してから作業が完了するまでの2日間、ハヤサカは敢えて何も聞こうとはしなかった。エネス達の顔色から、事の顛末が漠然と予測できたからだった。

 一方、イーリスを伴ってフォン・ブラウン市からリニア・トレインに乗ってグラナダ入りしたレイは、終始無言だった。イーリスはレイから全ての顛末をその途中で聞き、顔色は青ざめる一方だった。グラナダ市からグラナダベースに入り、ティルヴィングが駐留している宇宙港に戻った。
 寄り道をせずに宇宙港からティルヴィングに入ったレイ達を出迎えたのは、ログナー本人であった。艦長室に呼ばれ、2人はログナーに付き従った。
「・・・説明して貰おうか。」
「エリナは何者かに連行されたようです。」
 レイがやや焦燥をあらわにして、自分でも良く事情が判らないと言う口振りで話した。
「それはエネス大尉から報告が入っているから、知っている。」
「ただ・・・」
「何か気付いたことでもあるのか?」
「連中はフォン・ブラウンの物資搬入口に入っていったんですよ。それが引っかかりましてね・・・」
 そこでログナーは黙り込んで、考え出した。物資搬入口は、原則的に人間のみの出入りは許されていない。エウーゴも以前によく使った手段と照らし合わせれば、自ずとエリナを誘拐した人間達の正体を想像できた。やがてそれは、想像から確信に変わる。
「ネオジオンの可能性があるな・・・」
「あ・・・やっぱ、そう思います?」
「そりゃな。エリナをエウーゴの人間と知って連れ去ったのか、それとも連れ去ったエリナがたまたまエウーゴの人間なのか、それはわからんがな。」
 ログナーが顔の前で手を組みながら、結論を述べた。手を組むのは、深刻ぶるときのクセなのだろう。
「でも、なんでエリナは自分からそんな危ないところに・・・最初から誘拐されたわけじゃないんですよ?」
「エリナがエウーゴの人間だと判明するのは、時間の問題だ。エウーゴから何人の人間がネオジオンに合流したと思ってる?」
 その可能性は、レイも充分に考慮している。面識の有無ではなく、エウーゴのデータがネオジオンに渡っているという恐らく事実であろう推測は、誰にでもできることだった。
「ま、そんな事はカンケーないですからね、オレ達には。重要なのは連れ去られたエリナをどうやって探すかって事なんだし・・・」
「物資搬入口から逃げたと言うことは、近くにネオジオンの艦が来ている可能性もある。だからといって、エネス大尉達を置き去りにもできんし・・・エリナ曹長の捜索は、機会を見てやるしかない。」
 ログナーは嘆息しながら言った。
「それでは・・・!」
 イーリスは言いかけたが、それ以上言えなかった。ログナーの決定に不服の意があるのが明らかな言い方だ。しかし、自分がこの艦内ではなんの権限もないことを思い出したので、言葉を途中で飲み込んだ。
「君の言いたいことは判っているつもりだ、イーリス・リィプス。」
「・・・・・・」
 自分たちがエリナを見つけだす前にエリナが殺される可能性を、指して言ったのである。
「艦長、マイン・ゴーシュを出させてくれませんか?」
 レイの提案は、ログナーにとってあまりに唐突すぎた。しかしレイの表情は真剣そのものだった。
「無茶を言うな。ネオジオンの潜入の証拠はないし、もしそれが真実だったとしても、ネオジオンの艦がどこにあるのかもわからんのだぞ?」
 レイの態度には、徐々に苛つきが目立ち始めていた。語気も自然と荒くなってくるのを自覚した。この機会を逃せば、イーリスの懸念が現実のモノとなってしまうかも知れない・・・その想いがレイを焦らせているのだ。
「今なら、マイン・ゴーシュなら、今から出撃してもネオジオンの艦を捕捉できるかも・・・!」
「しかし1機では艦を捕捉できても、エリナ救出など無謀にも程がある。許可はできない。」
「チッ・・・あぁそーかよ、なら勝手にやらせて貰うぜ!」
 口調から敬語が消えていたが、ログナーはそれに気付いていない。レイの焦る気持ちも判るからである。それを脇目に見ていたイーリスは何をして良いのか判らず、両者を交互に見ていることしかできなかった。レイが捨て台詞を残して立ち去ろうとしたのを、ログナーは引き留めた。
「待て!」
「なんだよ!」
「まったく、なんてヤツだ・・・とにかく勝手をされては困るからな。無理をしないと約束するなら、機体の使用を許可する。」
 ログナーの口調は最初激しかったが、次第になだめるような口調に変わっていた。
「お、そうこなくっちゃ・・・約束しますよ。無理だと判ったら、すぐに撤退します。」
 レイの顔に、いつもの飄々とした微妙な笑みが浮かんだ。
「衝動に任せてはならない時がある、と言うことだ。敵艦を捕捉しても、間違っても撃沈はするなよ。敵機動戦力を排除して、敵艦を制圧するんだ。」
「だ〜い丈夫ですって、ZplusCA2”マイン・ゴーシュ”は単機での強襲を可能にする機体なんですから。」
 現金なヤツだな・・・ログナーは思いながら、マイン・ゴーシュの準備をするように端末を通じてMSデッキに連絡を取った。


 かつてのエウーゴにしろ、現在のネオジオンにしろ、フォン・ブラウン市への潜入方法というのはログナーが予測したとおり、パターンは多くない。その中で最もポピュラーなのは、潜入する人間が民間人を装う事である。他にも方法はあるにはあるのだが、潜入というのは目的をなしえた後の脱出も考慮せねばならず、合法的な入出国をできるという一点だけでも、他の方法よりも勝っているのである。
 シシリエンヌのクルー2人は物資搬入口へのゲートで、今連れている女の仲間と思われる人物達から逃げた後、MSの部品など搬入作業の指示をしているヴェキと合流した。エリナはMSの操縦にはそれなりの素質を有してはいたが、彼女自身は格闘技ができるというわけでもなく、逃げたくても逃げられない状況に置かれていた。もっとも、ショール・ハーバインそっくりの男が目の前にいるという事実を前にしては、逆に逃げ出す気もなくなるというものだ。別人と言うには容姿・声があまりに似すぎているし、同一人物と言うには疑問の余地があったので、エリナのヴェキの正体を知りたいという好奇心が、逃げ出すチャンスを自らの手で失わせていたのである。そのヴェキは2人の部下と共にエリナをシャトルに待機させておくと、再び搬入作業を仕切りだした。


 そして今は、その搬入作業も終わった所である。それほど疲れたというわけでもない顔で、ヴェキは最後にシャトルに乗った。そこで3人が並んで座っているのを見つけて、手をシートの縁に置いて身体を固定した。
「おい、女。身分証を見せて貰おうか。」
 ヴェキの無愛想な言い方は、意図的なモノだ。シャトルの最後列で2人に挟まれるように座っていたエリナは、それに対して臆しなかった。少し精神的にも落ち着いてきたようで、いつもの自分らしさを取り戻して声に活力を持たせることができていた。
「私を調べても、何もでないわ。」
 素直に従って、エリナは身分証を取りだした。素直に従わなければ、恐らくこの男は部下にボディチェックを命じたかも知れなかったからだ。
「そうかな・・・エリナ・ヴェラエフ・・・ン、連邦宇宙軍グラナダ基地勤務と言うことは、やっぱりエウーゴか。今という時勢では、エウーゴがフォン・ブラウンにいても、別におかしいことは何ひとつないけどな。」
 身分証の真偽を今更に疑う気にもなれず、ヴェキは言いながらエリナにそれを返した。こう言うときに口封じをできない自分が、半ば恨めしく思った。死亡ならともかく拉致されたというのであれば、エウーゴが不審がることは火を見るよりも明らかであり、それはネオジオンのフォン・ブラウン潜入というひとつの推測を誘導してしまう可能性があったからだ。だが、その為に無抵抗な人間を射殺するくらいなら、いっそ・・・とも思うヴェキであった。
「なんでネオジオンが、こんな所にいるのよ?」
「こらこら、お前は捕虜だ。質問する権利はないぞ。」
「あなたと個人的に話したいんだけど・・・」
 左右を塞いでいる男達から向けられた冷たい視線を感じ取り、途中で言葉を切った。
「シンドラについてからなら、時間はたっぷりとあるさ。」
 ヴェキは、クローネの真意を知っている数少ない人間である。しかしそれは、クローネの昔からの親友だったがゆえではない。ヴェキが強化処置を受けてから、密かに本人から聞いただけだ。だが、どちらにしても、クローネの人格的影響がMS越しではなく直接人殺しを拒否する傾向にさせていることは、間違いのないことだった。
「お前・・・がエ、エウーゴである以上・・・解放するわけには、いかないんでな。」
 急変したのは、ヴェキの口調だけではない。表情が軽い苦痛にみまわれたように歪み始めていた。
「ツッ・・・」
「・・・?」
 敵であるはずのエリナが、軽く手を頭に添えたヴェキを気遣った。自分でもそれはおかしいことだと思うが、やはりショールそっくりの男を放っておくことはできそうになかった。
「事故の後遺症だ、お前が気遣うことか。お前は黙って連行されていればいい。」
 言って、ヴェキはシャトルのコックピットに潜り込んだ。
(またこの頭痛・・・なんだってんだ?)
 あらかじめネリナから渡されていた薬を飲んで数分が経過してから、自分の意識を確認して、シャトルの発進準備を完了させた。直後、港湾管理局からの管制指示が入って、それに従った。

 レイがログナーから出撃許可を受けて、30分ほどが経過した。この時点でヴェキ達を乗せたシャトルは、月引力圏を離脱してすぐの所にある、局所的小規模な暗礁宙域に到着していた。この障害物の多い宙域にはシシリエンヌが待機しており、指揮官であるコルドバはヴェキ達の帰りを待っていたのである。
 ティルヴィングのMSデッキ内では、WR(ウェーブライダー)形態に変形させてあるマイン・ゴーシュが横たわっており、既にマイン・ゴーシュの整備は終わっていた。チーフメカニックであるエリナが不在にもかかわらず、チーフ代行のアーカンソ−軍曹が巧くメカマン達を取り仕切ったおかげで、その作業はそれなりの効率を保つことができてはいた。
「少尉、準備完了です!」
 アーカンソーが大声で、キャットウォークで待ちわびていたレイに呼びかけた。
「じゃ、お言葉に甘えて行くとしますか。」
 すかさず機体へと身体を滑らせて、コックピット部のキャノピーを開かせた。同時にアーカンソーがコックピット横に来た。何の用だろうか、レイはいぶかった。
「追加プロペラントをバックパック部につけてますから、重力圏では加速が落ちます。使い切ったらすぐに破棄して下さい。」
「お、わかってるじゃないの。ボチボチ行くぜ、早いことみんなを引っ込ませな。」
 しばらくして、ティルヴィングのカタパルトデッキにマイン・ゴーシュが姿を現した。
「レイ、宇宙港のハッチは開けさせてある。とにかく無理はするな、いいな?」
「わぁかってますって、レイ・ニッタ、ZplusCA2”マイン・ゴーシュ”行くぜッ!」
 カタパルトデッキから射出されたマイン・ゴーシュは、瞬く間にグラナダの宇宙港から飛び立っていった。

 数分で月の引力圏から離脱したレイのマイン・ゴーシュは、本体ではなく追加プロペラントタンクに積載されている推進剤を先に使って、純白の機体をサイド2側の衛星軌道に乗せた。レイが自機をサイド2方面に向けたのは、特に根拠があってのことではない。月のやや裏側にある月面都市に対する連邦軍の攻撃があるため、フォン・ブラウン市からグラナダ方面への移動だけはまずないとだけはレイにも思えたのだが、あとはサイド1の方向か、サイド2の方向かは一か八かである。
 シシリエンヌがサイド2方面に配備された艦であったことが、この際レイにとって幸運であったと言える。そのシシリエンヌがヴェキ達との合流を果たして、サイド2への帰還の為の移動を開始したときと、レイが小規模な暗礁宙域の存在を知ったときは、ほぼ同時であった。だがレイは、その暗礁宙域の中にシシリエンヌが隠れていたという事を推測してはいても、事実としては知らなかった。先に相手を捕捉したのは、シシリエンヌの方であった。
「中尉、ネズミが一匹向かってきてるそうだ。」
 ブリッジからインターカムでコルドバが呼びかけたとき、ヴェキは連行して来たエリナを独房に閉じこめた直後であった。携帯用通信端末でそれを受けたヴェキは、すぐに応じた。
「報告にあった、あの女の仲間がでてきたか・・・わかった、オレのディアスで片付ける。念のためガザDを2機、足止めに出してくれ。」
「判った。」
 コルドバは手短に答えて、すぐガザDの出撃を命令した。内心では、面倒事を起こしたくない気持ちで一杯だったが、向こうからやってきたというのだから、避けようがない。不本意ではあっても、クローネの親友という偽の記憶を刷り込まれた強化人間を当てにするしかなかった。

「待ってろよ、エリナ・・・王子様の”イトコ”が助けてやっからな。」
 シシリエンヌの姿を確認したレイは一言だけ呟いて、いつでもIフィールドジェネレータを稼働できるよう、準備した。しかし、レイは知らなかった。その王子様と闘う運命にあるのが、まさに自分であるということを・・・
 宇宙世紀0088年3月13日15時40分、クレイモア隊を待ち受けるであろう悲劇の第一幕が開かれるときが、目前に迫っていた。


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